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11月29日 秘密保護法反対の議員要請、特別委員会傍聴、そして抗議行動(K)

2013-12-01 | 特定秘密保護法
 事実が隠されたら検証できないし、経験も生かされないし、科学的な研究はできない。だから、秘密は最小限・最短でなくてはならない。

 秘密保護法は11月26日深夜に衆議院で強硬採決されたが、審議は28日午後から参議院に移った。

「参議院は国民の運動の盛り上がりで少し様子が違う。大いに要請や集会を」
 29日、秘密保護法反対の院内集会があるというので参議院議員会館へ行ったが、結局、会場の会議室は満員で100人くらいが入れず、入れなかった人たちは集会後予定していた議員要請を5人1組くらいですることになった。
 議員への秘密保護法廃止の要請に自民党の議員は受けたのに公明党の議員は会わないと返事だった。いくら結論が違うとはいえ、国民の声を聞くというのが国民を代表しての議員の役目だ。議員としての資質を疑う。
 他に訪れた廃止を求める議員の秘書は、「参議院は国民の運動の盛り上がりで少し様子が違う。大いに要請や集会を盛り上げてほしい」と言っていた。

安保条約に関わる秘密文書は「数えきれないくらいある」(政府関係者答弁)
 その後、国家安全保障特別委員会を傍聴した。傍聴席は満員で、結局委員会会議場に入れたのは午後7:30過ぎ。それまで控室のテレビで見ていた。公明党は知る権利が明記されたので評価する、それを実効あるものにとの確認が主。みんなの党は成立したら第三者機関の設置を必ずと成立を前提に確認を求めるのに終始。
 共産党の井上氏は、自民、公明、維新、みんなの4党による「修正案」で「特定秘密」の有効期間上限が原則60年へ変更された問題を取り上げ、旧日米安保条約の発効(1952年)からすでに61年が経過していることに触れた。そして安保条約に関わる秘密文書はどれくらいあるのかと質問したところ、政府関係者は「数えきれないくらいある」と膨大な量であることを明確にした。

1952年の安保条約にかかわる秘密文書の公開は120年後に
 さらに、当時の交渉資料などのように過去の膨大な非公表文書にもさかのぼって「特定秘密」の指定が可能かと質問に、森雅子担当相は「過去の文書も指定できる」と答えた。結局、「60年前の文書が新たに『特定秘密』になれば、原則60年でも120年間秘密になることが明らかになった。「国の外交・安全保障を誤らないよう国民的検証が必要だ。60年では(秘密に関わった)当事者は誰も生きておらず、聴取による検証は不可能だ」と締めくくった。
 11月19日のこのブログで紹介したが、「ある事実や事件についての記録は、生きた証人がいる間に公開されることによって、その価値に息吹が与えられる。記録が公開されず利用されなければ、その記録が持っている知恵や警鐘も活かされることはない」という考えのもとに、現在では、情報公開は30年よりさらに短くなる傾向にあるのが世界の流れなのだ。

参議院前、若者たちが1000人、夜遅くまで怒りの抗議行動
 委員会は夜8:15ごろまで質疑が続いた。参議院を出ると、なんと、1000人くらいが歩道いっぱいに秘密保護法廃止のコールを叫んでいる。若い人たちが多い。原発やその他の情報が、国民の命や安全にかかわるにもかかわらず、隠されていくことへの怒りの抗議である。この法律が成立すれば、若者たちがこうした中で生きなければならない。情報隠しの秘密社会を若者に残してはならない。