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ビルマの民主化運動を聞いて その3(K)

2013-04-17 | 事務局のつぶやき・研究所では
ビルマの人の話を聞きました  その3


在日ビルマ人への日本政府の対応
 日本のビルマ人は麻生政権時代難民の受入れによって法の保護を受けられるようになった。ビルマ政府の海外渡航は、政府に承認された留学、就労、観光でビザは発行されるが、就労の場合には政府に毎月1万円を支払うことになっている。しかし、支払った税金がみな、政府幹部の個人財産になると思うと支払いたくない。それを拒否するとパスポートの更新がされない。それでビルマに帰れない。また、帰ってもいつクーデターが起こるかわからないので帰りたくても帰れない。
 今、アウンサン・スー・チーさんが日本に来ているが、1週間の在日期間のうち、在日ビルマ人がスーチーさんに会えるのは1時間しか設定されていない。在日ビルマ人は日本に約1万人いるが。

ビルマの人たちは日本をどう見ているか
 ビルマの人たちの日本人に対する考え方は、基本的には親日です。しかし、日本軍の協力によるイギリスから独立の後、日本はビルマを属国にしたし、その強制に反対すると拷問など、とても酷いことをされた。これまでの軍政府による拷問は日本軍をまねたものです。しかし、ビルマの人は基本的には親日です。戦争当時のことは学校でも教えているがファシスト日本がしたこと、と教えている。日本はビルマに対し、きちんと戦時中の残忍な扱いを認め、二度と過ちを繰り返さないよう日本国民にも事実を知らせ引き継いでほしい。

ビルマと中国
 ビルマは多民族国家でインドやバングラディッシュからも人が入ってきている。インドからの移民は何世代前から続いているもので、ヒンズー教やイスラム教だが、ビルマの人との衝突は起こらなくなっている。いま、衝突が起こっているのは民主化したくない人が仕掛けている。
 ビルマには中国人が多い。人口5000万人に対して50万人がいる。島を中国軍に貸している。中国は政府に肩入れしている。
 中国の人が独自に軍を雇って自治州のように振る舞っている州もある。

ビルマとアメリカ
 北朝鮮とビルマの違いは、ビルマは一国でもやっているということ。気候は暖かく着るものの心配はなく食べるものもある。アメリカにとってもビルマはそんなに魅力的ではない。石油や貴重な資源があるわけではない。


話を聞いて思うこと
 アウンサン・スー・チーさんが来日できるのはこの一週間だけです。今、日本には約1万人のビルマ人がいる。民主化だ、新たな日本企業の進出だ、と思っている日本人も多いと思うけれども、民主化闘争の中で身の危険が迫り日本に来て暮らしている、いまだに母国の軍事政権があることによって帰りたくても帰れないビルマの人たちもいる(一部表現を修正しました)、そして目の前にいるという事実を私たちは知っているだろうか。
 「民主党時代、民主党は民主化陣営を支持し、スーチー寄りだった。民主党政権が呼んだから来たのかもしれない。自民党は政権寄りで麻生政権の時に麻生首相が来てもスーチーとは会わないでビジネスの話だけだった。」と話してくれた彼は言っていた。日本の企業の営利目的の経済進出が、民主化を願うビルマの人たち、そしていま日本で暮らすことを余儀なくされているビルマの人たちの希望をかなえることができるのだろうか。

ビルマの民主化運動を聞いて その2(K)

2013-04-17 | 事務局のつぶやき・研究所では
ここからは在日20年のビルマの人の話です。彼らはミャンマーではなくビルマと言っていました。

学生が中心の民主化運動
 軍政に対し学生を中心に、1998年3月、民主化運動の時、武器を持たないデモ隊に対して、軍隊に覚せい剤を使って正気ではない状態にして発砲させた、という噂もある。発砲によって多くのデモ隊が死んだ。流血の惨事は何度も繰り返された。しかし、国民の反対に抗しきれず9月に政府はデモに発砲しなくなって民政移管を宣言した。民衆の力が民主化を進めたかに見えた。
 しかし88年以降、社会は犯罪など物騒になった。そこでまた規制が厳しくなった。
 ビルマでは正月に水かけ祭りがある。前の年の悪いことを水で流すという意味で、午後5時まで行われる。5時以降は街の中に舞台ができて、ラップで政府批判など自由に言えたが、1988年以降政府批判ができなくなった。
 今思うと、物騒な社会になったのは軍政府のやらせではなかったのかと思う。

ビルマは民主化するか
 スーチーさんが政権につく可能性は、非常に小さい。政府のトップは軍人でなければならない、また国会は、国民から選挙で選ばれた議員ほかに25%は軍推薦枠があるというのが今のビルマの憲法で、その憲法は「民主化」した今でも変わっていない。軍がスーチーさんの配下になることを容認しないだろう。また、こうした憲法を変えることも難しい。

「今の民主化はなぜ始まったのか」という質問に
 今、政府は財政難になっている。原因は軍幹部が税金を私物化していること、また、「社会主義」ということで公務員が多いことによる。公務員の給料もほかの労働者よりも高い。幹部の贅沢は、例えば、立派な豪邸に住んだり、前の政府幹部の子どもはヨーロッパのサーカーチームを買おうとしたり、夫人が多くの宝石類を買ったりしているということ。こうした幹部の贅沢と多い公務員によって政府は財政難になっている。借金が多くなって、外部から資本を招き、税収を増やさないとやっていけない。そこで、アメリカなどの資本を呼び込むために民主化を始めている。
 スーチーさんの今回の訪日の背景には、ビルマ政府が「民主化」したことの証としてのことであり、その本音は日本の投資を期待してのこと。したがって、今の憲法を変える動きはない。

                                つづく

ビルマの民主化運動を聞いて(K)

2013-04-17 | 事務局のつぶやき・研究所では
 今、アウンサン・スー・チーさんが日本に来ている。民主化が進んでいると言うミャンマーの本当の姿はどうなっているのだろうか。先週の土曜日の4月13日、ミャンマーの話を聞く機会があった。途中からの参加だったので、不十分なところもありますが、印象深かったので報告します。
 その前に、ビルマの近代の歴史を当日頂いた配布資料(出典:「TRANSIT 20号 美しきミャンマーの宝物」2013年3月8日発行)から紹介します。

 ビルマは3度の英緬戦争にもかかわらず1890年にイギリスの植民地になってしまった。それでもビルマはイギリスからの独立をめざしていたが、1939年に第2次世界大戦がヨーロッパで始まったことは独立に大きな影響を与えた。
 1942年5月、日本軍のビルマの占領によってビルマは独立できたが、今度は日本から属国のように扱われた。軍による拷問など本当にひどい扱いを受けた。そしてファシスト日本からの独立をめざして抗日武力蜂起をしたのがアウンサン将軍(アウンサン・スー・チーの父)だった。1945年3月、アウンサンは反撃してきたイギリス軍とともに日本軍に反旗を翻し、5月にラングーンを奪還。そして8月、日本の無条件降伏を経てビルマは再びイギリスの占領下におかれた。
 アウンサンは、今後はイギリスに完全独立を主張した。独立の実現にめどが立ったところで、ビルマの政敵の凶弾に倒れた。1947年7月のことだった。それ以降、内紛状態に陥り、そして1962年、軍事クーデターで軍事政権が誕生した。




 日本では日本軍のビルマ占領について本当にひどいことをしてきたということは教えられていない。アジアで信頼し合って政治・経済を交流していくためには事実がきちん伝えられることが大切だ、と話をしてくれたビルマの人は言っていました。

 次回は、在日20年のビルマの人の話です。彼らはミャンマーではなくビルマと言っていました。(K)