そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

天国は待ってくれる

2008年01月14日 | ラブロマンス/青春

2007年 日本 105分
■2008.1.12 wowow
■監督 土岐善將
■出演
   井ノ原快彦(宏樹)  岡本綾(薫)
   清木場俊介(武志)  石黒賢(医師)
   戸田恵梨香(武志の妹)  蟹江敬三(叔父)
   いしだあゆみ(薫の母)

 《story》

「宏樹、オレ あとどれくらい生きられる?」
「人を思いやる気持ちに溢れる涙が止まらない」
「“聖なる三角形”は“永遠の三角形”」


転校してきた宏樹、武志と薫と三人は、親が幼なじみだったということもあって、いつもいっしょで仲良しだった。将来の夢を語り、永遠の友情を誓い合った。大人になった今も、お互いのことを考えあえる大切な仲間だった。ある日、武志は宏樹の了解を得て薫にプロポーズする。そして、薫の両親が経営する喫茶店でささやかな祝賀パーティーに武志が来るのをみんな待っていた。しかし、武志は自動車事故で病院に運び込まれる。植物人間となり、眠り続けた。そして3年、まわりの声を受けて、宏樹は薫にプロポーズする。そのとき、武志が目をさました。リハビリに励み、順調に回復に向かっていたが、再び倒れる。そしてあと1ヶ月の命だと言われる。武志は、宏樹に薫を幸せにしてやってほしいと、結婚式を行わせる。そのとき、武志は眠るように息を引き取る。

 三角関係って、危ない関係だ
子どものころはいいよ。でも、大人になると、だれかが我慢せざるを得なくなる。好きでずっと付き合ってるんだから、適齢期になると結婚したくなるよ。友達のまま、なんてあり得ない。どちらかが結婚すれば、残った方はつらくなる。それでも付き合っていければいいけど。みんなバラバラに、それぞれの相手を見つけて結婚できれば最高かも。みんなお互い好きだけど、男女の関係じゃなく、本当に人として親友としてずっと付き合っていければ、永遠の友達でいられるんだけどね。
こんなこと言ったらいけないのかもしれないけど、武志が病気で死んだから、宏樹と薫は幸せになれたと言えるのじゃないかな。もし、事故がなくて、武志と薫が結婚し、宏樹はずっと心の奥に気持ちをしまいこみ、武志たちと付き合っていけるだろうか。
天国は何を待ってくれたのだろう。残された宏樹と薫が気持ちよく結婚できるように、武志を戻して伝えさせたということなのか。生きている人間が心の整理ができるように。

 公式サイト「天国は待ってくれる」

砂の器

2008年01月14日 | サスペンス/ミステリー


1974年 日本 143分
■2008.1.12 DVD
■監督 野村芳太郎
■出演
   丹波哲郎(今西栄太郎)  加藤剛(和賀英良)
   森田健作(吉村弘)  島田陽子(高木理恵子)
   山口果林(田所佐知子)  加藤嘉(本浦千代吉)
   春日和秀(本浦秀夫)

 《story》

「日本映画史上かつてない感動と、
      鮮烈な映像を叩きつける超大作!」
「美しくも哀しい人間の『宿命』」

国鉄蒲田操車場構内で、他殺体が見つかる。被害者は60才前後の初老の男。それ以外、身元がわからなかった。この男性と若い男性が、直前に近くのバーで、東北弁なまりで話ているところが目撃されていた。そして、会話の中に東北弁で「カメダ」という言葉があったという。「亀田」姓で捜査したが手がかりはなく、地名の「亀田」がある秋田県に、今西刑事と吉村刑事が飛ぶ。しかし、そこでも手がかりはなく、帰りの列車の中で公演帰りの音楽家の和賀英良と出会い、印象を強くする。捜査本部解散となったが、吉村は「紙吹雪の女」という新聞記事が気になった。それは紙ではなく返り血を浴びた布でないかと。そこで、その女を捜し、銀座のクラブを訪ねる。そこにあの音楽家の和賀英良も現れたのだった。彼は、「宿命」という大作を手がけていた。被害者の身元が判明した。捜索願を出していた息子が確認した。被害者の三木は島根の亀嵩で巡査を20年間していた。彼は、どこで調べても非の打ち所のない好人物で、彼を恨んでいる人物はあがらなかった。彼の旅行の行程で、東京に来る前に映画館に2回通っていた。その映画館に飾られていた写真に、和賀英良が写っていた。今西は、和賀英良の過去を洗い始める。石川県から病気の父と息子二人で旅して、島根県の亀嵩で三木と接触している事実をつかむ。その息子こそ、和賀英良だった。この親子は過酷な旅を続けていて、行き倒れ同然でこの村にたどり着いた。今まで差別迫害を受け、人間を信じられなくなっていたが、三木のあたたかな呼びかけに応えたのだった。一方、吉村が発見した布に付着した血痕も被害者のものと断定。迷宮入りかと思われた事件は解決に向かう。

 世話になった人につばをはかなければならない悲劇
唯一彼らにやさしく接してくれた人物を殺さなければならない悲劇。いや、殺してしまう悲劇。今まで自分たちを苦しめてきた差別してきた人間たちならわかる。でも三木は彼らを人間として扱い、彼を自分の子として育てる決心までしていたのに。もしあのまま三木の養子となって育っていたら、もっと人生が変わったかもしれない。
人間の性なのだろうか。自分を迫害するものからは遠ざかり、自分に優しくしてくれるものにはとことんむしゃぶりつく。そんな人間模様をいくつも見てきた。それだけ大きな深い苦しみの中に埋もれ、ワラをもつかむ心境なんだろうか。それなら援助の手をさしのべない方がいいことになってしまう。引き込まれてしまうだけ。彼は、どうして三木を殺してしまったのだろうか。自分の身元がわかってしまうからか。元巡査だったということもあるのかもしれない。自分のことしか考えられなかった人間は、いずれれ不幸の道をたどってしまう。幸せをあつかむはずが、ただただ幸せを盛った器は崩れて亡くなってしまうのだ。砂の器・・・水を入れてもくずれてしまう。命の水を受け取れない器ということだろうか。それとも虚しい人生、人間模様ということだろうか。


DEATH GAME デスゲーム

2008年01月13日 | ホラー

2006年 アメリカ 87分
■原題「Stay Alive」
■2008.1.11 wowow
■監督 ウィリアム・ブレント・ベル
■出演
   ジョン・フォスター(ハッチ)
   サミーラ・アームストロング(アビゲイル)
   フランキー・ムニッズ(スウィンク)
   ソフィア・ブッシュ(オクトーバー)
   アダム・ゴールドバーグ(ミラー・バンクス)
   ジミ・シンプソン(フィネウス)
   ウェンデル・ピアース

  《story》
昨夜電話で話したばかりの友人が、不審な死に方をした。彼が死の直前までやっていたというゲームを手に入れたハッチは、仲間ととともにそのゲームを始める。そのゲームは未発売のもので、館に入り、モンスターや悪霊と戦い、伯爵夫人と対決するものだった。ゲームの中で殺され、ゲームオーバーになった友人が、不審な死に方をした。それはゲームの中の死に方と同じだった。一度ゲームを始めたら、ゲームオーバーになって殺されるか、伯爵夫人を倒すしかなかった。そのことに気づいたハッチたちは、その伯爵夫人の館が実在し、その在処をつきとめる。パソコンは勝手に起動し、ゲームが続行されようとしていた。ゲームの世界と、現実が入り交じる。ハッチは伯爵夫人を倒すことができるのか。

 発想としてはおもしろい
呪いのビデオ、呪いの携帯着信、悪夢の恐怖、さまざまなところに悪霊は潜む。現代の新しい器機や文化にも入り込む。ゲームの世界が人間の現実に影響していることは多々ある。ゲームの世界と現実が交錯して、現実を脅かす。ゲームの世界の感情が、現実に顔を出す。ゲームの世界で、負ければ悔しいし、勝てばうれしい。ゲームの世界で死ねば、現実の自分も死ぬ。それはありえることかも。現実に影響を与えるために作られるゲームもありかも。ゲームの初めの「呪いの呪文」・・・あれが現実味を強めているような気がする。暗示にかかった人間は弱い。自分を自分で、指示されたように追い込んでいく。
しかし、いつも思うことだが、生きているときにあれだけ人を殺して、死んでからも罰せられることなくわがままにやりたい放題できるなんて、ある意味うらやましい。悪いことをした人間は地獄に堕ちる。だから悪いことをしないように。なんて通用しないんだ。死んでからも、悪いことをし放題だなんて。真面目に生きている人間がバカみたいに見えてくる。生きている人間が、一生懸命に生きている人間が、やっぱり強いということをだれか証明してよ。

パプリカ

2008年01月13日 | アニメ

2006年 日本 90分
■2008.1.11 wowow
■監督 今敏
■出演 
   林原めぐみ(パプリカ/千葉敦子)
   古谷徹(時田浩作=同僚)  
   江守徹(乾精次郎=理事長)
   堀勝之祐(島寅太郎=所長)  
   大塚明夫(粉川利美=刑事)
   山寺宏一(小山内守雄=所員)  
   田中秀幸(あいつ)
   こおろぎさとみ(日本人形)  
   阪口大助(氷室啓=同僚)
   岩田光央(津村保志)

 《story》

「夢が犯されていく-」

敦子は精神医療総合研究所に勤めるセラピストだ。敦子は、島所長から極秘の依頼を受け、開発されたセラピスト器機を使って患者の治療を行っていた。そのとき彼女は、パプリカという全く性質のちがう人間となり、患者の夢の中に入り、解決へと導くのだった。同僚の時田は、DCミニという、装着すれば夢を共有し、パソコンを通じて映像化できる装置を開発した。しかし、その装置が盗まれ、悪用されればどんな問題が起きるか予測不可能な恐怖があった。犯人は、島所長の夢を犯した。そこに出てくる人形が同僚の氷室に似ていたことから、彼の捜索が始まる。氷室の自宅で、敦子は覚醒しているにもかかわらず、氷室の夢の侵入を受ける。DCミニは、次第に覚醒した状態でも、意識にアクセスできる力を持っていた。制作者として責任を感じた時田は、氷室の夢に侵入するが、逆に取り込まれてしまう。いよいよパプリカが決戦を挑む。氷室の裏に隠れた邪悪な影が躍り出てくる。

 複雑になってくるとわからなくなる
最近のアニメは複雑でよくわからない。最初は良かった。他人の夢の中に入る。それはわかる。可能な気がした。ただ、夢がカラーで現実的でないといけないのだろうな。私の夢は白黒で、いつもぼやけている。輪郭がはっきりしない。なんとなくこうじゃないかなというストーリーが、あやふやなまま展開していく。突然変化することもある。そんな中に誰かが侵入したとして、何ができるのだろうか。それに、夢を見ることもめったにない。朝、覚えていることはほとんどない。夢の共有ができれば、さぞかし楽しいだろうなあ。もしかしたら、その人に夢をコントロールしてもらい、楽しい夢に変えてもらえるかもしれない。
他人の頭の中に入るという発想がピンとこない。現代の若者には魅力がある題材なんだろうなあ。

 公式サイト「パプリカ」

ニューヨーク東8番街の奇跡

2008年01月13日 | ファンタジー/アドベンチャー


1987年 アメリカ 107分
■原題「BATTERIES NOT INCLUDED」
■2008.1.9 BS2
■監督 マシュー・ロビンス
■製作総指揮
     スティーヴン・スピルバーグ  
     フランク・マーシャル       
     キャスリーン・ケネディ
■出演 
   ジェシカ・タンディ(フェイ・ライリー)   
   ヒューム・クローニン(フランク・ライリー)  
   フランク・マクレー
      (ハリー・ノーブル=黒人の管理人)
   エリザベス・ペーニャ(マリサ・エステヴァル=妊婦)  
   マイケル・カーマイン(カルロス=立ち退き屋)  
   デニス・ボウトシカリス(メイソン・ベイラー=画家)
   トム・アルドリッジ(シド・ホーゲンソン)  
   ジェーン・ホフマン(マリエル・ホーゲンソン  
   ジョン・ディサンティ ジョン・パンコウ

  《story》

「ニューヨークに奇跡が起こる」
「イーストサイドの下町を突然訪れた可愛くて、ひょうきんな奴らたち。
                                 一体何をしでかすか」


ニューヨークの下町、イースサイドに再開発の波が押し寄せていた。周りの建物はすでに壊され、最も古い建物が1棟残っているだけだった。そのアパートの住民は立ち退きを拒否していたため、嫌がらせが絶えなかった。アパートには、恋人を待つ妊婦のマリサ、売れない画家のメイソン、管理人のハリー、そしてレストランを経営しているライリー夫妻の5人だけが残っていた。1階の店は壊され、営業できない。しかし、奇跡が起こった。翌日、店が元通りに直されていた。屋上にやってきた小さな円盤形の宇宙生物の仕業だった。2匹はそこで子どもを3匹産んだ。しかし、1匹は死んだ状態で生まれた。それをハリーは持ち帰り直した。アパートへの嫌がらせはますますひどくなり、地下で水道や電気系統を破壊していたカルロスは、宇宙生物と出くわし、たたき壊してしまう。怖くなって飛び出した宇宙生物の子どもたちを捜して、アパートの住人達は町中を捜し、救い出す。その間、カルロスたちはアパートに火をつけてしまう。だれもいないと思っていたアパートにフェイが残っているのを見つけ、カルロスは助ける。アパートは全焼。宇宙生物たちはどこかに行ってしまう。しかし、さらに奇跡は起きた。住人達の優しさを知った宇宙生物たちが仲間を連れてやってきた。再びあのアパートが復活した。

 懐かしいほのぼの映画
新しい映画ばかり見て、なかなか古い映画を見る機会がない。この映画は、2~3度は見ていると思う。感動したことを思い出す。でも、1980年代の映画が古くさく感じられる。あの頃、わくわくして見た映画が、なんだか安っぽく感じられて仕方ない。新しいものを常に求めるリズムができあがってしまっているのが悲しい。今は話題に上らない、レンタル店に行ってもどこにあるかわからないような古い作品。あの頃、そんな映画を映画館でわくわくしながら見たものだ。そんな自分と重なるのではないだろうか。古いものがどんどん埋もれていく。新しいものの波に押し流されていく。ふと立ち止まって、古いものの良さを改めて見つめ直す時間を作っていいんじゃないか。次から次にやってくる波から上がって、のんびりと今までの時間を振り返ってもいいんじゃないか。そんな訴えを感じた。しかし、悲しいかな、いずれ新しい波はここにもやってくる。波に飲まれ埋もれていく。直すことより最新式の物を買う方が、安上がりでいい製品が手に入るのだから。


ふみ子の海

2008年01月12日 | 人間/社会派ドラマ

2007年 日本 105分
2008.1.6 サロンシネマ2
■監督: 近藤明男
■出演
   鈴木理子(淡路 ふみ子)  
   高橋惠子(笹山タカ=師匠)
   藤谷美紀(淡路 チヨ=母)  高橋長英(慈光)
   中村敦夫(善吉=本家)  平田満(古川)
   尾崎千瑛(サダ)  遠野凪子(〆香)
   遠藤憲一(上田=軍人)  
   高松あい(高野りん=先生)
   あおい輝彦(高野=父)

 《story》

「本当に大切なものは、目に見えない」
「昭和初期の新潟、盲目の少女ふみ子の見た海は 
              きらきらと輝いて 運命を切り開く勇気をくれた」

貧しさゆえに、盲目の少女と母が海に入ったとき、その少女は、「海ってきれいだね」と言った。その言葉が母子に生きる勇気を与えた。1935年、戦争の足音が聞こえ始めた頃、新潟県頚城群、8才のふみ子は、盲学校の教師りんと出会った。しかし、貧しいため学校に行くことができず、本家からも援助を断られ、すすめられた按摩の師匠に弟子入りすることになった。師匠のタカはふみ子に厳しく指導していくが、ふみ子の努力は確実に技となっていくのだった。弟子仲間のサダのあたたかい心に見守られ、町中に稼ぎに出たふみ子に、おじいさんがパンを分けてくれたり、花街の〆香が客を世話してくれたり、厳しいながらも幸せな日々を送っていた。ある時、再びりんと出会い点字で書かれた書物に触れることができた。それは「ヘレンケラー」の話で、自分もいつかヘレンケラーのように勉強して力強く生きていくことを、ふみ子は夢見るのだった。そんなとき、サダが事故で死に、母親が病気で死んだ。タカは、ふみ子の願いを叶えるべく、盲学校に通わせる決意をする。

 一途な心に幸せがやってくる
自分の不幸をただ嘆くばかりなら、きっともっと不幸な出来事とそれに合うような暗くじめじめした気持ちに覆われてしまうだろう。幸せは、偶然を呼び込む一途な心から作られていくのだ。それはふみ子が生まれたときから持っていたものかもしれない。「海ってきれいだね」って、心で感じる感情の豊かさが、彼女を幸せに導いたのだろう。りんとの出会い、サダとの出会い、パン屋のおじいさんとの出会い、〆香との出会い、彼女自身が導いた出会いだと思う。それに、ふみ子自身欲がなく、勉強したいという一途さや、ふみ子自身も人のことを考えて行動する優しさをもっている。私自身、「勉強したい」という気落ちはほとんどわかなかった。楽をしたいという気持ちの方が強かった。そこがまずちがうのだろう。がんばり屋、努力を惜しまない心が、人々を魅了するし、自分を変える出会いを生むのだ。

 公式サイト「ふみ子の海」

13階段

2008年01月12日 | サスペンス/ミステリー


2003年 日本 122分
■2008.1.4 DVD
■監督 長澤雅彦
■出演 
   反町隆史(三上純一=元受刑者)
   山崎努(南郷正二=松山刑務所刑務官・看守長)
   田中麗奈(南郷杏子=南郷の娘)
   笑福亭鶴瓶(杉浦弁護士=樹原の弁護士)
   宮藤官九郎(樹原亮=冤罪の死刑囚)
   別所哲也(中森検事=樹原の担当検事)
   大杉漣(安藤紀夫=ホテル陽光のオーナー)
   井川比佐志(佐村光男=恭介の父)
   石橋蓮司(阿部所長=南郷の上司)
   崔洋一(武藤所長=南郷のかつての上司)

 《story》

「被告人ヲ処刑ニ処ス」

純一は、けんか相手を誤って殺し、三年の刑に服していた。仮釈放された純一は、実家にもどり、自分の犯した罪の影響に驚いた。そこに、服役していた刑務所の刑務官である南郷がやってきた。自分が罪を犯したのかどうか記憶をなくした死刑囚を救う手助けをしてほしいという。彼が殺したとされる彼の保護司夫妻。凶器もトラブルの原因とされる通帳も見つかっていなかった。状況証拠だけで、彼は死刑を執行されようとしていた。彼が唯一思い出した階段。純一と南郷は、その階段を捜すために山の中に入った。そして、埋もれた古い寺を見つける。そこに隠されていた秘密とは・・・。

 映画はイマイチ
先に本を読んだ。「死刑」という制度を考えさせられた。一概に賛成だとか反対だとか言えない。実際に大切な人を殺された人の立場で言うと、死刑はあって当然。でも、それを執行する立場になると、決断はできない。人を殺す、命を奪うのだから。「死刑にしろ」と言うのは容易い。実際にそのボタンを押す人は、良心があればあるほど苦しむことになる。考えるということは、本当にその立場になりきらなければわからない。わかったふりをしているだけで、実際にわかっていない。純一の立場だって、自分の大切な人が目の前であんなことになったら、いかにしてそいつらを陥れようかと必死で考えるだろう。「したたか」と言っていいのかどうかわからないが、彼と同じ行動を取ることだろう。しかし、刑期を終えて戻ってきても、それで終わったわけじゃない。新たな苦悩が始まるのだ。復習は、新たな苦しみを生むだけなんだ。自分の心を律し、人を許すことができたときだけ、安堵の終着を迎えることができる。純一が殺した男の父親は、純一に復讐しようとした。純一もその父親も同じことをしたのだ。ただ、父親の方が意地悪く見えるのは、純一が読者に近い主人公だからに他ならない。復讐の連鎖、憎悪の連鎖は、不幸をふくらませるだけなんだ。映画は暗さだけが目立ち、葛藤をおまり感じることができなかった。本を先に読んだからだろうか。

 公式サイト「13階段」


たそがれ清兵衛

2008年01月07日 | 人間/社会派ドラマ

2002年 日本 129分
■2008.1.2 DVD
■監督 山田洋次
■出演 
   真田広之(井口清兵衛)  宮沢りえ(飯沼朋江)
   小林稔侍(久坂長兵衛)  大杉漣(甲田豊太郎)
   吹越満(飯沼倫之丞)

 《story》

「ただ、愛する人のために」

幕末の庄内、海坂藩、井口清兵衛は御蔵役50石の平侍である。妻を病気で亡くし、娘二人を育てていた。妻の治療代、葬儀代など出費がかさみ、さらにぼけた祖母を養い、生活は苦しかった。定刻になると、同僚の誘いも断り家路を急いだ。そのためか、「たそがれ」と呼ばれるようになった。清兵衛が帰宅すると、親友の妹が来ていた。家の中が一変に華やいだ。朋江を自宅に送ったとき、離縁した元の夫が酔って押し掛けていた。なりゆきから、代理の果たし合いをすることになり、見事うち破った。その話を聞いた家老から、藩主の跡継ぎに反対した余吾右衛門討てと藩命が下る。清兵衛は朋江に準備を頼み、自分の胸の内を開ける。しかし、朋江はすでに縁談が決まっていたのだった。余吾右衛門討を討ったのち、家に帰ると朋江が清兵衛の帰りを待っていた。

 小さくて大きな幸せ
大金持ちになりたいとか、出世したいとか、そんなことを考えない欲のない人間は、心の中が幸せだと思う。お金がほしいと思ったら、いくらあっても満足できないし、出世すればするほど、自分の心が醜くなったり、人付き合いが難しくて、生きている大地が見えなくなってしまう。可愛い娘たちと、畑を耕し、慎ましく生きられたら、それが幸せなんだ。それだけあればいい。いつの世も同じこと。でも、私はお金がほしいと思うし、さまざまな力がほしいと思ってしまう。本当は、そばにいる人と楽しく会話できて、笑い合えたら何よりの幸せだ。一番ほしいものだ。たぶん、すべてを投げ打ってもほしいもの。そう簡単には手に入らないもの。私からは、どんなに清兵衛が幸せ者に見えることか。その幸せを守るために命を懸けないといけない世の中がおかしい。もし、清兵衛が命を落としたら、娘たちはどうなっていっただろうか。命のやりとりが平気で行われる時代には、ささやかな幸せもいとも簡単に壊されてしまう。これらの話に出てくる主人公は、いつも剣の達人だから、ラストはハッピーエンド。

 公式サイ「たそがれ清兵衛」

鉄道員(ぽっぽや)

2008年01月06日 | 人間/社会派ドラマ

1999年 日本 112分
■2008.1.1 DVD
■監督  降旗康男
■出演
   高倉健(佐藤乙松)
   大竹しのぶ(佐藤静枝)
   広末涼子(佐藤雪子)
   吉岡秀隆(杉浦秀男)
   安藤政信(吉岡敏行)
   志村けん(吉岡肇)
   奈良岡朋子(加藤ムネ)
   田中好子(杉浦明子)
   小林稔侍(杉浦仙次)

 《story》

「ありがとう-。この想い、届くだろうか」
「雪の夜、優しい奇蹟が舞い降りる」
「一人娘を亡くした日も、愛する妻を亡くした日も、男は駅に立ち続けた・・・」


北海道のローカル線、幌舞線の終着駅、幌舞は、雪に埋もれていた。乗り降りする人がおらず、廃止を待つだけの寂れた駅だった。ただ一人の駅員である駅長乙松は、あと少しで定年だった。同僚の仙次と新年の酒を酌み交わしていた。蒸気機関車の運転手としてスタートし、炭坑で栄えたこの幌舞駅の駅長として45年間を思い出していた。その間、最愛の娘と妻を亡くした。根っからのぽっぽ屋である乙松は、そんなときも駅のホームに立っていた。仙次と飲んだ日、ホームに人形を抱いた女の子が現れた。女の子は、駅に人形を忘れていき、夜中近く、お姉さんが人形を取りにやってきた。乙松さんと戯れたあと、また人形を置いていなくなった。翌日、17才の女の子が、人形を取りにきた。彼女は、乙松が汽車を迎えている間に、鍋の用意して彼をもてなした。都会からやってきた三姉妹だと思っていた乙松だったが、帰省先と思われた寺からの電話で、そうではないことがわかった。その女の子は、17年前になくなった雪子だったのだ。乙松に、成長していく姿を見せたのだった。その次の日、ホームの雪の中に埋もれた乙松の姿があった。

 自分を責めないで
彼女はそう言いたかったのかもしれない。死に目に会うことができなかった負い目が乙松の心にあった。鉄道を愛し、責任をもって仕事に徹した父のことを、わかっているよと優しく包んでいた。死んでからではなく、死ぬ前にそれを伝えたかったのだろう。仕事も家族愛した彼は幸せだったと思う。高倉健が演じる役って、ぶっきらぼうでそっけない態度でありながら、心の中にはいっぱいやさしさと暖かさがこめられている。そして、だれもがそれを見抜いている。上っ面だけの真面目さや、やさしさではない。心の底からにじみ出てくるから、だれもが彼を好きになる。仕方ないんだ、なんて言い訳しない。その選択に悔いはないけど、もう片方の道を進まなかった自分への責めがある。それをそのまま背負っていかないで・・と幼くして死んだ娘が現れたのだ。自分を責める者には、責めないでほしいと願う。自分を責めないで人を責める者は、ただ突き放される寂しい人生の末路が待っている。

十五才 学校IV

2008年01月06日 | 人間/社会派ドラマ


2000年 日本 120分
■2007.12.31 DVD
■監督 山田洋次
■出演
   金井勇太(川島大介-中学三年生)
   麻実れい
    (長距離トラックのドライバー-大庭すみれ)
   赤井英和(大型トラックの運転手-佐々木康)
   秋野暢子(母・彩子)  
   笹野高史(小型トラックの運転手の児玉)
   梅垣義明(同乗者・宮本)
   大沢龍太郎(息子・登)  小林稔侍(父・秀雄)
   丹波哲郎(ひとり暮らしの老人・畑鉄男)

 《story》

「十五の頃、あなたの「学校」は、どこにありましたか。 」

横浜郊外に住む、不登校中学三年の大介。学校の大介の机には金魚鉢が置かれていた。ある日、屋久島の縄文杉を目指して家を出た。ヒッチハイクの旅である。トラックに拾われ大阪に。そして女性ドライバーの家では引きこもりの息子がいた。屋久島では、真知子に連れられ縄文杉を見ることができた。島では、一晩泊めてもらった老人の介護をすることに。さまざまな人と出会い、成長して帰った大介は、父とも和解し、学校に向かう。

 DVDを捜していたんです
古い映画のDVDはなかなか発売されない。ついこの間までVHSが主流だったのだから。久しぶりに行ったレンタルビデオ店で、VHSとDVDが入れ替わっていることがわかった。しかも旧作1枚100円。もうwowowはやめてもいいかなと思った。月に見る本数はどうやっても10本前後。レンタル店で好きな映画を見る方が得。wowowの料金よりも安くすむ。
この映画の主人公は吉岡秀隆だと思っていた。ずっと思いこんでいた。でも、ちがった。「夕凪の街」に出ていた凪生だった。また、この「思いこみ」に悩まされる1年になりそうだ。いい映画だと思う。現場の不登校の実態とはかけ離れているけどね。家を飛び出せる力があるなら大丈夫。良い傾向に向かっているということだ。あんな実行力があるんだから、自力で立ち直れる。彼は、自分を見失っていただけだ。
自分を成長させてくれる場は、あの学校だけではないよ。世の中の人々との出会いそのものが学校なんだよ。そう言いたいのだと思う。でも、今はそう言えない。世の中は、もっと人をだめにする。とことんまで人をどん底に落としていく。そして捨てられる。あんないい人ばかりじゃない。今の自分が世の中を信じていないから、そう思うのかもしれない。