そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

博士の愛した数式

2007年05月29日 | 人間/社会派ドラマ
 
2005年 日本 117分
2006.2.12 バルト11
  2007.5.20 wowow 
■監督 小泉堯史
■50万部を超えるベストセラー小説を原作 著/小川洋子
■出演 
   寺尾聰(博士) 深津絵里(杏子) 
   齋藤隆成(ルート子) 吉岡秀隆(ルート大人) 
   浅丘ルリ子(博士の義姉・未亡人)

 《story》

「ぼくの記憶は80分しかもたない」
「君のくつのサイズはいくつかね?」
「・・24です」
「ほお、実に潔い数字だ。4の階上だ。」


数学教師のルート先生は、初めてのクラスの授業で、自分の名前の由来を話し始めた。それは、10才のときに、家政婦だった母が、仕事で行っていた家の博士につけてもらったニックネームだった。博士は交通事故の後遺症で、記憶が80分しかもたなかった。

原作を読んだので、見たかった映画だ。かなり映画とは筋がちがっていた。原作はそれなりに、映画はまた別の楽しみ方で味わえばいい。それぞれがいい味を出している。どちらを先にするか。私は原作からだと思う。これをどのように映画にするかが、また別のおもしろさとなるからだ。原作とちがったところはいっぱいあった。ルートの大人の役として、彼が話を進めるところ。阪神タイガースの試合観戦ではなく、ルートの少年野球の試合観戦になっていたこと。誕生日のシーン。最後は施設ではなく、浜辺になっていた。それはそれで味がある。春の散策のシーンやルートと滝の傍で語るシーンなど、映像の良さを感じることができる。そして、記憶がもたない。忘れてしまうことの切なさを、演技から、映像から、あらためて思い知らされる。

 2007.5.20 T.V 

 家族の愛が何より
家政婦として仕事をするだけでなく、人のことを考えてしまうからこそ、博士が生き生きと見えた。仕事だけする家政婦なら、きっと淡々と仕事をこなし、博士に関わろうとしないだろう。博士の言葉にもしっかり耳を傾け、息子と一緒に、まるで家族のような生活が始まった。今まで同じように過ぎていった博士の生活が変化した。見た目には、輝いて見える。記憶がなくなる博士もきっと、何かしら心の底からわき起こる躍動感を感じているはずだ。記憶はなくとも。記憶と心。それは同じではないということ。私が、香りを覚えているように、博士も何かしら感じる心があるのだと思いたい。それは定かではないけど、きっと何かが残っていると。

博士の愛した数式 公式サイト

 私の髪は天然
果たしてそうだったのだろうか。多少のくせはあったけど、こんなにくるくる曲がるほどの天然だっただろうか。汗をかいたあとはうしろも横もまるまってしまう。朝、野球の帽子をかぶる。通勤時間の20分くらいかぶっていると、車から降りるころには、かなりまっすぐになっている。でも、時間が立ってくると、後髪から次第にまるまってくる。横は寝起きみたいにはねてくる。若い頃はこんなことなかったのに。一番下の子も天然で、私に近い。私も子どもの頃は天然だったろうか。いや、そんな記憶はない。子どものころの写真を見ても、天然の証拠となるものはない。年ととともにへんかしていく髪。髪だけでなく、ひじの痛み、時折くる動悸。手足の攣り。目の老化。さまざまな身体の変化を感じる。

笑の大学

2007年05月29日 | コメディ

2004年 日本 121分
■2007.5.20 wowow
■監督 星護
■原作・脚本 三谷幸喜
■出演
  役所広司(検閲官・向坂睦夫)
  稲垣吾郎(座付作家・椿一)
  高橋昌也(廊下の制服警官)
  小松政夫(青空貫太)
  石井トミコ(モギリのおばさん)  
  小橋めぐみ(ロミエット)  
  長江英和(石川三十五右衛門)
  吉田朝(戯作者)  陰山泰(戯作者)  
  蒲生純一(戯作者)  つじしんめい(戯作者)  
  伊勢志摩(戯作者)  小林令門(戯作者)
  河野安郎(ジュリオ)  眞島秀和(貫一)  木梨憲武(劇場の支配人)
  加藤あい(ビヤホールの女給)  木村多江(お宮)  八嶋智人(警官大河原)


 《story》

「一人は笑いを愛した。一人は笑いを憎んだ。
                          二人の友情が、完璧なコメディを創り上げた」


昭和15年、秋。少しずつ戦争の色が濃くなり始めていた。大衆演劇の台本も検閲を通さなければ上演できなくなってきていた。浅草の劇団“笑の大学”の劇作家である椿は、「ジュリオとロミエット」の台本を保安課に持ち込んだ。赴任したばかりの係官の向坂は笑いをしらない堅物で、椿が持ってきた台本の手直しを要求する。椿は、それを素直に持ち帰り、次の日には改めた台本を持ち込んだ。しかし、向坂は再び手直しを要求し、椿はそれに応える。そうこうしているうち、二人の間に奇妙な連帯感が生まれてくる。係官の向坂は、今まで一度も行ったことがない劇場に足を踏み入れる。あと一歩で台本の許可が出るところで、向坂は「笑いのない台本にしろ」と要求する。今まで必ず要求を受け入れ、次の日の決まった時間に現れていた椿だが・・・。

 時代が要求した無意味なもの
なんてバカバカしいのだろうと思いながら、怒りもせず要求に応える椿の姿勢がすばらしいと思う。彼なりの抵抗だった。怒ることだけが立ち向かうことではない。ただすぐにあきらめては情けない。さまざまな方法があるのだ。「君が代を歌いなさい」「戦争を美化しなさい」という時代の要求も、無意味な強制がどんなものか、きっと知らしめる方法があると思う。あくまでも低姿勢で、あきらめることなく、堂々と自分の思いを表現できる道をさぐることこそ、人生そのものであり生き甲斐だと思う。あの係官の人生は・・・人間が作ったルールに乗り、外れるものを見逃さないこと。さみしい人生かも。人間が人間だけ持ちうる感情こそ、それは「笑い」なのだと思う。その笑いにも2種類あって、他人を見下す笑い、中傷し、自尊心を傷つけ、自分が優位に立った笑い。それはその場だけの欲求を満足させるかもしれないけど、虚しいものだ。みんなで、だれもが腹をかかえて笑える笑い。表情や、表現を工夫したもの。心の中にすがすがしさとして残る。連帯したつながったみんなの笑い。係官は後者の笑いがいかにすばらしいものか、人として素直に笑えることに気づいた。今のテレビの中の笑いをただ受け取るのではなく、あの時代に求めた笑いと比べながら見ていきたいものだ。

 私の中の人々
私が小さかった頃、どんな人と遊んでいたのだろう。小学生のときの友だちの顔はどんなだったろう。中学のあのクラスの仲間はどんな人がいたろう。大学は。就職したときの同僚は。昨日話した人はどんな人だったろう。髪は、目は二重だっただろうか、服装は、どんな印象だったか・・・・・・私の頭の中には、そんな人々が入っている棚がない。片っ端から消えていく。名前も顔もわからなくなる。小学校3年生のとき、よく一緒に帰った子はどんな顔だったか思い出せない。どんな性格の子だったかわからない。ただ、そんなことがあったと懐かしい香りととして、どこからか漂い、居所もつかめぬまま、消えていく。小説を読んでいて、自分の過去をどうしてあんなに具体的に思い出せるのか不思議だったしうらやましくもあった。同じように自分も思い出そうとしたけど、何も言葉にできない。写真でも見ればもっと何かを思い出すのだろうか。いや、初めから記憶に留める機能が不安定だ。昔も今も、いつもつかみどころのない煙のような記憶しか作れない。だから営業には適さない。お客の顔を忘れてしまう。懐かしい香りだけ思い出して、その色も形も答えられない、これほどくやしいものはない。思い出せるだけ棚を作ろう。でも、きっと棚を作ったことすら忘れていくのだろう。

  『ノスタルジア』 恩田 陸  新潮文庫 【BOOK】
昔を懐かしむ気持ちは、年をとったら多くなった。子ども会のクリスマス会でもらった小さなクリスマスケーキは、何度も思い出しては懐かしく感じる。いい思い出だけではない。いじめられたことも思い出す。山に置き去りにされたこと、泥団子を投げられたこと。懐かしさの中には不思議なことがつきまとうのかもしれない。怪しい記憶。他人の記憶や何かの本のお話、夢や映画など、私の記憶は入り混ざっているかもしれない。いじめたのはあなたでしょう。そんな声が聞こえてくる。みんなどうしているだろうか。と、思い出そうとしても、私の子ども時代の友人の顔はひとつも浮かばない。
会いに行った友人はすでに死んでいた。じゃああの手紙はなんだったのか。懐かしく思ったのは彼女だった。ただあなたに来てほしかった。

いちばんきれいな水

2007年05月26日 | ファンタジー/アドベンチャー


2006年 日本 90分
2007.5.19 シネツイン2
■監督 ウスイヒロシ
■出演
  加藤ローサ(谷村愛)  菅野莉央(谷村夏美)
  カヒミ・カリィ(真理子)  南果歩(母)
  田中哲司(父)
  松田洋治  峯村リエ  高谷基史

  《story》

「11年前の大切な秘密を伝えるために、
           今夜、彼女は目を覚ます」

「姉と過ごした奇跡の3日間。姉妹のかけがえのない夏がはじまる」

夏美は6年生。夏美の姉は、難病で11年間眠ったままだった。夏休みのある日、母の妹の真理子が、外国で事故にあったという知らせが届き、父母はすぐに向かう。夏美は姉の世話をしながら留守番をすることになった。その夜、奇跡が起こった。愛が目覚めたのだ。愛は19才に成長していたが、心は8才のまま。とまどう愛。そして無邪気な好奇心あふれる行動をとる愛に夏美は振り回される。愛は夏美をいいところに連れて行ってあげると言い、工場の地下の、使われなくなった地下鉄の駅に行く。そこにはきれいな澄んだ水が湧いていた。そして、その水には愛の秘密が隠されていた。次の日、再び愛は眠りについた。散らかった部屋の中で愛の絵日記が見つかった。澄んだ水の秘密が綴られていた。

 伝えたいこと
人にはだれかに伝えたいことがあるものだ。愛が目覚めたとき、それは夏美に伝えたい気持ち一点だったと思う。だから、目覚めたことを誰にも知らせる必要はなかった。夏美にだけ会えればよかった。だからこそ、ファンタジーなのだと思う。だれかにあの時のことを謝りたい、お礼を言いたい、死ぬ前に話しておきたい、見せておきたい・・・そんなことが人にはあるものだ。ある意味、それが実現して伝えられることは奇跡に近い。誰にも言えぬまま、この世を去ってしまうことの方が多いのだろう。あのきれいな水のこと・・・・難病の恐ろしさから夏美を捧げようとしたこと・・・自分が生きてきたさまざまな思い、そして前しか見ることができない現代の夏美に、もっとさまざまな世界を見てほしかった。素直に受け止めたら、今、自分が残せるものをしっかり作っておきたいと思った。あんなきれいな水は教えられないけど、自分が美しいと思ったものをできるだけたくさん形にしたいものだ。映画鑑賞の記録もそのひとつ。

公式サイト「いちばんきれいな水」

  『オデュッセイア』 恩田 陸  新潮文庫 【BOOK】
「ハウルの動く城」や「天空の城ラピュタ」を思い出した。まるで大きな宇宙船みたいな感じがする。自分の生活空間自体が移動するのだ。自分の住んでいる町そのものが動くのだ。夢のような話だが、動くことに何のメリットあるだろうか。さまざまな環境の場所に行けること。気ままに自然に任せて生きている様子そのものなのか。そんな町にあこがれている時代こそ、夢と希望があり、生きる力がみなぎっていた。生きるとは一人ではない。助け合って生きるのだ。でも、そんな町がじゃまくさくなるとき、自然を破壊し、環境をを壊し、いらいらして短気になり、人々は殺し合う。そんな人間の人間たちの生きる象徴なんだろう。ココロコは。

 デジタルとアナログ
こんな絵本があった。どちらがいいかということではなく、それぞれの性質に合わせて、いいところがあるということだった。デジタルは、その瞬間を表す。7時20分、7時21分というふうに。でも、アナログは、なめらかな流れを表す。7時20分から21分まで針が流れるように動いていく。
デジタルの体温計は数字だけ。でも、水銀の入った昔ながらの体温計は少しずつあがる。都会はデジタル、田舎はアナログ。私はアナログがいいなあ。いきなり変わる数字や、点だけでできている絵や、0と1の組み合わせの意味不明なものより、なめらかに流れる時計が好き。なだらかな模様が好き。電子の世界より、小さな宇宙の世界の方が夢がある。デジタルの良さもあるけど、なんだかのんびりおっとり感じるアナログがいいなあ。

 眼鏡が変わっても
眼鏡が壊れた。修理に出した。10数年前の眼鏡を引っ張り出してかけた。家族のものはだれひとり眼鏡のことを口にはしない。きっと眼鏡が変わったことに気づいていると思うんだけど・・・・関心ないしね。職場では、数人が気づいて声をかけてくれた。気づいて話題にしてくれないってさみしいね。古い眼鏡だから変に見えるだろうなと内心不安な気持ちでいるのに、何も反応がないって、やっぱり自分は影みたいな存在なんだなとさみしくなるよね。それだけ自分が気にするほど人は見ていないということなんだと思う。大事なのはそういう見かけじゃなく、何をして何を言うかなんだね。


うつせみ

2007年05月21日 | ラブロマンス/青春

2004年 韓国/日本 88分
■原題「3-IRON」
■2007.5.13 wowow
■監督 キム・ギドク
■出演
   イ・スンヨン(ソナ-妻)  ジェヒ(テソク-青年)
   クォン・ヒョコ(ミンギュ)  チュ・ジンモ(チョ刑事)
   チェ・ジョンホ(看守)

 《story》
留守の家に侵入して、自分の家のように生活する青年テソク。汚れ物があれば洗濯し、壊れたものがあれば直す。物を盗るわけでもなく、むしろきれいにして出ていく。家にある写真などをバックにデジカメで写真を撮る。
留守だと思ったある家で、夫に暴力をふるわれ、片隅でじっとしていた女性ソナがいた。帰ってきた夫は、また妻に暴力をふるった。精気を失った彼女をテソクは連れ出す。二人で留守宅に侵入して生活する日々を送る。しかし、ある家で帰ってきた住人に通報され、警察に捕まってしまう。刑務所に入ったテソクは、独房で奇妙な行動をとる。壁にへばりついたり、看守の背後に密かに入り込み、そこにいるのにいない雰囲気を作り出す。刑務所から出たテソクは、再びソナの家に行くのだが・・。

 不思議な世界
現実の中にある不思議な世界。異次元でもない、未知でもない。現実を少しちがった角度から見た世界。その究極の姿。心の中はこうなんだよと、実際にイメージとして見せてくれているようだ。隣の家のことに関心がないからこそできること。留守を隣に頼む家があれば、明かりがついていればすぐに変だと思うはず。
日本題の「うつせみ」とはどういう意味だろう。生きている人間のこと、それともせみの抜け殻。両方とも合わせた感じがする。生きている人間だが、現実の境目にいる人間、場合によってはそれは現実ではなく、人間の抜け殻なのかもしれない。幻であるかもしれない。まあ、よう考えたものだ。
ただ、この映画が何を言いたいのか。ひとつの現実の愛の姿を見せようとしているのか。心は別にところにあり、それこそ現実なのだと、目の前にあるものはただの抜け殻なのかもしれない。主人公のテソクとソナの台詞がひとつもない、しゃべらない、不思議な世界だ。

 今ほしいもの
けっこう欲張りでわがままで、ほしいと思ったらずっと思いこむ。子どもの頃はしつこく言い続けて買ってもらっていた。がまんできずに根に持つ。ぐずぐずねちねちこだわり続ける。一番やっかいな性悪タイプ。
で、今ほしいものは「カーナビ」です。けっこう高い。DVDが見れて、CDも聞けて、ワンゼグチューナーもついている。となるとやっぱり高い。今のハイエースは12年目だから、いつか買い換えるときに付け替えたい。やっぱり10万以上になる。ダメだ。次に眼鏡。今の眼鏡はもう5年以上かけている。見えにくくなってきた。すでに遠近両用が必要だ。長持ちする疲れない眼鏡となると2万円。そして、新しいノートパソコン。古いやつは子どもが福岡に持っていったから、そう頻繁に使うわけでもないけど、やっぱりほしい。さらにデジカメ。すぐにシャッターが押せて、倍率の大きいズームがあって、広角もあって、きれいなやつ。できれば、折り畳みの自転車。小さめのリュック。お腹周りがゆったりしているスラックス。助手席に座ってくれる人。あとは優しい言葉かな。

 『国境の南』 恩田 陸  新潮社文庫 【BOOK】
『図書室の海』の中の短編。この短編集の中では、私にも意味がわかった気になれる作品。読み終えて、フンフンそうだったのか、と納得しかけるのだが、エーッと疑問符も湧いてくる。なぜヒ素を入れて楽しむのか。いまいちよくわからない。けっこう美人で人当たりもいい。仕事も責任をもってする。あとは家庭があればきっと幸せな家族を気づいていただろう。もし何らかの起因をあげるとしたら、一人でいること。休日もだれかと騒いで楽しむことなく、身の回りのことをして一人で過ごすこと。そこに目に見えない歪みが生じたのかもしれない。新しいマスターが以前のマスターの息子であったこと。以前のマスターも身体の具合を悪くしたこと。その落ちとは何だろうか。頭の悪い私にはわからなかった。もっと明快な、ハッとする発見であってほしい。マスターとその女性は通じ合っていたということ。よくわからんなあ。

ブラッド・ダイヤモンド

2007年05月20日 | 人間/社会派ドラマ

2006年 アメリカ 143分
■原題「BLOOD DIAMOND」
2007.5.12 TOHOシネマズ緑井
■監督 エドワード・ズウィック
■出演
  レオナルド・ディカプリオ(ダニー・アーチャー)
  ジェニファー・コネリー
     (マディー・ボーエン-女性記者)
  ジャイモン・フンスー(ソロモン・バンディー-)
  マイケル・シーン(シモンズ)
  アーノルド・ヴォスルー(大佐)
  カギソ・クイパーズ(ディア・バンディー-息子)
  デヴィッド・ヘアウッド(ポイズン大尉)
  ベイジル・ウォレス(ベンジャミン・マガイ)
  ンタレ・ムワイン(メド) 

  《story》

「『自由』『家族』『真実』-彼らはダイヤにそれぞれ違う輝きを見た」

激しい内戦が続くアフリカ、シエラレオネ。ソロモンは一家は、漁師をしながら慎ましく生活をしていた。そこへ反政府軍RUFが乗り込んできた。彼らは村人を容赦なく撃ち殺し残虐の限りを尽くした。ソロモンは、裏口から家族を逃がした。捕らえられたソロモンは、ダイヤの採掘場に送られた。ある時、親指大のダイヤを見つけ、隠そうとしたところを見つかる。運良く政府軍がやってきて、捕らえられる。留置場で、巨大ピンクダイヤの話を耳にしたアーチャーは、ソロモンと家族を救い出すことを引き替えに、ピンクダイヤを掘り出しに行くことを約束。女性記者のボーエンの力を借りながら、現場へと近づいていく。100万人の難民の中に家族を発見する。しかし、長男のバンディーは反政府軍に捕らえられ、兵士に変えられていた。採掘現場で、ソロモンは息子を発見する。

 訴えるものが
見る気がなかった映画だ。というよりよくわからなかった、知らなかった映画だ。ただのアクション映画だと思っていた。しかし、子どもにこの映画はいいよと言われた。「シエラレオネ」聞いたことがある国の名前。内戦があり、多くの人々が虐殺され、子どもたちも悲惨な目に遭っていることは知っていた。しかし、このダイヤとシエラレオネが結びつかなかった。解説を見て、「バベル」をやめてこちらを見ることにした。目が離せなかった。「ホテル・ルワンダ」「ルワンダ・流血の4月」「イノセントボイス」などに匹敵する真実があった。レオナルド・ディカプリオの演技も光っていた。アクションとは言えなかった。
特に少年兵を作っていく場面はいやだった。大人の道具として扱われる子ども、子どもの未来なんてひとつも考えていない大人。目の前の欲に飲み込まれる自分の姿。どうしたらこんな悲劇はなくなるのか、もうなくなることはないんだと絶望感がふくれあがる。でも、アーチャーがダイヤをソロモンにわたし、ひとり残るシーンは、未来に光を射した。もしかしたら、人はこんな小さな希望を糧に生きようとしているのかもしれない。絶望の方が大きいけど、そんな中で小さな希望を見つけることが生きる証なのかもしれない。人間として生きてきた証。ダイヤモンドなんていらない。人のために、その人の家族のために一生懸命になった人の生きた証ほど輝くものはないのだと・・。

公式サイト「ブラッド・ダイヤモンド」

 『バッテリ-6』 あさのあつこ 角川文庫 【BOOK】
楽しみにしていた文庫本の発売。その日にすぐに買った。まずは子どもが先に読んだ。そして私が読んだ。大きな事件やハプニングがあるわけじゃない。登場人物の心理描写が続く。それでも児童文学だし、大人が読んでもおもしろい。むしろ大人の児童文学とも言えるかもしれない。難しい言葉がいっぱい出てくる。意味が分からない言葉もある「抗う」なんて使わない。小学校では習わない。出てくる人物たちはみんなさまざまなことを考察している。あんなに中学時代に考えただろうか。自分のことばかりで、いつも腹を立てていて、わがままで愛想がなく・・・嫌いだった巧さえ、なんだか丸くなっていつのまにか優しくなって人とつながっている。だからラストの球は生きていた。ひとり黙々と投げる巧だけど、依然と変わっていた。チームの中の巧になっていた。言葉に出して結びつくのではなく、自分に正直に生きることで、自然に結びついていく人のつながり。多くは周りの人間がすばらしいんだけどね。巧はこの新田に来たからこそ、こうなれたのだと思う。映画とは全然ちがっていた。あさのさんらしい終わり方。映画は、妥協したわかりやすい終わり方。どちらも好きだ。不器用な私はわかりやすい方がいい。

病院坂の首縊りの家

2007年05月19日 | サスペンス/ミステリー

1979年 日本 139分
■2007.5.12 BS2
■監督 市川崑
■出演
   石坂浩二(金田一耕助)
   佐久間良子(法眼弥生)
   桜田淳子(法眼由香利-山内小雪(冬子の娘))
   入江たか子(五十嵐千鶴(後妻))
   河原裕昌(五十嵐滋(猛蔵の孫))
   久富惟晴(五十嵐猛蔵)
   三条美紀(田辺光枝(滋の母))
   萩尾みどり(山内冬子(法眼琢也の愛人))
   あおい輝彦(山内敏男(義理の息子))
   加藤武(等々力警部)
   大滝秀治(加納巡査)  岡本信人(阪東刑事)  
   中井貴恵(妙ちゃん(女子学生))  草刈正雄(日夏黙太郎)
   小沢栄太郎(本條徳兵衛(写真屋))  清水紘治(本條直吉(息子))
   小林昭二(三之助(法眼家車夫))  三木のり平(野呂十次(古本屋))
   白石加代子(宮坂すみ(法眼鉄馬の愛人))
   草笛光子(雨宮じゅん(産婆の娘))
   ピーター(吉沢平次(パイレーツのメンバー))
   林ゆたか(佐川哲(パイレーツのメンバー)
   早田文次(秋山武彦) 、山本伸吾(原田雅美(パイレーツのメンバー))
   常田富士男(管理人権堂)  菊地勇一(法眼琢也)
   林一夫(花園海軍大尉)  横溝正史(老推理作家)

 《story》
金田一耕助は、アメリカ旅行のパスポート写真を撮るために、本條写真館を訪ねた。その経営者の徳兵衛から、自分は何者かにねらわれているようなので調査をしてほしいと頼まれる。その夜、徳兵衛の息子が依頼された撮影場所は、首縊りの家と呼ばれる場所で、依頼に来た少女とよく似た花嫁とある男の写真を撮った。その翌日、再び写真撮影の依頼があり行ってみると、その男の生首が吊られていた。写真の花嫁が法眼の由香利に似ているので法眼家に来てもらったところ、そこに由香利が現れた。写真の少女は、由香利とよく似た小雪であることがわかり、行方不明だった。小雪と由香利、そして生首の男と法眼家との関係は・・・。金田一の調査が始まった。

 奇怪だけどたしかにある起因
横溝正史の作品は、奇怪な殺人が起こるけど、そこには筋が通った原因がある。複雑な人間関係の中の歪みがあり、そこから事件は起こる。おどろおどろしい事件だけど、人間の悲しみや怒りが底を流れている。だから、事件の全容が明らかになったとき、さわやかさを感じる。そうだったのか、そんなことがあったのか、と納得できる。でも、最近の事件はよくわからない。17才の高校生の母親殺人は、なぜそんな事件を起こしたのかわからない。報道では、首を切って警察に自首、手を白く塗って植木鉢に刺すとか、いったい何のたまにそんなことをしたのか考えてしまう。ただ人を殺したかった、という気持ちは現実に存在するのだ。不安定な精神。何を望むか、何を願うかわからない、混沌とした精神。社会が人々の心を追い込んでいく。

 コンプレックス
その人といると感じてしまう。いつも「あなたはだめね。わたしはこんなにやってるのに」と言われているようでつらくなってしまう。きっと今までだれも口にしなかったことを確信をついて言われているだけなのだろう。正しいことを指摘されているだけなのだろう。言われるといやになる癖。それはある。世の中そんな人が増えていると思う。注意をされると逆切れてしまう。素直に受け入れられない。わたしは怒りはしないけど、自分がいやになる。これもそれもできていないと言われ、確かにできていないだけに、自分を責める。同時に、人を避けてしまう。また、バイオリズムの底にきたかな。

獄門島

2007年05月13日 | サスペンス/ミステリー


1977年 日本 141分
■2007.5.7 BS2
■監督 市川崑
■出演
   石坂浩二(金田一耕助)  司葉子(勝野)
   大原麗子(早苗)  草笛光子(お小夜)
   東野英治郎(鬼頭嘉右衛門)
   内藤武敏(鬼頭与三松)
   武田洋和(鬼頭千万太)
   浅野ゆう子(鬼頭月代)
   中村七枝子(鬼頭雪枝)
   一ノ瀬康子(鬼頭花子)
   佐分利信(了然和尚)
   加藤武(等々力警部)
   大滝秀治(分鬼頭儀兵衛)  上條恒彦(清水巡査)
   松村達雄(漢方医幸庵)  稲葉義男(荒木村長)  辻萬長(阪東刑事)
   小林昭二(竹蔵)  ピーター(鵜飼章三)  三木のり平(床屋の清十郎)
   坂口良子(お七)  池田秀一(了沢)  三谷昇(復員服の男)
   荻野目慶子(勝野少女時代)  太地喜和子(巴)

 《story》
昭和21年、金田一耕助は友人の頼みで、鬼頭千万太の遺書を獄門島の千光寺の了然和尚に届けた。自分が帰らなければ、三人の妹たちが殺されるという。その娘たちは千万太と異母兄妹で、座敷牢に入れられている与三松とお小夜との間にできた子どもだった。千万太の通夜の日、娘の一人の花子が逆さづりの状態で死んでいるのが発見される。金田一は、自分が宿泊している千光寺の部屋の屏風に書かれている俳句が気になっていた。そして第二の殺人事件が起きる。崖の上に置かれた釣り鐘の中で死んでいる雪枝が発見される。第三の殺人事件は、見張っていたはずの祈祷所の中で死んでいる月代が花びらをふりまかれた死体となって発見される。それぞれの様子は、俳句に書かれていたものだった。それは、お小夜を受け入れず憎み続けた嘉助右衛門の遺言によるものだった。ひとしが帰るまでにそれを実行したのが・・・。

 お話としてはおもしろいのだが
いつも思うことはこの殺人事件は防ぐことができなかったのかということだ。特に第三の殺人はねらわれていることはわかっているだけに、警察の過失だ。批判を受けて当然だ。最後に解決して犯人がわかり、その謎が明かされるが、本当にすっきりした気持ちで金田一はここを去れるのだろうか。防いでほしいという願いはひとつもかなわなかった。謎は解けた。でも、予定通り殺人は行われた。そこがひかかって仕方がない。それに、ちょっとおかしい三人娘だけど、殺されて当然な人間ではない。殺す方も、いつもその人自身が恨みがあるわけではない。過去の人物が今の人間を動かしているだけなのだ。だから、余計に防ぐことができなかった後悔と悲しみが大きい。

  『ある映画の記憶』 恩田陸 新潮文庫 【BOOK】
この話は少し意味がわかり、読み終えたあと映画と現実の交錯の中で見えてきた事実が、ひとつにまおtまった。今までの短編がよくわからなかったので、この作品が今まで以上に読者のことを考え、読み進めていくうちにひとつの点が見えるようにきちんと仕組まれていたことがうれしかった。映画の一場面、いつまでも心に残るその場面と現実の接点を探る主人公。交錯はするものの、その行き着くところはちがっていた。映画は、母の悲しい死、でも子どものことを守ろうとする母の思いが伝わってくる。しかし、現実は叔父と母による叔母の殺人。殺人なのか、叔母を思ってのことなのかわからないけど、大きな隔たりを感じる。子を思う母と謎の殺人に協力する母。見えてきたものは悲しい現実だけかもしれない。


悪魔の手毬唄

2007年05月13日 | サスペンス/ミステリー

1977年 日本 144分
■2007.5.4 BS2
■監督 市川崑
■出演
   石坂浩二(金田一耕助)  岸恵子(青池リカ)
   若山富三郎(磯川警部)  仁科明子(別所千恵)
   北公次(青池歌名雄)  永島暎子(青池里子)
   渡辺美佐子(別所春江)  草笛光子(由良敦子)
   頭師孝雄(由良敏郎)  高橋洋子(由良泰子)
   原ひさ子(由良五百子)  川口節子(由良栄子)
   辰巳柳太郎(仁礼嘉平)  大羽五朗(仁礼直太)
   潮哲也(仁礼流次)  加藤武(立花捜査主任)
   大滝秀治(権堂医師)  
   三木のり平(野呂十兵衛)  
   山岡久乃(井筒いと)  岡本信人(中村巡査) 常田富士男(辰蔵)
   小林昭二(日下部是哉) 大和田獏(五郎)

 《story》

岡山県の山奥、鬼首村は古い因習が残り、力を持つ由良家と仁礼家が対立していた。しかし、20年前、恩田という詐欺師にだまされ、由良家の勢いが止まってしまった。同じ時、亀の湯の源治郎が恩田と話をつけると出かけ、顔の判別のつかない状態で発見される。その後恩田の姿はなくなる。この事件を調べていた磯川警部は、金田一に調査を依頼する。恩田と深い関わりのあった多々良放庵が吐血の後を残し行方不明になる。恩田の娘の千恵の里帰りを祝う日、由良の素子が殺される。亀の湯の歌名雄がつきあっていて二人は結婚を考えていた矢先だった。素子は川の中でますから落ちる水を口にくわえた漏斗で受け取るという奇怪な死に様だった。それはこの地方に古くから伝わる手毬歌の歌詞そのものの姿だった。さらに、素子の通夜の日、仁礼家の文子が、酒樽の中で死んでいた。子守歌の2番の歌詞の姿だった。子守歌の三番は・・・金田一は次の殺人を防ぐことができるだろうか。

 殺さなければ変わらない悲しさ
話し合いで解決はできない。他に解決の方法がない。恨みも憎しみもない殺人。ただ、息子の前途を案じるからこそ、進むしかなかった殺人。恩田という男は、20年先も人々を苦しめるのだった。それが腹立たしい。リカさんが、人を殺さなければならなくなったことがあまりに悲しすぎる。犯人はリカさんなだけど、3人目の殺人はもっと悲惨だった。自分の娘を殺すことになってしまうんだから。
だれか一人でも殺人を未然に防いで事件を解決できないものだろうか。すべての殺人が終わって、ことの真相がわかる。お話としても映画としても、そうじゃないとおもしろくないのだろう。それに、必ず最後の詰めは、金田一はどこかに出かける。そこで確証を得る。その間に殺人は起こる。止められないものか、止めたら話がおもしろくなくなる。難しいところだ。手の込んだ殺し方をするのも特徴だ。捜査の攪乱がねらいだろう。現代ではありえない。きれる殺人、意味のない殺人は推理できない。
 『忘れ雪』 新堂冬樹 角川文庫 【BOOK】
以前本屋で目にして、いつか読んでみたいと思っていた本だ。580ページもある分厚い文庫本だ。あまり恋愛小説は好きではない。こんなに分厚い恋愛物語を読み続けることができるだろうかと不安だった。しかし、前半は切ない恋、後半はサスペンスだった。1つの描写がくどいほど長い。そして同じ表現が何度も出てくる。それが飽きないし、読むたびにやめられなくなった。深雪という女性がそれほどにも素晴らしい女性なのか、自分なりにイメージを作りあこがれてしまうほどだった。「桜木」主人公であるのに、名字で呼ばれる。満は弟、立派な兄に認められたいと思っていた。静香はある意味理想的な女性だ。誠一郎が言うとおり、彼女と平凡な結婚生活を送っていた方が、桜木一希にとって幸せだったかもしれない。最後にあんな事件を起こすこともなかったかもしれない。「忘れ・・」願い事を叶える雪。しかし、不幸を招く忘れもの、でもあった。こういうサスペンスの中では、だれもがいい人で、最後はみんなハッピーエンドというわけにはいかないのだろう。すっきり終わったようで、悲しみが残った。これから、満と深雪がいっしょになっても、桜木は彼女の幸せを願うだろうなあ。

スパイダーマン3

2007年05月12日 | アクション

2007年 アメリカ 139分
■原題「SPIDER-MAN 3」
2007.5.4 TOHOシネマズ緑井 with y,h,t
■監督 サム・ライミ
■出演
   トビー・マグワイア
    (ピーター・パーカー/スパイダーマン )
   キルステン・ダンスト
    (メリー・ジェーン・ワトソン(MJ))
   ジェームズ・フランコ(ハリー・オズボーン)
   トーマス・ヘイデン・チャーチ
    (フリント・マルコ/サンドマン )
   トファー・グレイス(エディ・ブロック/ヴェノム )
   ブライス・ダラス・ハワード(グウェン・ステイシー)
   ジェームズ・クロムウェル(ジョージ・ステイシー)
   ローズマリー・ハリス(メイ・パーカー)
   J・K・シモンズ(J・ジョナ・ジェイムソン )
   ビル・ナン(ロビー・ロバートソン)  エリザベス・バンクス(ミス・ブラント)
   ディラン・ベイカー(カート・コナーズ博士)  テレサ・ラッセル(エマ・マルコ)
   クリフ・ロバートソン(ベン・パーカー)  テッド・ライミ(ホフマン)

 《story》

「もう一人の敵、それは『自分』」

今やスパーだーマンは、ニューヨークの街のヒーローだった。ピーターはMJに結婚を申し込むために、叔母からもらった指輪を準備していた。しかし、ピーターはブロードウェーの舞台を降ろされたMJの気持ちをしっかり受け止めることができずにいた。同じ頃、郊外に落ちた隕石から、ピーターのバイクに未知の生物が付着し、部屋に入り込んだ。また、叔父を殺した真犯人が脱獄し、ある実験の光を浴びサンドマンに変身する。さらにハリーは、ピーターを父親を殺した敵としてねらってくる。未知の生物はピーターの身体に付着し、もう一人の悪の心を活性化させていく。

 敵は心の中にいた
「未知の生物」・・「サンドマン」・・空を飛ぶスケボー・・よく考えると不思議な力が増大している。悪の力とも言える。だからこそ、スパイダーマンのような正義の味方が誕生したのだろう。正義の味方がいるということは、その力に合う悪がいるということ。神がいれば悪魔がいるのと同じことかも。サンドマンが出てきても違和感がないのは、この映画の中で本当の敵は自分の心の中にいるのだということを教えてくれているからだと思う。元から悪なんてない。裏を返せば神もいない。心の中にはいつも悪も神もいる。でもそれをコントロールするもうひとりの自分がいることを教えてくれているからだ。悪と神とそして生きる人間と。ハリーだって表情が全然ちがった。父のことを思い出さなければ天使の顔だった。サンドマンだって、娘のことを思う顔は悪の顔ではない。あのカメラマンだって、きっと心の中で悪と善が闘っていたはず。そんな人間の生き方を優しく投げかけてくれるから、不思議なキャラクターも自然に受け止められ、スパイダーマンも遠い人物としてではなく身近な人間として親しみを感じてしまう。
この映画を子どもたちみんなと見ることができたのはよかった。正月に「エラゴン」を見たが、あれより迫力と訴えるものがあった。

公式サイト「スパイダーマン3」

 門司
連休に門司に行った。息子を福岡に送っていくため。家族みんなで楽しく出かけるため。門司は通ったことはあるけど、ゆっくり回ったことがない。調べてみたら、けっこう観光地として興味がある施設もあった。天気もよかったし、何より5人で歩けたことが幸せだ。海上保安庁の船や帆船の日本丸がいた。また、身近に観光用だけどヘリコプターも見た。海峡ドラマシップでは、昭和の街が再現され懐かしい気持ちで歩いた。私は、こんな昭和の街の再現を懐かしく思い、ここにいても飽きないくらいなんだけど、子どもたちはどうなのだろうか。聞いたことがないけど、まるで江戸時代を私が感じるような遠い過去として感じているのだろうか。
生まれた日の新聞印刷してくれる機械があった。子ども三人だけやってみた。そのあと門司港駅前の小さな食堂で昼ご飯を食べた。鉄道博物館にも行った。私たちの世代にしてみれば本当に懐かしいものばかりだった。小倉まで息子を送った。門司という街はそんな香りの街となった。

犬神家の一族

2007年05月07日 | サスペンス/ミステリー

1976年 日本 146分
■2007.5.3 BS2
■監督 市川崑
■出演
  石坂浩二(金田一耕助)
  高峰三枝子(犬神松子)
  三条美紀(犬神竹子)
  草笛光子(犬神梅子)
  あおい輝彦(犬神佐清/青沼静馬)
  地井武男(犬神佐武)
  川口晶(犬神小夜子)
  川口恒(犬神佐智)
  金田龍之介(犬神寅之助)
  小林昭二(犬神幸吉)
  島田陽子(野々宮珠世)  坂口良子(那須ホテルの女中・はる )
  小沢栄太郎(古館恭三弁護士)  加藤武(橘警察署長)
  大滝秀治(大山神官)  寺田稔(猿蔵)  横溝正史(那須ホテルの主人)
  岸田今日子(琴の師匠)  三国連太郎(犬神佐兵衛)

 《story》
大財閥を築いた犬神佐兵衛は、不可解な遺書を残し他界する。事件が起こることを心配した弁護士の助手が、金田一耕助に援助を頼む。しかし、耕助が到着した日、その助手が毒殺され、事件の幕が開いてしまう。腹違いの三人の孫、野々宮の孫娘の遺産相続にまつわる奇怪な殺人事件が起きる。

 独特な雰囲気を醸し出している
この独特な雰囲気が何とも言えない。懐かしくもあり、怖くもあり、人間の醜さを滲ませながらも優しさが裏表になっている。無邪気でもあり鬼にもなる登場人物たち。意糸がねじれてもつれてうっちゃりたくなるところを、金田一耕助が絶妙に糸をほどいていく。じっさいのところ、何がどのようになっているのか詳しくはわからない。金田一のように、はっと発見して、わかったと言えないつらさがある。それでも金田一が謎解きをしたら、何もかも終わったような気持ちになれる。この映画は3回くらいみただろうか。やっと3回目にしてわかったこともある。頭の悪い私には難解なのだが、あのおどろおどろしい雰囲気がたまらない。出演者を並べてみると、なんと豪華なメンバーだろうとあらためて感じる。

  夢「叔母」
久しぶりに夢を見た。叔母が出てきた。母方の妹だ。私が小学生のときに20才くらいで、よくかわいがられた。ある日、筆箱を買ってきてくれた。喜んで包みを開けた。でもその筆箱は、ふたがあるだけの簡単なものだった。落胆を隠しきれなかった。叔母は私がもっと喜ぶと思っていただけに、「どうしたん?」という顔をしていた。その頃の筆箱は、磁石で止めるようになっていて、中が層に分かれているものが人気があった。だから叔母が買ってきてくれたものはあまりに簡素なものに感じられた。それがうまく言えなくてだまっていた。あっけらかんと、「こんなのみんな使ってないよ」と言えばいいのに・・・
夢の中で、あの頃の若いままの叔母が家に来た。私の家は小高い丘の上。叔母がもう帰るというので、送ることになった。息子が駅まで車で送るという。後から考えると不思議な光景だ。若い叔母。今の自分。大人になった息子。ありえない構図だった。元気でおられるだろうか。うまく話ができない私は、あの頃のことを話せないでいる。

 うれしさと寂しさ
成人した息子を見ていると大きくなったものだと喜びがると同時に、家を離れ巣立っていく寂しさがある。大学ではなく専門学校を選択した。CGの道に入りたくてコンピューターの専門学校の道を選んだ。自分で決めたことだから、それでいいと思った。自分の考えを持ち、自分で道を切り開いていくことが大切だ。2年間の学習を得て、就職を果たした。その間、作品が新聞に載ったり、パンフレット掲載されたり、うれしいこともあった。毎日、地道に通っていた。私の大学生のときと比べたら、数段真面目に勉学に努力していると思う。
ゴールデンウィークに帰っていた、息子も福岡に帰った。広島では友だちに会って、不摂生な生活だったが、福岡では健康的な生活が送れるように望んでいるよ。