そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

リトル・ロマンス

2007年01月30日 | ラブロマンス/青春

1979年 アメリカ/フランス 111分
■原題「A Little Romance」
■2007.1.25 wowow
■監督 ジョージ・ロイ・ヒル
■出演
  ローレンス・オリヴィエ(ジュリアス)
  ダイアン・レイン(ローレン・キング)
  セロニアス・ベルナール(ダニエル・ミション)
  アーサー・ヒル(リチャード・キング)
  サリー・ケラーマン(ケイ・キング)
  ブロデリック・クロフォード(本人)
  デヴィッド・デュークス(ジョルジュ・デ・マルコ)

《story》
13才のダニエルとローレンが出会ったのは、ベルサイユ宮殿だった。ダニエルは映画マニア。タクシー運転手の父と二人暮らし。ローレンは実業家の娘。再会した二人は、ふとしたことからジュリアスという老人と出会う。そして、その老人から、ベネチアにあるため息の橋の下で日没の瞬間にキスした恋人たちは永遠の愛を手にすることができるというサンセット・キッスの伝説を聞く。ローレンは突然アメリカへの引っ越しが決まり、その前にダニエルとベネチアに行くことを決める。ジュリアスに手伝ってもらい、競馬で何とかお金を手に入れた。そして家出同然で、とともにベネチアに向かうのだった。

夢を追いかけるすばらしさ
切ない恋ではない。「小さな恋のメロディ」の方が切ない感じがした。ただいっしょにいたいだけ、そんな素直な気持ちが切なさをふくらませた。それよりももっと無邪気な恋。二人で幻を追い、実現させようとする心は、お互いの共通の夢。二人の目は、ベネチアの橋をめざしていた。お互いを見つめ合う場面が感じられなかったのは残念。それだけに、恋よりも夢の実現の方が大きく見えた。
この映画を作ったの監督が「明日に向かって撃て」や「スティング」だったとは。最初のシーンが、「明日に向かって撃て」だった。ベネチアの映画館で見ていたのが「スティング」だった。どちらも大好きな映画だ。そういう入れ方も楽しいものだ。その映画マニアのダニエルは、やはり恋して切なく悩む少年ではなく、ローレンの夢の実現に向けて手助けする協力者のような様子だった。自信過剰すぎて鼻につくかも。

 未来への夢
子どもの頃は、ウルトラセブンになりたいと本気で思っていた。しかし、あとからこんなことも考えた。変身して大きくなったら街を歩くのに苦労すると思った。まちがって道路や建物を壊してしまったり、電線を切ったり、もしかしたら誰かを踏みつぶしてしまうかもしれない。それでも、世の中から悪をなくすんだと正義感に燃えていた。
職業としては、タクシーの運転手やバスの運転手。自動車が好きだった。机の引き出しを引っ張り出して、その引き出しの裏側に道を書いて、直方体のつみきを自動車代わりにして遊んでいた。今でも車を運転することは好きだ。バスの運転は無理だから、ハイエースを買って乗ることを夢見ていた。これは実現した。もう10年も乗ってるけど、どうしようもなくなるまで乗り続けたい。これからの夢。みんなでキャンプに行きたい。みんなで世界旅行したい。みんなで沖縄や北海道にも行きたい。映画館を作りたい。まあ、お金がかかることばかり。これらの夢の実現はなさそう。

 『夕凪の街 桜の国』 こうの史代 【Comics】
映画化されると聞いて、本屋で買い求めたコミックだ。もう撮影をしたと新聞に載っていた。このマンガがどんな映画になるのだろう。実際のところ、このマンガを読んでみて、よくわからなかった。マンガというものに慣れていないせいなのか。それとも難解なのか。原爆で死ぬべき人間が生き残って、死んだ人間に申し訳なく思い、悩み、そして原爆症で亡くなっていく。原爆に合い、生き残った者の苦しみ、戦争が終わっても、いつ病気になって死ぬかもわからない恐怖。原爆のことをほとんど知らない、知らされていない現代の子どもたち。そんな問題点を投げかけているのだろうか。「夕凪」とは、風が止んだ夕暮れ、静かな1日の終わり、いや、嵐が過ぎ去ったあとの荒れ果てた風景の中の静けさ。何もなかったかのように、春、桜が国を彩る。今一度、ヒロシマを見つめなおさなければいけないよなあ。

男はつらいよ47 拝啓 車寅次郎様

2007年01月28日 | コメディ


1994年 日本 101分
■2007.1.20 BS2
■監督 山田洋次
■出演 
   渥美清(車寅次郎)  倍賞千恵子 (さくら)
   かたせ梨乃 (宮典子)  小林幸子 (歌手)
   吉岡秀隆 (満男)  牧瀬里穂(川井菜穂)
   下絛正巳 (竜造)  三崎千恵子 (つね)
   前田吟 (博)  太宰久雄 (社長)
   佐藤蛾次郎(源公)  山田雅人 (川井信夫)
   平泉成 (宮幸之助)

《story》
滋賀県長浜が舞台。満男が就職して半年。長浜の先輩から相談があるから来いと誘われる。休日に出かけた満男は、先輩の妹の奈穂に街を案内してもらう。次第に打ち解けあっていく。同じ頃、寅は、年に一度の撮影旅行でけがをした典子を助け、世話をする。二人もまるで夫婦のように親しくなっていったが、典子の夫が突然迎えに来る。消沈した寅は、街の中で満男と奈穂に会い、満男を励まし、人混みに消えていく。実は、満男と奈穂を会わせるための先輩の策略で、それを知った奈穂は怒る。

初めは快調、あとから下り坂
寅と満男の恋はよく似ている。出会いは突拍子な出来事から。すぐに打ち解けて、まるで兄妹か恋人か夫婦か・・そう見えるようになるところが一番ハッピーな時で、そんことをお互いに面と向かって意識し始めたときが、突然の終わり。寅と満男が、いままで笑顔で面と向かっていたのに、何かに驚いたように笑顔がなくなり、後ろを、向いて走り去る。そんな恋。もし、恋に陥らなければ、異性のよき友人となれるのになあ。寅の恋から満男の恋に、その割合は移っていく。満男との比較が原因か、それとも渥美清という人間の体が壊れていっていることがわかっているからか、なんだか満男の元気さにくらべ寅は動きが鈍い。笑顔も作っているような、空元気で必死でがんばっているような感じがする。ああ、寅さんも残り1作。さみしく感じる。

久しぶりの卓球
職員の卓球大会があった。久しぶりにラケット持つ。子どもに借りたものだ。大会があるからといって練習したわけじゃない。腰は異様な感覚があり不安だけど、大丈夫だろう。問題は目だ。特に暗いところでは極端に視力が落ちる。まあ、楽しくできればいいか。1回線は他のチームの試合を見ていた。目の前の年輩の人がとてもうまい。この人と当たらなければいいがなあと思っていたら、2回戦当たった。最初2セット取られた。3セット目を取られたら終わり。あと1点で負けるというところで盛り返した。ジュースになって逆転勝利。4セット目も同じように逆転勝利。5セット目はだめ。結局負けてしまった。いつもは気持ちで負けてしまうのに、3.4セット目の逆転勝利はうれしかった。負けてしまった試合だけど、本当に気持ちのいい試合ができた。

 『どんぐりのココロ』 重松清 【BOOK】
どんぐりはどんなことを思っているのだろう。そのどんぐりの気持ちも、どんぐりと長く深く関わり付き合ったら少しはわかるかもしれない。おっちゃんだって、みんなは悪く言うけど、少年が関わってきたように、おっちゃんは少年の心を解放させてくれた。おっちゃんは少年をそのまま受け入れ、少年も自然な雰囲気を感じた。簡単なようで難しい。難しいようで、それが自然なんだ。あれこれ考えると難しくなる。だから、何も考えずにありのままを受け入れ、ありのままを表現すればいい。
ありのままに感じたことを言うなら、なんだかこの少年がわがままに思えてくるのはどうしてだろう。『乗り換え案内』の時は、加藤くんを置き去りにしたような感じがした。今回は、おっちゃんを置き去りにした。自分がかわいいだけで、自分がつらかったら目を向けるけど、抜け出したら捨ててしまう。そんな身勝手さを感じてしまった。最後に海に向かったのは、ただそんな罪の意識をぬぐい去りたかっただけで、実はごまかしていたのじゃないかとさえ思ってしまう。深く考えるのが不得手だから、表面しかとらえていないのだろう。


Mr.&Mrs.スミス

2007年01月27日 | アクション


2005年 アメリカ 118分
■原題「Mr. & Mrs. Smith」 
2006.1.5 TOHOシネマズ緑井
  2007.1.20 wowow  
■監督 ダグ・リーマン
■出演 
  ブラッド・ピット(ジョン・スミス) 
  アンジェリーナ・ジョリー(ジェーン・スミス) 
  ヴィンス・ヴォーン(エディ)  
  アダム・ブロディ(ベンジャミン) 
  ケリー・ワシントン(ジャスミン) 
  ミシェル・モナハン(グウェン)

《story》 

「一瞬で恋におちた、ふたり」  
「おたがいその正体は秘密」


お互いが殺し屋であることを知らないで結婚。5~6年後、お互いの不可思議さを感じ始めていた二人は、カウンセラーの前に座っていた。謎だらけのそれぞれの生活。ある日、二人は同じ人物を、それぞれの組織から殺すように命令される。そして、お互いが邪魔をしあい、殺しは失敗に終わった。しかし、そのことをきっかけに、殺しを失敗に終わらせた相手を探るうち、お互いの不信は高まった。そして、殺し屋としての二人がぶつかることとなる。

見ていて飽きないおもしろさだった。カウンセラーの前で始まり、カウンセラーの前で終わる。もちろん、治療の効果は抜群に表れているのだが・・。「お互いに殺せない」と思いながら、バンバン撃ちまくっているのだから、それでもきっと仲直りするだろうという予感があるから、それも夫婦げんかの激しいやつだと思うことができる。デパートのテントのようなものの中に逃げ込んだ二人、そこを逃げのびたときのことを話し合う様子は、「明日に向かって撃て」のラストを思わせた。そこを飛び出したら一斉射撃を食らって終わり。それじゃあこの映画はおもしろくない。やっぱりハッピーエンドにならなければ。

公式サイト「Mr.&Mrs.スミス」 

  2007.1.20 wowow

子どもが生まれたら
派手な夫婦げんかのあと、仲直りできたけど、二つの組織から追われることになるよね。組織と激しくやり合って勝ち抜いたところで終わったけど、あの二人が組んだら、2つの組織もつぶされてしまうか。夫婦で新しい家族の組織を作るかな。子どもが生まれたら、その子どもも組織の一員になるとしたら、どこかにあったな、似たような映画が・・・。「スパイキッズ」は政府の機関の1つで正義の味方、「Mr.インクレディブル」はヒーローだった。この二人の子どもは、殺し屋の子どもになる。娯楽で、殺しも1つの仕事のように華麗にこなしていたけど、結局はただの『殺し』なんだ。だとしたら、生まれた子どもはかわいそうだな。

 『乗り換え案内』 重松清 【BOOK】
少年はセミナーで、どもることを、「そんなこと気にしないで、笑う奴は笑わせとけばいいじゃないか」と言われ、怒った。加藤くんも怒った。何となく気持ちはわかる。どもりたくてどもっているわけじゃない。しゃべれないことがとてもつらいのもわかる。でも、もし私がここの先生の立場だったら、同じことをいうだろう。だとしたら、少年や加藤くんの気持ちを、実はわかったようでいて全然わかっていないのかもしれない。もっというなら、わからないことが何なのかさえわからない。苦しい気持ちなのか。このセミナーに来ている意味を勘違いしていることなのか。それに、言葉をかけるとしたら、どんなことを言えばいいのだろうか。励ましが励ましにならず、怒らせるだけだったら、どんなことを言えばいいのだろうか。セミナーなのだから、精神的なアドバイスを受けにきているのではなく、しゃべる技術をマスターしに来ているんだと考えるべきなのだろう。
乗り換え案内の声に負けないで話した言葉「らいねん」・・・そこに加藤くんの気持ちが表されている。友だちになりたかった加藤くんの気持ち。最終日に、少年と初めて同じバスに乗り、交わした言葉。そして、これが別れの言葉でもあった。うまく話せない人間は、さまざまな行動で気持ちがにじみ出てくる。少年は、いたずらばかりしかけてくる加藤くんの気持ちを、この乗り換え案内の声とともに聞いた。今までのすべてを物語る言葉だったような気がする。 


X-メン

2007年01月25日 | SF


2000年 アメリカ 105分
■原題「X-Men」
■2007.1.20 wowow
■監督 ブライアン・シンガー
■出演
  パトリック・スチュワート
   (チャールズ・フランシス・エグゼヴィア
     (プロフェッサーX))
  ヒュー・ジャックマン(ローガン(ウルヴァリン))
  アンナ・パキン(マリー(ローグ))
  イアン・マッケラン(エリック・マグナス・レーンシャー
     (マグニートー))
  ファムケ・ヤンセン(ジーン・グレイ)
  ジェームズ・マースデン(スコット・サマーズ
     (サイクロップス))
  ハリー・ベリー(オロロ・マンロー(ストーム))
  レベッカ・ローミン=ステイモス(ミスティーク)
  レイ・パーク(トード)
    タイラー・メイン(セイバートゥース)

《story》

「進化の象徴」

人間の進化は、さまざまな超能力を持つ特殊な人間であるミュータントと誕生させた。しかし、ミュータントは人間に疎外され、恐れられた。ミュータントと人間の共存を望む者もいたが、世の中の流れは「ミュータント登録法案」を成立させ、差別選別する方向に向かっていた。
ミュータントの中でも、人間との共存を願う「X-メン」という組織と、ミュータントが人類を支配しようとマグニート率いる組織が対立していた。
そんな中で、ローガンと少女ローグが、マグニートの手下に襲われたところを、X-メンのメンバーが助けた。ローガンの体を調べたら、骨格がアダマンチウムという幻の最強金属でできており、何かの原因で記憶を失っていた。少女ローグは、触れることで他のミュータントの能力を吸い取る力を持っていた。マグニートのねらいは、どちらのミュータントにあるのか。戦いは始まった。

こんな超能力があればいいと思うけど
近未来の人間の進化。夢物語だったいろんな力が身に付いて、うらやましいと思うんだけどなあ。ほしくない力もあるんだろう。制御できなくて、他の人と生活できなくなったり、迷惑をかけたり。もっとみんなの力として役立ててたら、有効に使えたら、未来は変わるかも。
人間とミュータントの対立なら、特殊な能力のあるミュータントが断然有利。優位にたっているように見える人間の方が弱いに決まっている。むしろ、私と同じよぅに、特殊な能力のあるミュータントにあこがれる人たちの方が多いのではないか。人間は、そんな力のあるミュータントが怖いから、排除しようとしているだけなんだ。そこで、世界を支配しようとするミュータントと人間と共存しようとする優しいミュータントに分かれる。そして、お互いの対立へと発展していく。そんな構造かな。
何の取り柄もない私は、何か能力があれば自慢するかも。

公式サイト「X-メン」

 おいしいものってどんなもの
音楽音痴、運動音痴、方向音痴、会話音痴、学習音痴、記憶音痴、そして味音痴とあやふやな感覚だけで生きている。最近、味音痴であることを深く自覚してしまった。一般の人は、おいしくないもの、おいしいもの、すごくおいしいものと区別できる。私は、おいしくないものとおいしいものだけ。これはもpのすごくおいしいと思ったことがない。有名な高い料理も、ときにはおいしいとも思わないこともある。普通のインスタントのラーメンで満足だし、給食のカレーが一番おいしいと思う。3000円のお茶漬けなんて、無理して食べたいとは思わない。映画を3本見た方がいいと思ってしまう。山の頂上で食べた崩れたおにぎりが一番おいしい。お金がかからなければ、おいしいものも体験してみたいが、結局スーパーで売っているどこにでもあるもので満足してしまう。安上がりだが、会話についていけない悲しさがある。

 『きよしこ』 重松清 【BOOK】
いわゆる言語障害なのかなあ。カ行タ行濁音などが出てこない。骨格や声帯に原因があるのか、精神的なものなのか。ある意味でしゃべれないのは私も同じ。子ども時代の要因はいつまでも引きずる。卒業したいのに、突然思い出す。まるでそのときにタイムスリップしたみたいに怯えてしまう。
「きよしこ」という架空の人物、少年のアイデアなのかもしれない。いや、ただ工夫では片づけられない、自分を救ってくれる正義の味方なのかもしれない。そして、その少年が自分の心の中にいることも、なんとなくわかっている。まるでおまじないみたいな、手と手と触れ合いやスキンシップが、自分に力を与えてくれる。どこにそんな正義の味方が隠れているかわからない。「きよしこ」が「きよし この夜」だったなんて、考えてみれば身の回りにそんなきっかっけはいっぱいあるのかもしれない。
私も子ども時代にそんな子がいて、からかってしまった。「おおおお、てててらの、ぼぼぼぼく」とからかった。その人は1つか2つ年上だった。きっと苦しんでいたことだろう。子ども時代のいやな思い出はずっと心に残ってしまう。あの頃にもどって、真剣に話を聞いてみたいと、謝りたいと今後悔している。


男はつらいよ46  寅次郎の縁談

2007年01月22日 | コメディ

1993年 日本 104分
■2007.1.18 BS2
■監督 山田洋次
■出演
  渥美清 (車寅次郎)  松坂慶子 (葉子)
  倍賞千恵子(さくら)  吉岡秀隆 (満男)
  城山美佳子(看護婦の亜矢)  前田吟(博)
  下絛正巳(おいちゃん-竜造)
  三崎千恵子(おばちゃん-つね)
  太宰久雄 (タコ社長)  佐藤蛾次郎 (源公)
  関敬六(ポンシュウ)  島田正吾 (田宮善右衛門)

《story》
満男は就職試験に苦戦していた。32社目の電話も不合格の知らせだった。そのことで博やさくらとけんかして家出する。しばらくして、瀬戸内海の琴島か小包が届く。満男からだった。偶然柴又に帰っていた寅が、満男のいる島にいくことになる。満男は島で漁師や農作業の手伝いをしていた。島の看護婦の亜矢とも親しくなっていた。連れ戻しに来た寅は、満男が世話になっている奥さんの葉子に一目惚れ。満男と同じく世話になり始める。寅と葉子は次第に仲良くなって二人で出かけたりするのだった。しかし、ある夜、満男は葉子に寅の気持ちを伝えてしまう。満男自身も亜矢から告白される。満男と寅は、次の日に島を出て、柴又に帰るのだった。

満男が就職なのかあ
男はつらいよを1作目から見てきて、寅さんが主役なんだけど、満男が成長していく姿もまただんだんクローズアップされてきたような気がする。さくらと博が結婚し、満男が生まれ、大きくなってきたら、寅さんのまわりで恋に関わる。満男が浪人になってから、半分は満男の恋物語になってきた。と同時に、寅さんの動きが鈍くなってきた。もうだいぶ年なんだなって感じた。とらやのおいちゃんもおばちゃんもタコ社長もほっそりとしてきた。初めの頃の活発さが感じられなくなった。博も中年太り。御前様は縁側での会話となり、画面にでなくなった(亡くなられたんだけど)。満男が中心にならざるを得ないなあって思う。まだまだ次を見たいけど、このシリーズも潮時だね。実際にも、寅さんの渥美清がなくなって、あと1作しか作られなかった。残念だなあ。

 『太陽の子』灰谷健次郎 【BOOK】
一度読みかけてやめてしまった本だ。でも、あらためて読み始めると、最初の場面の意味がわかる。はじめの場面の意味がよくわからなくて、やめてしまうことは本でも映画でもよくある。でも、読み進めたり、映画なら見続けると、おもしろくなったり、最初の場面の意味がわかって感動が深まったりするこことがある。この本もそうだった。できることなら、はじめからのめり込むような本や映画と出会いたいものだ。
この本は沖縄が日本に復帰したものの、沖縄の戦争の傷跡は深く残っており、傷を抱く沖縄の人々の苦悩と、12才の少女ふうちゃんが、そんな人々の心を癒し解放していく話だ。沖縄のことは教科書に出てくるくらいは知ってはいるけど、戦争で生き残った人々がどれだけ心に傷を持ち生きてきたかはわからない。沖縄に限らず、戦争の犠牲者がどれだけ苦しい人生を送ってこられたか、簡単に語れるものではない。ただ、知ろうとしているかしていないかの違いは大きい。すでに過去のものと見ようとしなかったり、かっこよさだけクローズアップしたり、そんな知る努力をしない人が増えている。現代の人がこの本を読んで、どれだけのことを感じることができるだろうか。
ふうちゃんのような純粋で素直で、活発で、本気で周りの人々のことを考える人間がたくさん必要だと思う。きよしのような本気で変わろうとする心が必要だと思う。あらためて、オキナワを知り、ヒロシマを知る努力をしていこうと思った。

輪廻

2007年01月20日 | ホラー


2005年 日本 96分 
2005 .12.27 TOHOシネマズ緑井 RCC試写会
  2007.1.16 wowow
■監督 清水崇
■出演  
  優香(杉浦渚)  香里奈(木下弥生)  
  椎名桔平(松村郁夫)  杉本哲太(村川忠司)  
  小栗旬(尾西和也)

《story》

「覚えのない恐怖は 前世のものかもしれない」

昭和45年、あるホテルで11人もの無差別殺人事件が起きた。犯人は大学教授の大森で、自分の子どももそこで殺し、自ら自殺した。それから35年後、この事件を題材にした映画が作られようとしていた。制作に意欲を燃やす監督、異例の主役に抜擢された渚、そこに集まった人たちに不思議な現象が起きる。そして恐怖は始まった。

いったい誰が誰の生まれ変わりなのか、そんなことを考えて見ていたら、あっと驚いてしまう。見応えはあると思った。「呪怨」はストーリーがよくわからなかった。でも、これはすっきりはしている。ただ、生まれ変わりがこんなにはっきりと意識されたら、生きている人間はたまったものじゃない。恐ろしい実験をした恭教授への呪いだと考えたほうがいいかもしれない。しかし、主人公の渚(優香)はかわいそうだ。前世の悪事のために人生を棒に振らなければならないのだから。

   2007.1.16 wowow

やっぱりホラーは見てしまう
だいたいが好きなんだろうなあ。ホラー映画なら、少々つまらなくても見たくなる。映画かだと選ぶけど、自宅だとおもしろくなかったらやめればいいと思って見る。この映画は1年くらい前に、試写会でみたもの。けっこうよかった。もう一度見たら、もっと理解できて、楽しめるかなと思って見た。優香は好きなタレントで、映画初出演だと聞いて、演技はどうかな思いながら見た。よくわからないから、いいのではないだろうか。設定に無理はないか、これは、前世で殺害された人が、偶然にもその映画の撮影に集まるものだろうか、と思った。結局、教授への恨みを果たして終わったみたい。優香は病院で震えていたが、彼女の魂が以前の体で悪いことをしたのだから、仕方ないのかな。でも、今の体では何も悪いことをしていないのだから、ひどいのではないかとも思った。輪廻があるとしたら、最初の魂はどこから・・・。人間は人間に、ウイルスから人間に、人間から植物に、なんてあるのかな。ああ、私の前世はきっと悪いことをいっぱいしたのだろうな。今が不幸なら、次は幸せになれるかな。

輪廻 公式サイト

 霊ってほんとうにいるのかな
私が高校生の頃、霊が見えるという後輩がいた。いつも見透かされているような感覚があって、今でも怖い。今も、こうして思い出しているだけで、彼はそのことが分かっているのではないかと考えてしまう。彼は、「あそこに子どもを連れた女の人がいる」とか言う。そこを見ても何も見えない。彼は、私も何かが見えると思って近づいてきたみたいだけど、私には何も見えない。見える人は純粋な心を持っているという。だから、見えなくて当然だ。彼は、私が以前住んでいた家の場所を当てた。彼は、私が創作した写真の内容を当てた。彼は、私の大学にやてきた。それを事前に夢に見た。タロット占いをしてくれ、最悪の予言をされ、当たった。大学を卒業して会っていない。きっと、今も見透かされているのかもしれない。


unknown/アンノウン

2007年01月20日 | サスペンス/ミステリー

2006年 アメリカ 85分
■原題「unknown」
2007.1.13 シネツイン2
■監督 サイモン・ブランド
■出演
  ジェームズ・カヴィーゼル(デニムの男)
  グレッグ・キニア(鼻が折れた男)
  ブリジット・モイナハン(エリザ・コール)
  ジョー・パントリアーノ(縛られた男)
  バリー・ペッパー(作業着の男)
  ジェレミー・シスト(手錠の男)
  ピーター・ストーメア

《story》

「俺が誰なら、生き抜ける」

どこかの倉庫の中で、5人の男が次々と目を覚ましていった。1人は敗れたセーターを着ていた。1人は、手錠でつながれ血を流していた。1人は椅子にロープで縛られていた。1人は、鼻をへし折られていた。1人は、2階の倒れていた。この5人の様子から、お互いに争っていたことが伺われる。しかし、意識を取り戻した5人は、今まで何をしていたのか、自分が誰かさえも覚えていなかった。そこへ電話がかかり、この5人は、誘拐犯と人質であるらしいことがわかった。自分はどちらなのか、疑心暗鬼の中で、電話のボスらしき人物が、ここにやってくる時間が迫っていた。

記憶がもどらない方が良かったのかも
お互いに誰かもわからない、自分のことさえもわからない。もしかしたら、その方が純粋に素直に生きていけるかもしれない。彼らの中に、みんなで協力しあおうというムードが生まれたように、知らないことが人と人とを結びつける結果となった。自分の中の悪いところが消えて、いい自分が現れるかもしれない。自信のなかった人間が自信を取り戻すかもしれない。できなかったことができるようになるかもしれない。いい方に考えればそうなんだけど。反対に、本能的な部分で行動するようになるから、今まで理性で押さえていたことが押さえられなくなつかもしれない。本能のままに、欲望のままに動くようになるかもしれない。

結局、不幸の予感が
助かったのは、潜入していた刑事と人質となっていた社員。犯人たちはみな死んでしまった。ああ、よかったね、で、終われない映画ってあるよね。特にホラー映画は、解決して一安心していて、でも傍らで「まだ終わってないよ」と暗示がある。恐怖の余韻を残しているんだけど、後味悪いよね。「まだ、続きをみたいでしょ。」と、続編の暗示のような気もする。運が良くて、最後まで生き残ったのに、それはラッキーではなく不幸の予告なのだ。続編では、その生き残った人があっさり殺されたりしてね。刑事と社員の奥さんとの浮気、実はこれが発端であり、そのことを思い出した刑事はなんと不幸なのか。不幸の予感ほどいやなものはない。自分に何か悪いことが起きそうだとビクビクしているような感覚に襲われる。自分自身これから先の不幸に怯えているのかもしれない。映画は、そんな自分を見つめる機会にもなるのだ。

 1週間が終わった
月曜日から指折り数える。あと4日。あと3日・・・。金曜日の夕暮れを目指して、その時々の時間を送る。休みになっていいことがあるわけじゃないけど、その日その日がつらくてしんどいわけじゃないけど、どこか気持ちが荒んでいく。何か嫌なことが起こることを恐れ、自分の力がないことを知らしめられることを恐れている。休みになれば、その呪縛から解放されるわけじゃない。別な呪縛が待っている。
もし、何もかも忘れてしまったら、気持ちがすっきりするのだろうか。いやそうじゃないと思う。何かに悩んでいたはすだと悩むのだと思う。それがはっきりしないだけに、もっと悶々とするのだろう。
職場の身の回りの人々は、みんな同じことを言う。日曜日の夜はさみしい気落ちになる。月曜日がやってくることがたまらなくさみしい。日常の生活ってそんなにひどいものなのだろうか。いやじゃないけど、いやなんだ。

公式サイト「unknown/アンノウン」

人生は、奇跡の詩

2007年01月16日 | ラブロマンス/青春


2005年 イタリア 114分
■原題「La Tigre e la neve」
2007.1.13  シネツイン2
■監督 ロベルト・ベニーニ
■出演
   ロベルト・ベニーニ(アッティリオ・デ・ジョバンニ)
   ニコレッタ・ブラスキ(ヴィットリア)
   ジャン・レノ(フアド)
   トム・ウェイツ(トム・ウェイツ)
   エミリア・フォックス(ナンシー)
   ジャンフランコ・ヴァレット(アッティリオの弁護士)

《story》

「心が君に届くまで、僕は愛を送り続ける」

2003年、イラク戦争が起こる少し前のローマ。アッティリオは詩人で、大学でも詩の講義を行っていた。アッティリオは、毎晩愛する彼女と結婚する夢を見るのだった。現実でも彼女と結婚し、二人の娘がいたのだが、彼の浮気で、彼女とは別居中だったのだ。彼は、何度も彼女に再び愛の告白をするのだが受け入れてもらえなかった。ある日、彼女がイラクでけがをして入院しているという連絡を受ける。イラクとアメリカとの戦争が始まったのだ。イラク行きの飛行機はすべて欠航。アッティリオは彼女を助けるために、赤十字のボランティアに入り込み、バクダッドを目指すのだった。彼女は脳水腫で意識不明。薬品がなく、このままでは死を待つだけだった。アッティリオは必死で薬品を探し回るのだった。果たして彼女を助けることができるのだろうか。

この人の愛の表現
「ライフ・イズ・ビューティフル」のときと同じように、よくしゃべる。ときどき、ちょっとだまっていて・・・と思うときもあるけど、この人の独特の愛の表現だと思う。そして心に残る。しゃべるチャップリンのような感じで、ほのぼとした愛情が伝わってくる。思いはストレートで心の中がにじみ出てきて、甘えた雰囲気を漂わす。まさにチャップリンみたいだ。あのステテコのような出で立ちで、結婚式をあげるシーン、たくさんの医療品持って、バイクで走るシーン、それにラストの、ペンダントを見て、「私を助けてくれた人はあなただったの」と分かるシーンは「街の灯」そのものだ。ただ、イラク戦争という現実を背景にしているが、どこか無理があるような気がする。

あんなに一途に愛せること
それはうらやましい限りだ。浮気も、ヴィットリアをもっと愛するための通過点だったのかもしれない。ほんとに大切な人だと思ったら命がけだ。異国の地でも、たとえそれが危険な戦場でも助けに行きたくなる、守りたくなる。そう思うことができて、疑うことなく本気で行動できることが、どんなに幸せなことか。どうしても、自分がかわいくなるし、そこまで勇気が出ない。願っていても、一線を越えられない。その自己矛盾の渦の中から、永遠に抜け出せないでいるのだ。まっすぐ見れないし、まっすぐ見ていても横が気になる。そばを可愛い女性が通れば目が向く。でも、その人を愛すことは、まずない。「一途に愛する」それができたら、人生を最高のものに変えることができるだろう。

公式サイト「人生は、奇跡の詩」

 何も覚えていない、覚えられない
昔から頭が悪くていろいろ困っている。まず、登場人物の名前が覚えられない。洋画だと顔が覚えられない。正確な台詞や、背景となる町の名や、店などの名前が覚えられない。おもしろかった映画も、1年たてばかなり内容を忘れている。昔見た映画は、初めて見るような感覚だ。ところどころ見たような感じしか残っていない。題名を見ても、思い出せない。私は病気なんだろうか。いつもぼーっとしている。昨年、脳ドックを受けたが、異常はなかった。覚えられない、はっきりとした言葉で記憶に残らないと言うことは、語れないということなのだ。会話に入れない。自分も見ていて、感動したのに、「感動した」と言えても、ただそれだけで終わってしまう。この記憶障害は、わたしの生活すべてに影響している。私が、微かに記憶しているのは、霞のような雰囲気であり、言葉に表せない香りのようなものだけ。悲しくなってくる。せめてできる範囲で記憶を残したいと思って始めたこのブログが1年たちました。


アラビアのロレンス[完全版]

2007年01月14日 | 歴史映画/時代劇


1988年 イギリス 227分
■原題「Lawrence of Arabia : Restored Version」
■2007.1.13 wowow
■監督 デヴィッド・リーン
■出演
  ピーター・オトゥール(T・E・ロレンス)
  アレック・ギネス(ファイサル王子)
  オマー・シャリフ(アリ)
  アンソニー・クイン(アウダ・アブ・タイ)
  ジャック・ホーキンス(アレンビー将軍)
  アンソニー・クエイル(ブライトン少佐)
  アーサー・ケネディ (ベントリー)

《story》
第一次世界大戦のまっただ中、1916年カイロにいたロレンス少尉は、ファイサル王子を探し、イギリスとアラブとの同盟を強調し、トルコ軍をけん制することを目的に、派遣された。しかし、ロレンスは、アラブのために、ハリト族の族長アリとともに、越えることは不可能と言われているネフド砂漠を越える。そして海に大砲を向けているアカバのトルコ軍の背後から襲い、アカバを陥落させるのだった。ロレンスは、砂漠のアラブ愛しながらも、部族間の争いが耐えないことや、白い肌を持ち、アラブに完全に入りきれない自分があることや、フランスとイギリスの密約など、さまざまな困難を前にして崩れていく。しかし、再度立ち上がり、アラブの軍隊を率いて、どの国の軍隊よりも早くダマスカスを千占領したのだった。けれども、再度民族の争いが立ちはだかるのだった。

まるで子どものように情熱をもった人
考古学などロマンあふれる研究をしている人には、こんな情熱がだれよりもあふれ出してくるのだろう。そこには無限の可能性があり、夢や希望が埋まっている。本気でそれを信じている人は強い。周りを強く動かしていく。失敗のイメージがないから、必ずうまくいくと思っているから、やりきることができる。ネフド砂漠を越えることだって、はぐれた仲間をさがすことだって、ロレンスの頭の中には、成功のイメージしかなかった。しかし、自分が助けた仲間を殺さなければならなかったこと、自分の部下が砂地国に飲み込まれたことで、その自信は揺らぎはじめる。それでも、彼は砂漠を愛した。アラブを愛した。自分もその中に浸っていった。ロレンスの頭の中では、いつもアラブは1つだった。でも、ダマスカスを占領したあと、部族で争うアラブの中にロレンスは入ることができなかった。ロレンスの情熱で、アラブは動いたが、1つにはなれなかった。

物語というより詩なのだろか
数分の序曲から始まり、あらゆる場面で音楽と情景が散りばめられている。そして数分の終曲。ロレンスの情熱、悲哀、残虐、怒り、落胆・・・と、アラブととともに生きようとする、異質の人間が感じる喜怒哀楽、人生の詩だと言えるのではないだろうか。彼の頭の中に、国家のためにという気持ちは微塵もない。詩的に広がる愛する砂漠とアラブの姿しかなかった。踏み入れる前の情熱、失うことの悲哀、戦うことの残虐、政治的な背景への怒り、そして自分とアラブの人々の違いに対する落胆、理想とかけ離れていることに気づいた落胆。それらが、音楽とともに奏でられていく。
この映画は、かつて数度見た覚えがある。若い頃は難解だと思っていたが、今少し何かわかったような気がする。

 中心になれる人、なれない人
ロレンスはなれる人。自分を疑うことなく進むことができるから。なれない人というのは、自分を疑う人。自分がやろうとしていることがいいことなのかどうなのか判断できない。いつも迷っている。周りを見て、みんながやっているかどうかを確かめる。小心者だ。優柔不断な人間だ。自分を信じて、自分は判断してやったことが、ロレンスのようにうまくいけばいい。でも、そうじゃない人は、自信たっぷりにやってはみたものの、大失敗をしてしまう。恥ずかしい思いをする。そして、さらに小さくなっていく。名にもしようとしなくなる。あなたにはまかせられないという目で見られる。話もしてもらえない。中心にはならなくてもいいから、自分の考えくらい自分で大切にしてやらなければ。いやいや、そんな甘いことを言っているから、また失敗するんだ。袋小路でうろうろしている人がいる。


タイタニック

2007年01月13日 | ラブロマンス/青春


1997年 アメリカ 189分
■原題「TITANIC」
◎アカデミー賞 / 第70回(1998年)作品賞/監督賞/撮影賞/主題歌賞/音楽賞(オリジナルドラマ)/美術賞/衣装デザイン賞(カラー)/視覚効果賞/音響賞/編集賞
■ 2007.1.8 BS 2
■監督 ジェームズ・キャメロン
■出演
 ジャネット・ゴールドスタイン
 レオナルド・ディカプリオ(ジャック・ドーソン)
 ケイト・ウィンスレット(ローズ)
 ビリー・ゼイン(カル)
 キャシー・ベイツ(モリー・ブラウン)
 フランシス・フィッシャー(ルース)
 ビル・パクストン(ブロック)
 バーナード・ヒル(エドワード・J・スミス船長)

《story》

「運命の恋、誰もそれを裂くことはできない」

「あなたはまだ、本当のタイタニックを知らない」


沈没したタイタニック号の船室から引き上げた金庫。その中には1枚の女性の絵が入っていた。テレビニュースを見たローズは、その引き揚げ船を訪れる。そして、その絵にまつわる話を始めるのだった。
当時ローズは17才。母親が決めた結婚相手、資産家のキャルとともに、タイタニック号に乗り込んだ。青年ジャックは、ポーカーで勝ち取った乗船券で、友人とともに船に乗った。二人の出会いは、ローズが船から飛び降りようとしているところにジャックが出会ったことだった。次第に二人は親しくなっていった。そんなときタイタニック号が氷山に接触した。船は浸水していった。ローズは、救助艇に乗らず、キャルの手をふりほどき、ジャックの元に走った。二人と多くの乗客を乗せたまま、タイタニック号は沈没していった。

何度見ても引き込まれる
約3時間という長い映画だけど、また見たくなる映画だ。3度、4度目になるだろうか。まるで自分が過去にあった出来事を思い出しているような錯覚に陥る。ジャックやローズの出会いが、「ああ、あんなこともあったなあ」という気持ちにさせられる。冒頭が現代のシ-ンから始まっているからなのだろう。もし・・もし・・と、さまざまなことを想像する。ジャックも助かっていたらどうなるだろうか。ジャックがポーカーに勝たなければ。タイタニック号が氷山にぶつからなければどうだっただろう。二人の出会い、そして恋は、確かに必然的な、運命的な、強い結びつきを感じた。たとえ死んでも二人でいたいという。しかし、最後にジャックが死んで、ローズが生き残る場面。そのまま見れば、最初から救助艇に乗れば簡単だったのに、と思ってしまう。でも、大事なのは結果ではなく、そこに行き着くまでの過程なのだということだ。二人で船に戻り、何度も制止の境目をさまよい、二人で生きる努力をしたことなんだとわかる。

差別に憤り
当時は当たり前なんだろうなあ。それにイギリスは貴族社会だから、区別は当然なんだろう。客室の区別、これはお金があればいい部屋もとれるのだろうか。食事をする場所の区別、ラウンジ、デッキの区別、入ってはいけないという境がはっきりしている。ひどいと思ったのは、救出は1等の客からというところ。3等の客は出られないように鍵をかける場面は許せない。それに、見栄えを考え、救命艇の数を減らしたこと。全員にないということがわかっていての航海は、命を軽視している。女性と子どもを先に救出する場面はさすがに紳士らしい。

映画は生きる力
もう生きていてもおもしろくない、さみしいだけだなあ、と憂鬱になるとき、映画を見ると少し前向きになれる。そんな映画を好んで見るんだけど。映画の中で一生懸命に生きている人を見ると、自分もがんばらなければいけないなと思える。映画の中に入ったとき、まるで自分ががんばったかのような錯覚に陥るのかもしれない。見終わったあと、やり遂げた満足感がいいのかもしれない。ジャックやローズと一緒に生きた数日が、最後まで自分の気持ちに素直に、ともに生きることに必死だった二人の姿が、自分も少しでもそうありたいと思わせてくれた。だから、映画は挫折感をテーマにしたものではなく、生きることに力がわくようなものがいい。