そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

チルソクの夏

2006年05月31日 | ラブロマンス/青春


2004年 日本 115分
■2006.5.31 wowow
■監督 佐々部清
■出演 水谷妃里(遠藤郁子) 上野樹里(杉山真理) 桂亜沙美(藤村巴) 三村恭代(木川玲子) 山本譲二(郁子の父) 高樹澪(26年後の郁子) 淳評(安大豪)

《story》

「あの夏の出会い、初恋、友情、そして別れ」

1977年、下関と韓国の釜山は高校生の親善陸上競技大会を年に一度七夕の日に開催していた。郁子たち4人も選手に選ばれ、釜山に向かった。会場で出会ったアン君は郁子に一目惚れして、夜中に抜け出し郁子の宿舎にやってくる。まるでロミオとジュリエットような出会いだった。二人は文通することと、来年七夕(チルソク)の日の再開を約束するのだった。しかし、郁子の父親は朝鮮人との文通に激しく反対した。またアン君の母親も戦争で叔父を日本兵に殺された過去があり、息子の受験のこともあって、文通をやめるように郁子に手紙を書くのだった。下関で開催される親善陸上競技大会で二人は再開できるのだろうか。

◎二つの国の過去、それは未来を生きる人々にも重くのしかかっている。しかし、親善大会が行われるのは、新しい未来を作ろうとしているから。ただただ重く、歪み、砕かれていくのではなく、さわやかな青春の一部としてとらえ、そして純粋な人を想う心で乗り越えていこうとするところが感動的だ。おたがいを責めるわけではない。おたがいの背景も受け入れながら、国境を感じない人の結びつきが、どんな争いごとのなかでもきっと大きく輝いて、力になっていく。小さな二人の恋だけど、戦争をなくしていく大きな原動力だと思う。メールも携帯もない。だからこそ、結ばれた心は強く深いのかもしれない。

公式サイト「チルソクの夏」


花よりもなほ

2006年05月31日 | コメディ


2006年 日本 127分
2006.5.30 松竹東洋座 試写会
■監督 是枝裕和
■出演 岡田准一(青木宋左衛門)  宮沢りえ(おさえ)  古田新太(貞四郎)  浅野忠信(金沢十兵衛)  香川照之(平野次郎左衛門)

《story》

「弱い。貧しい。逃げ足速い。
  へっぴり侍・青木宋左衛門、見参!」

元禄15年、江戸、5代将軍綱吉。「生類憐れみの令」が出るくらい平和な? 時代。青木宋左衛門は、父の敵を討つため、江戸のぼろ長屋に身を寄せていた。敵討ちがうまくいけば100両は手に入る。そして胸を張って信州松本に帰ることができる。しかし、長屋の住人の貞四郎は「敵を見つけた」と言っては、宋左衛門にたかり、人のいい彼の生活も困窮していた。そんな彼の楽しみは向かいのおさえさんに会うことだった。おさえさんは息子と二人暮らし。その息子に剣術を教えてほしいと言われるのだが・・・
果たして敵討ちはできるのか。長屋の住人とのほのぼのとした生活を背景に物語は進んでいく。

◎この映画館も久しぶり。といっても大昔に1度入ったかどうかの映画館。好きではない映画館。街中の、デパートの8階、そしてロビーの狭いところ。平坦にイスが並んで、前の人の頭がじゃまになる。音量が小さい。昔の映画館独特の音が遠くで聞こえる。さらにひどいことに、隣の会場でやっている映画の音が聞こえてくる。おもしろい映画もおもしろく感じなくなってしまう。振り返ればそれほど幻滅するえいがではなかった。ほのぼのとして、明るく楽しくさわやかに見ることができる映画だった。最後の宋左衛門の笑顔が何とも言えない。続編が見たくなる。ただ、もう少し、どこかに大きな盛り上がりがほしかった。危機、アクシデント、「えーっ」と思わせるようなシーン。そして、あおの笑顔がくればもっとほっとできたのに。映画館の悪さが相まって残念。

公式サイト「花よりもなほ」 


チルドレン

2006年05月29日 | 人間/社会派ドラマ


2006年 日本 108分
■2006.5.29 wowow dorama w
■監督 源孝志
■出演:坂口憲二(武藤俊介) 大森南朋(陣内達也) 小西真奈美(青木美晴) 國村隼、加瀬亮(木原周五郎) 三浦春馬(木原志朗) 長谷川初範(青木良平) 渡辺典子(間島茂子) 小林隆(小山内光一)

《story》

「そもそも大人が格好良ければ、子どもはぐれねえんだよ」

家庭裁判所に勤めている武藤と陣内は、銀行で強盗事件に巻き込まれる。武藤はいっしょに巻き込まれて銀行に人質になっていた美晴に一目惚れ。陣内は、二人を結びつけようと、彼女の事を調べたり、「結ばれる運命だ」と予言したり、彼女の勤める本屋に行かせたりする。そんなころ、武藤は万引きをした男子高校生を担当する。今まで武藤はあまりに真正面から真面目に子どもと当たりすぎて、裏切られることが多かった。今度の子どもには、陣内から言われた方法でやっていくうち、次第に二人の距離が近づいていくことを感じる。しかし、そこにはさらに隠された事実があった。

◎だまされるんじゃなくて、だまされてやってるんだ--そうなんだろうな。もし、これだけの接見で子どもの心が変わっていくのだったら、世の中もっとうまくいくはずだ。結局その場さえのがれられたらいいと思っている子の方が多いと思う。それに最近は、「悪いことをした」という感覚すら感じなくなっている子が多い。開き直ってしまう。大人がそうだからなんだろう。大人がもう少しきちんとしていたら、子どももこうはならないのだろう。最近、人の感性がおかしくなっていると思う。気になるのが、車を走らせているとき、平気で中央線をはみ出してくる対向車が多いこと。「おれが行くんじゃ、どけー」と言いながらつこんでくる感じがする。人の事を考える力が弱くなって、自分さえよければいいのだという思いが強い。どうせ世の中よくはならないのだからとあきらめの中からきている悲観的な気持ちだと思う。人と人との結びつきが薄れている。
美晴はどうなるのだろうか、と思っていたら、エンディングのときに、かわっていく彼女が出てきた。一人から二人になれたからだと思う。


イルマーレ

2006年05月27日 | ラブロマンス/青春


2000年 韓国 96分
■2006.5.27 BS2
■原題「時越愛(シウォレ)」 
■監督 イ・ヒョンスン
■出演 イ・ジョンジェ(ソンヒョン) チョン・ジヒョン(ウンジュ)   チョ・スンヨン  ミン・ユンジェ  キム・ジム

《story》

「海辺の家で受け取ったのは、未来から出された
  消印のない手紙・・・」 
「それは決して逢うこともふれあうこともできない
  恋の始まりだった---」

1999年、ウンジュは失恋をして、住み慣れた家から引っ越すことにした。そのとき、家の前のポストに、次の住人のために手紙を入れる。その手紙を受け取ったのは、1997年を生きているソンヒョンだった。そのポストは2年前のウンジュと2年後のソンヒョンを結びつけていくのだった。ソンヒョンは、自分を知らない自分と同じ時代を生きる、ほかの人を恋しているウンジュに出会う。そして次第に恋が芽生えていく。ウンジュも恋の相談をソンヒョンにするようになり、特別な存在へと変わっていくのだった。二人は出会うことができるのだろか。

◎時間のズレをうまく使った物語になっていると思う。20年30年というズレではなく、2年というズレが何とも言えない。二人が結ばれる時間だ。海の家も恋の舞台としては最高の場所だ。ただ、時間のズレは、よく考えてみるとほころびが出る。なんかおかしいなと思ってしまう。しかし、それを考えないで、ハッピーエンドになって幸せな気持ちで、映画を見終われたら、それでいいんじゃないかな。ポストが、もしかしたら、この家が、二人を時間を超えて結びつけてくれたんだ。


イノセント・ボイス 12歳の戦場

2006年05月27日 | 人間/社会派ドラマ

 
2004年 メキシコ 112分
■原題「Voces Inocentes」
○2005年ベルリン国際映画祭 最優秀作品賞
2006.5.27 サロンシネマ1 with r,y,h,t
■監督 ルイス・マンドーキ
■出演 カルロス・パディジャ(チャバ)  レオノア・ヴァレラ(母親ケラ)  ホセ・マリア・ヤスピク (ベト叔父) ダニエル・ヒメネス・カチョ (司祭) グスタボ・ムニョス(アンチャ) 

《story》

「知っていますか? 現在、世界で30万人以上の子どもが、“兵士”として戦場に送られていることを」

「神様、聞こえますか。僕は戦わなければいけないのですか?」

1980年 エリサルバドル。大恐慌の中で、政府軍と農民で組織された反政府軍が衝突していた。内戦状態にあった。11才のチャバは、父親がアメリカに渡り、母や姉弟助けなければいけなかった。チャバの村でも、銃弾が飛び込んでくるなど、眠れない日々が続いていた。ここでは、12才になったら、学校に政府軍が押し入り、兵隊にするために子ども達を連れていった。大好きだったマリアの家は破壊され、マリアもいなくなってしまった。叔父は反政府軍に入り行動していた。チャバも友だちと一緒にそこに行くことにした。しかし、政府軍の襲撃にあい、捕まってしまった。そして仲間達は川で銃殺されるのだった。

◎こうして子ども達が戦争に巻き込まれている現実。いや、戦争に駆り立てられている現実を知ることは大切だ。だからこそ、こいう映画をもっと見ていくべきだと思った。おもしろい映画かどうかで判断すると、CGを駆使したおもしろさや感動はない。見終わったあと、チャバは助かるけど、心の中に重いしこりが残る。怒りや悲しみが切なくうずまく。私が大好きなハッピーエンドではない。今でも、この瞬間、どこかで子ども兵士は戦争に怯え、子ども達が戦争に巻き込まれていることだろう。それを知ること、心の片隅でも置いて置くことが大切だと思う。

公式サイト「イノセント・ボイス 12歳の戦場」


座頭市と用心棒

2006年05月27日 | アクション


1970年 日本 116分
■2006.5.27 wowow
■監督 岡本喜八
■出演 勝新太郎(座頭市) 三船敏郎(佐々大作) 若尾文子(梅乃) 米倉斉加年(小仏の政五郎) 岸田森(九頭龍・跡部九内) 神山繁(脇屋陣三郎) 滝沢修(烏帽子屋弥助)

《story》
蓮華沢の里を3年ぶりに訪れた座頭市。かつては平和だった村だったのに、今は小仏の政五郎と生糸問屋の烏帽子屋弥助のの対立によって荒んでいた。そして政五郎には腕利きの用心棒がいた。しかし、その用心棒は酒を飲んだくれていた。実は弥助のもう一人の息子が、小判作りをお上から任されたのを悪用し、金を搾取していたのだった。弥助をそれをどこかに隠し、政五郎たちがそれをねらっていたのだった。

◎昔、座頭市の映画は好きで見ていた。これも見た覚えがあるが、忘れっぽいので、新鮮な気持ち出で見た。御船敏郎の用心棒は、映画の「用心棒」をそのまま利用しているのだろう。「用心棒」はまだ見たことがないのでよくわからないが。最後は戦ったけど、両者決着つけることなく、終わってしまった。用心棒が死んだら、まずいだろう。細かくいえば、そんなことあるわけないよ、と思う場面があるが、娯楽として楽しく見るならそれでいいのではないか。木枯紋次郎みたいに、悪びっているけど、正義の活躍をするところがおもしろい。悪がやっつけられるところがすっきりする。なのに、座頭市はけむたがれる存在なんだよね。けむたがられても、正義の味方になるんだよね。そこがいいのだろうね。


コンスタンティン

2006年05月24日 | アクション

2004年 アメリカ 122分
■原題「Constantine」
■2006.5.24 wowow
■監督 フランシス・ローレンス
■出演 キアヌ・リーヴス(ジョン・コンスタンティン) レイチェル・ワイズ(アンジェラ・ドッドソン/イザベル・ドッドソン) シア・ラブーフ(チャズ) ジャイモン・ハンスウ(パパ・ミッドナイト) マックス・ベイカー(ビーマン) プルーイット・テイラー・ヴィンス(ヘネシー神父) ティルダ・スウィントン(天使ガブリエル) ギャヴィン・ロズデイル(バルサザール) ピーター・ストーメア(サタン(ルシファー))

《story》

「天国と地獄のエージェント」

コンスタンティンは悪魔を見分ける能力を持っていた。自殺をした者は地獄に堕ちる決まりがあり、コンスタンティンは自分に起こる不可解な出来事に悩み、一度自殺しかけたことがあった。だから、地獄に落とされないためにも、悪魔を退治する必要があった。ある時、今までにない悪魔の出現を見て、この世と地獄の均衡が崩れ始めているのではないかと思い始める。妹の自殺の真相を追う女刑事アンジェラと共に、事件を探るうつ、悪魔の子がこの世に現れようと企てていることを知る。

◎ホラーではない。アクション映画だった。今までの悪魔払いとちがって、まるでエイリアンと戦うヒーローみたいだった。でも、そのヒーローも気怠い雰囲気を漂わせた、仕方なく動いているみたいだった。今までにない悪魔との戦い、マトリックスの雰囲気を引き継ぎながらも、自分の世界の世紀末を感じさせる。悪魔は、この世にいる悪い人間なのかもしれない。支配をしたがる独裁者のような大物がこの世に現れるのを防いでくれている、そんな気もした。自分のためだったからこそ、気怠さがあったが、人のためになると、雰囲気が一変した。人助けではなく、愛が芽生えたその人のためだと人は暖かさを感じさせてくれる。

七人の弔

2006年05月22日 | 人間/社会派ドラマ

2005年 日本 108分
■2006.5.22 wowow
■監督 ダンカン
■出演 ダンカン(垣内仁) 渡辺いっけい(河原功一) 高橋ひとみ(中尾君代) いしのようこ(橋本染子) 温水洋一(横山春樹) 山崎一(柳岡秀男) 穂積ペペ(西山政彦)

《story》

「もう、君たちに残された道はない」

キャンプに訪れた7組の親子。子ども達はみんな親から虐待を受けていた。しかし、その親たちは自分の子どもに妙に優しい。なんとこのキャンプは、子どもの臓器を売るために、子どもの審査をするキャンプだったのだ。子ども達はそのことを知らない。

◎変わったアイデアで、日本映画独特の真面目な題材をコミカルな雰囲気で描く手法だった。嫌いなわけではない。ただ、虐待という問題が大人の軽い気持ちで表現されているように感じる。全体的に真剣さが伝わってこない。題材が題材だけに、子どもたちの勝利・・で終われない現実がある。逃げられない、追いつめられた現実が子どもったちにあるはずだ。最後のバスの中は、協力しあった子どもたちの、乗り越えた姿だろうか。

公式サイト「七人の弔」

亡国のイージス

2006年05月21日 | アクション


2005年 日本 128分
■2006.5.21 wowow
■監督 阪本順治
■出演 真田広之(仙石) 寺尾聰(宮津) 佐藤浩市(渥美) 中井貴一(溝口) 勝地涼(如月) チェ・ミンソ(ジョンヒ) 吉田栄作(竹中) 谷原章介(風間) 原田芳雄(梶本総理大臣)

《story》

「生きろ、絶対に生きろ。」
「何を守るかじゃない。誰を守るかだ。」


訓練中の海上自衛隊護衛官「いそかぜ」が乗っ取られた。某国のテロリスト集団と副艦長の宮津たちだった。仙石たちは船から降ろされたのだが、仙石は彼らに捕まった如月を救おうと再び艦に乗り込んだ。テロ一味は、アメリカが密かに開発した「グソー」を公表しなければ、その「グソー」で東京を破壊すると脅してきた。艦に潜入した仙石と如月は、この企てを妨害しようとするのだが、期限はどんどん迫ってくる。

◎真田広之は好きな俳優だ。ただのアクション俳優ではなくなった。演技がうまいのかどうかはわからないが、一生懸命さが伝わってくる。「リング」や「たそがれ清兵」もよかった。
「グソー」で象徴されるように、日本は国民に知らせない、国民をバカにしていることがいっぱいあるような気がする。物言わぬ日本国民、みんなで批判したり反対できない、NOと言えない、団結できない日本人。自分のところだけ平和であればいい、そう思っている自己中心の日本人。そんな日本人に一言・・・
戦争をして目覚めよ、と言っているのではない。敵をしっかり意識せよ、と言っているのでもない。もっと自国の中の戦争に関心を持つべきだ。隠されていること、ごまかしていることに目を向けるべきだ、と言いたい。自衛隊そのもの問題。アメリカの基地の問題。回りの国との関わりについて。沖縄のこと、岩国のこと、思いやり予算、低空飛行など、いったいこの日本は何なんだ。
そんなことを考えてしまう映画だった。自分だけかな。

公式サイト「亡国のイージス」


エアポート2005

2006年05月20日 | アクション

2005年 アメリカ 99分
■原題「Crash Landing」
■2006.5.20 wowow
■監督 ジム・ウィノースキー
■出演 アントニオ・サバト・ジュニア(ジョン・マスターズ) ブライアン・デーヴィス(ロシェル・デイビス) マイケル・パレ(ウィリアムズ大尉) ジョン・ベック(マクラーレン) ケヴィン・ドブソン(ヘンダーソン・デイビス)

《story》
大富豪の娘ロシェルの誕生日のプレゼントは、飛行機をチャーターして、友だちとの豪華な旅だった。父親のデイビスは、護衛に空軍のマスターズをつけ、空港を見送った。しかし、飛行機は飛び立ったあとで、乗務員が不可解な死を遂げていることが判明。飛行機に乗り込んだのは誘拐犯だった。飛行機は台風に襲われ、燃料漏れを起こし、パイロットは負傷。どこにも着陸できる空港はない。さてどうするか。

◎エアポートものは好きだ。大きな感動はないけど、「75」以来、よく見ている。あの音楽も耳に残っている。ちょうど映画が好きになってきたころ、高校生のころだったと思う。今度は、作りかけの空港に着陸という設定で楽しみにしていたけど、着陸のシーンはしれほどの迫力はなかった。でも、必死で90mの滑走路を土砂降りの中で作り、ガソリンを燃やしてライト代わりにするなど、いろいろ工夫は見られた。息詰まった場面での、ジョークを交えた会話、果たしてできるだろうか。緊張を和らげる方法かもしれないが、少し言い過ぎという感じもあった。