そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

シャーロットのおくりもの

2006年12月31日 | ファンタジー/アドベンチャー


2006年 アメリカ 97分
■原題「Charlotte's Web」
2006.12.29 TOHOシネマズ緑井  with h/t
■監督 ゲイリー・ウィニック
■出演  
  ドミニク・スコット・ケイ
    (子豚のウィルバー-小清水一揮) 
  ダコタ・ファニング(ファーン・エラブル-福田麻由子)
  ジュリア・ロバーツ(クモのシャーロット-鶴田真由)
  スティーヴ・ブシェミ
    (ネズミのテンプルトン-山寺宏一)
  ケヴィン・アンダーソン(Mr.エラブル)
  エシー・デイヴィス(Mrs.エラブル)
  ジョン・クリーズ(羊のサミュエル)
  オプラ・ウィンフリー
    (ガチョウのクッシー-松本伊代)
  セドリック・ジ・エンターテイナー(ガチョウのゴリー-ヒロミ)
  キャシー・ベイツ(牛のビッツィー-LiLICo) 
  レバ・マッケンタイア(牛のベッツィー) 
  ロバート・レッドフォード(馬のアイク-高橋英樹)
  トーマス・ヘイデン・チャーチ(カラスのブルックス-千原兄弟・ジュニア)
  アンドレ・ベンジャミン(カラスのエルウィン-千原兄弟・靖史)

《story》

「奇跡は空からやってくる」

農家のエラブル家に豚の赤ちゃんが生まれた。生まれた子豚は11匹、母豚のお乳は10個。父が1匹の子豚をつかんだとき、ファーンは自分が育てると言って、子豚を抱いた。その子豚の名はウィルバー。ウィルバーはすくすく成長し、向かいのザッカーマン農場に預けられた。その小屋には、馬や牛や羊、ガチョウなどが飼われていた。みんな子豚のウィルバーを相手にしようとしない。声をかけたのは、クモのシャーロットだった。ある日、小屋の仲間たちがささやいているのをいるのを聞いた。春に生まれた子豚は、冬の雪を見ることができない。なぜなら、子豚はソーセージになるから。それを聞いたウィルバーは、自分も生きたいと泣き叫んだ。それを聞いたシャーロットは、自分が必ず守ってあげると約束するのだった。そして、シャーロットが起こした4つの奇跡。子豚のウィルバーはクリスマスの雪を見ることができるだろうか。

食べられる立場
身近に牛も豚もいないから、食べられる立場で考えたことがない。飼われている豚は、もちろんペットじゃない。肉を食べるため。よくよく考えてみると、なんと残酷なことなんだろう。「宇宙戦争」で人間が捕らえられ食料になることと同じじゃないか。ただ、人間は感情と知恵があるから、そこから逃げだそうと必死になる。でも、豚たちは、自分たちが肉として食べられるためにそこにいるなんて考えていない。もし、豚たちが、人間と同じように考えることができたら、やっぱり必死になって逃げ出そうとするだろうな。人間が食べるために飼われている動物たちのこと少し可哀想になった。でも、食べなければ生きていけないから、心のどこかにウィルバーに居てもらおう。

シャーロットの奇跡
「くも」とはね。って、くもをばかにしているみたいだけど、やっぱり驚きだ。小屋の中にいる動物たちと比べたらちょっと異質。みんながいやがるくもだからこそ、だれでも友だちになれるよ、っていうメッセージがあるのかもしれない。見かけじゃないよ、ネズミのテンプルトンだって、きっとあのカラスたちだって、話せば分かり合える友だちになれるはず。それに、こんなに小さなシャーロットだからこそ、できた奇跡だと思う。『とくべつなブタ』『さいこう』『ピカピカ』『ひかえめ』この文字を作ったクモのシャーロットはすばらしいやさしさで奇跡を起こした。文字を編んだのはくものシャーロットなんだけど、子豚のウィルバーがそれをやったように思われたことが幸運な奇跡だよね。そして、クリスマスの雪を見ることなく、シャーロットは命つきてしまう。虫たちの寿命だよね。でも、さらに奇跡は起きた。小屋の仲間たちが、シャーロットの卵をみんなで交代で見守り続けた。仲間たちの絆が深まった。

2006年最後の劇場映画
1月1日に見た「あらしのよる」から始まり、今年最後の映画は「シャーロットのおくりもの」 心があたたかくなる映画で始まり、そんな映画で終えられたことが何よりだ。子どもたちと胸を熱くしながら見ることができる映画一番いい。そして劇場で見ることが何よりだ。最近はできるだけ前の方にすわるようにしている。中の前くらい。そうすると、スクリーンの中に吸い込まれて、自分がそこにいるような錯覚におちいることがある。せっかく劇場にいくのだから、でっかいスクリーンの前で見ることがいいと思い始めた。目標は50本だったけど、74本見ることができた。ほとんどがレイトショーかメンズデー、ファーストデー、そして試写会と無料招待。毎月のこづかいが映画に。でも、タバコもやめたし、ギャンブルはしないし、酒も飲まないから、ささやかな楽しみ。来年も70本以上目標に、いい映画を見るぞ。

公式サイト「シャーロットのおくりもの」


トナカイはキュ-ピッド!?

2006年12月31日 | コメディ


2004年 アメリカ 90分 ABC Family ドラマ
■原題「Snow」
■2006.12.28 wowow
■監督 アレックス・ザム
■出演   
  トーマス・カヴァナー(ニック・スノーデン)  
  アシュレー・ウィリアムズ
   (サンディ・ブルックス)  
  パトリック・ファビアン(バック・シーガー)  
  ボッベ・J・トンプソン(ヘクター)  ジャッキー・バローズ  
  レスリー・カールソン

《story》
ニックは、亡くなった父の後を継いでサンタクロースになった。今年初めて空を飛ぶトナカイのバディが盗まれた。ソリは7頭では飛ばない。ニックは、バディの行方を求めて、カリフォルニアの動物園にやってきた。そこにいた飼育係のサンディに一目惚れ。彼女の家を訪ねたら、どういうわけか部屋を借りることになった。正体を見破った少年とともに、バディに救出にかかるが、飛び始めたバディを売り飛ばそうと、動物園から連れ出された。バディを助けるために、サンディや少年、部屋の住人とともに力を合わせる。

ドタバタコメディ楽しく見られる
これは映画じゃなかった。調べてみたら、アメリカのテレビドラマだった。日本の劇場では未公開。まあ、テレビでのんびり見るにはいいんじゃないかな。サンタが、実は呪いをかけられた王様だったという新しい説、そしてその呪いは子どもに引き継がれる。呪いと言っても、みんなにプレゼントを配るというものだけど。子どもがいるということは、結婚もできる。ただ、北極に住まなければいけない。1年中、クリスマスのプレゼントのことを考え、準備をしなければいけないのかな。世界の子どもは何十億といるぞ。特に貧しい子どもたちに、いっぱいプレゼントをあげてほしいよ。一人じゃ大変だね。1日で世界中を回れるのかい。なんて皮肉を言ったりして。クリスマスはもう世界中の行事になってしまったのかな。日本では、恋人や子どもにプレゼントを渡す日になっちゃたね。サンタがだれかなんて知らないよ。キリスト教と関係あるなんてね。それにしても、私にとっては、クリスマスは過去のもの。プレゼントを探し回ったこともあったなあ。なんだかさみしくなってきたクリスマス。

公式サイト「snow」アメリカ


羊たちの沈黙

2006年12月31日 | サスペンス/ミステリー


1991年 アメリカ 119分
■原題「The Silence of the Lambs」
■2006.12.27 wowow
■監督 ジョナサン・デミ
■出演  
  アンソニー・ホプキンス(ハンニバル・レクター博士)
  ジョディ・フォスター(クラリス・スターリング)  
  スコット・グレン(ジャック・クロフォード)  
  テッド・レヴィン(バッファロー・ビル)  
  ロジャー・コーマン(FBI長官)

《story》
FBIアカデミーの研修生クラリスは、上司の命令で、猟奇殺人事件の犯人に会い調査することになった。現在起こっている、女性の皮を剥ぐ殺人事件、バッファロー・ビルの捜査が行き詰まり、レクターから情報を得させるためだった。レクターは人を殺して人肉を食べるという事件を起こし、、精神病院の地下に隔離されていた。レクターはビルがかつての患者であることをほのめかし、クラリスの過去の話をすることを引き替えに、少しずつビルの手がかりを語り始めた。そんなとき、上院議員の娘が、ビルに誘拐された。皮をはぎ殺されるまで3日。もっと詳しい情報をレクターから引き出そうとするのだが・・・。

心の闇
ある意味、こんなことが平気でできる犯人はすごいのかもしれない。痛みを感じない、自分の欲求の赴くままに行動できる力って、多くの人を動かす力でもあるかもしれない。闇の部分に何があるのかによる。そこに、人のために何かをやり遂げたいという前向きになれる経験があれば、多くの人を幸せに導いてくれるかもしれない。でも、人からいじめられ、つらい思いをした経験でうずまいていたら、その痛みに耐えうる力、もしくはそれが快感となって、他人に強いる力となるかもしれない。また、心の闇はもっと闇の中に押し込めて、じっとして何もしないでひっそりと生きているかもしれない。幼少の経験は人生を左右する。罵声に怯え、じっと息をこらしているのだ。

ビルやレクターの生い立ち
彼らは気が狂っているのか。それとも、過去の何か忌まわしい体験が、そうさせているのか。生まれたときから悪魔のような人間はいないと思う。育っていく中で、環境や体験がそうさせたのだと思う。映画の中では、ビルは優しさのかけらもない気が狂った殺人者。しかし、憂いが感じられる。レクターはどうだろうか。狂気の中に優しさを垣間見せる。レクターには憂いはない。ビルには悲しい生い立ちがあるのかもしれないが、レクターは、まるで悪魔の子ダミアンのようであり、それでいて人の心を感じる。感じてもさほど影響はされないと思うが。レクターは、感じた人の心にうまく入る。だから、怖いけれでも、レクターは魅力的な存在になっていく。知的で動じることがないので、頼りがいを感じる。

だれもが過去を引きずって生きている
それを乗り越えて生きていけるかどうかだ。クラリスは、レクターからその暗い部分をえぐられようとしたが、乗り越えようと前向きに進んだ。でも、だれもがそうだとは言えない。いつまでも引きずったり、忘れたと思っていても、突然目の前に蘇ってきたり、さまざまだ。あの犯人を捕まえたい、誘拐された少女を助けたい、その気持ちが前に前に進む力となるのだ。重いからだ、重い心、逃げ出したくなる今、そこから吹いてくる風に向かって進む勇気と力、それが狂気の殺人者とならない道なのだ。紙一重。今、その境界線に立っている。さあ、風に流されるか、勇気を出して風に向かって進むか。


宇宙戦争

2006年12月30日 | ファンタジー/アドベンチャー

 
2005年 アメリカ 114分
■原題「War of the Worlds」 
2005.8.1  アルパークシネマ
 2006.12.27 wowow
■監督 スティーヴン・スピルバーグ
■出演 
     トム・クルーズ(レイ・フェリエ) 
  ダコタ・ファニング(レイチェル・フェリエ) 
  ティム・ロビンス(オギルビー)
  ジャスティン・チャットウィン(ロビー・フェリエ)
  ミランダ・オットー(メアリー・アン)

《story》

「地球最後の日--- 人類は試される、 
                                その愛と勇気を・・・。」
 
「100万年前に地球に送り込まれた侵略者たち--
                           彼らが目覚める時、人類は駆除される!」 

「地球最後の戦争は、人類が起こしたのではない」

その攻撃は突然始まった。上空では凄まじい稲光。地上では得体の知れない何物かが蠢いていた。別れた妻から預かった二人の子どもたちを連れて町を脱出するレイだが奇怪なエイリアンの攻撃は至る所でやってくる。この異変は世界中で起こり、人間はエイリアンに支配されようとしていた。

「家族愛」という言葉が宣伝ではあったが、ほんとうにそれは織り込まれていたのだろうか。確かに子どもったちを守ろうとする父親の姿はあったが、どこか身勝手な感じがところどころであった。ラッキーなだけで生きてこれた。そう思うのは少し悪いかな。迫力はあったが、どこか物足らない。「家族愛」をうたうならそれなりのハッピーエンドであってほしい。エイリアンは自然消滅して終わりとはあっけない気がする。微生物が人類を救うことが、新鮮な驚きに変わるような結末がほしいなあ。

2006.12.27 wowow

兄のロビーはなぜ戦いに行ったのか
あのテロ事件を思わせる。だれもが「戦わなければ」という気持ちになった。そして、アフガニスタンの空爆やイラク戦争は起きた。人を食うエイリアンだから、やっつけたいという気持ちはわかる。多くの人が、同じ立場になったら、そう思うだろう。特に、高校生くらいの子どもは、なおさらそう感じるのではないだろうか。日本の戦争時代も、特攻として駆り立てるには、これくらいの年齢が一番のような気がする。ロビーもそう感じて、居ても立ってもいられなくなった気持ちはわかる。でも、どうやって戦うのか、そんな冷静な判断はできないと思う。父と別れ、勇ましく出ていったけど、どこで何をしたかは描かれていない。いつのまにか家に帰っていた。なんだか怖い気がする。こうして若者を戦争に駆り立てていくのだと思う。どこかに敵を作って、正義感をふくらませて、冷静な判断をさせることなく、動かす。今、日本の敵は・・・

ゾウリムシとは共存
人間はゾウリムシとは共存できるけど、あのエイリアンとは共存できないよ。人間の血を使って植物を栽培し、それをエネルギーにして生きてるんだから。立場を変えてみたら、人間って自分中心なんだよね。牛や豚を飼って食べて生きている。エイリアンが人間を飼って生きていてもおかしくないんだよ。でも、知恵があるから、それが悲しいことだとわかって、そこから逃げ出したくなる。牛や豚だって、自分たちが殺されて食べられてしまうとわかったら、そこから逃げ出したくなるよ。でも、わからないから、共存でできている。共存って言えるのかどうかわからないけど。人間も食物連鎖の中に組み込まれていることが自然なのかも。じゃあ、食べられたら? って言われたらいやだけど。ゾウリムシをバカにしちゃいけないということだな。

公式サイト「宇宙戦争」


鉄人28号

2006年12月30日 | SF

2005年 日本 114分
■2006.12.26 wowow
■監督 冨樫森
■出演
  池松壮亮(金田正太郎)  蒼井優(立花真美)
  中村嘉葎雄(綾部達蔵)  
  薬師丸ひろ子(金田陽子)
  香川照之(宅見零児)
  川原亜矢子(貴島レイラ・ニールソン)
  中澤裕子(江島香奈)郎  阿部寛(金田正一)

《story》

「最後に勇気を振り絞ったのは、いつですか」

金田正太郎は、ロボット工学博士の父を幼い頃に亡くし、母と二人暮らしをしていた。ある日、東京に巨大ロボットが現れ、東京タワーなどを破壊した。このロボットは、コンピューター会社の会長の宅見零児が、最愛の息子を亡くし、この世を破壊し、理想の世界を作ろうと、制作したものだった。そのロボットは東京の町をどんどん破壊していった。そんな時、正太郎の前に綾部という老人が現れる。そして、正太郎の父と祖父が研究して作ったロボットの操縦を任せられる。正太郎には、直感像資質という見たものを瞬時に記憶する能力があったのだ。正太郎は、東京を破壊しているロボットに、鉄人28号で立ち向かうが、うまく操縦できず負けてしまう。鉄人28号は、立花らの手で改良され、再び正太郎の操縦で、宅見零児のロボットに鉄人28号は挑むのだった。

「鉄人」なんて昔の言い方だよね
とっても懐かしくて見てしまった。マンガの方は白黒で、子ども時代に再放送を見た覚えがある。小学生のときに、広島に新しいテレビ局ができる前に、新聞のテレビ番組表を見て、鉄人28号が始まると勘違いしたことがある。友だちに話したことで、後で嘘つきと言われた。ほんとに「鉄人28号」がまた再放送されると思いこんで、自分も楽しみにしていたのに。今、大人になって懐かしいとは思うけど、よっぽどのことがない限り、昔の番組は見ないなあ。それより1本でも多くの映画を見たいと思う。でも、この「鉄人28号」は、wowowの番組表に載っているのを見て、どうしようかといつも迷っていた映画だ。出演者に“蒼井優”とあったのが決断させた。まあまあってとこだった。後悔はしないけど、もう一度見たくはない。よく考えれば「鉄人」なんて、変な言い方だよね。鉄の人なんだから、いかに古くさい言い方かわかる。「エイトマン」だって、「ウルトラマン」だって、名前の意味を考えたら、ちょっとおかしいよね。たぶん懐かしいと思うから、この題名で新たに作り続けられていくんだと思う。

子どものときは考えなかったこと
正義の味方も、結局は町を破壊しているんだよね。戦いが終わって、被害者が、正義の味方に損害賠償を請求するかもしれない。壊された家を返してくれ、なんて言われるかもしれない。場合によっては、正義の味方が壊した瓦礫でけがをして命を落とす人もいるかもしれない。そうなると、あとから憎まれるよね。戦いに勝ったからといって、手放しでは喜べない。現実問題そうだよね。正義の戦いのためには、犠牲があっても仕方ないと言うと、これから戦争を起こそうとする人は、正義を掲げて敵を作り、みんなを戦争に巻き込むんだ。正義のために、なんて今の時代は何もできない。反対に殺されたり、恨まれたり、いいことない。知らんぷりしている方がいいのかな。でも、こんなアニメや映画の正義の味方にはあこがれる。悪いことする人間は、堂々とうまいことごまかしながら私腹を肥やすから、それをあばいてやっつけてくれるような正義の味方が現れないものかと、映画の世界に求めているのかもしれない。

公式サイト「鉄人28号」

歓びを歌にのせて

2006年12月29日 | 人間/社会派ドラマ

2004年 スウェーデン 132分
■原題「Sa Som I Himmelen」
■2006.12.25 wowow
■監督 ケイ・ポラック
■出演
  ミカエル・ニュクビスト(ダニエル・ダレウス)
  フリーダ・ハルグレン(レナ)
  ヘレン・ヒョホルム(ガブリエラ)
  レナート・ヤーケル(アーネ)
  ニコラス・ファルク(スティッグ)
  インゲラ・オールソン(インゲ)

《story》

「心に響け、天使の歌声」
「愛することの歓びを、信じることの歓びを、音楽は教えてくれた」


ダニエルは、天才指揮者として世界的に有名となり、彼の指揮の予定は何年も先まで入るくらいだった。しかし、ある時、肉体的にも精神的にも限界に来ていたダニエルは、舞台で倒れてしまう。ダニエルは生まれ故郷に戻り、廃校になっていた学校を買い取り、そこで生活し始めた。だれも、彼がここで育ったことがわからず、それどころか有名な指揮者がやってきたことに村はわきたった。村の牧師は、彼に聖歌隊の指揮をたのんだ。ダニエルはそれを引き受け、聖歌隊の人たちと触れあううち、再び音楽のすばらしさを感じていくのだった。そして、聖歌隊の一人一人は、みなそれぞれ悩みを抱えていて、ダニエルから乗り越えていく勇気を与えられるのだった。村のコンサートで、賞賛を浴びた聖歌隊は、オーストリアのコンクールに出場することになった。

いじめの恐怖
冒頭のシーンはいじめ。あの恐怖を乗り越えるために音楽はあったのだろうか。この村を出ていく原因になったのも、いじめだ。でも、再び故郷に戻っていく。生まれ育った場所というのは、心を癒してくれるのだ。でも、なかなか自分が以前ここに住んでいたことを語れない。それも過去のいじめの記憶からだろうか。日本でも今年はいじめの自殺のニュースがたくさん流れた。何か打ち込むことができれば変わっただろうか。その場所から離れれば変化があるだろうか。この映画がいじめのことを全面に取り上げているわけではない。でも、この2つの方法が見つかれば、新しい光が見えるのではないだろうか。子ども時代にいじめを受けたら、大人になっても心に残る。そしてそれを引きずって生きていかなければならないこともある。さらに、大人になってもいじめる人間は人をいじめる。いじめられる人は、やっぱりだれかにいじめられる。今の、日本は子どもの問題じゃなく、大人の問題だ。大人が安心して働いて生きていけない時代だから、だれかに怒りをぶつけたくなるんだ。みんなで政府に怒りをぶっつければいいのに。それはできなくなっている。

音楽は人の心を輝かせる
音痴で不器用な私は、音楽は聴くことしかできない。でも、歌ったり演奏できたら、どんなに輝けるかは想像できる。特に合唱というものは、心と心の結びつきが必要だ。気持ちが一つになった歌声というのはすばらしい。だれか悩みがあれば、それが微妙に影響する。それを助け合う仲間だったら、もっと声はよくなっていく。お腹の声を聞き会い、手を取り合い、コーヒーを飲んで語り合い、心が結ばれていく。ラストの会場で響き会う発声は、歌ではないのに、歌以上に感動を与えてくれる。ダニエルは会場には行けないのだろうか。最高の場面で終わり、その後は悲しみが待っているのだろうか。

公式サイト「歓びを歌にのせて」

麦の穂をゆらす風

2006年12月28日 | 歴史映画/時代劇

2006年 イギリス/アイルランド/ドイツ/イタリア/スペイン 126分
■原題「THE WIND THAT SHAKES THE BARLEY」
2006.12.25 サロンシネマ2
■監督 ケン・ローチ
■出演 
  キリアン・マーフィ(デミアン)
  ポードリック・ディレーニー(テディ)
  リーアム・カニンガム(ダン)
  オーラ・フィッツジェラルド(シネード)
  メアリー・オリオーダン(ペギー)
  メアリー・マーフィ  ローレンス・バリー
  ダミアン・カーニー  マイルス・ホーガン
  マーティン・ルーシー  ジェラルド・カーニー
  ロジャー・アラム  ウィリアム・ルアン

《story》

「愛するものを奪われる悲劇を、人はなぜ繰り返すのだろう」

アイルランドは、イギリスの支配下にあり、独自の言葉ゲール語を話すことも、ハ-リングというスポーツをすることも禁じられていた。1920年アイルランド南部の町コーク。医師を目指すデミアンの友が、英語の名前を言わずにアイルランド名言ったことで暴行を受け殺されてしまう。デミアンは、故郷を離れ、ロンドンの病院に就職するため、列車に乗ろうとしていた。そこにイギリス軍が表れ、列車の運転手らが乗車を拒否したため暴行を受ける。デミアンは、医者になる道を捨て、兄のテディとともにアイルランド独立のために戦うことを決意する。戦いは、裏切りあり、焼き討ちあり、日増しに激しくなっていった。イギリス軍は苦戦し、ついに講和条約が結ばれることになった。しかし、それはアイルランドの完全な独立ではなく、イギリスの国王の権限が残されるものだった。アイルランドの指導者たちは、この講和条約に賛成するものと反対するものに分かれ、対立を深めていくのだった。そして、賛成の立場に兄のテディ、反対に立場にデミアン、兄弟は敵味方に分かれていくのだった。

昔から気になっていたアイルランド
歴史には疎いから、よくわからなかったけど、イギリスのとなりにあるアイルランドは、何か因縁めいたものがあることはわかっていた。ある意味、日本と韓国の関係と同じかもしれない。植民地政策の時代は、当たり前のように弾圧が行われいたのだろう。イギリスはさまざまな国を植民地にしてきたから、イギリスと戦い、イギリスを追い出すことが、それぞれの国の独立であり、大きな歴史の一場面になったのだと思う。「ガンジー」という映画もそうだった。今、イギリスはそういったかつての植民地支配していた国々に対し、どんな関係であり、どんな接し方をしているのだろうか。こうしてみると、世界は広い。知らないことがたくさんある。たぶん本ではなかなか入ってこないことも、映画だと心に残る。

人の苦しみの上で幸せはない
人を犠牲にして幸せを本当に感じることができるだろうか。人を傷つけ、命を奪って、得たものって満足して使えるだろうか。使える人がいるのだろうか。いるからこそ、世の中戦争がなくならないのだ。人を支配する者が、人の痛みを感じていたら、命令も何もできないだろう。そんな人は、多くの人の犠牲に今の自分があることなど考えないし、きっと手に入れた富と権力にほくそ笑んでいるんだろう。大河ドラマの山内一豊だって、たくさんの人を殺して、一国一城の城主になることができたんだ。ドラマの中ではいい人だったけど、人を殺してさいなまれていたら、こうはなれなかっただろう。ということは、人の苦しみの上に幸せはあるのか。人の痛みを感じる人間は、それこそ不幸をしょって生きていかなければならないのか。

戦争というものは
どうしてあんなに簡単に人が殺せるのだろうか。かつて日本が朝鮮にしたように、母国語を奪い改名させ服従させる。反抗する者は容赦なく痛めつける。それで気持ちよく眠れるのだろうか。立ち向かわなければ、同じ人間として権利も幸せもわかってもらえないなんて、人間の歴史はなんて無様なんだろうか。幼なじみを涙を流しながらも殺さなければならない。兄弟を殺さなければならない。そんな悲惨なことを繰り返さねば前に進めない人の世はなんて不幸せなんだろうか。やっぱり権力者たちが、引きずるものが、人々を不幸にしていくのだと思う。人々を動かす力のあるものが
本気で人々の幸せを考え、戦うことなく進むことができる方法を考えてほしい。軍隊なんかなくても、考えのちがう人々と、ともに生きていける方法はきっとある。権力はそんなことを考えることができる人が持つべきだ。そうじゃなかったら、これからの人類は未来がない。

公式サイト「麦の穂をゆらす風」

敬愛なるベートーヴェン

2006年12月28日 | 人間/社会派ドラマ


2006年 イギリス/ハンガリー 104分
2006.12.25 サロンシネマ1
■原題「Copying Beethoven」
■監督 アニエスカ・ホランド
■出演
  エド・ハリス(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)
  ダイアン・クルーガー(アンナ・ホルツ)
  マシュー・グード(マルティン・ヴウアー)
  ジョー・アンダーソン
   (カール・ヴァン・ベートーヴェン)
  ビル・スチュワート(ルディー)
  ニコラス・ジョーンズ
  フィリーダ・ロウ
  ラルフ・ライアック

《story》

「孤高の音楽家ベートーヴェン、歴史に隠されたもう一つの物語」

「『第九』の誕生の裏に、耳の聞こえないベートーヴェンを支えた女性がいた」

1924年ウィーン。「第九」の初日4日前。しかし、合唱のパートが完成していたかった。ベートーヴェンは、優秀な写譜師として音楽学校に生徒を依頼していた。ベートーヴェンの元にやってきたのは女性のアンナ・ホルツだった。初めは女性の写譜師をいやがっていたベートーヴェンだが、彼女の楽譜を見て、彼女の才能を知る。「第九」の初日、耳が不自由になっていたベートーヴェンに合図を送る役目を彼女に頼み、見事にすばらしい演奏を成し遂げることができた。その後、アンナは自分の曲をベートーヴェンに見せるのだが・・・。

有名な人の影には支える偉大な人あり
人は一人では偉業を成すことはできない。必ずその人の右腕になったり、支える人がいるものだ。一人でやってやるなんて言ってる人は、きっと何もできなくて、孤立していくんだ。その人のことを理解し、そ人のために精一杯力を出そうと思う人、そんな人がいたからこそ、ベートーヴェンも偉業を成し得たのだと思う。そう考えるとき、そばにいた人ってすばらしい人なんだなと実感する。ヘレン・ケラーのそばにいたサリバン先生もそうだ。彼女なくしてヘレン・ケラーは存在しない。人はお互いに支え合い、その奥にある可能性を見抜き、それを引き出す関わりがあってこそ、人としての存在価値がるようだ。そんな人同士が惹かれ会い、お互いの可能性の扉をたたき合う。そして開花するのだ。特に男の人は、女の人の縁の下の力で、自分の才能を大きく広げていく人が多いと思う。歴史の登場人物は多くは男性だけど、きっとささえている女性がいるんだと思う。

見抜く 人を見る
ベートーヴェンという人を見つめ、人間として弱さも力もしっかりつかみ、支えていったアンナ。そして、女性だからという偏見を乗り越え、彼女の才能と優しさを見抜き、引き出したベートーヴェン。人を見抜く力、それはお互いの長所も短所も見ながら、相手ののすべてを受け止め、意欲と可能性を引き出す。それは知ったかぶりで、相手のことを決めつけるのでない。するどい洞察力と、気配りなんだと思う。ベートーヴェンに後者の優しさがどれだけあったかはわからないが、アンナには確かにあった。

  『夜のピクニック』    【BOOK】
洞察力で関係があるので・・・。2006年の劇場映画の中でBESTにあげたい作品です。ということで、文庫本を読んだ。一気に読み終えた。映画のストーリーとほぼ同じだった。ただ、夢のような場面は本の中にはなかった。でも、映画も本も心に残るものだった。「みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。どうして、それだけのことがこんなに特別なんだろうね。」歩いて会話するだけなのに、どうしてこんなに心に残るんだろう。それはベトッとした感じじゃなく、さらっとしたさわやかさで、お互い人を見て、慈しんでいるような気がするから。歩くという単純な動きこそ、まさに人生そのもの。気持ちのいい汗をかきながらも、さまざまな出来事がある。ゴールすることが目的でありながら、その途中の道で何かをこわし、何かを作る。そしてこわすことも作ることも楽しいし、振り返れば大切な想い出となる。

公式サイト「敬愛なるベートーヴェン」


男はつらいよ44 寅次郎の告白

2006年12月27日 | コメディ


1991年 日本 104分
■2006.12.24 BS2
■監督 山田洋次
■出演
  渥美清(車寅次郎)  倍賞千恵子(さくら)
  後藤久美子(及川泉)  吉岡秀隆(満男)
  吉田日出子(聖子)   夏木マリ(及川礼子)

《story》
泉が、就職のために東京にやってくる。高校の音楽の先生の紹介だった。満男といっしょに会社を訪問するが、いい返事はもらえず、泉は名古屋に帰る。その後、泉は、母親の再婚に素直になれず、家出をする。向かった鳥取から、満男に手紙を出すが、心配になった満男は、鳥取に飛んでいく。泉は偶然寅に会う。鳥取砂丘で、泉と満男は再会する。そして、寅の古い知り合いの旅館に行く。その女将の聖子は、かつて寅が好きだった人で、寅をふり二枚目の板前と結婚したのだった。その夜、二人で酒を飲みながら、その主人が死んだこと、聖子が幸せではなかったことを知る。次の日、思いを残したまま寅は、泉や満男と鳥取を後にした。

ワンパターンなんだけど
きっと次はこうなるな、と先がわかるんだけど、それでも笑えるし、わくわくしてしまう楽しさがある。きっと寅から電話がかかるぞ、きっと寅が帰ってくるぞ、泉ちゃんがやってくるぞ、寅と出会うぞ、そんな見え見えのストーリーでも見たくなる、寅さんに会いたくなる、不思議な映画だなと思った。そう思うのは私だけでしょうか。ラストは青空にたこがあがる。とららに届く手紙。旅先で寅さんの明るい声。ああ、終わったなあってあったかい気持ちになる。そして、また見たくなる。

旅に出たいよ
旅は逃避・・・大学のユースホステルサークルで、そんな論議をしていたな。逃避だと言えば、旅に出ることがしんどくなる。追求なら、意欲を感じるし、希望や夢がある。旅には両方あるんだなあ。できれば、自然や歴史や文学などを求めて、でかけたい。そこで何かをつかみたい。けっこう、そう思えば思うほどでできないんだよ。そんなに気負わず歩き始めるほうがいいんだと思う。昔の寅さんは、逃避の旅だったような気がする。でも、最近は追求に変わってきている。あまり意識しないで、気負わないで、じっと見て、じっくり聞く。話したくなったら、話していいよ。それまで、楽しく飲もうか。


硫黄島からの手紙

2006年12月26日 | 人間/社会派ドラマ


2006年 アメリカ 141分
2006.12.23 TOHO緑井
■監督 クリント・イーストウッド
■出演
  渡辺謙(栗林忠道中将)  二宮和也(西郷)
  伊原剛志(バロン西)  加瀬亮(清水)
  松崎悠希 、中村獅童(伊藤中尉)
  裕木奈江(花子)

《story》

「世界が忘れてはいけない島がある」

『父親たちの星条旗』と2部作。こちらは硫黄島における日本側からの視点で制作。
2006年、硫黄島の地下司令部の土の中から、何百通もの手紙が発見される。それは硫黄島で玉砕した兵士たちが家族にあてたものだった。
1944年6月、栗林中将が赴任する。彼は、島の様子をしらべ、戦況を踏まえ、今までの作戦を変更し、地下要塞を築こうとした。また、部下への態度も改めさせた。二宮たちは、しんどいながらも生きる希望を持つことができた。そして、アメリカ軍が上陸してきた。

大竹市の入山市長-米空母艦載機の移転容認
えーっ、ということは広島の空を怪しげなジェット機が飛ぶということだ。宮島も騒音や空の不安がふくらむということだ。他人の国だから、住民がどんなに困ろうと、アメリカには関係ないしね。なんかくやしいのは、結局お金がそこに関わっているということだ。政府はお金をちらつかせ、認めなければやらんぞ、削減するぞと脅していることだ。まさに『いじめ』だ。本当にいいのかどうなのかを考えたり、話し合ったりすることなく、まるでお代官様みたいに、わしの言うこと聞け、お金をちらつかせることが許せない。こうして、戦争に近づいていくんだと思う。
財政難のことだって、勝手に税金の無駄遣いして借金を作って、そのしわよせを住民にまわしているだけ。だれかがどこかで懐にお金を入れている光景が目に浮かぶ。国の借金だって、消費税で返すんじゃなくて、どうして大企業や銀行から取ろうとしないのか不思議だ。大企業からは反対に減税しようとしているんだって。変な国。だれかがどこかでお金もうけができるとき、それは戦争ができるとき。教育基本法も改正されたし、いずれ憲法9条も改正され、徴兵制もひかれて、堂々と戦争ができる国になるんだろうな。

やっぱり戦争にかかわるすべてのものがイヤ
ヒロシマ生まれのヒロシマ育ち、それはある意味で誇れること。いつも戦争の恐怖と隣り合わせだから。平和公園や資料館には何度も足を運ぶ。新聞には、原爆に関することがよく載せられる。近親者に被爆者がたくさんいる。北朝鮮から攻められたらどうする? と聞かれたら、何もしない。武器そのものがいやだ。けんかそのものがいやだ。人を殺すことがいやだ。どうしようもなくなる前に、何か戦争を避ける方法があるはずだ。遠くの出来事のように、戦争するしかないなんて言えない。殺すのも、殺されるのもいやだ。自分が銃を持って、硫黄島の洞窟から誰かをねらっている。その自分を、だれかがまたねらっている。そんなことを想像したら、だれがなんと言おうと戦争はいやだ。

クリント・イーストウッドってすごい人なんだな
あらためて感じた。この間、「ダーティー・ハリー」や「ミリオンダラー・ベビー」を見た。ただおもしろくではなく、どこかに思いがかくされている。伝えたい何かがある。硫黄島に目をつけたところがすばらしい。視点を変えれば、どちらも主人公。どちらも加害者だし、どちらも被害者だ。それが戦争だ。正義も悪もない。恐怖と悲しみが渦巻いているだけ。そして、遠く離れたところで、駒をすすめる者がいる。
日本語がわからない中で、日本語ばかりの台詞で、よく映画が撮れたものだと思う。言葉の端に出る感情の微妙なちがいなどわからないだろうけど、映画を見る限りはそれほど違和感はなかった。西郷の現代的な言い方が少し気になった。昔の若者にもあんなしゃべり方をする人がいたんだろうか。

結局生き残ったのは
西郷とあの伊藤中尉なのかな。爆弾抱えて死のうとして死ねなかった彼はあわれかな。生きようとして生き残ることができた西郷と対照的だ。

公式サイト「硫黄島からの手紙」