そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

エクソシスト2

2008年10月31日 | ホラー

1977年 アメリカ 118分
■原題「EXORCIST II: THE HERETIC」
■2008.10.25 DVD
■監督 ジョン・ブアマン
■出演
   リチャード・バートン(ラモント神父)
   リンダ・ブレア(リーガン・マクニール)
   ルイーズ・フレッチャー(ジーン・タスキン博士)
   キティ・ウィン(シャロン・スペンサー)
   ネッド・ビーティ(エドワーズ)
   マックス・フォン・シドー(メリン神父)
   ジェームズ・アール・ジョーンズ(コクモ)
   ポール・ヘンリード(司教)
   ジョーイ・ローレン・アダムス  

  《story》

あれから4年。リーガンは、秘書のシャロンとともに、ニューヨークで落ち着いた生活を送っていた。リーガンは、ジーン博士のもとでカウンセラー受けていた。同じ頃、メリン神父の死の真相を探るべく、ラモント神父が調査に当たる。リーガンとジーン博士は、過去の隠された記憶を共有する装置で、異変にあう。立ち会ったラモント神父の判断で難を逃れたが、博士にはその記憶がなかった。ラモント神父は、メリン神父の過去を明らかにするためにアフリカに渡る。そこで、メリン神父がコクモという少年に悪魔払いの儀式をしていたことをつきとめる。そして、リーガンの中に潜む悪魔の存在を確信する。ワシントンのかつての部屋で、リーガンとラモント神父は悪魔と戦う。イナゴの大群の襲来、そして崩れる建物、ラモント神父は悪魔を追い払うことに成功する。

 全然継続性がなかった

続編は期待するものだが、これは見なければよかったと思ってしまう映画だ。リンダ・ブレアの成長した姿が見られたことだけが、良かったことに入るかな。あとは、全部、前作の張り合わせみたいだった。新しい恐怖はなかった。あの変な機械で、どこに悪魔が潜んでいたのかよくわからなかったし、無理やり目覚めさせた感じがする。イナゴがなんだったのか、なぜ家が壊れたのか、どうなって悪魔は退散したのかよくわからない。「3」もあるけど、どうしようかな。

子どもの誕生日。ケーキを買って、図書券を買って・・・ただ買っただけ、みんなでケーキを食べたかった。私は10時過ぎには布団に入る。朝早く起きて仕事する。私が寝た後、私以外のみんなで子どもを囲んでケーキを食べる。いつも蚊帳の外。声をかけてくれたら寝るのを遅らせるけど、そんなことはあるはずがない。ケーキひとつ何をみみっちーことを言うんだ。「おめでとう」でいいじゃないか。でもいつもいつも寂しいなあ。

ICHI

2008年10月28日 | 歴史映画/時代劇

2008年 日本 120分
2008.10.25 ワイナーマイカルシネマ
■監督 曽利文彦
■出演
   綾瀬はるか(市)  中村獅童(万鬼)
   窪塚洋介(虎次)  柄本明(長兵衛)
   竹内力(伊蔵)  利重剛(喜八)
   佐田真由美(美津)  島綾佑(小太郎)
   杉本哲太(盲目の男)  横山めぐみ
   渡辺えり(お浜)  大沢たかお(十馬)  

 《story》

「愛が見えたら、きっと泣く」
「何切るかわかんないよ、見えないんだからさ」


三味線を弾きながら、旅を続ける盲目の女芸人、瞽女(ごぜ)の市。仲間とともに男に襲われているところに、侍がかけつける。ところが刀が抜けない。切りかかる男たちを市が切る。侍の名は藤平十馬。宿場町の賭場で市の手助けにより儲けた十馬と市を男達が囲む。そこでも、十馬は刀が抜けず、市が切る。男達は万鬼の手下。彼らに手を焼く白川組は、切ったのは十馬だと思いこみ、彼を用心棒に雇う。二人は反発しあいながらも少しずつ惹かれ合い、十馬がなぜ剣を抜けないか、その理由を知る。市はかつて自分に剣を教えてくれた人を捜していた。旅芸人の中に盲目の剣の使い手がいると聞くが人違い。万鬼の襲撃に十馬は刀を抜けず、市が立ちはだかる。万鬼が盲目の居合い切りを知っていると聞き、彼と戦うことを決意。しかし、市は切られ、投獄されてしまう。十馬は市を助け、再び万鬼との決戦に向かう。万鬼を前に刀を抜く十馬。刀を交えた後、二人とも倒れるが、立ち上がる万鬼。市は、万鬼に刀を向ける。

 綾瀬はるかの演技に

「白夜行」からのファンだ。ただ、あのときは消えてしまうような気がした。でも、「鹿男」を見て、はまり役だと思った。あの、ちょっとぼけた、無垢で一途な役がよく似合う。他に見ていないけど、これからある「ハッピーフライト」も、彼女の天真爛漫さが出て楽しそう。この「ICHI」は、そんな天然ボケの演技とちがう。でも、そんなにずれていない。むしろ、はまっているような気がする。映画館では釘付けとなった。映画館という場所がそうさせたのかもしれないけど。すぐにでも、もう一度見てもいいと思った。続編が見たいとも思った。

座頭市は子どもの頃から好きでよく見ていた。悪ぶっているけど、正義の味方というのが好きだった。しかもそんなにかっこよくなかった。転げ回って、いつも辛うじて相手をやっつける。この「ICHI」も多少そんなところを演出しようとしていたのかもしれない。十馬や万鬼に破れてしまうところは、スーパースターではなく、必死で戦っていることを表現している。

目が見えないということは、音で動くわけだから、ほんの少し目で動くより遅れるのだろうか。耳だけでなく、空気のうごきなど、体全体で感じて、反射的に動くのかもしれない。今見ているドラマ「悲しき恋歌」も目の見えないヒロインが出てくる。「山のあなた」も目の見えない按摩の話。「ふみ子の海」もそうだった。昔なら、目が見えないということは、生きていけないと言っても過言ではなかっただろう。人にだまされ、好きなようにもてあそばれ、まっとうには生きてはいけないだろう。現代はどうか、現代も同じかもしれない。目が見えないことをいいことに、お金をだまし取ったり、差別したり、そんな悪いことをする人が多くなっているような気がする。お年寄りから、「オレオレ詐欺」のようにお金をだまし取る人が増えているのだから悲しいよね。

 公式サイト「ICHI」

待合室 -Notebook of Life-

2008年10月27日 | 人間/社会派ドラマ

2005年 日本 107分
■2008.10.23 DVD
■監督 板倉真琴
■出演
   富司純子(夏井和代)  寺島しのぶ(夏井和代)
   ダンカン(夏井志郎)  あき竹城(山本澄江)
   斉藤洋介(山本康夫)  市川実和子(堀江由香)
   利重剛(塚本浩一)  楯真由子(木本晶子)
   桜井センリ(小堀善一郎)  風見章子(浅沼ノブ)
   仁科貴(梶野謙造)  

  《story》

「いつか必ずいいことがありますから・・・」

東北の小さな駅の待合室に置かれた「命のノート」・・・全国各地から旅人がやってきて、このノートに思いを記す。和代は、そこに返事を書く。旅人の中には、「おばちゃん」と親しみを込めて、和代の返事に力を湧かせる者もたくさんいた。和代は、親しき肉親を失い、一人で駅前の小さな店を開いていた。今から40年前に、遠野から嫁いできた。元教員だった夫と仲むつまじく店を手伝っていた。可愛い娘も生まれ、幸せな家庭を築いていた。ある日、村の行事の最中、目を離したすきに、娘が行方不明になり、川で溺れて死んだ。そして夫も病気で亡くしてしまう。つらい過去を背負いながら、一生懸命に生きていたらきっといいことがあると信じ、旅人の思いに答えるのだった。高校生の晶子は、絵を学ぶために大学に行きたいという夢が叶えられず悶々としていた。命のノートに、がんばってもいいことがあるなんて信じられないと、投げやりなことを書くのだが、和代はそれに答えられないでいた。ある日、そのノートが消え、晶子が焼き捨てたという。表面では、「いいよ」と言いながらも、孤独と老いを感じた和代は郷里に戻る。老いた母は、娘の心を感じ、すぐに帰るように言う。戻った待合室には、今までのノートと新しい命のノートが・・・。

 信じたいよね

そんなことあるかい、という気持ちもわかるし、そう信じてがんばろう、という気持ちもわかる。その言葉を言う立場、聞く立場。私は、今は、聞く立場なんだろうか。そして、そんなこと信じられない。いいことなんて何もないじゃないか。とだれかを責めてしまうのだろう。もし、自分が言う立場だったら。自信をもって言えるわけない。自分でも不安を感じながら、自分でもそうだろうかと疑問に思いながら、きっと良い言葉を書くのかもしれない。伝わる分けないよね。言う方が不安じゃあ、その心が言葉に出ていくよ。でも、おばちゃんは言う。「そう信じていくんだよ」って。おばちゃんだって、いいことがいっぱいあったわけではない。悲しい出来事のほうが多い。でも、未来にあるいいことを信じることが生きる力なんだと教えてくれる。「死ぬ」ということは、逃げてだれかに責任を押しつけて、まわりを悲しませて「ざまあみろ」と言っているのと同じ。なんてわがままなんだ。でも、つらいとき悲しいとき、だれかに声をかけてほしいよね。それが偽善でも欺瞞でも何でもいい。人は孤独が一番つらいんだから。

 公式サイト「待合室 -Notebook of Life-」

夜のピクニック

2008年10月26日 | ラブロマンス/青春

 
2006年 日本 117分
2006.10.6 バルト11 
   2007.8.24  wowow
   2008.10.19  DVD  with t

■監督 長澤雅彦
■出演
   多部未華子(甲田貴子)  石田卓也(西脇融)  
   郭智博(戸田忍)  西原亜希(遊佐美和子)  
   貫地谷しほり(後藤梨香)  松田まどか(梶谷千秋)  
   柄本佑(高見光一郎)  高部あい(内堀亮子)  
   加藤ローサ(榊杏奈)  池松壮亮(榊順弥)  
   近野成美(さくら)  嶋田久作(教師-藤巻)  
   田山涼成(校長先生)  南果歩(貴子の母)

 《story》

「特別なこの日なら、2人の関係をきっと変えられる」

「だれでも映画を観ている間は18歳にもどれます」

「みんなで夜歩く。ただそれだけなのに、どうしてこんなに特別なんだろう」


岐阜県の高校の「歩行祭」は、60kmをみんなで歩き、残り20kmを自由に歩く。合計80kmを朝から、次の日の朝まで24時間で歩く学校行事だ。
貴子は3年生で、最後の歩行祭。密かに賭をしていた。一度も話したことのない同じクラスの西脇融と話をすること。そこには親友の美和子や杏奈にも言えない秘密があった。貴子と融は異母兄姉だったのだ。転校した杏奈は「おまじないをかけた」という手紙をよこした。それはどういう意味なのか。深夜を過ぎ、60km地点で仮眠をとる。この後は自由歩行だ。貴子の夢はかなうのか。

◎まるで自分も歩いているような、気持ちのいい汗をかいているような、そんな雰囲気に飲まれていった。自分も歩いてみたくなった。何の意味もない80kmの道と時間が、実はとっても大きな心の輝きを作っていた。みんなで歩くことにこそ意味があった。ひとりで歩いたってしんどいだけ。いろんな話ができて、声がかかって、ひとりひとりのイベントがある。
私はできるだけ、ストーリーをあまり知らないで映画を見る。ラブストーリーだと思っていたら、二人は異母兄姉だなんて。避けあって当然かもしれないのに、あまりに意識しすぎて、いたたまれなくて、ただ普通の会話することが夢だなんて。押しつけでもなく、自然な成り行きを演出した杏奈ってすばらしい人かもしれない。
夜、ただ歩くこと。そういえば私にもそんな想い出がある。長い距離を歩いたわけではないが、夜歩くことって、何か不思議な力がそこにある。青春時代だけ感じる何かがそこにある。今は、それができないから感じなくなったのかも。今も、みんなで歩いたら何か感じるかな。

    2007.8.24  wowow

 ただ歩くだけなのに、どうして特別なんだろう
wowowで録画して、すぐに見た。それほど騒がれた映画でもなく、ヒットしたわけでもない。でも、私にとってどうしてこんなに特別なんだろうと不思議に思う。昨年の夏、予告編を見てこれはどうしても見たいと思った。それがバルト11だった。それ以外では上映していなかった。夜、レイトショーで見て、映画館を出たときの懐かしい香りが今でも忘れられない。ああ、いい映画を見たなあっていう満足した気持ちと、かつて自分の青春時代に仲間と夜騒いだことが重なった。楽しかった思い出がよみがえる。夜、みんなで歩く、というのは、若いときしかできないことで、よる多少の迷惑は省みないで夜好き勝手することも、若いからできること。これらが見事に重なった。恩田陸さんの作品を探して読んだ。これは外れだった。多部未華子という女優を意識し始めた。あまり演技がうまいとは思えない。でも、がんばれと応援したくなった。この映画は何度も見たくなる映画だ。

  2008.10.19  DVD  with t

 あれから二人はどうなったろう

子どもの高校で、夏休みの宿題で出たおすすめ読書の中に、この「夜のピクニック」があった。息子は、私の本棚から、この本を出して読んだ。感想文、原稿用紙4~5枚だそうだ。どんなことを書いたのか、見ていないのでわからない。映画でも見てみようということで、息子と見た。お互いを意識しながら、会話できない二人。歩行祭の終わりには笑いあって会話できるようになった。ゴールしたあと、次の日、それから何日かたって、どんな会話をするのだろう。今、「会話」というものに悩まされている私は、気になって仕方ない。次の日に、あれは夢だったんじゃないかと、二人は今までの二人にもどっていて、話しづらくなっていることはないのだろうか。二人のことが、クラスの話題になってしまって、顔を合わせづらくなってしまったということは起こらないのだろうか。大人になって、どちらが兄で姉なのかわからないけど、きょうだいとして合って会話できるのだろうか。二人は、ゴールしたのではなく、スタートラインに立っただけなのだ。けんかもできる、はぶてることもできる、あまえることもできる、相談し合ったり、泣き合ったり、いがみ合ったり・・・それができるようになったということが、二人にとって幸せなことなんだろう。そんな感情の絡み合いを怖がって、出会わなければよかったと思ってしまうことは、何よりも悲しいことであり、つらいことなんだと思う。

 公式サイト「夜のピクニック」


容疑者Xの献身

2008年10月26日 | サスペンス/ミステリー

2008年 日本 128分
2008.10.18 TOHOシネマズ緑井
■監督 西谷弘
■出演
   福山雅治(湯川学)  柴咲コウ(内海薫)
   北村一輝(草薙俊平)  松雪泰子(花岡靖子)
   堤真一(石神哲哉)  ダンカン(工藤邦明)
   長塚圭史(富樫慎二)  金澤美穂(花岡美里)
   益岡徹(葛城修二郎)  林泰文(柿本純一)
   渡辺いっけい(栗林宏美)  品川祐(弓削志郎)
   真矢みき(城ノ内桜子)

  《story》

「その謎を、愛そう」

花岡母娘は、離婚した夫から逃れ、落ち着いた生活をしていたのだが、そこにその元夫が現れる。金を無心し暴力をふるう。母娘は、こたつのコードで、その元夫を殺してしまう。隣の部屋に住んでいる石神は、その死体処理に手を貸す。河原で発見された死体は、顔や手が焼かれ、身元が分からなかった。しかし、乗り捨てられた自転車などから身元が判明。花岡親子の元に刑事がやってくるが、母娘は事件当日は映画に行っておりアリバイが成立。薫は湯川博士に捜査を依頼する。津川博士と石神は、大学時代の友人で、石神は「数学の天才」と言われていた。湯川博士は、この事件には石神がからんでいると、この事件に挑む。

 何も知らないで見るのがいいかも

東野作品はけっこう読んでいるが、ガリレオ関係の本はまだ一度も読んでいない。テレビ番組の「ガリレオ」も見ていなかった。けれどもこれはおもしろそうだという予感があった。映画を見る前に、ヤフーの映画総合評価やレビューを参考にする。おもしろそうと思っても、あまりに評価が低いとためらってしまう。でも、意図的に下げられていることもある。いい評価をしているレビューを参考に。映画館ではどんどん引き込まれていく。映画は冒頭のシーンで80%決まる。最初の20分がおもしろくなければ、ビデオだったら見るのをやめてしまう。映画館だと、最初がおもしろくなくても最後まで見てしまう。あとからおもしろくなることもある。

堤真一の石神がいいなあと思った。クライマーズ・ハイとちがって、陰気な役だけど、徹底して入り込んでいることがよくわかる。ただ、やっぱり強い彼の印象はぬぐえない。ガリレオと並んだ場面では、かつて悪いことをいっぱいした学生時代の仲間という雰囲気だ。それでも、彼でなければいけないような気になるから、徹底ぶりが雰囲気を滲みだしているのだろう。ガリレオや薫よりも、石神が主人公。だからこそ、題も「ガリレオ」ではなかった。「献身」という言葉の重みが、見終わって伝わってくる。

「忘れる」・・・さっき読んだ本の主人公の名前は何だっけ。あの場所はどこだけっけ。あの名前は何て言うのだっけ。話をするのに、大事なキーワードをすべて忘れてしまう。そして、ただ、あの本はおもしろかったよ、で終わってしまう。その本の内容を語り合うことができない。映画だって同じ。監督は誰だっけ、あの感動的なセリフ、思い出せない。無口になる原因はそこにもある。こうして記録に留めていても、監督も出演者も、名ぜりふも、何も語れない。記憶にない。好きな映画を語り合うことができない。具体的な単語が出てこないのだから。「アレ」で終わり。

 公式サイト「容疑者Xの献身」

未来予想図 ~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~

2008年10月25日 | ラブロマンス/青春

2007年 日本 115分
■2008.10.18 DVD
■監督 蝶野博
■出演
   松下奈緒(宮本さやか)  竹財輝之助(福島慶太)
   原田泰造(井上拓己)  西田尚美(井上苑)
   関めぐみ(村本美樹)  弓削智久(平尾稔)
   藤井美菜(宮本あすか)  加藤雅也(中嶋良郎)
   石黒賢(後藤大介)  松坂慶子(宮本陽子)

 《story》

「ほら、思ったとおりに、かなえられてく・・・」

宮本さやかと福島慶太は大学時代に出会った。自主映画のヒロインとして、ウエディングドレスのさやか。新郎役が突然出られなくなり、急きょ通りかかった慶太に声がかかったのがきっかけだった。さやかは印刷会社に、慶太は夢を追って建築設計の会社に入社。いつかの未来に幸せな結婚をするだろうとだれもが思っていた。ところが、慶太にスペイン行きの話が持ち上がった。あこがれのカウディの「サグラダ・ファミリア」。さやかと二人で行ったスペイン。しかし、それは期限のないさやかとの別れでもあり、慶太は断るつもりでいた。さやかは、そんな慶太に、「あなたと結婚するつもりはない」と言い放つ。一人慶太はスペインに旅立つ。
さやかの夢であった雑誌編集の仕事で、恋の叶う花火職人の取材をする。しかし、その職人は頑なに取材を拒否。仕事に熱中するあまり、家族を置き去りにしていた。さやかは、そんな職人の家族を結びつける。そして、自分も置き去りにした未来にけりをつけようとスペインに行くが、久しぶりに見た慶太のそばには妻子が。さやかはそのまま帰国。しかし、慶太はまだ独身で、そのときいた女性と子どもは知人の妻子だった。さやかがスペインを訪れたことを知った慶太は、さやかのいる日本に戻る。

 お互いに夢を追うことは

いつかちがう道を行くということなんだろうか。たとえ結婚したとしても、お互いの夢は交わることなく、しだいにすれ違っていくのだろうか。そうとも言えないかもしれない。おたがいの夢を尊重しあえたら、ふれあえるところを見つけるはず。関わらないようにすることとが尊重することではない。そっぽを向いて知らないふりをすることなど、あってはならない。さやかが慶太の夢を追ってスペインに行くように。慶太が、さやかもあきらめずに夢を追うことができるように、前向きにさせたように。

夢と実力はちがうよね。夢があっても実力が伴わなかったら、あきらめるしかないのだろうか。生活がかかっていたら、目をつむって進むしかないけど、そうじゃなかったら、いつまでもしばりつく必要はない。好きなことと実力も一致するとは限らない。夢を追いつつ、いつか自分に才能がないことに気づき、気づいたときには、それ以外の何にもないことに気づき、実力がないと知りつつ、そこから動けないでいる。何かできることってあるだろう。いや、何もない。夢を追うこと、そして生きることは、深く結びつくと思っていた。今もそうだけど、それは胸ふくらませて夢を追うこととはちがう。現実が見えていて、それでも進まなければならない苦痛をともなった未来だ。それでも、だれかが少しはいいとこあるよと、そんな目で見てくれたら、苦痛もやわらぐかもしれないけど。さやかも慶太も、未来は実力が花開き、ハッピーな未来が待っている。

 公式サイト「未来予想図 ~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」

あの子を探して

2008年10月25日 | 人間/社会派ドラマ


1999年 中国 106分
■原題「NOT ONE LESS/一個都不能少」
■2008.10.13 DVD
■監督 チャン・イーモウ
■出演
   ウェイ・ミンジ(本人)  チャン・ホエクー(本人)
   チャン・ジェンダ(チャン村長)
   カオ・エンマン(カオ先生)

 《story》

「遠い遠い空の下、元気でいてね、
                           迎えに行くから。」


中国の河北省の水泉小学校に、13才の代用教員ウェイがやってきた。カオ先生が1ヶ月休職され、その間の代わりに、村長が隣村から50元の契約で連れてきた。初めは黒板に書いたものを写させれるだけ。やんちゃなホエクーは飽きてしまってトラブルを起こす。厳しくしかった次の日、ホエクーは学校にこなかった。自宅を訪ねると、生活が苦しいために、町に働きに行ったという。ウェイは、みんなと相談し、町にでかけてホエクーを捜すことを決める。バス代を工面のために、みんなで煉瓦運びをする。しかし貯まらず、無賃乗車を企てるが、途中で降ろされる。ヒッチハイクで町までたどり着いたものの、ホエクーは行方不明になっていた。駅の放送を頼んだり、チラシを作ったりしたが、所持金も尽き、ホエクーを見つけることができない。テレビが効果的だと聞いたウェイは、毎日テレビ局を訪れる。しかし、紹介者のいないお金のないウェイは門前払いだった。何日も門の前で頼むウェイのことが局長の耳に入り、彼女のことを取り上げることになった。ウェイは、涙ながらにホエクーのことを訴えた。たまたまそのテレビを見ていた人がホエクーに知らせ、二人は再会を果たす。

 山間部はひどい

13才の代用教員だなんて、しかも初めてだなんて。一人で何をやろうとしたのか。あの教室もひどかった。学年なんてみないっしょだし、机も椅子も黒板もひどい。世界は広い、さまざまな境遇がある。日本の学校も別な意味でひどいけど、何を教えるべきかわからないひどさは、集まることの無意味さを感じる。
でも、あの子なりにがんばった。算数も字を書くことも大切だけど、仲間と協力したり、仲間を思いやることを、自然な形で教えてくれた。最初はお金が一番でも、それより人を大切にしてしまう自然さがいい。私なんか口で人を大切にしようといいながら、実はお金で動いてしまう典型的な人間だ。お腹をすかせ、寝泊まりするところがなくとも、自分の生徒を捜すウェイの姿は見習うべきだ。きっと私なら「待っている」だろうな。動かない。どうしようもないことだとあきらめる。人なんてどうでもいい。自分が食べられないのに、どうして人のことを心配できよう。身も心も貧しき人間なんだよ。この映画はまるでドキュメンタリーをみているような、現実と映画の間を行ったり来たりしているような不思議な感覚を味わうことができる。それでいて、あきらめない努力と、人々のさりげない優しさを感じることができる素晴らしい映画だと思った。


天国からの手紙

2008年10月21日 | ラブロマンス/青春


2003年 韓国 106分
■原題「A MAN WHO WENT TO MARS」
■2008.10.13 DVD
■監督 キム・ジョングォン
■出演
   シン・ハギュン(スンジェ)  キム・ヒソン(ソヒ)
   パク・ソヒョン(ソンミ=薬局)
   キム・イングォン(イ・ホゴル=スンジェの弟)

 《story》

「この地球に咲いた、一番きれいな恋でした」

ダムの底に沈む町。少女ソヒの父親は、「火星に行く」と言って亡くなった。 ソヒはそのことを信じて手紙を書き、ポストに投函した。スンジュは、ポストからその手紙を取り出し、返事を出す。少女ソヒとスンジュの奇妙な手紙のやりとりは続く。しかし、ある時、ソヒはソウルに引っ越すことになる。いつしか手紙は途絶える。17年後、大人になったスンジュは町の郵便配達の仕事についていた。久しぶりに故郷に戻ってきたソヒを向かえるスンジュ。彼の想いは純粋で一途だった。しかし、ソヒは都会の景色に染まり、都会に戻って行った。そして愛する人を見つけるのだが・・・。故郷から大事な物を届けにやってきたスンジュを冷たく帰してしまう。沈む村から出ようとするスンジュ。かつて幼い日々、ソヒと過ごした河辺。引かれるように川に入る。その川底には、ソヒがなくした靴。

 都会は人を変えるのか

田舎の人間は誰もが純粋だとは言えない。でも、コンクリートに囲まれた殺風景であったり、極端に派手で、虚ろだったり、都会はそれでなくても心が縮こまってしまいそうな雰囲気がある。自然の中で、緑豊で、水のせせらぎ、見ようと意識しなくてもふっと空を見てしまう。大地と空と緑と、自分もその仲間のような気がしてうれしくなる。そんな世界から自然の少ない都会に行くと、心が小さくなって、自分さえよければという気持ちになってしまう。子どもが福岡から関東に行ってしまって、ついつい荒んだ生活を想像してしまった。私の広島も都会だけど、私の家は山に囲まれた自然が身近に感じられるところだ。
ラストはスンジュとソヒが結ばれるハッピーエンドであってほしかった気がする。ソヒの心の中で本当の愛とは何かがわかってくる。後ろ向きになろうとしていたソンジュに差し出されるソヒの手・・・。でも、ソンジュがつかんだのは、昔亡くしたソヒの靴。ソンジュはいつまでも過去に縛られ、新しい世界には飛び出せない。川の底に沈んでいく。

後ろ向きになる。前向きになれない歪んだ世界。ソンジュの純粋さの裏には何があるのか。鈍感さか。それとも忍耐か。無垢な心とは、傷つくことを知らない心。一旦、その心が傷ついたら、なかなか立ち直れない。だから、傷つく前に後ずさりする。でも、結局、後ずさりしても、距離は離れるだけで、だれも手を差し伸べてはくれない。そのまま危うい場所にどんどん下がっていく。そして、いつも一人。ソンジュは、何をつかんだのだろうか。


ISOLA 多重人格少女

2008年10月19日 | ホラー

2000年 日本 94分
■2008.10.12 DVD
■監督 水谷俊之
■出演
   黒澤優(森谷千尋)  木村佳乃(賀茂由香里)
   手塚理美(野村浩子)  石黒賢(真部和彦)
   渡辺真紀子(高野弥生)
   寺島進   室田日出男

 《story》

「私の中にいる、13番目の悪魔」

阪神淡路大震災後の町に、ボランティアとして来た由香里。彼女は人の心のつぶやきが聞こえる超能力者だった。しかし、その力は彼女を苦しめるばかりだった。カウンセラーをしている浩子の元で、多重人格と言われる千尋と出会う。さまざま人格が現れ、13番目の「イソラ」という人格は凶暴で、自分も人も傷つけてしまう。震災で破壊された病院で、遊体離脱の実験をしていた部屋に入る。そこでは、高野自らが実験台となり、真部とともに実験が行われているときに震災が起きた。離脱したままの高野が千尋の13番目の人格として入り込んだのだ。高野を愛していた真部は自分の体の中に入るように説得する。真部は高野とともに飛び降り自殺する。

 また借りてしまった

ホラー映画を、しかも日本の映画を借りようとして、手に取った映画。実は以前にも見ていたのだった。見ていて、どこかで見たことがある映画だなと思いながらも、すっかり忘れているから、最後までみた。ヤフーの評価は星一つ。また見ることができたから星3つ。多重人格の特徴がもっと出てほしい。それがメインだと思うから。でも、メインは遊体離脱だった。それと人の心がわかる超能力。「イソラ」が入り込んだ人格。多重人格を副題にしているのだから、やっぱりそこに不思議さや恐怖を入れないとね。一人に人間が大きく変わった人格になるところが中心のはずだからね。

心が読める恐怖。若い頃、人の心が読めたらどんなにいいだろうと思った。でも、こうしてよく考えると、知らなくていいこともわかるってことだ。笑顔でいながら、心の中では罵っている。わからなかったらそれで済むことなのに、わかることで人が信じられなくなってしまう。人は聖人ではないから、いい顔いい心でいつもいられるわけじゃない。知らない方が、鈍感な方がいいのかもしれない。聞こえだしたら、みんなが自分の悪口を言っている声が、耳から離れないことだろう。心理学の本も買って、その道に進もうと思ったこともあったけど、カウンセラーが心の病で倒れてしまうようじゃ話にならないよね。

同い年の家庭教師

2008年10月19日 | ラブロマンス/青春


2003年 韓国 114分
■原題「My Tutor Friend」
■2006.7.22 wowow
 2008.10.11 DVD 
■監督 キム・ギョンヒョン
■出演
   クォン・サンウ(キム・ジフン)  
   キム・ハヌル(チェ・スワン)  
   コン・ユ(ジョンス)  キム・ジウ (ホギョン)

 《story》

女子大生のスワンは短気でおっちょこちょいで、家庭教師のアルバイトが長続きしない。母の紹介で、今度すぐにやめたら許さないと言われ、覚悟を決めて再び家庭教師のバイトに出かける。今回は金持ちの息子で、バストイレ付きの豪華な自分の部屋を持った高校生だった。彼の名はジフン。2年間の留年があるため、スワンと同級生だった。ジフンはわがままで、暴力的で、勉強しようとしなかった。しかし、お金だけが目的でなく、なんとか勉強させようとするスワンに、ジフンは次第に好感を持ち始める。あるとき、ジフンは暴力事件を起こし、父親から留学させられそうになる。そしてカードも取り上げられそうになる。そこで必死に勉強して平均50点を目指すのだが・・・。

コメディだけど、ただ笑わせるだけでなく、心にしみるような場面もある。それが韓国映画の良さかもしれない。ひと味ちがった彼女に、ひと味ちがった彼が出会う。だからこそ、お互いに惹かれ合う。わかっていても、おもしろい。同じパターンの最後はハッピーエンドだとわかっていても、素直にうれしくなってしまう。もし、これが最後が別れの場面だったら、きっと楽しくならないだろう。あんな暴力は実際にはありえないけど、最後はスワンが強敵を倒して二人が結ばれるという落ちがなんとも愉快だ。

 2008.10.11 with r

 ちょっとものたらないかな

見たいと言うことで見たけど、本当はあまりおすすめではなかった。たぶん、クォン・サンウが出ているだけで選んだのだと思う。前回は4つ星だけど、今回2度めは3つ星かな。もう見たくないな。前回思った切なくなる場面ってどこだっけ。

家庭教師は3度やったことがある。1度目は小学6年生の女の子だった。初めて教えるということをやった。結局何の計画性もない、今と同じ中途半端な感じがする。教え切ったという満足感はない。問題を解くのを手伝った感じだ。もう一人は中学生だ。この子も同じ。漢字ができない子だった。下宿まで連れてきて勉強したこともあった。でも、やっぱり今と同じ時間はかけたけど、何の成果も満足感も得られなかった。やってもやっても身にならない学習。やった気がしない学習。山口の光から防府まで通ったこともあった。振り返れば反省だらけ。