■2008年 日本 115分
■2008.4.26 シネツイン1
■監督 冨樫森
■出演
竹野内豊(深沢雅仁) 水野美紀(深沢慶子)
広田亮平(深沢英治) 吉田里琴(深沢絵里奈)
小池栄子(ユリコ先生) 中嶋朋子(笠井玲奈)
品川祐(高橋勇雄) 小日向文世 (福田正幸)
《story》
「君は僕を、強くも弱くもする。」
「いつか心が壊れても」
写真館を営む父、リトミック教室で働く母、お腹には新しい赤ちゃん、無邪気で元気いっぱいの妹の絵里奈、そして小学校4年生の英治。誰もがうらやむ幸せな家族に突然不幸はやってきた。ホームセンターに買い物に出かけた兄妹が交通事故に遭った。英治は奇跡的に助かったが、妹の絵里名は死んでしまう。それ以来、家族は一変、泣いてばかりいる母、暗く沈む父、笑顔の消えた家の中で、英治だけが明るく振る舞おうとする。母はそんな英治を見て元気を取り戻すが、父は立ち直れない。妹が死に自分を責めていた英治は家を飛び出す。父が撮った写真のあの思い出の場所へ・・・。
強くなりたい
家族の中で一番弱いのは父親かもしれない。一番強くありたいと願いながら、一番もろく崩れやすいのかもしれない。それは家族を大切に思っている証拠だろう。ああしたいこうしたいと願いや思いがいっぱいある。でも現実にはそれが実現できず悩む。子どもを比べる、選択することはできない。ひとりひとりが大切だ。でも、死んだ子どもは忘れられない。生きている子どもも大切だけど、見えなくなった子どもの影を追い求めてしまう。あの子はどこに行ったんだと捜してしまう。
竹野内豊の父親は、何だか不安定だった。悲しさは伝わってくるけど、楽しさや立ち直ったときの意欲が伝わってこない。形ばかりが目立って、心を感じない。私には、「がんばって」と心の中で思ってしまうような演技に感じられた。今までのイメージが強いからだろうか。彼の背中には悲しさがいっぱい。それは彼がもっている自然と漂う雰囲気だ。それを超える演技がないと、楽しさがしらじらしく感じる。心底楽しんでいるように感じないのは私だけだろうか。だから、英治の気持ちに気づいたときの驚きも反省も強く感じない。淡々としている。好きな俳優なので歯がゆい思いで見てしまった。
子どもの死について、今まで何度も考えたことがある。病気になったとき、悪くなって死んだらどうしよう。階段から落ちて怪我をしたら・・・交通事故にあったら・・・いじめにあったら・・・今のところみんな無事に生活している。だれ一人失いたくない。巣立っていくのはさみしいけど、自立する子どもは喜ばなければいけないのだ。いつまでも無邪気な小学生の姿ではないのだ。
公式サイト「あの空をおぼえてる」
■2001年 日本 113分
■2008.4.25 日本映画専門チャンネル
■監督 田中光敏
■出演
椎名桔平(小三馬) 菅野美穂(青野純江)
池脇千鶴(沼田時子) 佐野史郎(北沢宏介)
柴田理恵 (純江の母=うめ)
柴咲コウ(中津小夜)
大杉漣(森山五郎) 菅井きん(トメ)
あき竹城(ふさ) 奥貫薫(小吉の母)
田中邦衛(青野茂蔵)
《story》
「人生を変える、化粧があります」
大正初期、東京の下町、少しばかり変わり者の化粧師小三馬は、上流階級や芸者の女を相手に化粧を施し商売にしていた。彼に化粧をしてもらえばいいことがあるという噂があり、女優志願などの何か事を起こそうとする女たちも、彼の元に訪れた。ある日、小三馬は呉服店の下働きをしていた時子と出会う。時子が、字を覚えようと本屋に寄ったとき、小三馬は本を贈る。時子の夢は、火事で焼け出されたバラックの子どもたちに、本を読んで聞かせることだった。しかし、そこに役人が押し掛け立ち退きを迫った。時子は執行書を奪い、小三馬の元に逃げ込む。小三馬は彼女を変装させて逃がす。小三馬に思いを寄せながら別な男と結婚することになった純江の化粧をした小三馬が、時子を逃がしたとして役人に連行されそうになった。時子の父親が体を張って止めさせたものの、小三馬が聾唖者であることがわかった。しばらくして時子が役者養成学校の試験を受けることになり、小三馬が化粧をする。
見かけで人は変わる
中身は同じと言いたいけど、そうでもない。ボロの服を着てたら気持ちが荒むし、高価な服を着ていたら背筋が伸びて積極的になる。周りの視線を意識しているからだろう。周りが何も思わなければ、何を着ていても関係ない。人間の文化の発達に伴い、自分がどう見られるかが、自分の心の強さを深さを柔らかさを変えてしまう。その人間の良さを出せればいいけど、その反対なら力が出せなくなってしまう。
耳が聞こえなかった小三馬には驚いた。写真屋で顔にやけどを負った女性に高額をふきかけている場面で、小三馬が何も言わなかったので、そういう人間かと思ってしまった。でも、下働きの時子や話ができない少年など、周りの人たちに優しかった。それに、ただお金儲けのためだけに化粧しているのではなかった。だんだんと好感を持ち始める。化粧してもらうと「いいことがある」という噂がなぜ流れたのかわかってきた。バラックの人たちを追い出そうとしている役人には腹が立つ。権力をかざす人間は嫌いだ。人間は見かけじゃない。住んでいるところや着ているもので、人の価値は決まらない。人の良さを引き出す道具なのだと思う。でも、かき回されるよね。
帽子ひとつ、自分に合ったものを選べないなんて、センスがないというか自分がわかっていないというか。いくつも帽子を買っているけど、家に帰ってかぶった姿を鏡で見るといやになる。
■1959年 日本 白黒 48分
■2008.4.21 日本映画専門チャンネル
■監督 新藤兼人
■出演
加地健太郎(青山先生)
宇野重吉(校長先生)
水戸光子 殿山泰司
《story》
広島県三原の小学校。周辺の町では、子ども達の落書きに困っていた。青島先生は、ただ子ども達の落書きを止めさせるのではなく、何かいい方法はないかと考えた。そこで、今は使っていない黒板を「らくがき黒板」として、教室の後ろに設置した。そこには自分の意見や日々の生活で思ったことなど何を書いてもよかった。子どもたちの落書きから始まり、子どもたちの夢が書かれた。そしてある朝、男の子たちの間で流行っているブロマイド返しの遊びへの批判が書かれていた。お金をせびられる母親の願いだった。子ども達は、気持ちはわかるがやめられず、何かいい方法はないかと考えた。足の不自由な女の子が、単語カードでしたらどうかと提案。先生も、ローマ字を書いたら覚えることもできて一石二鳥だと進める。家で、必死になって単語カードに書き込む子ども達。勉強を始めたと喜ぶ親たち。謙虚だった足の不自由な女の子が、近くの山に登りたいと自分の願いを行った。先生と子ども達は彼女に声援を送りながら、山に登る。
なかなか見ることができない映画
新藤兼人と言えば、近くの小学校の出身だと聞く。昨年、最新の映画の撮影がそこで行われた。95歳の高齢での映画制作だと聞き驚いた。名前はよく聞くけど、彼が作った映画を見る機会がない。この「らくがき黒板」はビデオにもなっていない。こうしてケーブルテレビでしか見ることができない。
映画館で見て楽しいかどうかと言われたら評価はできない。しかし、三原という郷土での撮影だと聞けば見たくなる。白黒ながら町の様子を懐かしく眺める。教育の立場から考えて見ると、地域の人がいかに寛大だったかがわかる。現代では落書きがあれば、学校には非難の声、警察も動き、地域が不安定になる。落書きの質にもよるが、笑ってすまされない落書きに変わってきていることも事実だが、寛容さも失ってきていいる。昔のほのぼとした学校、地域を感じた。新藤兼人の作品を機会があればまた見てみたい。
■2006年 日本 118分
■2008.4.19 日本映画専門チャンネル
■監督 熊澤尚人
■出演
市原隼人(岸田智也)
上野樹里(佐藤あおい)
蒼井優(佐藤かな=妹) 酒井若菜(麻倉今日子)
鈴木亜美(久保サユミ) 相田翔子(森川千鶴)
小日向文世(佐藤安二郎)
佐々木蔵之介 (樋口慎祐)
《story》
「近くにいたのに」
あおいの友達をストーカーしていた智也。いつか無邪気な智也を、あおいは自分が作っている自主映画制作に誘う。あおいはいつでも単純に人を好きになる智也の手助けをして、智也もまたあおいを頼っていた。社会人になったあおいは、監督を目指して留学を考える。久しぶりにあった智也に、自分の気持ちを伝えるが、自分のことを友達としか見ていない智也に落胆する。アメリカに渡ったあおい。恋人と別れたばかりの智也。智也は、まっすぐな不思議な虹の写真をあおいに送る。その日、あおいが乗った飛行機が墜落する。遺骨となって帰ってきたあおいの家で、大学時代に撮った映画を見る。渡されたあおいの携帯。智也の中のあおいは・・・・。
こんなに気づかないことってあるのだろうか
見えているけど見えないふりをしているのだと思う。それはある。一番気になる存在だけに、一番表に出さないようにしていまうことはある。自分の気持ちって、人を愛しているかどうかってわからないことってあるのだろうか。一番身近にいる人は、いつでもそばに居て欲しいと思う。都合良く、助けてほしいときだけ頼って、それ以外は眼中にない。それではあおいの心が切なくて仕方ない。映画だから死んでしまったけど、死んでしまって初めて気が付く切なさがあった。でも、現実には留学の話が出たときに気づくよ。彼女が遠くに行ってしまったときに、会えない現実に自分の気持ちは揺れるよ。智也は単純に人を好きになったのではなく、ただ遊んでいただけのような気がする。本当の恋愛が出来ていなかったのだ。本当の愛する心がわかっていなかったのだ。ビデオ屋の女性も映画の女性も出会いの女性も、うわべだけで本気ではなかった。単純なようで不器用だったのかもしれない。結局死んでしまって初めてわかる気持ちって、それからどうにもならないわけだから、つらいだけだね。
公式サイト「虹の女神 Rainbow Song」
■2004年 韓国 126分
■原題「WHEN SPRING COMES/SPRINGTIME」
■2008.4.18 movie plus
■監督 リュ・ジャンハ
■出演
チェ・ミンシク(イ・ヒョヌ)
キム・ホジョン(ヨニ=元恋人)
チャン・シニョン(スヨン=薬剤師)
キム・ガンウ(ジュホ)
ユン・ヨジョン(ヒョヌの母親)
イ・ジェウン(ジェイル)
チャン・ヒョンソン(ギョンス)
《story》
「失敗したって いいじゃないか」
楽団への夢を追うイ・ヒョヌ。なかなか思うようにはいかず、音楽講師として生計を立てていた。その苛立ちを恋人にぶつけてしまい、二人の関係にも溝ができた。息子を心配する母親も疎ましく感じられる。イ・ヒョヌは、田舎の中学校が、吹奏楽の顧問を募集している公告を見つけ、向かう。かつては入賞していた楽団も今は学校のお荷物。入賞しないと廃部になってしまう。生徒達と触れあううち、イ・ヒョヌの心の中に何かが生まれた。おばあさんと二人で、苦しい生活をしているジョイル。彼のために、夜のバイトを始めるイ・ヒョヌ。父親の反対で、吹奏楽部を辞めさせられたヨンソク。炭坑の入り口で、吹奏楽部を率い演奏するイ・ヒョヌ。次第にイ・ヒョヌと生徒の心は強く結ばれていく。彼を心配し、訪ねてくる母、そして恋人のヨニ。大会の日、イ・ヒョヌの顔も生徒の顔にも笑顔があふれていた。
だれかのためにがんばっているとき
身近な人は見えなくなることが多い。でも、だれかと出会い、その人のために少しくらい苦労してでも役立ちたいと思うことがある。その人が自分よりもたくさんの苦労をし、努力している人なら、もっと心を動かされてしまう。そして自分のこだわりが、なんてばかげたものだったのか痛感する。恋人や母親は甘えてしまうだけ。離れてみることが、近くて見えなかった思いやりを感じさせてくれた。思うようにいかない人生、ついつい身近な人にやつあたりしてしまう。でも、彼女たちは彼を見捨てなかった。だからこそ、彼は戻っていったのだと思う。「失敗したっていいじゃなか」とは、周りの人が温かく見守っていてはじめて成り立つこと。突き放されたら、失敗はただの失敗だ。彼が感じたことを、生徒を見守ることで実現した。寄り添う人を想う心を実感した。形だけじゃなかった。仕方なくではなく、心からそうしたいと願った。それが「春」のあたたかさだと思った。
公式サイト「春が来れば」
■2004年 アメリカ 100分
■原題「BIRTH」
■2008.4.15 movie plus
■監督 ジョナサン・グレイザー
■出演
ニコール・キッドマン(アナ)
キャメロン・ブライト(ショーン少年)
ダニー・ヒューストン(ジョゼフ)
ローレン・バコール(エレノア)
アリソン・エリオット(ローラ)
アーリス・ハワード(ボブ)
アン・ヘッシュ(クララ)
ピーター・ストーメア(クリフォード)
テッド・レヴィン(コンテ)
カーラ・セイモア(コンテ夫人)
ミロ・アディカ (ジミー)
《story》
「愛してる。何度生まれ変わっても」
ニューヨークで暮らすアナは、10年前に最愛の夫ショーンを亡くしていた。その悲しみから抜け出し、再婚を決意。婚約パーティーの席に10歳の男の子が現れる。そしてその男の子は、自分はショーンだと名乗り、君の夫だと告げる。そして結婚をするなと言う。婚約者のジョゼフは、階下に住むその少年に、二度とアナに会わないように話すが受け入れない。アナは次第にかつての夫ショーンと少年を重ねて見始める。少年が、アナと亡くなった夫のショーンしか知らないことを話し、ますます心を揺さぶられる。しかし、クリフォードはあの少年はショーンではないと主張。かつてショーンとクララは浮気をしていて、アナが送った手紙をクララが持っていた。それをばらしてやろうと婚約の席に持っていこうとして止まり、近くの公園に埋めた。少年はそれを掘り出し読んでいた。少年は、ショーンの生まれ変わりか、それとも成りすましか・・・。成りすましとしても、これほどの演技ができるものだろうか。アナは少年と二人で暮らすことを決意したが・・・。
少年はほんとにアナを愛してた
生まれ変わりではないにしても、きっとアナに憧れアナの心を自分のものにしたかったのだと思う。初めは、亡き夫のショーンに成りすまして近づこうとしたのかもしれないが、自分でも暗示にかかったように、生まれ変わりだと思いこんでしまった。必死にアナの心を自分に向けようとする。しかし、アナが自分に心を向けたとき、少年の心に少年としての自分がもどってきた。少年も自分がやっていることがわからぬまま、気持ちの赴くままどんどん先に言動が行われていったのだろう。だから、本気の目だし、真剣んなんだ。アナはその真剣さに心を奪われていく。「愛する」って何だろう。どうんな心模様なんだろう。アナは、かつて夫ショーンを初めは少年に見たけど、次第に愛し始めたのは少年そのものだったのかもしれない。
「愛する」ことから遠ざかっているような生活。愛せない乾いた心。いつも飢えているだけで、わき上がるときめきのない老いた心。素直な純粋な愛は、若くても老いてもありうるものだと思う。再び心躍らせる日々が来ないものか。
公式サイト「記憶の棘」
■1950年 日本 88分
■2008.4.12 BS2
■監督 黒澤明
■出演
三船敏郎(多襄丸) 京マチ子(真砂)
志村喬(杣売) 森雅之(金沢武弘)
千秋実 (旅法師)
《story》
荒れ果てた羅生門で雨宿りする二人。そこに駆け込んできた男に、僧と村人の二人は放心状態で「わからない、わからない」と何度もつぶやく。男が聞いた二人からの話は、盗賊の多襄丸が侍夫婦を襲い、夫を縛り妻を強姦した。その後、夫が刺されて死に、妻は逃げた。この事件の証言がそれぞれ食い違っていた。多襄丸は、自分が殺したという。逃げた妻は、夫に罵られ自分が殺したという。死んだ夫は、霊媒師の口を借りて、妻が盗賊に着いていくといい、自殺したという。どれが真実かわからず悶々としているところに、捨て子を見つける。男はその赤子から衣服を盗む。村人はそれを非難するが、侍の剣を盗んだのはお前だと指摘され頭を垂れる。唖然とした僧は、だれも信じられない気持ちとなる。しかし、村人はその赤ん坊を自分が育てると、抱き寄せる。僧はその言動に希望を見る。
真実なんてないのかもしれないね
人の話を聞いていると何が本当なのかわからなくなることがある。自分が見たことが本当なのかも怪しくなることがる。「見たんだから」と言っても、錯覚であることもある。見間違うこともある。自分が見たから正しいとは限らない。それは人も同じ事。世の中のさまざまな事件で、「やった」「やってない」と相反する答弁。どちらが真実か。人相や態度で判断してしまう。見た目で嘘か真実かはわからない。でも、目の動きやちょっとした表情や態度で、人の心を読む人もいる。私は、人も自分もどんなに見つめても真実は見えてこない。人も自分も疑うばかりだ。そんな中で、人に優しくする行動を見たときほっとするのだろう。あの村人が、本当に赤ん坊をちゃんと育ててくれることを望んでいる。僧にはいいこと言って、あとで赤ん坊を捨てたり虐待したりしているとしたら、世の中だれも信じられなくなる。
■2008年 日本 120分
■2008.4.12 サロンシネマ2
■監督 田中誠
■出演
夏帆(荻野かすみ) ゴリ(権藤洋)
石黒英雄(牧村純一) 徳永えり(野村ミズキ)
亜希子(松本楓) 岩田さゆり(青柳レナ)
ともさかりえ(黒木杏子) 間寛平(荻野知恵蔵)
薬師丸ひろ子(瀬沼容子)
《story》
「合唱って、スゴイ。
きっとあなたも歌い出す、感動のハーモニー」
北海道にある、七浜高校合唱部のかすみは、自分のルックスと歌唱に異常なまでの自信を持った女の子。ある時、あこがれの生徒会長から歌っている姿を写真に撮りたいと言われ有頂天になる。しかし、見せられた写真を「産卵中のさけのようだ」と言われショックを受ける。自信をなくしたかすみは合唱部をやめる決心をして、顧問に申し出るが、最後の夏祭りだけは出ないさいと言われる。やる気のない歌い方を見た、湯の川学院高校のヤンキー合唱部の権藤がかすみに渇を入れる。そして、かれらの、荒いが気持ちを全面に出す歌い方に感動する。権藤たちに激励されたかすみは、素直に歌いたい自分を発見する。ピアノの伴奏のページめくりでもいいと合唱部に復帰。地区予選大会に向けて練習を始める。
合唱のすばらしさを素直に感じる
しかもコミカルに、心の内面もつきながら、みんなで歌うことの素直な喜びを味わうことができる。歌うことが好きな人の心と、歌うことが苦手な人の心のぶつかりあい。好きな人には苦手な人の気持ちはなかなかわからないかもしれない。私自身もそうだった。音痴な私は、音楽の時間にみんなの前で歌うテストが大嫌いだった。みんなと歌うのは好きだったんだけど、テストで一人歌ったとき笑われて以来、大嫌いになった。それがある日、高校の合唱部に誘われたのだから驚きだ。「ただ立っとくだけでいい。男子が少ないので」と言われ承知した。でも、立っとくだけなんてありえないよね。練習させられることに・・・。そしてNHKのコンクールの舞台に立つことに。音痴は変わらないが、歌うことの楽しさを知った。私も練習すれば少しは歌えるんだと思った。歌というのは、人間が生きている生活のリズムそのもの。そしてみんなでたくさんの人と歌いたがっている。そんな気がする。だから、ラストの会場みんなでの大合唱は感動した。
公式サイト「うた魂(たま)♪」
■2004年 韓国 96分
■原題「A FAMILY」
■2008.4.11 muvie plus
■監督 イ・ジョンチョル
■出演
スエ(ジョンウン) チュ・ヒョン(チュソク=父)
パク・チビン(ジョンファン=10歳の弟)
パク・ヒスン(チャンウォン=かつての弟分)
オム・テウン(ドンス) チョン・ウク (ビョンチョン)
《story》
「3年ぶりに再会した父娘の
かけがえのない《最期の10日間》」
「娘は父の「命」を救いたかった。
父は娘の「未来」を守りたかった。」
3年の刑期を終え、家に帰ったスエ。弟の10歳のチュソクは、姉が日本に留学していたと教えられ、帰ってきた姉を大いに喜ぶ。しかし、年老いた元警察官の父は「なぜ帰った」と冷たい。片目がつぶれた父は、警察官をやめて魚商売をしていた。6年前に母が死んだのは父のせいだと思っているスエは、父を嫌っていた。スエは、美容院で働くようになり、いつか自分の店を持つことを願っていた。かつての仲間の弟分のチャンウォンを訪ねたスエは、彼がボスとなって組織を経営し、彼の事務所から大金を奪ったとして、そのお金を返すように要求される。チャンウォンは、美容院で脅しをかけたり、スエの父や弟に手を出そうとする。家族に迷惑をかけまいと自分の力で切り抜けようとするスエ。白血病で余命を宣告され、犠牲になっても娘を守ろうとする父。今明かされた真実と困難な現実を前に、心を通わせ始めた父と娘。
小さな子が温もりを作る
あの10歳のチュソクの存在は大きいと思う。あの子がいるから、スエも家に帰ってきたのだ。父親だけなら、きっと家には帰らない。誤解したままどこか遠くで生きるだろう。真実を知らぬまま生き続けるかもしれない。父の優しさを知らぬまま。しかし、あのやくざのボスはいやだね。人を不幸にして喜ぶ人間は大嫌いだ。刺されて当然、殺されて当然だと思う。でも、殺す人間をも不幸にするから最悪。父親が身代わりになって、娘のスエと10歳の息子のチュソクは幸せに暮らせるようになったけど、チュソクが大きくなって青年になって、このときの出来事を考えるようになったら、また大きな波乱がくるような気がする。本当のハッピーな生活は、いくつもの大波を超えなければやってこない。
蚊帳の外というのは寂しいものだ。何のために生きているのだろうと、ふっと疑問に思い不安になる。もう夢もそれほどのものもないし、安住の地というものが恋しいけど、到底難しい。私の未来はただ生きていくだけの孤独の毎日なんだろう。世の中の動きを見ても、未来の幸福は考えられない。動けなくなったら、だれかそっと眠らせて欲しいものだ。
■1999年 アメリカ 127分
■原題「GIRL, INTERRUPTED」
■2008.4.5 wowow
■監督 ジェームズ・マンゴールド
■出演
ウィノナ・ライダー(スザンナ)
アンジェリーナ・ジョリー(リサ)
クレア・デュヴァル(ジョージーナ)
ウーピー・ゴールドバーグ(ヴァレリー)
《story》
「探しに行こう
心にできた暗闇を、埋めてくれる何かを」
大学に進学しないのは自分だけ。自分でも自分がわからず、大量のアスピリンを飲み自殺未遂。両親からも理解されず、精神病院に入院させられる。そこには、顔にやけどを負った子、鶏肉と下剤しか摂取しない子、病的な嘘つきな子など、さまざま少女が入院していた。スザンナは脱走の常習犯のリサに惹かれ、ともにカルテを盗み見たり、館内の秘密の場所で遊んだり、共に行動することが多くなった。ある時、リサと逃亡し、退院していた友人の家に行く。そこでリサは、その友人が抱え持つ問題を指摘する。友人はその晩自殺する。スザンナは何もできなかったことを悔い、自分の思いを看護士に相談するようになる。そしてリサと離れ、心の安らぎを得る。退院しようとしているスザンナを前に、リサは彼女の日記を読む。スザンナはリサに「あなたは死んでいる」と言い放つ。ベッドに縛られたリサは、スザンナに涙を流しながら「私は死んでいない」と言う。退院したら会おうと優しく答える。
心の迷路に迷い込む
きっとだれもが迷い込む年齢なのだろう。17才と言えば高校2.3年生。自分を見つめ、将来を重ねる時期だ。そこで心の迷路に入り込み出られなくなるとこともある。自分が何かをしたくて何をしていいかわからず、自分で歩きたくて自分では歩けない。自分の思いの中で葛藤を繰り返す。誰かの呼びかけも耳には入らない。何が出口に導いてくれるのだろうか。それは自分の心を大きく動かす他人なんだと思う。人を想う心だと思う。自分と人の心がつながっていて、人の心に感動できたとき、自分の心の呪縛から解放されるのだと思う。その感動が、優しさであり思いやりであったなら、自分の心の困難を乗り越え、人を大事にできるような気がする。
もしかしたら私はあのときの葛藤から未だ抜け出せないでいるのかもしれない。自分の心の迷路から出られなくなっているような気がする。だれかが言った「自己矛盾」という言葉がいつもよみがえる。思いを超えられない。少し遠出をしたらすぐに自分に戻ってしまうような、大きくはばたけない自分。他人を思いながらいつも自分が大事で最後は自分だけの世界に落ち着く。心の迷路は17才だけのものではない。いつもどこかで口を開いている迷路は、何歳になってもそこにある。
公式サイト「17歳のカルテ」