そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

キャッチ ア ウェーブ

2007年12月30日 | ラブロマンス/青春

2006年 日本 116分
■2007.12.26 wowow
■監督 高橋伸之
■出演 
   三浦春馬(佐々木大洋)  加藤ローサ(ジュリア)
   木村了(小林誠人)  濱田岳(田口浩輔)
   三船力也(ニック)  西宮佑騎(サーファー)
   高樹沙耶(貴子)  とよた真帆(ジュリアの母)
   坂口憲二(マーク)  竹中直人(デューク川原)

 《story》

「僕らは出会ってしまった。一生を変える一夏に--」

高校一年生の夏休み。大洋と誠人と浩輔は、湘南の海にいた。サーファーのかっこよさに目を奪われた。浩輔の別荘で寝泊まりするはずが、鍵をなくして砂浜で一夜を明かす。朝、パンツをはぎ取られたおじさんを連れて帰ったところが、サーファーショップ。彼らはそこでバイトをしながら、サーフィンを教えてもらうことになる。大洋は、ローラーボードの修理にきたジュリアに一目惚れ。おじさんのパンツをとった3人の金髪サーファーは、彼らを目の敵にする。そして、台風がやってきた海の荒れた日、金髪ニックと大洋のサーファー対決が・・・

 この物足らなさは何だ
実際にサーファーをしている映像と登場人物たちとの差が激しすぎる。それらが別物だとすぐにわかってしまう。彼らが本当にサーファーをしていないだけに、間近に見るサーファーの迫力に迫れない。大きな波に乗るサーファーたち。突然穏やかな海に漂う登場人物たち。激しい落差。登場人物たちが本気でチャレンジして迫力がでるものだろう。「フラガール」のように実際に踊るから言いたいことが伝わってくるのだ。サーファーがメインでありながら、登場人物たちが本当にしないのは見る者をバカにしている。題材はいいのにスカスカの映画でした。

 公式サイト「キャッチ ア ウェーブ」

私たちの幸せな時間

2007年12月29日 | ラブロマンス/青春

2006年 韓国 124分
■原題「OUR HAPPY TIME」
2007.9.22 サロンシネマ2
  2007.12.23  DVD 
■監督 ソン・ヘソン
■出演
   カン・ドンウォン(チョン・ユンス)
   イ・ナヨン(ムン・ユジュン)
   カン・シニル(イ主任)
   ユン・ヨジョン(シスター・モニカ)
   キム・ジヨン(パクおばさん)
   チョン・ヨンスク(ユジュンの母)
   チャン・ヒョンソン(ユチャン=ユジョンの兄)
   オ・グァンノク(死刑囚2896)

  《story》

「死刑囚の男と自殺願望の女。
   人生の果てに訪れた、奇跡のような“幸せな時間”」


貧しい少年時代を過ごし、殺人を犯した死刑囚のユンス。裕福な家庭に生まれながら、叔父に暴漢を受け、それを見てみぬふりをした母を許せない、3度も自殺未遂したユジュン。ユジュンは叔母のシスターに連れられ、刑務所の囚人を慰問する。「愛国家」をかつて歌手として歌ったユジュンに会いたいというユンスの願いをかなえたかったからだ。しかし、ユンスは心を開こうとしない。ユジュンも素っ気ない素振りを見せる。ユジュンは、シスターに頼まれ、毎週木曜日にユンスに会いにいく。初めは離れていた二人は、少しずつ近づき、お互いの胸の内を語り始める。そして、ユジュンは写真や手作りの弁当を持っていくおゆになり、ユンスもこの時間を楽しみにするようになる。二人の幸せな時間は、彼らにもっと生きたいという気持ちにさせた。しかし、その終わりは突然やってきた。ユンスの死刑の執行が決まった。

 限りがあるから幸せと感じる
もうないんだということが、それまでのことをどんなに幸せに感じさせてくれることか。制約があればあるほど、それを越えようとする心の結びつきは大きい。貧乏でもお金持ちでも、心の傷は不幸を思わせる。幸せは、だれかと心がつながったときに感じることができる。こんな幸せな時間は、たとえどんなに短く限りがあろうとも、とても貴重だと思う。「生きていたい」「生きていてよかった」と思える時間。自分の存在が輝く時間だと思う。きっとだれにでも幸せな時間はやってくる。それは永遠には続かない。儚い時間だから幸せを感じることができる。1枚の写真に、決しておいしいとはいえない弁当に・・・。
劇場は女性が多かった。私は誰かを見にいくような映画は見ない。内容がよければ、その俳優も好きになる。カン・ドンウォンは「1%の奇跡」で見た。あの雰囲気は全くない。ラストの執行の場面は涙がいっぱいあふれてくる。彼の恐怖が伝わってくる。執行の前の最後の食事で、ごはんをつまらせ、「死ぬかと思った」というジョークは、笑えないどころか悲しみが大きく広がった。

   2007.12.23  DVD 

 反省の心で罰を受けること
自分の罪を悔い改めて死刑になるとしたら、それは安らかに受け入れられるかもしれない。でも、自分の罪を心から反省し悔い改めている人を死刑にするとしたら、それはもしかしたら犯罪かもしれない。いや、あのボタンを押す人のことを考えたら、簡単に死刑にはできなくなる。良心がある人ほど、あのボタンは押せない。合法的な殺人だからだ。今まで、死刑はいいとか悪いとか軽く意見していたけど、実際にその死刑を宣告する人、死刑執行を命令する人、連れ出す人、準備する人、ボタンを押す人、後始末をする人・・・そんなことを考えたら、そこに関わる人の心の中がどれほどのものか見えてきて、いたたまれなくなる。言うは簡単、実際に実行する人の苦悩は計り知れないもの。まるで戦争と同じ。戦争を起こさせるは簡単、実際に前線で実行する人の苦しみは莫大なものだ。
心が通じ合えた二人なのに、それが引き裂かれる悲しみは、これからも続くのだろうか。それとも通じ合えた幸せをいつまでも感じ続けることができるのだろうか。

 公式サイト「私たちの幸せな時間」

ナニー・マクフィーの魔法のステッキ

2007年12月29日 | ファンタジー/アドベンチャー

2005年 アメリカ/イギリス/フランス 99分
■原題「Nanny Mcphee」
■2007.12.17 wowow
■監督 カーク・ジョーンズ
■出演
   コリン・ファース(セドリック・ブラウン)
   エマ・トンプソン(ナニー・マクフィー)
   ケリー・マクドナルド(エヴァンジェリン=使用人)
   アンジェラ・ランズベリー(アデレード)
   セリア・イムリー(クイックリー夫人)
   デレク・ジャコビ(ホィーン)
   イメルダ・スタウントン(ブラザウィック夫人)
   トーマス・サングスター(サイモン)

  《story》

「さあ、不思議の扉を開けよう」

葬儀社に勤めるブラウン氏は、妻を亡くし、7人の子どもたちのいたずらに手を焼いていた。世話をするナニーを頼んでも、子どもたちのいたずらですぐにやめてしまう。それに、この屋敷の賃貸料を負担してくれている妻の叔母との約束で、1ヶ月以内に再婚しなければいけない。そうしなければ、この屋敷から家族全員追い出され、みんなバラバラになってしまう。そんなとき、この屋敷にステッキを持ったマフィーがやってきた。その杖をつくと、いたずらをしていた子どもたちはキッチンから出られなくなったり、ベッドから動けなくなってしまった。こうして彼女は、「朝は起きること、夜は寝ること」を教えていった。マフィーのおかげで子どもたちのイタズラはなくなり、礼儀作法を身につけていくのだった。そんなとき、叔母がやってきて子どもたちの中から一人連れてかえるという。マフィーの知恵で、勉強したがっていた使用人のエヴァンジェリンが連れて行かれ、子どもたちは全員無事だった。しかし、もうひとつの難関であるブラウン氏の再婚が待っていた。期限が迫り、仕方なく身近にいるクイック夫人に結婚を申し込むのだった。事情を知った子ども達もしぶしぶ認めざるをえないのだった。そして、結婚式の日・・・・。

ラストがいきなり
お父さんを再婚させたくない子どもたちの気持ちはよくわかる。だから、イタズラをして手を煩わせるのだ。元はと言えば、こどもたちとしっかり話し合わないブラウン氏がいけない。事情を話せば道はもっと早く切り開けたかも。とは言ってもあのいたずらはちょっとひどいなあ。本当は礼儀作法を知っているけど、それを素直に出せない子どもたちになってしまっていると思っていた。素直さを取り戻す魔法だと思っていた。これは当たりかな。この家族がもっと素直になって向き直るように力を貸しに来たのがマフィーだと思ったんだけど。このお話にはシリーズがあるの?。その中の一つ?。マフィーはまたどこかの難問にぶつかっている家族の元に行くのだろうか。
ところろで、立ち直っていく家族はよかったけど、ラストでいきなり使用人との愛の告白は違和感があった。今までの布石が感じられないだけに戸惑う。教育を受けて、きれいになっただけじゃないか。彼女がブラウン氏にあこがれていた気持ちはわかる。しかし、ブラウン氏が、彼女が使用人のときからどういう気持ちでいたかが問題だ。実は以前から・・・それもおかしな話になるかも。そこら辺をもっとうまくつなげられないものだろうか。「サウンド・オブ・ミュージック」の別バージョンとして、少し未完成さを感じた。

 公式サイト「ナニー・マクフィーの魔法のステッキ」

ファイナル・デッドコースター

2007年12月27日 | ホラー

2006年 アメリカ 94分
■原題「Final Destination 3」
■2007.12.15 wowow
■監督 ジェームズ・ウォン
■出演
   メアリー・エリザベス・ウィンステッド
            (ウェンディ・クリステンセン)
   ライアン・メリマン(ケヴィン・フィッシャー)
   クリス・レムシュ(イアン・マッキンレー)
   アレックズ・ジョンソン(エリン)
   サム・イーストン(フランキー・チークス)
   シャーラン・シモンズ(アシュレー)
   クリスタル・ロウ(アシュリン)

 《story》

「乗ってみる?」
「生き残るには死ぬほど悩め」


高校の卒業イベントとしてやってきた遊園地。しかし、ウェンディには、不吉な予感がした。「High Dive」が「High Die」に見えたり、「この先逃げ道なし」というメッセージが見たりした。ジェットコースターに乗る直前、事故が起きる幻影を見てパニックとなる。ウェンディたち10人を置いてジェットコースターは動き出した。そして事故は起きた。事故から免れたに見えた10人だったが、一人ずつ新たな事故に巻き込まれ死んでいく。6年前の飛行機事故を予知し、助かったメンバーと同じことが起ころうとしていた。そして、ウェンディが撮った写真に、その死が予告されていたのだった。

 運命は決まっているのか
死ぬ運命にあるものは必ず死ぬ。だとしたら、そこから逃れられないはずだ。でも、彼女たちは逃れた。というより、それも運命なのかもしれない。逃れたように見せかけて、実は後から残酷な死に方をすることが運命だったのだ。運命は変えられない。それはこわいことだ。失敗することがわかっていて、それを防ぐことができない怖さ。毎日を怯えながら生きていくやり切れなさ。いっそ早くからどん底に落としてもらった方がいいかもしれない。または、全く意識しないで開き直ることができたら、その一瞬までは幸せに生きていける。失敗をしないように気をつけるけど、たとえ失敗しても開き直って、最悪の運命が待っていたら、おろおろ泣こう。
結局、予知できても何も変えられないなんて、つらいよね。予知できるだけに、事前にわかっているだけに、もっとつらいよね。

 公式サイト「ファイナル・デッドコースター」

ザ・ダーク

2007年12月23日 | ホラー

2005年 イギリス/ドイツ 94分
■原題「The Dark」
■2007.12.15 wowow
■監督 ジョン・フォーセット
■出演
   マリア・ベロ(アデル)
   ショーン・ビーン(ジェームズ)
   ソフィー・スタッキー(サラ=娘)
   アビゲイル・ストーン(エブリル)
   モーリス・ローヴ(ダフィッド)
   リチャード・エルフィン(ローワン)

 《story》

ニューヨークで暮らしていたアデルと娘のサラは、親子の心の行き違いで悩み、別れた夫のジェームズの元を訪れた。その地には、海に身を投じれば、死んだ者が生き返るという伝説があり、村民が集団飛び込み自殺をした忌まわしいところだった。娘のサラは、まるで誘われるように海に入り、行方がわからなくなる。入れ違うように、娘とよく似た少女と出会う。かつてのこの村で死んだとされていた少女だった。

 結局どうなったのだろう
最後は、娘のサラが生き返り、母親のアデルは死んだ? 娘は実は昔の少女の生まれ変わり? 頭が悪いからよくわからなかった。海の中にあの世があるんだ。一人飛び込めばひとり生き返る。今一歩アイデアがほしい。母娘のひび割れた関係もそこにからまってくるはずなんだけど、すっきりしない。この親子はここまで誘われてきたのだろうか。ニューヨークで親子の関係がこじれたところから、始まっているんだ。「ダーク」とは、「闇」の世界のこと。心の闇が招いた悲惨な出来事だったのだろう。

デスリング

2007年12月23日 | ホラー


2006年 アメリカ 89分
■原題「Ring Around the Rosie」
■2007.12.12 wowow
■監督 ルビー・ザック
■出演   
   ジーナ・フィリップス(カレン)   
   トム・サイズモア(ピアース=管理人)   
   ランドール・バティンコフ(ジェフ=恋人)   
   ジェニー・モーレン(ウェンディ=妹)   
   フランシス・ベイ(ナナ)   
   マーク・リン(保安官)

 《story》

亡くなった祖母から遺産相続した、山奥の家にやってきたカレン。翌日には恋人のジェフも帰り、一人家の中でカレンは、幼い頃の自分と妹の幻覚を見るようになる。だれもいないと思っていた隣の小屋に、管理人だという男が現れる。カレンが幻覚を見て直後に突然目の前に現れるこの管理人を、カレンは信用していなかった。後から家に来た妹のウェンディは、その管理人と親しくなっていき、カレンは心配する。あるとき、管理人の小屋でウェンディが乱暴されそうになっていた。カレンは飛び込んで妹を助けたものの、その管理人は彼女たちを追いかけ襲ってきた。そして妹が2階の窓から落下。そのとき現実が目の前に・・。

 何がそうさせるのかわからない
ホラー映画は、モンスターが出てくる場合と、不可思議な出来事が起こる場合がある。私の癖なのかもしれないけど、そこに理由があり、それがわからないから怖いものだと思っている。そして、ラストでその理由がわかったときの衝撃がその映画の良さを決める。この映画は、妹がすでに死んでいたという衝撃の真実がわかった。でも、なぜ死んだのか、今何を訴えようとしているのかわからない。あの管理人は現実? 幻? 何が言いたかったのか。主人公が、消したかった過去なのか。馬への恐怖なの? 


キャッチボール屋

2007年12月16日 | 人間/社会派ドラマ

2006年 日本 106分
■2007.12.9 wowow
■監督 大崎章
■出演
   大森南朋(大山タカシ)
   キタキマユ(OL)
   寺島進(サングラスの男)
   松重豊(後藤)
   光石研(帽子の男)
   水橋研二(借金取り)
   内田春菊(売店のおばさん)
   庵野秀明(先代のキャッチボール屋)

 《story》

「10分100円、のんびり一休みしていきませんか」

タカシは、リストラで職を失い、高校時代から憧れていた恭子も東京で結婚した聞き、自分が何をしたいのかどう生きていきたいのか分からないでいた。酔って、ふと目を覚ますと公園のベンチ。そこにはキャッチボール屋の看板を掲げた妙な商売をしている人がいた。その人からしばらく代わりにやってくれとグローブを渡される。しかし、いくらたってもその人は戻ってこず、部屋の鍵と地図を渡された。タカシは毎日公園に出かけ、何となくキャッチボール屋を引き継いだ。じっと見つめるOL。カープの帽子をかぶった下手な男。速球を投げるサングラスの男。ベンチに座ってじっと見ているだけの男。それぞれが忘れられない過去を抱え集まってきた。

 心のキャッチボールなんだろうな
話がしたいだけなんだよなあ。そのきっかけとしてキャッチボールがあるんだよなあ。映画を見に行くのもそうなんだよな。きかっけがないと、人と話ができないんだよ。私は、きっかけがあっても自分の心の奥底なんて話さないだろうな。話したってどうにもならないし、人に解決してもらうことなんてできない。過去の忘れ物だって、取りもどしても満足することはない。新たな忘れ物をするだけ。それでも、なんとなくいいかもしれないな。たかがキャッチボール、されどキャッチボール。それをするために公園に行くことが大事だよ。そして、「キャッチボールしてください」とお願いしなければだめ。それに、まともに投げられないから、いつも「すみません」って言わなければいけない。後ろに転がったボ-ルを追いかけて、悪いなあって思う。10分ですっきりするかなあ。あのOLは、何をしに来ているのだろうか。なんか虚しくなる映画だった。

 公式サイト「キャッチボール屋」

椿三十郎

2007年12月16日 | 人間/社会派ドラマ


2007年 日本 119分
2007.12.8 TOHOシネマズ緑井
■監督 森田芳光
■出演   
   織田裕二(椿三十郎)  豊川悦司(室戸半兵衛)  
   松山ケンイチ(井坂伊織)  鈴木杏(千鳥)   
   村川絵梨(腰元こいそ)  佐々木蔵之介(木村)   
   林剛史(寺田文治)  一太郎(保川邦衛)   
   粕谷吉洋(河原晋)  富川一人(守島隼人)   
   戸谷公人(守島広之進)  鈴木亮平(関口信吾)  
   小林裕吉(八田覚蔵)  中山卓也(広瀬俊平)   
   風間杜夫(竹林=国許用人)
   西岡徳馬(菊井=大目付)   
   小林稔侍(黒藤=次席家老)
   中村玉緒(睦田夫人)   藤田まこと(睦田=初代家老)    

 《story》

「この男、時代を超えて生きている」

ある夜、社殿の中で若侍9人が、密かに話し合いをしていた。藩の中で行われている汚職を、叔父に訴えたが取り合ってもらえず、大目付の菊井に申し出たら、全員集まってここで待てという。その話し合いを聞いていた浪人の椿は、その大目付こそ怪しいという。案の定、社殿は菊井の手下に囲まれていた。まかしとけという椿の策で逃げたものの、叔父が捕らえられ、汚職の罪をかぶせられようとしていた。叔父を救いださなければと、監禁場所を探る。なかなか浪人椿が信じられない者もおり、若侍たちは不安いっぱいで失敗ばかり。あきれかえるも彼らを捨てておけない椿だった。

 痛快時代劇、楽しい
黒澤明監督の「椿三十郎」は見たことがない。でも、この「椿三十郎」は見たいと思った。堅苦しくなくて楽しそう。松山ケンイチが出ているから。どうも彼の演技に魅入られたよう。「デスノート」「セクシーボイス&ロボ」の全然違うキャラ。どちらも好きだ。今回は「セクシー」の方だね。織田裕二もなかなかいいもんだ。とは言っても、そんなに演技が見えていて語っているわけじゃない。心に残れば誰でも好きになる。
もっと映画館が近くにあって気軽に見ることができたらどんなにいいだろうか。映画が見たい気持ちと、鬱になってしまいそうな雰囲気から抜け出したい気持ちが交差する。後ろ髪を引かれて行けないことも多い。今は泥沼から逃げ出すことが目的になりつつある。それも気にくわない。いい映画を気持ちよく見たいものだ。
頭が切れるっていいね。三十郎も頭が切れて剣の腕もすごいときているからヒーローだ。得にもならないことに加勢して、自分の命をかけて戦うんだから立派なもんだ。さらりと、自分も入れて、仲間は「10人だ」と言えるところに、ヒーローらしからぬ正義の味方の良さがあるね。

 公式サイト「椿三十郎」


幸福(しあわせ)のスイッチ

2007年12月15日 | 人間/社会派ドラマ


2006年 日本 106分
■2007.12.5 wowow
■監督 安田真奈
■出演
   上野樹里(稲田怜=次女)
   本上まなみ(稲田瞳=長女)
   沢田研二(稲田誠一郎=父)
   中村静香(稲田香=三女)
   林剛史(鈴木裕也)
   笠原秀幸(牧村耕太)
   新屋英子(野村おばあちゃん)
   深浦加奈子(橘優子)

 《story》

「家族の絆はプラスとマイナス、くっ付いたり、離れたり」

稲田怜は21歳。父に反発し東京に出てイラストレーターとして働いていた。しかし、上司とも衝突して会社を飛び出す。そこへ、父が入院したから実家にすぐに帰れと、妹から手紙が来る。慌てて帰ると、ただの骨折だった。怜を帰らせようとした姉妹の企みだった。姉妹に頼まれ、電気屋のイナデンを手伝うことに。儲けにならない仕事ばかり引き受けていた父に反発していた怜だったが、いやいやながら店の手伝いを始める。一軒一軒まわるうち、製品を売ればいいのではなく、製品を通しての人と人とのつながりを目にしていくのだった。

 わかるんだけど
人と人とのそんなつながりが大切だということはよくわかるんだけど。今の私には一番つらいことかもしれない。求めているけど縛られるのが絶えられない。少しでも安い方がいいけど、その物について語れる相手がいるのもいいものだ。そこで買わなければいけないと思うとつらくなる。別なメーカーの別な種類の製品がほしくなることもある。そこで買ったものが他の店で大幅に安く売られていたらくやしくなってしまう。結局、損得を考えているいやらしさ。つらいところだね。
自分のことしか考えていないから人と衝突するんだろうなあ。人の事を考える余裕がないんだと思う。もし余裕があったらあったかい心でいられるよね。怜の気持ちもよくわかる。いつも不満だらけで、自分のどうしようもない心、自分をコントロールできないつらさ。でも、こうして実際に何かをしてみたらちがうんだよね。逃げてしまったらわからないけど、飛び込んでいったら何かを発見できる。そして心が穏やかになって人も自分も許せるようになれるんだと思う。言えること、言える姉妹がいたことが幸福のスイッチなんじゃないかな。

 公式サイト「幸福のスイッチ」


キング 罪の王

2007年12月08日 | 人間/社会派ドラマ

2005年 アメリカ 104分
■原題「The King」
■2007.11.30 wowow
■監督 ジェームズ・マーシュ
■出演
   ガエル・ガルシア・ベルナル
        (エルヴィス・バルデレス)
   ウィリアム・ハート(デヴィッド・サンダウ=父、牧師)
   ペル・ジェームズ(マレリー・サンダウ=娘)
   ローラ・ハリング(トゥワイラ・サンダウ)
   ポール・ダノ(ポール・サンダウ=兄)

 《story》

「懺悔しよう。愛のために」

青年エルビスは、海軍を退役し、まだ見ぬ父親を捜しに、テキサスの小さな町を訪れる。町の教会の牧師をしていたデビッドは、突然現れたエルビスに、家族に近づくなと突き放す。デビッドにとってエルビスは過去の汚点であり、今の幸せな家庭を壊したくなかったのだ。エルビスは町に居つき、デビッドの娘、エルビスにとって妹のマレリーに近づく。マレリーはエルビスを愛し始め、彼の子を身ごもる。二人の関係を怪しんだ兄のポールは、エルビスに妹に二度と会うなと迫り、刺し殺されてしまう。デビッドの一家は次第に壊れていく。

 陰湿な復習
エルビスの、突き放された悲しい気持ちもわかる。その憎しみが父親のデビッドだけに向かうなら、まだ理解できる。だが、彼の家庭そのものをこわしてしまう陰湿な行為には寒気がする。反対に突き放されて当然のように思えてくる。まさしく最悪の罪と言えるの。仮に、デビッドがエルビスをしっかりと受け入れていたらどうなっただろうか。憎しみは愛に変わっただだろうか。いや、そうは思えない。やはり、愛は嫉妬に、そして憎しみへとつながっていっただろう。自分がしたことに後悔などない。動揺などこれっぽっちもなく、冷静に憎しみを行動に表していく。悪魔のような冷淡ささえ感じてしまう。だれもが、愛と憎しみは紙一重。エルビスのように、何のためらいもなく、真後ろを向くこともできるのだ。