そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

模倣犯

2007年11月25日 | サスペンス/ミステリー

2002年 日本 123分
■2007.11.22 wowow
■監督 森田芳光
■出演 
   中居正広(網川浩一=ピース)
   藤井隆(高井和明)  津田寛治(栗橋浩美)
   木村佳乃(前畑滋子)  山崎努(有馬義男)
   伊東美咲(古川鞠子)  田口淳之介(塚田真一)
   藤田陽子(高井由美子)  寺脇康文(前畑昭二)
   平泉成(武上悦郎)  モロ師岡(篠崎刑事)
   吉田朝(坂木刑事)  桂憲一(鳥居刑事)
   佐藤二朗(白井刑事)  中村久美 古川真智子)
   小木茂光(古川茂)  由紀さおり(栗橋寿美子)
   爆笑問題  佐藤江梨子  PUFFY  坂下千里子
   山田花子

  《story》

「ナゼ、ヒトヲ殺シテハイケナイノ?」

東京下町で豆腐屋を営む有馬の孫娘が失踪した。10ヶ月後、大川公園の植え込みから女性の右腕とショルダーバックが発見された。バッグは有馬の孫娘の鞠子のものだった。犯人は声を変えた携帯電話を放送局にかけた。犯人の支持通り、孫娘の死体があがった。大川公園の第一発見者は少年塚田だった。一家殺人事件の生き残りで、彼の調査を行っていた滋子の夫も事件に巻き込まれた。事故で崖下に連絡した車のトランクから滋子の夫の死体が発見された。運転していた高井と栗橋も死んだ。栗橋のマンションから、鞠子の定期券や殺された女の写真が発見された。犯人は栗橋だと思われた。彼と同級の網川浩一が加害者の遺族の代弁という形でマスコミに登場する。そして、栗橋は無実で、真犯人は別にいると主張する。彼の雄弁は次第に日本中を魅了していく。真犯人はだれなのか。有馬と滋子は、網川という人物を探り始める。

 もう少し何かあると思ったのに
猟奇的殺人、明を求めつつも暗に惹かれる。興味を持って見てしまう。本能で動きつつ、知恵を使って楽しむ。ハイテク機器を使って大衆に語りかける。知能犯でありながら、自分の別荘を使ったり、栗橋と大ぴらに接触したり、テレビに出て「真犯人は別にいる」などと、自分に目が向くようにし向ける。だからこそ異常なのかもしれないが、目が虚ろな異常者でないだけに、なんだか違和感があった。初めから楽しんで自分も死ぬつもりだったのだ。テレビで有名になって、注目を浴びたかっただけなのだ。最後に出てきた網川の赤ちゃん、あれは何なのだ。だれとの子どもなのだ。あの公園の植え込みにいつから置かれていたのだ。人間を平気で殺そうと行動できるとき、きっと精神が病んでしまっているのだと思う。コンビニで、イライラして人を刺す。誰かに暴力をふるいたくなる。誰かをいじめたり罵りたくなる。それは、その人自身も何かに追い込まれているから。だれかに追いつめられているから。そのだれかも、きっとだれかに追いつめられている。その頂点にいる人は、悠々とそれを眺めているのだろうか。きっと政治をも動かし、多くの人に痛みばかり押しつける人なのだろう。ラストの身体がバラバラになるシーンは、この映画の違和感をさらに大きくしてしまった。

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ALWAYS 続・三丁目の夕日

2007年11月24日 | 人間/社会派ドラマ


2007年 日本 146分
2007.11.19 TOHOシネマズ緑井
■監督 山崎貴
■出演  
   吉岡秀隆(茶川竜之介)  堤真一(鈴木則文)
   小雪(石崎ヒロミ)  堀北真希(星野六子)
   もたいまさこ(大田キン)  三浦友和(宅間史郎)
   薬師丸ひろ子(鈴木トモエ)
   須賀健太(古行淳之介)
   小清水一揮(鈴木一平)
   マギー(精肉店=丸山)
   温水洋一(自転車屋=吉田)
   神戸浩(郵便配達)  飯田基祐(中島巡査)
   ピエール瀧(アイスキャンディー売り)
   小木茂光(秘書=佐竹)  小日向文世(川渕康成)  
   吹石一恵(山村先生)  福士誠治(戦友=牛島)
   貫地谷しほり(踊り子=メリー)  藤本静(踊り子=チエミ)
   浅利陽介(六子の幼なじみ=中山武雄)  小池彩夢(鈴木美加)
   平田満(鈴木大作)  浅野和之(詐欺師=松下忠信)
   渡辺いっけい(大橋)  手塚理美(踊り子=梅子)  
   上川隆也(トモエの元恋人=山本信夫)  

 《story》

「昭和34年、日本の空は広かった」
「どんなに時代が変わろうと、変わらない大切なものがきっとある。」


夕日町三丁目、黙って去っていったヒロミを待っている茶川と淳之介の元に、再び川渕が現れた。淳之介が人並みの生活ができなければ連れて帰るという。茶川は、このままではどうにもならないと、芥川賞をねらう作品作りに挑戦する。一方、鈴木オート家に、親戚の女の子が預けられた。裕福な生活を送っていたたためか、なかなかなじめない。六子の前に、厳しいコックの修行が絶えられず逃げ出した幼なじみの武雄が現れる。宅間先生は、亡くなった娘に会いたいと、もう一度狸にだまされようと、焼き鳥を持って森に声をかける。ヒロミは、茶川との生活を夢見ながら、住む世界がちがうと、お金持ちとの結婚を考える。茶川とヒロミ、淳之介の三人は。一平と美加、六子と武雄。芥川賞を夢見る夕日町の仲間たち。

 盛りだくさんでもいいよ
ヒロミが列車の中で本を読んで夕日町に戻る場面は、がまんできずに涙があふれた。流れるように出て止まらなかった。わかっていて涙が出てしまうんだけどね。きっと、何度見ても同じ場面で涙を流すのだろうね。全てを終わらせようと、盛りだくさんで、何もかもハッピーエンド。それでいいのだと思う。単純で、明快で、求めている理想なんだ。懐かしく感じるのは錯覚だと思う。私たちが、いつの時代も求めているものは、お金じゃなく心だと。それは今も同じ。そりゃあお金もほしいけど、お金に人生が左右されるけど、でも心を大事にすることで、あったかく優しく満足した気持ちになれる。お金は、たくさんたくさんいらないから、普通に生きていけるだけでいいから、人間として満足できる心がほしい。そんな心を求めて、この映画を見てしまう。きっと何度も何度も見てしまうだろうなあ。映画を見終わった後、ついミニチュアの三輪オートを買ってしまったよ。ああ、また映画館で見たいなあ。

 公式サイト「ALWAYS 続・三丁目の夕日」


M:i:III

2007年11月24日 | アクション

2006年 アメリカ 126分
■原題「Mission:Impossible III」
■2007.11.18 wowow
■監督 J・J・エイブラムス
■出演
   トム・クルーズ(イーサン・ハント)
   フィリップ・シーモア・ホフマン
        (デイヴィアン=冷酷な敵)
   マギー・Q(ゼーン=武器のプロ)
   ケリー・ラッセル(リンジー)
   ミシェル・モナハン(ジュリア=最愛の妻)
   ヴィング・レイムズ(ルーサー=ITのプロ)
   ローレンス・フィッシュバーン(ブラッセル=指揮官)
   グレッグ・グランバーグ(ケヴィン)

 《story》

「タイムリミット48時間- この夏世界各国で最も不可能なミッションが始まる」

IMFを引退したイーサンは教官として働いていた。愛するジュリアと結婚し、普通の幸せな家庭を築こうとしていた矢先、愛弟子のリンジーが囚われ、救出作戦に参加してほしいと連絡が入る。ジュリアにはIMFのことは隠していたため、出張と偽り、仲間とともにリンジーの救出を行う。しかし、リンジーは頭の中に埋め込まれた爆弾で殺されてしまう。この事件の裏には、闇商人のデイヴィアンが絡んでいることをつきとめ、捕らえるのだが、護送の途中に組織の手により逃がしてしまう。イーサンは、ジュリアを誘拐され、頭に爆弾を埋め込まれ、48時間以内に「ラビット フット」を取り戻すように命令される。IMFの中に裏切り者が・・・イーサンを心配し協力する仲間たち。イーサンは愛する妻を救うことができるのか。

 迫力満点
秒単位で動くエキスパートたち。見ていて気持ちがいい。全体的にリズミカルに物語が流れ、ギリギリの命を懸けたシーンが、重くもなく軽くもなく、気持ちよく上下していく感じだ。どこまで現実にできることで、できないことかよくわからないけど、それだけ現実が危く、ハイテクの技術が進歩しているのは事実だろう。ただ驚いたのは移動の速さと準備の速さである。あっという間に香港に飛び、ハイテク機器を準備できるのは、違和感を感じた。それだけ現実にできておかしくないから感じることだとう思う。GPSで遠く離れたところから、携帯に道を知らせるのはできそうだ。退屈することなく、最後まで目が離せない娯楽映画だ。

王の男

2007年11月19日 | 歴史映画/時代劇

2005年 韓国 129分
■原題「The King and the Clown」
■2007.11.15 wowow
■監督 イ・ジュンイク
■出演
   カム・ウソン(チャンセン)
   イ・ジュンギ(コンギル)
   チョン・ジニョン(ヨンサングン)
   カン・ソンヨン(ノクス)
   チャン・ハンソン(チョソン)
   ユ・ヘジン(ユッカプ)

 《story》

「今、実在の宮廷揺るがした究極の愛憎劇が幕を開ける」
「それより奥は、見てはならない」


16世紀初頭、旅芸人のチャンセンと女形のコンギルは、一流の芸で聴衆を魅了していた。漢陽で、知り合った3人の芸人と、王と宮女をからかう芸を披露し人気を得る。これを聞きつけた重臣のチョソンは、王を侮辱した罪で彼らを死刑にしようとするが、チャンセンは王の前で芸を披露し王が笑えば侮辱じゃないと反論する。そして宮廷で、王を前にしての芸の披露。王を笑わせた魅了したのはコンギルだった。彼らはお抱えの芸人となり、家臣の悪事を暴く芸をする。暴君と言われた王にも暗い過去があった。その悲しみに答えるコンギル。彼を奪われるチャンセンの悲しみ。王を奪われた宮女のノスクの企みがさらに大きな悲劇を生む。

 だれもが一人
王も自分をわかってくれる人間を求めていたのだろうな。昔も今も、どこのだれでも、人は分かり合える人を求めている。王は権力はあっても孤独だった。孤独な権力者は暴力的になるのかもしれない。つながる心に飢えている。それはきっと、わかってほしい心であって、分かろうとする心ではない。だから淋しいのだ。
初めはチャンセンとコンギルを変な目で見ていたけど、男とか女とか関係なく、分かり合える心で結ばれている幸せな関係だった。それがうらやましい。「芸」を求める心が二人を強く結びつけた。共有するものがあればこそ。
権力をかざす者は嫌いだ。嫌いだといいながら、どこかでそれを求めている。自分が持っていないものに嫌悪感を感じるのは、実はそれを一番求めているからに他ならない。私が権力を持ったらどんなことをするだろうか。わがままと欲の限りを尽くすだろうか。人々のためにその力を使うことができるだろうか。理性を失い、自分のことしか見えず、好き勝手するにちがいない。

 公式サイト「王の男」

16ブロック

2007年11月18日 | アクション

2006年 アメリカ 102分
■原題「16 Blocks」
■2007.11.10 wowow
■監督 リチャード・ドナー
■出演
   ブルース・ウィリス(ジャック・モーズリー)
   モス・デフ(エディ・バンカー=証人)
   デヴィッド・モース
      (フランク・ニュージェント=悪い刑事)
   ジェナ・スターン(ダイアン・モーズリー)
   コンラッド・プラ  ケーシー・サンダー

 《story》

「NY市警を敵にまわした、
             最も『不運』で、『手強い』刑事」
「NY市警に追われる、最も『重要』で『無力』な証人」


捜査中の事故で足をけがして以来、酒におぼれ無気力な日々を送っている刑事、ジャック・モーズリー。夜明けまでの張り込みで署にもどった彼に、上司は証人の護送を命じる。護送先は、16ブロック先の裁判所だった。15分もあれば終えられる仕事だったが、途中で車を停め酒を買っている間に、何者かが護送しているエディを殺そうとねらってきた。ジャックはエディを引き連れ逃げるが、しつこく追いかけてくる。なんとそれはフランク率いるニューヨーク市警の面々だった。不正の証拠を証言しようとしているエディを抹殺しようとしていたのだ。閉じられていたジャックの心が開いた。裁判所に送るために命をかけてエディを守る。

 悪と戦っているときがかっこいい
人間って、心の中ではきっと正義を求めているんだと思う。正しいこと、やさいいこと、あたたかいこと、そんな心を自分以外の人に向けたいと願っているんだと思う。だからどんなに落ちぶれても、正義に目覚めたときってかっこよくなる。映画や物語は、そんな人間の良心を訴える。多くの人は、正義を貫きたい、人にやさしくありたいと願っているのだと思う。エディがあまりに弱く、すぐに壊れてしまいそうだからこそ、ジャックの心に再び正義がよみがえったのかもしれない。それにしても、集団で悪いことをするときは罪の意識が薄れてしまうものなんだな。みんなでやればこわくないという心理は確かにある。世の中のマナーだって、つい「みんなやってるじゃん」って思ってしまう。でも、きっとそんな気持ちにうち勝って、自分はマナーを守ったぞって思うとき、自分の心は晴れ晴れしてくるのだろうなあ。何が正しいかは、みんながやっているからではなく、正しいかどうか考えた自分の心から発するものなんだ。

 公式サイト「16ブロック」

オリヲン座からの招待状

2007年11月11日 | ラブロマンス/青春

2007年 日本 116分
2007.11.10 TOHOシネマズ緑井
■監督 三枝健起
■出演
   宮沢りえ(豊田トヨ)  加瀬亮(仙波留吉)
   宇崎竜童 (豊田松蔵)
   田口トモロヲ(三好祐次(平成))
   中原ひとみ(豊田トヨ(平成))
   樋口可南子(三好良枝(平成))
   原田芳雄(仙波留吉(平成))

  《story》

「僕ずっとオリヲン座を守るさかい-
 ここでいつまでも、一緒に映画かけてもらえますか。」


一通の招待状が良枝の元に届いた。夫であり幼なじみである祐治とは、別れ話が出ていたが、もう一度二人であのオリヲン座に行きたかった。
オリヲン座は、戦後まもなく松蔵とトヨが立ち上げた。テレビのない時代、オリヲン座は町の憩いの場だった。そこに留吉が弟子入りした。病気で松蔵がなくなり、留吉はトヨとオリヲン座を守っていくことを決意する。しかし、テレビが普及し、二人の関係を怪しむ世間は冷たく、劇場への来客は激減する。フイルムの借り入れの金策に苦心しながらも、リバイバル上映をしながらオリヲン座を守っていく二人。そんな劇場に通う祐治と良枝。祐治は両親から愛情をかけてもらえず寂しい日々を送っていたが、オリヲン座でトヨや留吉からまるで家族のようにあたたかく迎えてもらった。そのオリヲン座が閉館する。

 映画を愛する心
二人の純粋な愛のように、映画も利潤を得るためだけでなく、いい映画をみてほしいという純粋な気持ちで映画館が運営されていた。昔の懐かしい映画館を思い出す。二本立ての映画。途中から見始めて、次のその部分までみたり、2回続けて見たこともあった。料金は同じ。今みたいに一回入れ替え制ではなかったから、一度映画館に入ったら好きなだけいた。そんな町の映画館もどんどんなくなっていった。サロンシネマだけは昔と同じ。高校時代は自転車で通った。フイルムマラソンも何度も見た。大きな映画館では上映されないピリッと光る映画を見る。そんな小さな映画館。でも、よく行くのはシネコンだ。懐かしい映画館だけど、便利で設備のいい映画館にいく。前の人の頭でスクリーンが見えない映画館はいやだ。映画映写の機械ももっと簡単になっているのだろうなあ。時代の流れだな。懐かしむだけのものになっていくのは止められない。
突然出てきた祐治と良枝。ちょっと違和感があった。大人になった二人が招待状を受け取った場面から始まるのなら、二人の子ども時代をうまく織り交ぜながら過去に戻ってほしかった。途中から急に現れて、それまでどこにいたのと聞きたくなった。最後のオリヲン座での上映会、そこには昔からの町の人々にもいてほしいし、トヨと留吉の純粋な愛を優しく包んでほしかった。二人の愛が、祐治と良枝に確かに伝わった。それがピーナッツに象徴されているかも。祐治と良枝も終わりでなく、新たな出発になればいいね。

 公式サイト「オリヲン座からの招待状」

イルマーレ

2007年11月11日 | ラブロマンス/青春

2006年 アメリカ 99分
■原題「The Lake House」
■2007.11.4 wowow
■監督 アレハンドロ・アグレスティ
■出演
   キアヌ・リーヴス(アレックス)
   サンドラ・ブロック(ケイト)
   ショーレ・アグダシュルー(アンナ)
   クリストファー・プラマー(サイモン)
   ディラン・ウォルシュ(モーガン)
   エボン・モス=バクラック
   ヴィレケ・ファン・アメローイ

  《story》

「2006年を生きる彼女と 2004年を生きる彼
              会えない人を愛したことはありますか?」

2006年、ケイトは医師となって、イリノイ州の郊外からシカゴへ引っ越すことになった。湖の畔の家を引き払う日、ケイトは郵便受けに次にここに住む人のために、手紙を残した。その手紙を受け取ったのは、2004年に生きるアレックスだった。この家は、彼の父の設計によるもので、家族の思い出のつまったものだった。しかし、父は今や建築家として有名となり、家族の心はバラバラになっていた。郵便受けを通しての、2006年に生きるケイトと2004年に生きるアレックスの恋が始まった。アレックスは、過去のケイトに出会いますます恋を深めていく。二人は出会うために、レストランに2年後の予約を入れる。しかし、アレックスは現れなかった。バレンタインデーの日にケイトに会いに来て事故で亡くなっていた。その事を知ったケイトは、運命が変わることを信じて、「湖の家で待っていてほしい」と手紙を書く。時を越えて二人は会うことができるだろうか。

 あまり深く考えるとダメ
時間を超えて・・・なんて、だったらこれはおかしんじゃないと思ってしまう。先に生きるケイトの記憶の中には、すでにアレックスとの思い出がつまっているはず。アレックスはそのケイトの思い出をたどって生きることになる。二人は出会うことはない。2006年にいるアレックスなら会える。この二つの時は別々の時空だから、別々な人生がそこにある。郵便受けだけが、二つに時空をつなぐことができる。
時間というものは、さまざまな夢を見せてくれる。時を越えることがどんなに楽しいだろうなあ。今をもう一度繰り返すことができたら、何度も満足できるように繰り返すのに。繰り返すことができるなら、きっと失敗を恐れずに、勇気を出してチャレンジするだろうなあ。今は、後悔しながらも、踏み出す勇気をもてずに生きている。
時を題材にしているけど、不思議な出会いにあこがれているから、魅力を感じるのかもしれない。郵便受けでつながる心、なんてロマンチックだよね。インターネットでつながる恋に似ているかも。顔も年もわからない、掲示板やチャットでの出会い。それが手紙であるだけに、深みを感じる。つながりの強さあたたかさを感じる。

 公式サイト「イルマーレ」

ブラックキス

2007年11月04日 | サスペンス/ミステリー

2004年 日本 133分
■2007.11.4 wowow
■監督 手塚眞
■出演 
   橋本麗香(星野明日香)
   川村カオリ(黒木香純=ルーシー)
   松岡俊介(白木祐介=刑事)  
   安藤政信(空山龍男)
   小島聖(葵)  岩堀せり(愛華)
   あんじ(綾部マリ)  SAWACO(マユミ)
   岡田真善(木村勇)
   オダギリジョー(ジョーカー城野)
   草刈正雄(鷹山龍生)  奥田瑛二 (嶺崎警部)

 《story》

「殺しの芸術家、その最大の武器は“恐怖”」

芸能プロデューサーが惨殺された。死体はメスで切り刻まれ、装飾されていた。上京してきたばかりの明日香はルームメートの香純の部屋で、その現場を目撃してしまう。明日香と香純を付け回すカメラマン、そしてこの事件を捜査する白木刑事。香純の周りで次々に起きる猟奇殺人。死体には必ずブラックキス(黒いキスマーク)が残されていた。白木刑事は、特殊犯罪プロファイリングの専門家である鷹山から、国際犯罪者の話を聞く。犯人の最大の武器は“恐怖”だと告げる。犯人の目的は、香純たちはねらわれているのか。その謎の鍵は、香純の妹と父親にあった。

 そこまでしなければいけないの
死体を装飾する猟奇殺人。ただの変態なんだけど、香純を守っているという立場であることに違和感を感じる。父親の異常な愛はわかる。それと猟奇的な殺人とどういう関係があるのだろうか。無理してこじつけているような気がする。香純は、自分の周りで死んでいく人のわけを知っているにちがいない。それでいて、一人でいることがつらい。猟奇殺人は、それを実行する人になんらかの理由があるはず。人のためにこんなことを楽しんでするって、それこそ現実離れして見える。異常な愛情が変化していくのならわかるが、赤の他人なのに。どうしてもそこにこだわってしまう。混ざり合わないドレッシングみたいに、どうもすっきりしない映画だった。ところでオダギリ・ジョーってどんな役だったの。友情出演。

 公式サイト「ブラックキス」

自虐の詩

2007年11月04日 | コメディ

2007年 日本 115分
2007.11.3 TOHOシネマズ緑井 with y
■監督 堤幸彦
■出演  
   中谷美紀(森田幸江)   阿部寛(葉山イサオ)   
   遠藤憲一(あさひ屋マスター)
   カルーセル麻紀(福本小春)
   ミスターちん(難波警部)  金児憲史(船場巡査)
   蛭子能収(新聞販売店主)  島田洋八(ポン引き)
   松尾スズキ(中年男)  岡珠希(中学時代の幸江)
   丸岡知恵(中学時代の熊本さん)
   Mr.オクレ(喫茶店主)  佐田真由美(森田秋子)
   アジャ・コング(熊本さん)
   斉木しげる(訪問販売の男)  竜雷太(組長)
   名取裕子(美和子=幸江の母)  
   西田敏行(幸江の父)

 《story》

大阪、通天閣が見える町。パーション飛田の一室では、今日もちゃぶ台がひっくり返されていた。それでもイサオを待ち続ける幸江。彼女の人生は不幸そのもの。母親に捨てられ、父親は銀行強盗をして捕まり、学校ではいじめられ、不幸を一手に背負った人生だった。でも、幸江が裏切った熊本さんは、心の友達となってくれた。町を出るときは、餞別の弁当と五円玉。大阪では、薬とお客をとる商売。やっぱり不幸な人生だと壊れかけていたとき、やくざのヒサオが真面目な顔で「愛している」とつきまとった。自殺をはかって、薬の更正施設から退院した日、ヒサオは小指を切ってやくざの世界から足を洗い、幸江を迎えに来た。しかし、ヒサオは思うように働けず、遊び酒におぼれる毎日を過ごすようになった。幸江は、ラーメン屋で一生懸命に働き、生活費を作った。幸江に子どもができた。幸江は、迷っているうち事故で病院に担ぎ込まれた。

 私はなんて不幸なんだ
いつもそう思っている。けっこうそんな人は多いのかもしれない。しかし、幸江の人生はかわいそうすぎる。新聞配達をしている健気な幸江、一本の牛乳とまんじゅうに幸せを感じられるなら、それはすばらしいことだと思うんだけど。でも、それすら認められなかった。せめて学校の中だけでも、同じ大地に立っている気持ちにさせてあげてほしかったと、たとえ偽善でもいいじゃないかと思うのだった。松本さんもいい人だけど、自分から人と離れていこうとしている感じがする。貧しくても、共有できるものはある。貧しいからと全てが違う世界に分かれるわけじゃない。
ヒサオは一度はまっとうな人間になろうとしてうまくいかずやけになった。子どもができて、再びまっとうな人間になったところでハッピーエンド。海岸の場面が永遠に続きますように。祈るばかり。ついついその後は・・・って考えてしまう。もしかしたら、ラーメン屋のおかみになる方が幸せかもしれない。あえて冒険を求めるところに不幸の始まりがあるのかも。いやいや5円玉の幸せを感じることができれば、何より幸せかも。5円玉に願いをこめて。幸せを感じることができますように。

 公式サイト「自虐の詩」

ALWAYS 三丁目の夕日

2007年11月04日 | 人間/社会派ドラマ

 
2005年 日本 133分  
2005.11.7 TOHOシネマズ緑井
   2006.12.3 T.V
     2007.11.2 T.V
■監督 山崎貴
■出演 
  吉岡秀隆(芥川竜之介) 堤真一(鈴木則文)  
  小雪(石崎ヒロミ) 薬師丸ひろ子(鈴木トモエ)  
  堀北真希(星野六子)  三浦友和(宅間史郎)
  吉行淳之介(須賀健太)

《story》

「携帯もパソコンもTVなかったのに、
 どうしてあんなに楽しかったのだろう」


昭和33年、東京タワーが完成する年。東京下町夕日町三丁目。鈴木オートに東北から集団就職で六子がやってきた。大きな会社だと思っていた六子は、夫婦で経営している小さな自動車工場にがっかり。一方、鈴木は、自動車に詳しいはずの六子が全然詳しくないのでがっかり。しかし、六子とともに今日も鈴木オートは元気いっぱい。そんな鈴木家のテレビがやってくる。

鈴木オートの真向かいには、駄菓子屋があり、売れない作家芥川がいた。今は三流少年誌に物語を細々と書いていた。飲み屋のヒロミにあこがれ、酔った勢いで引き取り手のない子どもを預かることになった。

みんないい人ばかりの映画がいい
単純に笑えて、単純に泣ける映画がいい。みんないい人ばかりの映画がいい。最後はハッピーエンドになる映画がいい。そんなさわやかな映画だ。懐かしい風景、「あのころはよかった」と昔を振り返り、今求めている人間の良さ見つける。昔だって悪い人はいっぱいいたし、みんながみんないい人ばかりじゃない。でも、戦争が終わって、みんなで生活を作っていこうとする盛り上がりがあった。今は当たり前にある、生活に直結した新しい電化製品への驚きがあった。カギをあけっぱなしにしても、家の中が見えていても、街の中を同じ風が吹き、家々を通り抜けていった。明日への希望をふくらませ、夕日を眺めた。貧しくて生活がしんどくても何か楽しかった。何度も何度ももどってみたい映画だ。

あれっ?
子ども2人が電車に乗るシーンがあった。乗る前の電車と乗っているときの電車、降りたあとの電車がすべてちがっていた。車体番号がちがっていた。

  2006.12.3 T.V 

家族って
こんなにだらしない自分でも頼りにしてくれる子どもが愛おしい。血はつながっていなくても、思ってくれるからこそ、怒鳴りたくなる、抱きしめたくなる。丸いちゃぶ台を囲んでカレーを食べる3人の絵がうらやましくて仕方ない。3人もとも赤の他人なのに、どうしてこんなにも笑顔が輝いているんだろう。10分で食べてしまう習慣のついた私にとって、こんな明るい家庭は夢のようだ。振り向けばそこにいて、笑顔を見せてくれる。そんな時代もあったんだ。いずれ淳之介も大きくなって、中学生になって、反抗したりするのだろうかなあ。「お前なあ」って哀しい目をして後ろを向けば、きっとそーっと優しいまなざしを向けてくれることだろう。そして、ヒロミお母さんが、「父さんの肩をたたいてあげて」って、もっとやさしい声で語ってくれる。そうしたら、「しょうがないなあ」って言いながら、肩をもんでくれる。同時に心がほぐれてくるのを感じて、うれしくなってくる。家族は、これじゃあだめかな。

懐かしいのはなぜ
現代は、ちょっとしたことでイライラしたり腹を立てたり、落ち込んで沈んでしまったり。今まで真面目に生きていた人が、突然事件を起こし逮捕される。破廉恥な行為をしたり、人を殺してしまったり。妙に、納得してしまう自分がどこかにいて怖くなる。自分も何かをしでかしてしまうかもしれないという不安がある。それはやろうとしてするのではなく、病的で気が付けば道をそれている感じだ。落ち着かなければ、と何度も心の中で思う。そんな心の中に、子ども時代の昭和の風景は、ふーっと入ってくる。暖かく心を包んでくれる。きっと、生きていたその時間は今と同じだったかもしれない。子ども時代だっただけに、無邪気さが懐かしく感じられる。今、昔が懐かしく感じられるのは、未来が見えないからかもしれない。時間の先に幸せはない。過去を懐かしむことしか、道が見えなからかもしれない。

   2007.11.2 T.V

言葉は悪くてもあったかい
「ばばあ」なんて平気で言ってたかもしれないなあ。でも、「うるさい」って平気で返され、完全に切れることはなかった。映画だから強調されていると思うけど、鈴木オートが、自分が募集資料をよく見ていなくて、勘違いしていたことに気づいたとき、子どもに言われながらもきちんと謝るシーンは、現代に大切なことを伝えていると思った。昭和ブーム。すぐに乗せられてしまう私は、懐かしくて仕方ない。昔を懐かしむことはあっても、今を否定してしまったら未来は暗い。でも、次第にそうなていく自分がある。「くださいな」なんて、今はもう言わない。だまって入る。だまって出ていく。うまくいかないことがあれば恨んでしまう。昭和がよかったわけじゃない。今が良くなくなっているだけかもしれない。昭和を過ごした人が懐かしく思うのは、今が暮らしにくいからなんだろう。父親の借金に身売りしなければならない時代。あってはならないことだけど、「父親」ってのが昭和らしいかも。今じゃ、「自分のこづかい」のためだろうなあ。

オフィシャルサイト「ALWAYS 三丁目の夕日」