そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

あおげば尊し

2008年08月31日 | 人間/社会派ドラマ

2005年 日本 82分
■2008.8.19 DVD
■監督 市川準
■出演
   テリー伊藤(峰岸光一)  
   薬師丸ひろ子(光一の妻)
   麻生美代子(光一の母)
   加藤武(光一の父)
   絵沢萠子 大倉孝二 入江雅人
   伊藤大将(田上=生徒)
   
 《story》

「父は黙ったまま、私たちに最後の授業をする」

光一のクラスの田上という男の子が、インターネットで死体を見ていて、クラス中が大騒ぎとなる。田上は、近くの斎場に行って死体をのぞき込み、学校に連絡を受けることもあった。「なぜ死体を見てはいけないの」という問いに、光一はうまく答えられない。クラスの雰囲気は悪くなっていく。光一の父親が余命3ヶ月で自宅に戻ってきた。光一は、クラスの子どもたちを家に連れてきて、父親に会わせる。老いとは死ぬとはどういうことか伝える方法がわからない。子ども達は次第に興味をなくしていったが、田上だけは何度も来たがった。ある時デジタルカメラで写真を撮っているところを見つけ、光一は怒り突き放す。風邪で休んでいた田上を見舞ったとき、亡くなった父親の話を聞く。田上が5才のときに、病気で死んでいく父親を目の前にしたのだが、はっきり覚えていないという。父親は手を握ってほしいと言ったが、できなかったという。再び光一の家に来た田上は、光一の父親の手を握る。

 死ぬことも死を見ることも怖い

死を見ることがいやだ。テレビでだれかが死ぬ場面が出てくると目をそらしたくなる。「死」そのものよりも、死ぬことの苦痛がいやなんだと思う。その苦痛を想像するだけで怖くなる。もし苦痛がなければ、死んでもいいかもしれない。あとは、死のあとの面倒なことがいやだ。葬儀には参列したくない。だれもがそうだと思うけど。いやいや私がとりわけ恐がりで、臆病で、小心者で、めんどくさがりやなんだろう。
身近な人が死ぬ姿なんて見たくないし、その場にいたくない。どうしていいかわからなくなる。どんな行動を取り、どんな声をかけていいかわからない。その場から逃げ出したい。光一のように冷静にはいられない。

ポイントがたくさんたまっているので、電子辞書を買おうかと思って、店頭に見に行ったり、パンフレットを読んだりしていた。英会話の練習ができるんだ、100コンテンツも入っていて、学習から生活、医学までいろいろなことが調べられるんだ、そう思って期待がふくらんでいた。でも、どんなときに使うだろうか。英会話なんて練習する時間が取れるだろうか。何か調べたいときはいつもインターネットをしているじゃないか。電子辞書の必要性がない。実際に店頭の電子辞書で何かを調べて見ると内容が物足らない。今買う必要性を感じなくなった。40000ポイント、期限は来年3月、何に使おうか、今一度考えてみよう。

 公式サイト「あおげば尊し」

天国の階段

2008年08月30日 | その他


■2003年 韓国ドラマ 全22話
■2008.8 DVD  with r
■出演
  チェ・ジウ
  (チョンソ=ハン・ジョンソ、
               少女時代=パク・シネ)
  グォン・サンウ
  (ソンジュ、少年時代=ペク・サンヒョン)
  シン・ヒョンジュン
    (テファ、少年時代=イ・ワン)
  キム・テヒ(ユリ、少女時代=パク・ジミ)   リ・フィヒャン(ミラ=ユリの母)
  ハ・ジェヨン(ハン教授=ジョンソの父)   ジョン・ハンヨン(ピルス=ミラの元夫)
  キム・ジスク(ミン会長=ソンジュの母)    イ・ハン・ウ(チャン理事)

 1話「孤独の始まり」 
    2話「ソンジュの旅立ち」 
  3話「事故の惨劇」
  4話「失われた記憶」 
  5話「奇跡の再会」 
  6話「思い出の海辺へ」
  7話「過去との別れ」 
  8話「ただひとつの愛」 
  9話「涙のシンデレラ」
 10話「届かぬ想い」 
 11話「テファの願い」 
 12話「運命の婚約式」
 13話「友情の証し」 
 14話「涙の山荘」 
 15話「結婚宣言」
 16話「希望の箱」 
 17話「テファの告白」 
 18話「目を襲う異変」
 18話「ミラの計略」 
 20話「あばかれた真相」 
 21話「テファの献身」
 22話「永遠の愛に向けて」

 《story》

ソンジュとチョンソは幼なじみ。小さい頃から家族ぐるみでつきあい、苦楽をともにして生きてきた。ソンジュの父親が亡くなったとき、チョンソの母親が亡くなったとき。チョンソの父親のハン教授は、女優のミラとの再婚を決意する。ミラには、テファとユリという隠し子の兄妹がいたが、引き取って育てることにした。新しい家族と新しい家での生活が始まった。しかし、ミラはチョンソにつらくあたり、ユリだけをかわいがるのだった。ソンジュとチョンソの留学話も、チョンソが行かれないように仕組む。チョンソは、ソンジュとの再会を誓い涙の別れをするのだった。実の母親であるミラからけむたがられるテファは、チョンソの優しさに惹かれていく。
3年後、チョンソの留学を控えていた。ソンジュが帰国するという連絡を受け、空港に駆けつける。それを阻もうとユリが車で追いかけ、チョンソを車ではねる。意識不明のチョンソをテファは自分の父親のもとに連れて行き介抱する。ユリは、身元不明の別な事故現場の遺体をユリにしてしまう。
数年後、チョンソは事故もそれ以前の記憶も失っていた。画家としてのテファと仲良く暮らしていた。ソンジュが任せられていた遊園地の壁に絵を描くことになり、テファが選ばれた。そしてその遊園地で、ソンジュとチョンソは再会するのだった。しかし、チョンソは覚えていない。追いかけるソンジュ。チョンソの存在を知った、ミラとユリは、ユリとソンジュの結婚を成し遂げるために、チョンソとテファにさまざまな企てをする。チョンソの記憶は戻るのか・・・・・・・・・。

 韓国映画だと受け入れられるのは

片足を立て泣き崩れるソンジュ、交通事故の重傷けが人を自宅で治療、名前を変えて生活、表に出ない暴力事件、涙があふれるくさい演技、離れてはひっつき、ひっついては離れるこだわり、重病人の退院、手術後の変わらない健康的な生活・・・あげればきりがない。そんなことないでしょう、と思うんだけど、受け入れてしまう。これがもし日本映画だったらそうはいかないと思う。なぜ韓国映画だと受け入れてしまうのだろう。そのまま続けて見たくなるし、感動してしまう。好きになってしまう。不思議な魅力だ。

盆休みも終わって、また土日しか映画やドラマの楽しみがない生活にもどった。毎日ドラマや映画を1本ずつなんてできるわけない。週に2~3本見られたらいい方かな。内容なんてすぐに忘れてしまって、監督がだれだとか出ている俳優はだれだとか、頭にはないけど、劇場で我を忘れてスクリーンに没頭している時間がつくられれば満足。生活のストレスを少しは発散できる。しかし、初めてストレスのたまる映画を見た。試写会なんだけど、「R246 STORY」という映画だ。6人の監督ということで楽しみにしていたんだけど、見ていてイライラしてきた。途中退場する人も続出。まあまあだったのが最後の「夫婦弁当」ぐらいかな。残り少ない人生。いい映画をたくさん見たいものだ。


私のちいさなピアニスト

2008年08月23日 | 人間/社会派ドラマ


2006年 韓国 108分
■原題「FOR HOROWITZ」
■2008.8.17 DVD
■監督 クォン・ヒョンジン
■出演
   オム・ジョンファ(キム・ジス)
   パク・ヨンウ(グァンホ)  
       シン・ウィジェ (キョンミン) 
       チェ・ソンジャ(キョンミンの祖母)
   ユン・イェリ(ジョンウン=ジスの友達)
   チョン・インギ(ジスの兄)
   ジュリアス=ジョンウォン・キム キョンミン=成人)

 《story》

「別れのつらさが美しい調べにかわる」
「孤独な少年と落ちこぼれ教師、二人が奏でる愛の奇跡」
「さよなら先生、ありがとう僕の先生」


ソウル郊外のピザ店の二階で、ジスはピアノ教室を開いた。ジスは、自分がピアノで成功しなかったのは、貧しい家庭環境のため留学できなかったからだと挫折感を抱いていた。そこへ引っ越した日、荷物の中からメトロノームを取り出し持って逃げた少年がいた。交通事故で両親を亡くし、祖母と二人暮らしのキョンミンだった。心の問題を抱えているのか、町の中でのイタズラが絶えず、口を聞こうとしなかった。キョンミンは、ジスが貼ったピアノ教室のチラシをかたっぱしから剥がしていった。ふとしたことで、キョンミンがピアノの前にすわった。落ち着いた表情で、手を鍵盤に載せ、ジスはピアノを弾かせた。すると、彼は「絶対音感」を持っていて、ジスが弾く通りを見事こなした。ジスは、ピアノ教室の宣伝、自分の名声を上げようと、キョンミンにピアノを教える。ジスに一目惚れした、1階のピザ店主ヨンウは、彼女らを温かく包んだ。コンクールに臨んだジスとキョンミンだったが、ステージで事故のトラウマが脳裏をかすめたキョンミンはピアノを弾くことができなかった。一度は突き放したキョンミンだったが、ジスは彼を心から慈しんでいることがわかり、キョンミンの祖母の死後、彼を引き取ろうと決心しようとしていたとき、友人の留学先の先生へ、キョンミンを養子に出す話が持ち上がる。ジスは、彼の才能を伸ばすために、突き放し送り出す。

 才能か愛情か

どちらも大事だということかな。もし彼がジスに育てられることになったら、才能は生かされなかっただろうか。そうとも言えない気がする。むしろ愛情を深めながら才能を伸ばすことができたのではないだろか。彼女が自分の才能の限界に気づくことが、彼女自身の成長であると言うなら仕方ないかもしれない。キョンミンにとって愛情よりも才能を伸ばすことが幸せなのだろう。むしろ、その一時の気持ちで、一緒に生活することがこれからの幸せを約束するとは言えない。今後の彼女の人生を大きく狂わせ、誰もを不幸にしたかもしれない。キョンミンがドイツの先生の養子になったことが幸せだったかどうかについても一本道ではない。うまくとけ込んで才能を開化できて、ジスへの感謝の気持ちがあったからこそよかったけど。馴染めず、ジスへの恨みがつのるとなると、最悪のシナリオだ。

眼鏡市場に行った。ずっと迷っていた。遠近両用眼鏡を買うかどうか。安くていいものが手に入って、目になじめば文句なし。でも、安くて品が悪かったり、その程度のものなら、他の店でも安く手に入るのではないか。眼鏡市場は行ったことがない。18900円で買えるなら安い。店に入ったら客やいなかった。厳つい顔の店主が淡々と検眼してくれた。近視の方も悪くなっていた。右目が度を上げてもよくならないのが心配だけど、両目で1.0見えるように両方の度を上げた。フレームも丸味を帯びた目立たないブラウン系にした。できあがりは8日後だ。さて当たりか外れか。

『さまよう刃』東野圭吾を読み終えた。心情としては、復讐を果たしてほしかった。結局あの少年はたくさんの人間の心を傷つけた。ペンションの女の人も、刑事たちも、被害者の親も、みんな心を痛めつけられたまま、それぞれの帰る場所にもどらなければならなくなった。被害者にならなければわからない心情。身を苛まれる思いだった。

 公式サイト「私のちいさなピアニスト」


星になった少年 Shining Boy & Little Randy

2008年08月22日 | ラブロマンス/青春


2005年 日本 113分
■2008.8.16 DVD
■監督 河毛俊作
■出演
   柳楽優弥(小川哲夢)  
   常盤貴子(小川佐緒里=母)
   高橋克実(小川耕介=父)  蒼井優(村上絵美)
   倍賞美津子(藤沢朝子=祖母)

 《story》

「僕は、夢に生きる。」
「彼は、生きました。夢に向かって急ぐように。」


1989年、千葉県の小さな家族動物プロダクション。そこに、母の佐緒里の夢であった象がやってきた。ミッキーと子象のランディだ。象と会話ができると言って哲夢は象たちと仲良くなっていった。そして、象使いになりたいと、タイの北部チェンマイの象学校に一人で留学する。言葉もわからないまま、子象のファーを任されるが、同じ生徒達ともファーともなかなかなじめない日々が続く。しかし逃げ出したファーを見つけたことをきっけに、ファーとも仲間とも打ち解けていく。帰国した哲夢は、ランディーを調教して映画などに出演する。哲夢の夢であった象さんショーも開催する。そしていつか年老いた象が余生を送る楽園を作りたいと夢に描く。その矢先、哲夢は事故を起こし亡くなる。

 夢を追うこと

夢を持つことがなくなってしまったり、夢自体が貧弱になってしまいがちな現代。自分の夢を追い求め努力することの素晴らしさを感じる。しかもそれが「象使い」という、普通にはなかなか持たない夢だからなおさら注目もあっただろう。若くして亡くなったことは本当に残念だと思う。彼の特殊な家庭環境から生まれた夢。さらに、タイというこれも特殊な場所での学習、努力も彼を光らせている。しかもあきらめずに修得してもどり、そして日本で次々に夢を叶えていく。
「くさい」といういじめは許せないな。においや見かけやちょっとした違いを元にはじき出す集団を見ると情けなくなる。いろんな人がいていい。暴力といじめだけはいやだ。いじめがかれを外に追い出す。それがタイへの留学につながったことは、やっぱり否定できないと思う。学校に行きたくなくなったのは、もちろん夢を追いかけたいことが一番だけど、魅力のない学校から抜け出したいこともあげられるだろう。

昨日、こわい夢を見た。首を切られる夢だ。まわりの人間が一人ずつ首を切られていく。しかし、後から首がつながれて生き返る。執行人は言う。「100%生き返る。儀式のようなものだ。一度首を切る」・・・つまり一度死ぬ、ということだ。必ず元のように首はつながり生き返るという。みんなやっているという。瞬間、がまんすればいいこと。どうするべきか悩む。必ず生き返るということを信じているが、こわくて決断できないでいる。目が覚めても、どうしようかと思い悩んでしまった。必ず生き返るなら、一度死ぬことができるか。その日の朝の占いは、おみくじは「凶」・・タロットは「死神」が出た。結局何も起こらなかったけど。


ヒナゴン

2008年08月21日 | 人間/社会派ドラマ


2005年 日本 121分
■2008.8.14 DVD
■監督 渡邊孝好
■出演
   伊原剛志(五十嵐一郎=イナゴのイッちゃん)
   井川遥(石井信子)  上島竜兵(吉岡純平=ドベ)
   嶋田久作(南波大助=ナバスケ)
   鶴見辰吾(橋本勝=カツ)
   松岡俊介(島本順平=順平)
   柳家花緑(西野俊彦)
   馬渕晴子 (宮本先生) 佐 藤允 (荒川達吉)
   豊原功補(片山市長)  雪村いづみ(石井絹代)  
   夏八木勲(石井健作=ホラ健)

 《story》

広島県の県北の街、比奈町。一時は謎の類人猿「ヒナゴン」で有名な町となったが、そのブームも去り、財政難のため合併問題で揺れる町となっていた。かつて少年時代にヒナゴンに遭遇したと信じるイっちゃんが町長となる。そして再び類人猿課を立ち上げる。その類人猿課に、30年前にヒナゴンの第一発見者であり、後の嘘つき扱いされたホラ健の孫の信子が就職する。そしてイっちゃんの幼なじみたちがヒナゴンの調査に乗り出す。小学校教師の順平は、総合学習でヒナゴンについて取り組む。森の中でヒナゴンの絵を描いていたとき、一人の少女が「ヒナゴン」を見たという。そのことがきっかけとなり、再び比奈町はヒナゴンで揺れ始める。合併問題とからみ、町は大きく二分される。ヒナゴンは本当にいるのだろうか。

 夢があっていいかな

子どもの頃は、UFOだとかネッシーだとか、テレビでもよく特集をしていた。広島県比婆郡の「ヒバゴン」もそうだった。「つちのこ」さわぎもあった。そんな神秘的な生き物や出来事って、人間の生活の中で必要なことなのではないかと思う。それを利用して金儲けするような悪い人間がいるからいけないんだけど、「人間」のあり方を考える機会になるんじゃないかと思う。そして昔は人間の悪への抑制効果もきっとあったことだろう。町長は「ヒナゴン」で町おこしという考えがあったのだと思うけど、山の神様、山を大事にする、山のことを考える機会になればいいけど。金儲けのために群がるようじゃ、夢も信じる気持ちも消えてしまう。

団地の裏山を散歩していたら、猿に出会った。初めてだ。広島市近郊の山の登山道につながっているアスファルトの道だ。車が通る広い道。片側は小高い山、反対側は畑、すぐそばに民家がある。目の前を5~6匹の集団が通り過ぎた。私の姿を見て、慌てて畑から山に入り込んだのだ。しばらく見ていると、山の中で私に威嚇した。早くどっか行けと言ってるみたいだった。20年以上、散歩で通ってきた道、こんなところで猿に出会うなんて夢みたいだった。猿は現実の世界だけど、山や海には、人間がまだ知らぬ何かがあるという夢、それは大事なことだと思う。テレビの世界だけでなく、身近な自然に、生活の中になければならないこと。そんな気がするけど。

パソコンのインターネットブラウザがおかしくなった。すぐに強制終了してしまう。朝できたのに、夜にはこうなってしまった。何が原因なんか。確かに、最近インターネットしていて遅い重い感じがしていた。まずウイルスではないかと検索したが異常なし。次にシステムの復元を試みたが、「できません」となる。インターネットエクスプローラー7のインストール。今度は閉じるとフリーズ。すべてのデータをバックアップして初期化することを決意。DVDで6枚。同じような症状の人はいないかと調べてみたら、いた。アドオンがどうとか書いてあった。無効にすれば解決するかもとあった。やってみた。すると直った。ノートン関係のアドオンだった。何がどうなってこうなったのかわからないけど、一安心。1日かけて初期化するところだった。電話も設定しなければならないし大変なことになるところだった。

 「ヒナゴン」関係サイト


えじき

2008年08月18日 | ホラー

2004年 アメリカ 91分
■原題「DEAD BIRDS」
■2008.8.13 DVD
■監督 アレックス・ターナー
■出演
   ヘンリー・トーマス(ウィリアムス)
   ニッキー・エイコック
   イザイア・ワシントン
   マイケル・シャノン
   パトリック・フュジット

 《story》

南北戦争時代のアメリカ。ウィリアムら強盗団が銀行を襲撃し、皆殺しにした上で金貨を盗んで逃走。ウィリアムスが、死んだ戦友に教えてもらった森の中の屋敷に逃げ込む。屋敷前の畑は枯れ、ミイラになった十字架の死体や毛皮が剥がされた奇妙な動物の死骸が彼らを迎えた。屋敷の中でも、奇怪な足跡や亡霊が現れは始めた。一人、また一人と仲間が消えていく。その屋敷は、死んだ戦友の家族が惨殺されていたのだ。それは、この屋敷の主が、死んだ妻を生き返らせようとした闇の儀式だった。生け贄の女の腹から怪奇な生き物が現れた。草むらの中を逃げるウィリアムス、彼を追いかける怪奇な生き物。草むらを抜けたとき銃弾がウイリアムに。倒れたウィリアムは、あの毛皮を剥がされた奇妙な動物の姿になって倒れた。

 日本的ホラー、プラス

「リング」などの日本ホラーに影響されて・・・そんな恐怖を味わえるとパッケージに書いてあったような。初めはそんな雰囲気もあったけど、やっぱりモンスターで終わってしまったような気がする。もうひとひねりほしいところ。検索してもあまり出てこないC級と言われても仕方ないかも。「怨念」と「モンスター」が一つになったらおもしろくなくなる。私個人の意見だけど、怨念は、忌まわしい出来事があって、憎しみや恨み、悲しみの心が渦巻いている。人間の心に潜む恐怖こそ、日本的なホラーであるというイメージがある。貞子もその域を超えるとただのモンスターだ。

突然だけど、英語は大嫌いだ。中学、高校、そして大学とずっと嫌いだった。そりゃあ話せたら素敵だろうけど、海外旅行に行くお金もないし、外国に人と話す機会もないし、別に話せなくても困りはしない。でも、これからの子ども達はちがうだろうなあ。外国人労働者はどんどん増えているし、この間のニュースでは、看護士として外交の人が日本にやってくるという。今でこそ身近にはいない外国の人も、1年先、2年先はわからない。必要だとは思うけど、やっぱり嫌いだ。韓国語の方が親しみやすいよ。息子は大学で韓国語を取ったそうだ。将来行ける海外旅行は韓国が有力だ。

弓道は12本矢を射って競うそうだ。息子の初めて試合、12本で3本当たったそうだ。今まで思いもしなかった部活。これからは興味をもって見ていけそう。

あしたの私のつくり方

2008年08月16日 | ラブロマンス/青春


2007年 日本 97分
■2008.8.12 DVD
■監督 市川準
■出演 
   成海璃子(大島寿梨)  前田敦子(花田日南子)  
   高岡蒼甫(田村博之)  近藤芳正(古垣賢一)  
   奥貫薫(日南子の母)   田口トモロヲ(上島浩二)  
   石原真理子(大島さつき=母)  
   石原良純(杉谷正=父)

 《story》

「大人になった少女たちに、
         見てほしい物語があります。」
「一通のメールからはじまる『私』の忘れられないストーリー」
「わたしなんでこんなにがんばっているんだろう」


大島寿梨、学校では仲間外れにされないように、目立たず友達に合わせる。家では家族のために私立受験。しかし、受験に失敗し、公立の中学に入ったものの、父母の折り合いが悪く離婚。兄は父に、寿梨は母に。小学校のときみんなの中心にいたはずの花田日南子は、寿梨が受験で休んでいる間にみんなから外されていた。高校生になり、転校した日南子の情報を聞き、コトリという偽名でメールを送る。それは「ヒナとコトリの物語」日南子が転校した先の高校でハッピーな少女に変わっていくお話。ヒナはその通りに物語が現実になっていく。でも、本当の自分はどれ?寿梨にとっても日南子にとっても、何が本当の自分なのかわからなくなった。コトリって誰?
現実の世界で二人が会ったとき、本当の自分が見えた。

 何もかも自分

悪いことを考える自分、理想を求める自分、恥ずかしい自分、情けない自分、ちょっと優しい自分・・・全部自分。まるごと受け止めて、また明日の自分を作ろう。演じるのではなく作っていく。悪い自分が顔をのぞかせるかも、理想ばかり追っても、それはただの見せかけ、そこから離れてしまったらつらいだけ。悪い自分も優しく受け入れ、明日の自分をはりきって作っていこう。何もかも自分。

ようく考えたら、結局自分のことしか考えていないことが多い。人のため・・と言いながら、結局自分の気持ちを満足させるために動いているに過ぎない。人のために折り鶴を折る。それは、「折ってあげる」のであって、満足する自分をつくるため。折り鶴に人への願いなんてこめられていない。重松清の「きみの友達」を読み終えた。この人の作品は心を打たれる。この作品の恵美のように、ピシャッと悪いところを指摘され、それでも「いいんだよ、また歩こう」と優しく動き出すエネルギーを与えてくれる。「みんな」という言葉に翻弄され、その中にいなければ安心できない学校。だれもが恵美のようになったらいいわけじゃない。だれもが、「みんな」の中で必死でもがいている。

 公式サイト「あしたの私のつくり方」


歩いても 歩いても

2008年08月15日 | 人間/社会派ドラマ

2007年 日本 114分
2008.8.11 シネツイン2
■監督 是枝裕和
■出演
   阿部寛(横山良多)  
   夏川結衣(良多の妻=ゆかり)
   YOU(良多の姉=ちなみ)
   高橋和也(ちなみの夫=信夫)
   田中祥平(横山あつし)  寺島進 (-)
   加藤治子(-)  樹木希林(横山とし子)
   原田芳雄(横山恭平)

 《story》

「人生、はいつもちょっとだけ間に合わない」
「今年の夏も、15年前のあの日につづいている・・・」
「横山家の一日には、
    誰もが自分の家族の物語を重ね合わさずにはいられない」

横山家に息子や娘の家族が集まってきた。15年前に死んだ長男の良平の命日だった。良平は父の病院を引き継いだものの、海で溺れていた子どもを助け、自分が溺れて死んだ。父の恭平は、医業を引退した後も、家長としての威厳にこだわり、息子達とソリが合わない。息子の良太は、前妻に死なれ、再婚した妻とその連れ子を伴って、久しぶりに家に帰った。ぶつかる父子、気疲れする妻、娘のちなみは、持ち前の明るさで器用に家族間を取り持つ。母が腕をふるったご馳走を前にして、子ども達の小さかった頃の話に花が咲く。しかしながら、ちょとずつそれぞれの思いはずれる。家からみんなで歩いて墓参りに出かける。もんきいちょうを見かけた母は、生き残ったもんしろちょうの色が変わったんだという。そのもんきいちょうが、夜家の中に入ってきた。母は、死んだ良平だと言って追いかける。次の日、次は正月だねと言って見送る父と母。しかし、それから家に戻ってきたのは葬儀のときだった。

 ほっとするのは

子どもは子ども、父は父。自分は子どもであり父でもある。きっと父も同じ事を同じ年齢で思ったことだろう。しかし、それは見えない。自分はこの人の前ではいつも子ども。父ではない。ズレはどこにでもある。そう言われたらほっとする。自分を責め人を責め、抜け出したいのに抜け出せない。不器用な人間があそこにもいた。娘のように器用に話せたらいいのに、でもそれができない。すれちがってもいいんだよって言われると少しほっとする。子どもでもあり父でもある。子どもとしても失格であり、父としても失格。太宰治の人間失格かも。

久しぶりに夢を見た。二人の子どもが小学生だった。ある建物の中で何か講義のようなものを受けていた。でも、その中身は悪いことに洗脳されると思った私は、二人を呼びだし、深入りしたらダメだと注意する。二人は、わかったと言いながらもまたその建物に入る。入ったときに、そのまま連れ帰ればよかった後悔する。人生すれ違い。歩いても歩いても思い通りにはいかない。

 公式サイト「歩いても 歩いても」

ザ・フォッグ

2008年08月14日 | ホラー


1980年 アメリカ 90分
■原題「THE FOG/JOHN CARPENTER'S THE FOG」
■2008.8.10 DVD
■監督 ジョン・カーペンター
■出演
   エイドリアン・バーボー
   ジェイミー・リー・カーティス
   ジャネット・リー
   ハル・ホルブルック
   トム・アトキンス

 《story》

小さな港町、アントニオ・ベイ。今、街の誕生100年を迎え、功労者6人を讃える銅像の序幕を行おうとしていた。海岸では、ブラシやオルゴールなど昔の異物が打ち上げられていた。それは100年目に封印された惨劇への復讐の始まりだった。沖合で停泊していた漁船が霧に包まれ、何者かに襲われる。霧はしだいに街を覆い始める。霧の中から現れる亡者たちが人々を襲う。そして、功労者であった6人は、実は彼らの財産を奪い、彼らを惨殺した事実が見えてくる。彼らの子孫が次々に殺されていく。

 怖いってなんだろうか

この映画はリメーク版が劇場で放映されるそうだ。映画館で見たら、「怖かったね」って言えるのだろうか。「怖さ」って何だろう。血みどろの惨殺シーン、歪んだ恐ろしい形相、それともびっくり驚き場面・・・背筋も凍る怖さってなんだろう。寝ていて、ふっと目を覚ましたときに感じる影。私は何を求めてホラー映画を見るのだろうか。よくわからなくなってきた。怨念の現れ方にもよるだろうけど、足下にのぞく形相、ふっと捕まれる手、背に張り付く影・・・中学2年のとき、劇場で見て顔をあげられなかった「エクソシスト」をもう一度見てみるかな。そして怖さとは何かを考えてみよう。

墓参りに行った。3つの墓に参る。市内をしょうど三角形に移動する。福田から瀬野川に移動するとき旧街道を通った。狭い道だ。対向車とすれ違うときにぎりぎりで苦労する。こっちも向こうも長蛇の列。曲がりくねった道。残っている古い町並みの雰囲気。出迎えの松があった。大名行列が戻ってきたときに、この松が迎えたという。そんな事を考えながら、時間をかけて車を走らせた。国道を通ればもっと安全で速い。でも、急に通りたくなった。そのことを口にしないから、自分の気持ちを受け止められなくても表現しようとしないこと、いやできないことが、恐怖の起源だ。こんな狭いところを走ってとしか思われない。いつも通り、助手席には誰もいない。話を聞く耳はそばにない。後ろの2列にみんな収まる。運転手としてだまって車を走らせるだけ。


ハプニング

2008年08月13日 | ホラー


2008年 アメリカ 91分
■原題「THE HAPPENING」
2008.8.8 TOHOシネマズ緑井
■監督 M・ナイト・シャマラン
■出演
   マーク・ウォールバーグ(エリオット)
   ズーイー・デシャネル(アルマ)
   ジョン・レグイザモ(ジュリアン)
   アシュリー・サンチェス(ジェス)

 《story》

「人々は滅びたいのか」

ニューヨークのある朝。ベンチで談笑していた若い女性が、突然自分の喉を刺し自殺する。工事現場では、作業員たちが次々と飛び降り自殺する。この奇妙な事件により、エリオットの高校では緊急避難することになった。彼も、妻と同僚の家族と非難することにした。この事件は、自殺する直前に、言葉の錯乱、方向感覚の喪失といった兆候が見られ、何の躊躇することもなく自ら命を絶つ。ウイルスか神経ガスか原因はわからない。車での逃げ場を失ったエリオットたちは、草原を彷徨い歩く。風とともに植物たちのざわめきが人を死に追いやる。

 植物だって怒っていいよ

だまって切り倒される必要はないよ。むしられ、潰され、見た目が悪いからと刈り取られていく植物、雑草たち。肥料をやらなくても、水をやらなくても、コンクリートの隙間からでも伸びて成長していく。地球を作る主人公なのかもしれない。人類が絶滅したって、それは地球にとっていいことなのだ。生き物をずっと繁栄させていくためには、人類はいない方がいいのだ。そりゃあ人間にとってしてみれば、どんどん死んでいく人間を見るのはたまらなく恐怖だ。もし自分がそんな場面に出くわしたら、まあ知らないうちに死ねるからいいかもね。

植物が反応する話は帝釈峡の白雲洞でもあったよ。観光客が、入り口の植木の葉をちぎると、その観光客が出てくるとき、植木の植物がざわめくんだって。言葉がわかるのか雰囲気を感じるのかわからないけど、植物に悪い言葉を浴びせ続けると枯れてしまうそうだ。人間世界の中の植物は、人間の言動に感じて反応する。人間の植物世界の中では、枯れた植物たちの中で気が滅入るように、緑あふれる中で気が休まるように、植物たちの姿に反応する。酸素や大気などの環境ひとつとっても、植物なしでは生きられない人間。働いても働いても、休みも取れない、貯金もない。田舎でのんびり暮らしたいものだ。食べることさえできたらそれでいい。それこそ贅沢なのかな。

何をやってもできる人がいる。運動も勉強も趣味も、会話をしても人を惹きつける。反対に何をしてもうまくできない人がいる。運動音痴、記憶力なし、音楽もだめ、趣味も満足でない、話し下手。こんな人はどうやって生きていけばいいのだろうか。何か一つでもいいところを見つけようと思うのだけど、何にもない。自慢しようと思うからいけないのだろうか。重松清のグリコの君。自慢はできないけど、グリコで3歩ずつ進めばいい。他のだれかはチヨコレートで6歩ずつ進むけど、それでいい。自分も自分なりに登っているよ。自慢はできないけど、自慢しようと思わなければいい。

 公式サイト「ハプニング」