そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

あした

2007年06月28日 | ファンタジー/アドベンチャー


1995年 日本 142分
■2007.6.21 GyaO
■監督 大林宣彦
■出演
   高橋かおり(原田法子-冒頭の女の子)  
   林泰文(大木貢-冒頭の石を投げた男の子)
   宝生舞(朝倉恵)  原田知世(わたし)
   津島恵子(金澤澄子-ヤクザの姉さん)
   植木等(金澤弥一郎-ヤクザの親分)
   井川比佐志(森下薫) 
   岸部一徳(笹山剛-ヤクザ)
   多岐川裕美(森下美津子)
   朱門みず穂(綿貫ルミ)
   峰岸徹(永尾要治-妻と娘を失った父)
   村田雄浩(唐木隆司-水泳の先輩)  根岸季衣(一ケ瀬布子)
   ベンガル(池之内勝-ヤクザの兄貴)
   田口トモロヲ(笹山哲-ヤクザ)   柏原収史(高柳淳-恵の彼)
   尾美としのり(学校の先生)   風吹ジュン(冒頭の少年の母)

  《story》

「人は約束する。
    出逢うために、共に生きるために、
    そして、ときには、
    『さよなら』を言うために・・・・」

尾道の内海で、小型客船、呼子丸が遭難した。乗客全員が不明のまま、三ヶ月がたった。残された恋人、夫、妻たちのもとに、不明者からのメッセージが届いた。「今夜午前0時、呼子浜で待っている」朝倉恵は恋人の淳から、ヤクザの親分は孫と妻から、永尾は妻と娘から、小百合と沙由利はコーチから、美津子は夫から。この近くの温泉に泊まっていた法子は、小学校時代に離ればなれになっていた貢と出会う。貢はヤクザの子分になっていた。
本当に不明者はやってくるのか。刻一刻と午前0時に近づいていく。

 あしたは期待と不安
今は不安の方が大きいかな。その不安材料をなくすように努力はしているんだけど。
さて、この映画のあしたは期待。みんな期待を胸に集まってきた。不思議な縁で結ばれた人たち。それは船の乗客だった人も。彼らに会いに来た人たちも。もしもう一度会えたら何を話そう。やっぱり謝ることしかないかな。「やあ元気?」なんてしらじらしい。「なぜあなたは死を選んだのですか」昔も今も、私にはどうすることもできなかった。何の力もない、自分のことしか考えられない、自分のことで精一杯な日々。こんな言い訳ばかり。みんなどこに行ってしまったのだろうね。天国かな。少し人間くさくなりすぎて、始めにあった神秘さが消えていった。最後まで神秘さや、多少サスペンス的なホラー的な要素もあっていいのではないかと思った。

 幼稚園時代 2007.6.25
ふと思い出す。元々いた幼稚園はキリスト教の関係だった。家を建て、引っ越した先の幼稚園は何も宗教的なものはなかったと思う。転園・・・初めてだったか、病気で遅れて行ったか、はっきり覚えていないが、母親に置いていかれる寂しさで泣いた記憶がある。結局、家に連れて帰ってもらった。あの寂しさをふと思い出す。
この幼稚園の関係で思い出すことは、2本の鉄の棒でできた滑り台のようなもので、頭がはさまって大泣きしたこと。登園するとき、手をつないだ女の子の手が余りに細くて小さくてびっくりしたこと。その子は小学校にあがっても細かった。絵を描いていて、隣の子の名前が「久保」と言う子で、「ぼく」と「久保」が反対であることを発見し誇らしく思ったこと。「ぼくはくぼ」と何度も言っていた。ブランコがこわかったこと。和田先生に憧れていたこと。

 『ひびけ青空へ! 歓喜の歌』-板東ドイツ俘虜収容所物語-安宅温 
      ポプラポケット文庫 【BOOK】 2007.6.24 

あの映画は、日本にこんな事実があったのかと感動したものだ。それが児童書と本屋にならんでいたのですぐに買ってしまった。1日で読み終えた。舞台は徳島の板東俘虜収容所。松江所長が映画の主役だった。しかし、ここではドイツに侵略されたポーランドのヘルトレが準主役だ。なぜなら、彼の子孫がこの本の作者だからだ。血はつながってないようだが、ヘルトレが日本に再びやってきて、生涯を送るほど、この収容所での生活は心に残るものだったのだということがよくわかった。それに、ドイツに強制的に兵士にならされ、こんな遠くまで戦争に駆り立てられてきたという複雑な立場の人間がいたこともよくわかった。同じ収容所で、侵略した相手と一緒に生活したくない。そんな彼らの気持ちを考慮して、松江所長は別棟の施設を与えた。そんな人を大切に考えることが、これだけの感動的な大舞台を用意することができたのだと思う。小数派の弱い立場の人間のことを考えることの大切さを教えてくれる。

綴り字のシーズン

2007年06月24日 | 人間/社会派ドラマ

2005年 アメリカ 105分
■原題「Bee Season」
■2007.6.18 wowow
■監督  スコット・マクギー
■出演  
  リチャード・ギア (ソール・ナウマン-父)
  ジュリエット・ビノシュ (ミリアム・ナウマン-母)
  フローラ・クロス (イライザ・ナウマン-娘12才)
  マックス・ミンゲラ (アーロン・ナウマン)
  ケイト・ボスワース(チャーリ)

 《story》
北カリフォルニア、ナウマン一家は理想的な家庭に見えた。父のソールは宗教学者で、大学教授だった。兄は学業優秀で、父の期待を背負っていた。科学者の母、そしてイライザは12才の6年生。料理もして家族を温かく迎え、太陽のような家族の中心でありたいと快活に生活していた。ある日、イライザは、「スペリング・コンテスト」の地区大会で優勝する。父ソールの関心は兄からイライザに移っていった。ソールは、宗教学者としての理念を、文字が持つ神秘的なエネルギーの重ねて見ていた。イライザは、次々と大会を勝ち進んでいった。イライザが目をつむると、その言葉のスペルを読む声が聞こえてきた。ソールは、それをユダヤ教の神秘的な力へと導いていった。同じ頃、母のミリアムは、幼少の頃事故で両親を亡くしたことで、そのトラウマに悩まされていた。息子のアーロンは、父の関心が自分から離れていくことに動揺する。そしてヒンズー教に入り込んでいく。完璧に見えた家族が壊れていく。

 意味がわからない
初めは神秘的な文字の世界に引き込まれていった。その後の展開に期待しながら見ていた。バラバラになる家族。でも最後は・・・と思っていたけど、いったいどうなったの。コンテストのあのシーンは何? 母はどうして突然そうなってしまったの。以前から? 兄は反抗期? 父が結局自分勝手だっただけ。娘は、父の関心を惹きたかったからこんな力が出たの? なんか欲求不満で終わってしまった。

  公式サイト「綴り字のシーズン」

 たより 2007.6.23
突然電話があった。Sからだった。文化祭だったそうだ。あのおとなしそうだったSが、キャピキャピだった。箸が転んでもおかしい年頃だ。ユニセフ募金を集めたそうだ。600円だって。どうやって送るかだって。振り込みだよね。Yもいた。もう高校2年生だ。めったにないたよりにびっくりしたけど、あの頃のイメージがよみがえった。そんな口調になった。多分顔を見ればかしこまってしまう。電話は携帯だ。聞き取りにくかった。ソフトバンクかな。懐かしくてうれしかった。ありがとう。

 『ごますり甚内』 藤沢周平 新潮文庫 2007.6.23
けっこうおもしろく読んでいる。淡々と物語が進んでいくところがいい。あまりぱっとしない主人公。でも剣の達人。ごますりもへつらうようなあさましい感じではなく、必死に何かを求めてやっているところがけっこう好感をもてる。そして、妻思いであり正義の味方。今まで読んだ二編も同じようなキャラで、同じような展開だった。剣の達人であるのに、一見そうは見えないところがいい。使いの帰りに三人の敵と戦う場面や、城内の廊下で栗田の首を短剣で刺す場面。イメージだけで迫力を感じる。映像でみせるにはどうしたらいいだろうかと、監督になったように考えてしまった。
こうして見てくると、武士の世界も大変なんだな思った。五十五石って、今のお金に換算するとどれくらいなんだろうか。何人か人も雇わなければいけないだろうしね。
ごますりは、けっこう人のために何かをしていることだし、人の心を思っていい気分にさせてくれる。言葉はよくないけど、続けてもいいんじゃないかな。私ももう少しこういうことができるようにならなければと思った。ごますりはエネルギーのいることだからね。

パッチギ!

2007年06月23日 | ラブロマンス/青春

2004年 日本 119分
2006.1.28  シネマツイン1
  2007.6.16 DVD
■監督 井筒和幸
■出演 
   塩谷瞬(松山康介-府立東高2年生) 
   高岡蒼佑(リ・アンソン-朝鮮高校3年生)  
   沢尻エリカ
    (リ・キョンジャ-朝鮮高校2年生/アンソンの妹)  
   楊原京子(桃子-アンソンの彼女) 
   尾上寛之
    (チェドキ-朝鮮高校2年生/アンソンの弟分) 
   真木よう子(チョン・ガンジャ-朝鮮高校3年生) 
   小出恵介
    (吉田紀男-府立東高2年生/康介の同級生) 
   波岡一喜(モトキ・バンホー-朝鮮高校3年生/アンソンの親友) 
   オダギリジョー(坂崎-康介に「イムジン河」を教える坂崎酒店の若主人)  
   光石研(布川先生-康介と紀男の担任)

 《story》

「世界は愛で変えられる」

「パッチギ」とは頭突きのこと。
1968年京都。朝鮮高校の番長アンソンは、妹のキョンジャに言いがかりをつけ、服を汚した日本のつっぱった高校生をぼこぼこにした。そのときそばにいた松山康介は、キョンジャに一目惚れしてしまう。東高と朝鮮高校のサッカーの親善試合を申し込みに行ったとき、、「イムジン河」をフルートで演奏するキョンジャに出会う。康介は楽器店で坂崎にギターを習い、「イムジン河」を練習する。そして、公園で祝宴を開いていた、キョンジャンたち在日朝鮮人の人たちの前で、「イムジン河」を演奏し、親しくなっていく。
かっての日本へ強制的に連れてこられた歴史、それを知らない若い日本人の康介。その溝はあまりに悲しかった。二人の行く末は・・。

けんかは迫力満点。現実だったら死んでるな。けんかは好きではないので、ほどほどに。「パッチギ!」が題だけど、「頭突き」とはどんな意味が込められているのだろうか。精一杯つっぱること。つっぱらなければ生きられないこと。そうさせてしまった歴史の悲しさがそこにあるのかもしれない。そして、何もしらない日本の高校生。だからこそ、純粋に愛せるのかも。隔たりの河は、それを見ているだけで悲しみがこみあげてくる。しかし、越えられる。戦うためでなく、愛するために越えられる。けんかと愛。けんかは憎しみしか生まないけれど、愛は新しい命をつくりだす。理屈ぬきで、河を越えていきたいものだ。

 公式サイト「パッチギ!」

   2007.6.16 DVD

 純粋に愛する心
韓国だろうが日本だろうが、純粋に愛する心はステキだ。「ロミオとジュリエット」のように、敵だ味方だと言っていても、何もなかったかのように愛し合える。実際に何もないのだ。それを子どもはよく知っている。だから、子どもどうしだとすぐに仲良くなれる。大人は理屈をつけて素直になれない。今、世界中の子どもがここに集まったら、イスラムだろうが、キリストだろうが、北朝鮮だろうが、ロシアだろうが、黒人だろうが、白人だろうが、だれであろうがきっと仲良くなって遊ぶことができる。純粋に愛する心を持ち続けたい。でも・・・それは理想だと言ってしまう自分が悲しい。
いい映画だと思うけど、どうも喧嘩のシーンは好きになれない。あそこまでする必要はないと思う。「パッチギ」という題にした意味があるのだと思うけど、暴力はいやだ。

 『イノセント・ボイス-12歳の戦場-』 オスカー・トレス 訳/曽根原美保
竹書房文庫 【BOOK】 2007.6.22


「世界には誕生日を喜べない子どもたちがいます」
1980年エルサルバドル。中南米の小さな国。ここで内戦が勃発。政府軍と農民の土地をめぐっての争いがきっかけだった。農民はゲリラ組織を作り対抗した。政府軍は学校に乗り込み、12歳になった子どもを連れて兵士にしたてた。たとえゲリラに味方しても兵士にされてしまう。逃げるしかない子どもたち。チャバの家は政府軍とゲリラ基地の間にあり、毎晩のように銃撃戦の場となった。その度に、姉と弟とベッドの下に潜り込んで震えていた。チャバは11歳。もうじき12歳になり、政府軍に連れていかれる。逃れるために、屋根の上で息を潜めて隠れたこともあった。しかし、そのことがばれてゲリラの基地に逃げ込んだ。が、そこにも政府軍はやってきて、チャバは捕まってしまう。銃を突きつけられ、川に連れていかれ銃殺されようとしていた。そんな恐怖を、今の日本の12歳の子どもは、果たして共感できるだろうか。家の中に弾が飛び込んでくる恐怖。5時までに家に帰らないと殺されてしまうかもしれないという恐怖。想像もできない状況の中で生活しているのだ。そんな現実を知らなければならない。そして、どんな戦争も争いも、どんな理由をつけても、子どもを巻き込んでしまうことに変わらないということを知るべきなのだ。
 
 映画「イノセント・ボイス 12歳の戦場」 


日本の青空

2007年06月23日 | 人間/社会派ドラマ


2007年 日本 123分
2007.6.16 安芸区文化センター
■監督 大澤豊
■出演
   高橋和也(鈴木安蔵)
   藤谷美紀(鈴木俊子)
   田丸麻紀(中山沙也可)
   水野久美(河田曄子)
   左時枝(斉藤潤子)
   岩本多代(中山選子)
   加藤剛(高野岩三郎)
   山下洵一郎(岩淵辰雄)
   真実一路(室伏高信)
   鹿島信哉(森戸辰男)
   若尾哲平(大内兵衛)  坂部文昭(杉森孝次郎)
   中林正智(青山虎之助)  児玉謙治(松本烝治)
   宍戸開(白州次郎)  伊藤博幸(佐藤達夫)  谷部央年(今村修介)

 《story》

「日本国憲法誕生の真相。60年を経て、今明らかに!」

沙也可は、月刊「アトラス」の編集の仕事をしていた。といっても派遣社員のため、大きな仕事はさせてもれなかった。ある日、日本国憲法の特集を組む計画があり、憲法誕生のときのスクープを求めていた。編集長は、だれでもいいから特ダネを見つけてほしいと、派遣社員の沙也可にも取材をさせた。沙也可は認めてもらえるチャンスだと思って、取材にあたる。偶然、母に憲法の話をしたとき、憲法学者の鈴木安蔵のことを聞く。戦前から研究を進めていて、日本国憲法を草案するとき、土台になった憲法原稿を作った人物だという。そこで、沙也可は鈴木家を探し、安蔵の娘から、安蔵が戦前からどのように憲法に携わってきたのか、日本国憲法の土台になった憲法作りにどのように関わってきたのかを知るのだった。

 たくさんの人が日本の憲法作りに携わっていた
だれが作ろうがあまり問題はないと思う。Aさんが作ったらダメで、Bさんが作ったらOKだというのは差別の原理だと思う。内容がどうなのかを考えるべきだ。そうなると、絶対に変えてほしくないのは、「前文」「9条」・・・世界に対して誇れる憲法だと思うけど。「平和憲法」と言われる根幹は、もっと深めていきたいし、世界に広げていくくらいの気持ちでいたいものだ。今の世の中は、ここに書かれている平和とはほど遠い。でも、憲法を現実に会わせるのではなく、理想を現実に近づける努力が大切だ。今、話題になっている「憲法改正」は、子どもたちの未来を左右する。
この映画を見て、憲法作りに多くの人が関わっていたことがわかった。未来の日本を左右する内容がぎりぎりまで論議されていたこともわかった。打算的でなく、本当に心から理想を求めたこともわかった。「天皇」については、何が真実でどうあるべきだったのかわからない。明治維新で、徳川家が埋没したように、天皇もこれを機会にそうなりたかったのかもしれない。
今の日本の国民はあきらめている。私もあきらめている。そのあきらめに乗じて、さまざまないじめが起こっている。あの戦争当時あきらめずに理想を追い求めた人がいた。きっと、今の日本にもそんな理想を求めている人がいる。そんな人たちとともに、きっと理想は見えてくる。

公式サイト「日本の青空」

 本を読む楽しさ 2007.6.23
学校に図書室があるのことを知ったのは小学3年生のとき。あの頃は図書の時間なんてなかったと思う。たまたま何かの活動をいっしょにした女の子に、「本を返すけついてきて」と言われて行ったところが図書室だった。びっくりした。木造の校舎の2階、少し薄くらい感じがした。カーテンがしまっていたのだろうか。彼女が本を返している間に、本棚の間を歩いて見てまわった。彼女は、私が本を借りたことがないのを知ると、カード作りの世話をしれた。その日初めて本を借りた。「よくばりの話」だった。内容は、例のごとく覚えていないけど、昔話の中のよくばりを取り上げた物だったと思う。けっこうおもしろかった。その後、ときどき本を借りた。小学5年生のときに、借りた宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に衝撃を受けた。あこがれの夢の世界に入り込んだ気がした。それから、夏目漱石の「坊ちゃん」などけっこうたくsなn読んだ。映画と同じで、就職してあまり読まなくなった。たまたま本屋で「四日間の奇蹟」を見つけ、吸い込まれるよに本を読んだ。そしてすぐに映画を見た。映画と読書の復活は同時だった。今は毎週映画館で1本、本は毎日少しずつ、だいたい1週間に1冊は読むことを続けている。自分が小さくなって、つぶれてしまいそうな中で、かろうじて生きる力になっているのが映画と本だ。


バッシング

2007年06月17日 | 人間/社会派ドラマ

2005年 日本 82分
■2007.6.10 wowow
■監督 小林政広
■出演
   占部房子(高井有子)
   田中隆三(高井孝司-父)
   香川照之(支配人)
   大塚寧々(高井典子-継母)
   加藤隆之 、本多菊次朗 、板橋和士

 《story》

「ひとりの女性が日本を捨てた。
         彼女が彼女であるために」


北海道の海辺の町。有子は自転車で仕事場に出かけた。中に入ってあいさつしても返事がない。仕事中に支配人に呼び出され解雇される。有子は、外国で武装グループに拉致、監禁され、その後解放された。帰国後も自己責任を問われ、非難されていた。その波が仕事場にも押し寄せ、雰囲気が悪くなるからという理由だった。
帰りがけ、コンビニでおでんを買った。しかし、店先で、わざとぶつかられ、落ちたおでんを踏みつけられた。家では無言の電話、抗議の電話がかかる。父は、「お前はいいことをしたんだから」と、有子を慰めたが、その父も会社をやめざるを得なくなった。家でぶらぶらしていた父が、ベランダから飛び降りて死んだ。継母の典子は有子を責めた。しかし、有子は涙ながらに典子に訴えた。もう一度、あの国に行かせてほしいと。

 これはいじめだ
小泉総理がこのいじめの元を作った。それに軽く乗ってしまう浅はかな国民。そんな腹立たしい映画だ。だいたいいじめの構造そのものを政府が作っている。この国の中心に人を大切にする土壌はない。いつも裏が見え隠れする。いい言葉の裏には、だれかが儲かる話がきっとある。そしてそのことが見えないように、誰かに目を向けさせる。この映画の中では、彼女を励ます人はいなかった。父母だけ。まるで隔離されたようなアパート。別世界に追い込まれたかのような煙に覆われている。これが現実なんだろうか。ボランティアなんてだれもしなくなる。
おでんをひとつひとつ分けて入れさせ、つゆをいっぱい入れてもらう。この行動は、バッシングと切り離して考えたい。彼女の特性はそれ。おでんをそうすることに何の意味があるのか考えてしまう。好奇な目と非難の目があるときに、こんなことをしてしまうと、感情を逆撫でしてしまう。今まで自分が生かされない人生を送ってきた気持ちはよくわかる。自分を求めてくれるときの喜びも、まるで自分のことのようにわかる。自分に自信がない。その上、非難ばかりされる。よく耐えてがんばっていると思う。結局追い出されてしまうけど、自分から求めていくのだろうけど、果たして再び自分を喜びの目で迎えてくれるのだろうか。外国に行っても、ひとりで活動できるわけではない。仲間がいる。自分が生かされる場、それが見つかることを望む。

公式サイト「バッシング」

 ちょっと期待してました 2007.6.17
うれしいこと。福岡にいる息子が、先月の母の日に花を贈ってきた。父の日なんてあってないようなものだけど、もしかしたらって少し思っていた。そうしたら、ステーキの肉を送ってきた。気持ちがいれしい。会社の人に言われてかもしれないけど、自分が稼いだお金で買って送ってくれるその気持ちがうれしい。身体に気をつけて、無理をしないで、毎日をこつこつと送ってほしい。

  『うらなり与右衛門』 藤沢周平 新潮文庫 【BOOK】 2007.6.16
大きな感動があるわけじゃないけど、「ほーっ、そうなんだ」と小さな感嘆の声をあげてしまう。どの時代も謀略はある。でも、正義もある。そして、正義がきっと感嘆の声を作る。与右衛門がわなにはまり、そしてわなにはめた伊黒伴十郎が、与右衛門にやられてしまう。大ぴらな敵討ちではなく、彼から刀をぬかした。まるで闇の仕置き人のような、いやだれにも彼にもわからぬようなまるで罰が下るような感覚。彼も敵討ちされているなど夢にも思っていないだろう。与右衛門の心の内はわからぬが、どの時代も正義が通るすがすがしさだ。

パッチギ! LOVE&PEACE

2007年06月17日 | 人間/社会派ドラマ


2007年 日本 127分
2007.6.9 シネツイン1  with r,t
■監督 井筒和幸
■出演
   井坂俊哉(アンソン)
   中村ゆり(キョンジャ-妹)
   西島秀俊(野村健作-芸能人)
   藤井隆(佐藤政之-元国鉄車掌)
   風間杜夫(ビョンチャン)
   キムラ緑子(オモニ-母)
   手塚理美(キョンスン)
   キム・ウンス(テオさん)
   今井悠貴(チャンス-息子)
   米倉斉加年(長老)
   馬渕晴子(ホルモン屋のおばさん) 村田雄浩(朝鮮将棋のおじさん)
   ラサール石井(三浦プロデューサー) 杉本哲太(根本映画監督)
   麿赤兒(大物俳優) でんでん(ライトエージェンシー社長)
   寺島進(船長) 国生さゆり(お志摩)  田口浩正(南プロデューサー)
   すほうれいこ(なおみ)  宮川大輔(アイドル水中運動会のAD)
   山本浩司  松尾貴史(ギャグ好きのおじさん) 清水優(ヨンギ)
   桐谷健太(近藤好夫-不良の親分) 田中要次(国鉄運転手)
   浜田学(錦宏次郎)  菅原大吉(舞台あいさつの司会者)
   長原成樹(相手の船長)  田中哲司(取調官)
   愛染恭子(スナックのママ)  木下ほうか(ヤクザ役の俳優)
   ソン・チャンウィ(若い日のジンソン)
   新屋英子(故買屋の女店主)  中村有志(宇野重吉)
   温水洋一(居酒屋のマスター)  木村祐一(済州島の船長)

 《story》

「生き抜くんだ。どんなことがあっても」

1974年アンソンは京都で大暴れしていたとき、桃子との間に生まれた息子のチャンスが病気になり、東京に移り住んだ。ある日、駅で宿敵近藤率いる応援団と朝鮮高校の乱闘に巻き込まれる。そのときの国鉄職員佐藤が首になり、アンソンの家族と親しくなっていく。佐藤は、アンソンの妹のキョンジャに想いを深めていく。チャンスの病気は、筋ジストロフィーで、多額の費用が必要だ。キョンジャは、偶然声をかけられた芸能プロダクションに入ることを決意する。地道に仕事をしていく中で、自然体のタレントの野村に惹かれていく。アンソンは、治療費を作るために、金の密輸に手をかけるなど暴走していく。キョンジャの恋、突っ走るアンソン・・・その背景に、朝鮮から日本に連れて来られた父の姿が入り交じる。

 どうしてけんかばかりするんだ
「パッチギ1」もそうだったけど、なぜこんなに暴力のシーンが必要ななのかわからない。それ以外はすばらしいと思うんだけど、題が「頭突き」だから・・・。この暴力に何らかの主張があるんだろうか。「負けてはいられない」という気持ちの、前進を意味する「頭突き」ならわかる。しかし、このままだと、ただの暴力の連鎖にすぎない。過去の出来事に大きな起因があるが、今のままではどうにもならない。暴力にはさらなる強大な暴力の返しがやってくる。決して結ばれることはない。

 望む平和って
自分の県を自慢するように、国もそんな感覚で受け入れることはできないのだろうか。日本人と言っても、3000年前は、大陸からやってきただろうし、渡来人もたくさん来ただろうし、反対に日本からさまざまな国に行っているはず。それぞれの県の文化を大切にするように、ただそれだけで完全に区別することなく、同じ人類としての土台を持つことはできないのだろうか。この映画を見て、過去を知ることの大切さ、現実をしっかり見ていくとの大切さはわかるが、本当に平和を望んでいるのかどうかは疑問に思ってしまう。日本人だとか朝鮮人だとか、言わないでいっしょにいられる平和。もちろん過去を忘れるわけじゃないけど、もういがみ合うことなく、これからのことを一緒に考えていける、同じ目線でいられることが、平和への道じゃあないのだろうか。

公式サイト「パッチギ! LOVE&PEACE」

 まとめて見てしまう 2007.6.17
「日本人は・・・」 「朝鮮人は・・・」
ついまとめて見てしまう。身近なところでも、○○学校は・・・男というものは・・・
パッチギのレビューを見て悲しくなった。朝鮮というだけで、ただ批判する。どんな作品でも一長一短。いいなあと思う部分とそうじゃない部分がある。それを冷静に見ることができる心がほしい。ツチ族だから、フツ族だからとただそれだけで分けてしまうから争いは起こる。同じ人間として見ていくことができる力がほしい。そんな言い方や、外見だけに囚われて、中身を見ることができなくなってしまわないように。

 『エイジ』 重松清 新潮文庫 【BOOK】 2007.6.16
ドラマのように、通り魔となったタカちゃんの心の奥底を考え、タカちゃんの支えとなるのだと思った。どうしてタカちゃんが、こんな事件を起こしたのか、その真相を探り、世の中に一石投じるのだと思っていた。そうなるだろうと思いながらそうならないのでいらいらもしてきた。そんな単純なものじゃなかった。私自身は、単純明快であることを望み、そんな支え合う理想的な結末を夢みていた。
だれもが犯罪者のとなりに立つことはありうる。また、だれもが犯罪者自身になることもありうる。自分自身がそうであって、自分はちがう。そのちがいが何であるかわからないけど、たぶん人とのパイプ。パイプが切れる。そう、「切れる」その心に際限なく近づくことは、きっと今の時代は容易になりつつある。いや、自分自身が近づいているのかもしれない。最近読んでいる本がそんな種類の本だけに、自分の中にある「その気」を身近に意識してしまっている。そうでなかったら、ツカちゃんのように被害者の意識に近づくことが当然だし、タモツっちゃんのように、冷淡に見る者は非難されてしまう。彼は自分のことで精一杯で、だれとも同化しようとしていない。
「エイジ」は、どこにでもいる少年A・・・・ただ彼には岡野がいて、ツカちゃんがいて・・・相沢志穂がいた。タカちゃんには・・・・
学校に登校したタカちゃんが、つい自分の子どもの姿と重なった。きっとだれかの声を待っている。


眉山 -びざん-

2007年06月16日 | 人間/社会派ドラマ

2007年 日本 120分
2007.6.8 TOHOシネマズ緑井
■監督 犬童一心
■出演
   松嶋菜々子(河野咲子)
   大沢たかお(寺澤大介-小児科の医師)
   宮本信子(河野龍子-母)
   円城寺あや(大谷啓子-介護福祉師)
   山田辰夫(松山賢一-「甚平」の主人)
   黒瀬真奈美(咲子14才)
   永島敏行(島田修平-龍子の主治医)
   中原丈雄(小畠順)
   金子賢(吉野三郎-演歌歌手)
   本田博太郎(綿貫秀雄-咲子の上司)
   夏八木勲(篠崎孝次郎-父)

 《story》

「母だから言えなかった。娘だから聞けなかった。
   そして、今、私は、母の想いにたどり着く。」
「残された時間の中で娘は、母の切なく苦しい恋を知った」

東京で旅行代理店に勤める咲子。ある日、故郷徳島の知人から、母が入院したと連絡が入る。すぐに徳島に向かった咲子、病室の母は、入院患者に雄弁をふるい、看護士をたしなめる、チャキチャキの江戸っ子の姿であり、みんなから信望を集めていた。でも咲子は、父のことを語らない母を、何事も自分一人で決めて行ってきた母に寂しい想いを抱いていた。そんなとき、担当医から母が末期ガンであることが知らされる。母への葛藤から悩んでいた咲子は、医師の寺澤と出会う。そして、あたたかく寺澤に押されるように、知らなかった母の過去に触れていく。会ったことのない父。母の切ない苦しみ。咲子は母を阿波踊りの会場に連れ出す。

 こんな恋ができるのは女性だけ
思い続けることのすばらしさがある。その想いを外に出すことなく、それでも深く大きく持ち続けることがどんなに来るしいことか。なぜそんなことができるのだろうか。恨んだり、やけになったり、あきらめたりしないのだろうか。なぜ娘にそのほんの少しでも共感させなかったのだろうか。これは子どもを産むことができる女性だけのものなのだろうか。他人を妬み、他人にばかり責任を押しつけている私には、あこがれはするものの、とうていできることではない。むしろ、30年も会うことなく東京で別の生活を送っている父の気持ちに沿ってしまう。ある意味わがままで自分勝手で、それでいて心の奥底で決して忘れることなく思い続けている。
あの寺澤医師の存在は大きい。彼なくして咲子の前進はない。でも、そこまで踏み込む医師がいるのだろうか。

公式サイト「眉山 -びざん-」

 今週は身体がつらい日々だった 2007.6.16
まずは眠くなる。特に昼から。当たり前かもしれないけど、昼から夕方にかけてずっと眠い。動いているときはいいけど、会議となると、頭は働かない、聞いていない、必死で眠らないように戦っている。睡眠時間は6時間。生活のリズムは順調だった。
それから肩こり、首筋の痛み、頭痛。左半身に鈍痛。左の虫歯? とにかく左側が頭のてっぺんから腕まで鈍痛が続いた。頭痛薬を毎日飲んだ。少し楽にはなるものの、すっきりせず、翌日のは同じ症状。そして腰痛。歩けなくなる寸前。天気のせいだろうか。鼻炎。やはりアレルギーの症状。疲れが原因。休日になると元気になって、月曜日にはまた最悪のコンデションで通勤にんるのだろうな。大きな研修会を控え、帰宅時間も遅くなっている。気持ちがのらないことが何より身体に影響しているな。

主人公は僕だった

2007年06月12日 | コメディ


2006年 アメリカ 112分
■原題「STRANGER THAN FICTION」
2007..6.7 サロンシネマ1
■監督 マーク・フォースター
■出演
   ウィル・フェレル(ハロルド・クリック)
   エマ・トンプソン(カレン・アイフル-作家)
   ダスティン・ホフマン
     (ジュールズ・ヒルバート教授) 、
   クイーン・ラティファ(ペニー・エッシャー)
   マギー・ギレンホール(アナ・パスカル-パン屋)

 《story》

「男は悩んでいた。自分だけに聴こえる作家の声に。」
「これはハロルド・クリックと彼の腕時計の物語」


ハロルド・クリックは、決まった時間に起きて、歯磨きで決まった回数だけ磨き、決まった歩数で歩いてバス停に行き、決まった時刻のバスに乗る。そんな決まった毎日を送っていた。ある日、決まった時間に起き、決まった回数だけ歯磨きをしていると、頭の奥から声がした。まるでナレーションのように、ハロルドがすることを語るのだった。そして、その声は「些細なことで死ぬことになる」と言うのだった。混乱したハロルドは、大学教授のヒルバートのところに相談に行った。教授は「悲劇は死で終わり、喜劇は結婚で終わる。」と、敵対する相手と恋に陥ることをすすめる。税の調査で行ったパン屋のアナのことを想い、ハロルドは実行に移す。そして恋する。しかし、ヒルバート教授の部屋で見たビデオの声が頭の中の声と同じで、彼女は今まで必ず主人公を殺していた作家だったのだ。

 自分は操られている、監視されている
こんな想像を少年期によくしたものだ。自分だけが人間で、自分は実験監視されているのだ。この世界も作られた自分だけのもので、実は小さな実験用の箱の中。こんな出来事を起こすとどうなるか観察中。たとえそうだったとしても、自分の人生なんておもしろくも何ともない。観察しても得にならない、つまらないもの。ましてや自分が主人公の物語なんてありえない。最後に命を懸けて人助けでもすれば少しは変わるかな。ハロルドもこの声で変わることができた。恋をすることも、音楽に触れることも。殻を破って、一回り大きな世界をみてごらん。ちがった角度で見たり、動いたりしてごらん。新しい世界が開けるよ。自分は操られているのではなく、自分の意志で変えられるんだよ。ハロルドのようにね。この結末しかないと、子どもを助けることを決意すること、それは操られているのではなく、それが自分の意志であったと思う。

公式サイト「主人公は僕だった」

 肩から首筋にかけて痛い 2007.6.12
ときどきこんなことが起こる。今回は主に左側。背中から肩、首筋、歯、そして耳、頭へと痛みが続く。時々吐き気もある。頭痛薬は気休めに飲むという感じだ。ほとんど効かない。思考速度も、動きも、しゃべりも格段に遅い。そして眠い。帰って、ソファーに座ると眠くなる。風呂に入って、湯船につかっていると眠ってしまいそう。そんな状態が昨日と今日で2日続いた。明日はどうだろうか。もう少し楽になっているだろうか。この症状の大元はどこなんだろうか。肩こり? それとも虫歯から? 精神的なもの? 疲労から? それとももっと他のところに原因が? 頭が重いの早く治れ。


パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト

2007年06月10日 | ファンタジー/アドベンチャー

 
2006年 アメリカ 151分
■原題「PIRATES OF THE CARIBBEAN: DEAD MAN'S CHEST」
2006.7.25 TOHOシネマズ緑井
  2007.6.6 wowow
■監督 ゴア・ヴァービンスキー
■出演
  ジョニー・デップ(ジャック・スパロウ)  
  オーランド・ブルーム(ウィル・ターナー)  
  キーラ・ナイトレイ(エリザベス・スワン)  
  ビル・ナイ 、ステラン・スカルスガルド


 《story》

「さらば、ジャック・スパロウ」

前作のパイレーツ・オブ・カリビアン「呪われた海賊」の続編ということで制作。前作では、不死の海賊バルボッサから、ブラックパール号を奪い返し、大海原へと船出した。そんなジャック・スパロウの前に、運命が立ちはだかる。かつてブラックパール号を手に入れるために、「深海の悪霊」デイヴィ・ジョーンズと『血の契約』を交わした。その契約の期間が終わり、ジャック・スパロウは、魂を取り立てられようとしていた。

うかつにも、前半ボーっとしてうつらうつらしてしまった。疲れていたのか。おもしろくなかたのか。ところどころ頭に入っていない。そのためか、よくわからなかった。前作の吸い込まれるようなストーリーではなかったような気がする。ようわからんなあと思いながら、ただアクションだけは部分部分で心に残った。ラストでは大だこに立ち向かって行った。次回に続く。できればもう一度見たい。今度は日本語版を見て、おもしろいのかどうなのか判断したい。見ることができるでしょうか。

    2007.6.6 wowow 

 うんそうだったのか
を1個増やした。確かに前半寝ていた。何のことやらわからず見ていた。1の方もよく覚えていなくて、意味不明だった。でも、今回もう一度1から見て、つながった。そうしたらおもしろさがわかった。3で1の船長バルボッサが当たり前に出てくるところが不自然だったが、この映画の最後に現れ、仲間と同列になった。こうなると3をもう一度見たくなる。また、新しい発見がありそうだ。今回1も2も3も全部吹き替えだ。その方が映像に集中できる。台詞の内容は、字幕でも吹き替えでも、訳者の気持ち次第だし、本来の役者の声でなくても、わかりやすければその方がいい。
自分だけ逃げたかに見えたけど、やっぱり戻ってきたスパロウ。でも、エリザベスが非情なことをせざるを得なかった。大蛸に食われたスパロウ。だれもが彼が好きだった、ということで。

公式サイト「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」

 家から出て何かをしよう 2007.6.10
今の自分は体力も力もない。昔の自分だったらあったのか。なかった。でも、気持ちだけはあった。それがいいことで、動かぬもう半分の自分を引っ張り、体力さえあれば、どこへでもボランティア活動に行きたい。でも、すぐに身体はしっしんができかゆくなり、疲れしまう。気転もきかないから、何をしていいかもわからない。
でも、こrだけは言える。家から出よう。ここにいたらダメになる。見捨てるという意味ではなく、もっと自分の世界を広げよう。外に出てさざまなことにチャレンジしよう。やってみよう。家に居着くことがないくらい、忙しくてももっとしたくてたまらなくなるくらい、そんな活動をしよう。待つのではなく、自分から片っ端からやってごらん。結局手をつけない料理より、どんどん味見して自分に合うものを見つけるんだ。
私も何かしたい。贅沢な話。ナビをつけていいろなところに出かける。折り畳みの自転車も積んで、着いたところで散策する。写真を撮る。記録を残す。一人でもいい。もう時間がない。


シムソンズ

2007年06月10日 | ラブロマンス/青春


2006年 日本 113分
■2007.6.4 wowow
■監督 佐藤祐市
■出演
  加藤ローサ(伊藤和子)
  藤井美菜(尾中美希)
  高橋真唯(小野菜摘)
  星井七瀬(林田史江)
  大泉洋(大宮平太-コーチ)
  田中圭(加賀真人-カーリング選手)
  丸山智己(田辺幸彦-平太の元チームメイト)
  山本浩司(渡辺恭輔)
  徳井優(小野昌和-菜摘の父)
  宇梶剛士(伊藤謙一-和子の父)
  高田延彦(本島則之-喫茶店のマスター)
  松重豊(高松康文-記者)
  森下愛子(伊藤佳子-和子の母)
  夏八木勲(石神保-平太のコーチ)

 《story》

「初雪降ったら、いいことあるよね?」
「本当にあった青春のストーリー」


北海道常呂町。ここは北の広大な大地、そして広がるオホーツク海。そしてカーリングの街。将来が見えない和子に、あこがれのカーリング選手の真人が声をかけた。「カーリングのチームを組んで、大会に出ないか」・・・・即席で作ったチームは、なかなかチームメイトとなじめない美樹、大学受験を目指す菜摘、そして目立たない史江だった。コーチは平太。美樹以外は初心者で、練習はしたものの、初試合では1点も取れず、大差をつけられ負けてしまう。1点をどうしても取りたいと、バイトをしてお金を貯め、平太にコーチを頼む。平太はかつてのチームメートから、嘘をつけずルール違反をしたことを告げ、試合に負けてしまったことを恨まれていた。でも、平太はごまかさず楽しんでカーリングしようと彼女たちに教える。そして選手権大会で、初めての1点をとった彼女たちのチーム、シムソンズは・・・。

 楽しむために
スポーツは本来楽しむところから生まれたものだよね。楽しむために練習もする。苦しみも乗り越える。そこに結果もついてくる。負けても勝っても楽しんでやってる人たちは表情がちがう。いくら強くても、人を押しのけ、自分が先に進むことをめざしている人はどこか歪んで見える。心が渇いていて、楽しんでいる人をうらやましそうに見ている。好きで好きで、自分の身体を鍛えることも楽しくて楽しくて、試合や発表会になるとワクワクして、自分の結果を大切にして、人の結果も大切にして、そんなスポーツって、ただの理想だろうか。
和子は自分勝手で、どんどん先に決めて、みんなを振り回す。確かにそうだよね。でも、彼女のような存在が必要だ。彼女が自分のことしか考えていなかったら、ただの独裁者でしかないけど、みんなのことを考え引っ張るリーダー。

公式サイト「シムソンズ」

 北海道にあこがれるのは 2007.6.10
どうしてなんだろうね。北海道や沖縄は、なぜか懐かしく感じてしまう。自然がいっぱいだから・・・それとも人間が素朴だから・・・都会と田舎のイメージの違いかな。都会は物があふれ、何でも手に入る。でも、なんだか寂しい感じがする。田舎は、人があまりいなくて寂しいけど、心が落ち着く。お金と時間と条件がそろえば、北海道常呂町に行ってみたい。もしかしたら、北海道じゃなくてもいいのかも。日本映画を見ていたら、風景だけで満足してしまう。どの町でも懐かしく感じてしまうんだ。どこにでもある街角でさえいいなあと思ってしまう。きっと何かを求めて旅したいのだろう。
とは言っても、また北海道に行ってみたい。過去二回あるけど、何度でも行ってみたところであることは確かだ。