そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

火天の城

2009年09月20日 | 歴史映画/時代劇


2009 日本 139分
2009.9.19 109シネマズ
■監督  田中光敏
■出演  西田敏行(岡部又右衛門)
  福田沙紀(岡部凛)  椎名桔平(織田信長)
  大竹しのぶ(岡部田鶴)  寺島進(平次)
  山本太郎(熊蔵)  石田卓也(市造)
  上田耕一(弥吉)  ペ・ジョンミョン(太助)
  熊谷真実(ふさ)  水野美紀(うね)
  河本準一(羽柴秀吉)  
    石橋蓮司(池上五郎右衛門)
  笹野高史(木曾義昌)  夏八木勲 (戸波清兵衛)
  緒形直人(大庄屋甚兵衛)

 《story》

「我が城を建てよ」
「織田信長<安土城築城>の厳命」
「それは天下国家百年の大計にして、新たなる時代の夢」


熱田の宮番匠である岡部又右衛門は、織田信長から五層の安土城の建設を任せられる。一門を中心として大和六十六州の職人が集結する。しかし、そこには幾多の困難が待ちかまえていた。容赦なく戦に引っ張られる職人の中に市造もいた。大柱となる檜を求めて、敵陣の木曽に赴く又右衛門。甚平衛と交わした約束は守られるのか。信長暗殺を企てる忍び。最大の課題は、重みで沈む地盤のため切らなければならなくなった大柱だった。

昔の人の建物を造る苦労がよくわかる。トラックもクレーンもない。人の力と知恵だけで建物を造る。木曽から大木を運んでくるだけで、大変な労力だ。その上、木材だけで五層の城を造るだけの知識と技術があるのだから、昔の人は偉大だ。西田敏行と緒方直人の演技が好きだ。マンガから飛び出てきたようなキャラだけど、漂う一生懸命さがいい。この間、偶然にも姫路城を見に行った。天守閣までかなりの高さと距離だった。城を三年で完成させるには、どれだけの人が動いたことだろう。映画の中のあの城は実際にあそこまで作ったのだろうか。あの太い大柱。樹齢2000年の木を映画のために切ったとしたら、それはやってほしくないことだ。

公式サイト「火天の城」


レッドクリフ Part II ―未来への最終決戦―

2009年05月16日 | 歴史映画/時代劇

2009年 アメリカ/中国/日本/台湾/韓国 144分
■原題「RED CLIFF: PART II/赤壁」
2009.4.29 109シネマズ
■監督 ジョン・ウー
■出演
   トニー・レオン(周瑜)  金城武(孔明)
   チャン・フォンイー(曹操)  チャン・チェン(孫権)
   ヴィッキー・チャオ(尚香).  フー・ジュン(趙雲)
   中村獅童(甘興)  リン・チーリン(小喬)
   ユウ・ヨン(劉備)  ホウ・ヨン(魯粛).
   トン・ダーウェイ(孫叔材)  ソン・ジア(驪姫)
   バーサンジャプ(関羽)  ザン・ジンシェン(張飛)
   チャン・サン(黄蓋)

 《story》

「戦いは赤壁へ。連合軍は絶体絶命、激戦は続く。」

対峙する連合軍と曹操軍。圧倒的に有利な曹操軍の兵士に疫病が流行る。曹操は、疫病の使者を船に積み、連合軍に送る。何も知らない連合軍は、疫病の使者に触れ、瞬く間に疫病が蔓延する。劉備軍は、孔明を残し、撤退をすることとなる。分裂した連合軍。孔明の秘策で、足りない弓矢を敵から得る。周瑜の戦略で、曹操軍の水上戦に長けた武将を排除。決戦間近。風向きが変わることを予見する孔明。時を稼ぐために、敵に乗り込む周瑜。いよいよ決戦の時。風向きは・・。戻ってくるのか劉備軍は・・。運命の決戦。

 迫力あるね

さまざまな角度からのカメラアングル。一時も目が離せない。霧を利用し、敵の矢を自分たちのものにする作戦は爽快だった。また、潜入した尚香を慕う兵士。最後までスパイだとは気づかず、彼女を親友だと信じて、彼女を守り死んでいった。可哀想であり、少し惨めな感じがした。もし、死ぬ前に、尚香がスパイだとわかったら、怒り心頭だったかも。期待していたのは、その兵士が最後は寝返ること。でも、何も知らぬまま死んでしまった。「Ⅰ」はDVDで見たけど、やっぱり映画館は迫力がある。しかも、プレミアムシートの一番見せやすい豪華な席が取れた。値段はそのまま。右隣に小さなテーブル付き。足を伸ばしてゆったりスペース。やっぱり映画館でこそ、映画の良さが出てくる。金城武に注目。さまざまな演技ができて、期待してしまう。

 公式サイト「レッドクリフ Part II ―未来への最終決戦―」

 落ち着いた心が大切。感情的になるとろくな事がない。特に、「ばかにしたな」という思いからくる逆上。思うようにいかないときの苛立ち。忙しいときの爆発。失敗したときの狼狽え。それらが冷静さを失わせ、感情的な言動を生む。後で後悔。どんなときも冷静に判断し行動できるようになりたいものだ。反省しきり。

隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS

2009年05月09日 | 歴史映画/時代劇

2008年 日本 118分
■2009.4.21 DVD
■監督 樋口真嗣
■出演
   松本潤(武蔵)  長澤まさみ(雪姫)
   椎名桔平(鷹山刑部)  宮川大輔(新八)
   甲本雅裕(佐川出兵衛)
   上川隆也(宿場襲撃隊・隊長).
   國村隼(長倉和泉)  高嶋政宏(本庄久之進)
   阿部寛(真壁六郎太)

 《story》

「隠された黄金と狙われた姫を追って、
   壮大なアドベンチャーが幕を開ける」


戦国のある世、3つの隣り合う国があった。海に面した豊かな国「早川」、それと同盟を結ぶ「秋月」、そして領土を広げようと野心に燃える「山名」 ある日、山名が秋月を責め、城は陥落。しかし、多大の金と姫が消えていた。その行方を必死に捜す山名。偶然、山名に金堀りの労役をさせられていて、そこから逃亡した武蔵と新八が川で秋月の金を発見。隠れていた秋月の生き残りに捕まる。その金を山名を通って早川に届ける役を負う。秋月の六郎太、その弟、そして武蔵と新八は、金が入った薪を背負い、早川に向かう。しかし、途中山名に捕らえられ、男だと思われていた弟が姫であることがわかる。姫の救出に向かう武蔵。山名に奪われたはずの金は偽物。本物の金はどこに。六郎太と鷹山の因縁の対決。姫と金は・・・。

 壮大なアドベンチャー?

思わず「?」   ちゃちな子ども向け映画のようだった。ものすごい期待外れだった。「三悪人」ってだれだろうと、頭の悪い私は未だに疑問。隠し砦ってどこ? 最後のあの金を掘っていた場所? スリルもドキドキ感も全くなかった。いいところを挙げるとすると、祭りのシーンかな。大きな火を囲んで、みんなでお踊り明かす。押し込められていた庶民の開放感が、それこそ壮大に広がる様子が感じられた。リメーク前の、黒沢作品はどんな映画なんだろうか。黒沢作品の、この題名の映画はよく聞く。数十年前に、これだけのアドベンチャーがあったなら、それはすごいことだ。いつか機会があったら見よう。

 公式サイト「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」

 朝早く目が覚めるのは年のせい? 若い頃は、なかなか起きられなくて、朝ご飯も食べる時間がなく、あわてて家を出ていた。時には遅刻。あきらめて休んだり。でも、今は、遅く寝ても早く目が覚める。明るくなり始める5時頃には目が覚める。アラームをセットしているのに、それより前に起きてしまう。睡眠時間が短いと、1日中、眠たいのに、それでも起きてしまう。朝、起きられるようになったのはいいんだけどね。

レッドクリフ Part I

2009年05月06日 | 歴史映画/時代劇

2008年 アメリカ/中国/日本/台湾/韓国 145分
■原題「RED CLIFF: PART I/赤壁」
■2009.4.17 DVD
■監督ジョン・ウー
■出演
   トニー・レオン(周瑜)  金城武(孔明)
   チャン・フォンイー(曹操)  チャン・チェン(孫権)
   ヴィッキー・チャオ(尚香).  フー・ジュン(趙雲)
   中村獅童(甘興)  リン・チーリン(小喬)
   ユウ・ヨン(劉備)  ホウ・ヨン(魯粛).
   バーサンジャプ(関羽)  ザン・ジンシェン(張飛)
   トン・ダーウェイ(孫叔材)  ソン・ジア(驪姫)
   チャン・サン(黄蓋)

 《story》

「帝国が、襲ってくる」

西暦208年、曹操率いる80万の魏軍は、天下統一を目指し、呉に降伏を迫る。しかし、蜀の軍師・孔明は、魏に同盟を結び、長江の赤壁で魏軍を迎え撃つ。

 PartⅡを見るために

実は、三国志というものには、あまり興味がなかった。その手の本を読んだことがない。だから、この映画も見ようとは思わなかった。あの頃、見たい映画があったか、映画館自体にあまりいかなかったときだったのか、映画館でも、はなから見ようとしなかった。しかし、あまりに「いい映画だった」という声が多いので、見たくなった。それに、『K-20』などで、金城武が好きになっていた。さらに、『世界不思議発見」という番組で、孔明のことを取り上げていて、すばらいいひとだと感銘を受けた。PartⅠは、レンタルでは新作だったけど、高いレンタル料払って借りて見た。おもしろかった。すぐにテレビでやったのでガッカリ。でも、字幕のDVDでよかった。
戦い方に目を見張った。盾を使った即席の砦など、今までにないアイデアがおもしろかった。ものすごい迫力、スピーディーだけど、わかりやすい動きと展開。これは映画館で見るべきだと思った。

 『GO』金城一紀
在日韓国人の話だった。パッチギにあるような差別、暴力、いがみ合い・・・それらが、淡々と語られている。暴力はきらいだけど、生きていくために必要だったことはわかる。自分の身を守るために。だれから・・・日本人から、日本という国から・・・。今でこそ、好きで韓国のドラマや映画を見ているけど、きっと今は、こんなことはあまりおこらなくなったと思うけど。日本は、問題点を直視して解決しようとせず、いつもふたをかぶせて先送りにする。原爆のこと、医療のこと、環境のこと、障害者のこと、さまざまな差別のこと。今、どうなのだろうか。学校現場でもそのことを耳にしなくなった。なくなっていっているのか、それとも覆い被されているのか。煩わしいことから逃げているのか。自然にGO。難しいことはわからないけど、素直にGO。それでいいんじゃないか。ハッピーエンドで、その後もGO。

ICHI

2008年10月28日 | 歴史映画/時代劇

2008年 日本 120分
2008.10.25 ワイナーマイカルシネマ
■監督 曽利文彦
■出演
   綾瀬はるか(市)  中村獅童(万鬼)
   窪塚洋介(虎次)  柄本明(長兵衛)
   竹内力(伊蔵)  利重剛(喜八)
   佐田真由美(美津)  島綾佑(小太郎)
   杉本哲太(盲目の男)  横山めぐみ
   渡辺えり(お浜)  大沢たかお(十馬)  

 《story》

「愛が見えたら、きっと泣く」
「何切るかわかんないよ、見えないんだからさ」


三味線を弾きながら、旅を続ける盲目の女芸人、瞽女(ごぜ)の市。仲間とともに男に襲われているところに、侍がかけつける。ところが刀が抜けない。切りかかる男たちを市が切る。侍の名は藤平十馬。宿場町の賭場で市の手助けにより儲けた十馬と市を男達が囲む。そこでも、十馬は刀が抜けず、市が切る。男達は万鬼の手下。彼らに手を焼く白川組は、切ったのは十馬だと思いこみ、彼を用心棒に雇う。二人は反発しあいながらも少しずつ惹かれ合い、十馬がなぜ剣を抜けないか、その理由を知る。市はかつて自分に剣を教えてくれた人を捜していた。旅芸人の中に盲目の剣の使い手がいると聞くが人違い。万鬼の襲撃に十馬は刀を抜けず、市が立ちはだかる。万鬼が盲目の居合い切りを知っていると聞き、彼と戦うことを決意。しかし、市は切られ、投獄されてしまう。十馬は市を助け、再び万鬼との決戦に向かう。万鬼を前に刀を抜く十馬。刀を交えた後、二人とも倒れるが、立ち上がる万鬼。市は、万鬼に刀を向ける。

 綾瀬はるかの演技に

「白夜行」からのファンだ。ただ、あのときは消えてしまうような気がした。でも、「鹿男」を見て、はまり役だと思った。あの、ちょっとぼけた、無垢で一途な役がよく似合う。他に見ていないけど、これからある「ハッピーフライト」も、彼女の天真爛漫さが出て楽しそう。この「ICHI」は、そんな天然ボケの演技とちがう。でも、そんなにずれていない。むしろ、はまっているような気がする。映画館では釘付けとなった。映画館という場所がそうさせたのかもしれないけど。すぐにでも、もう一度見てもいいと思った。続編が見たいとも思った。

座頭市は子どもの頃から好きでよく見ていた。悪ぶっているけど、正義の味方というのが好きだった。しかもそんなにかっこよくなかった。転げ回って、いつも辛うじて相手をやっつける。この「ICHI」も多少そんなところを演出しようとしていたのかもしれない。十馬や万鬼に破れてしまうところは、スーパースターではなく、必死で戦っていることを表現している。

目が見えないということは、音で動くわけだから、ほんの少し目で動くより遅れるのだろうか。耳だけでなく、空気のうごきなど、体全体で感じて、反射的に動くのかもしれない。今見ているドラマ「悲しき恋歌」も目の見えないヒロインが出てくる。「山のあなた」も目の見えない按摩の話。「ふみ子の海」もそうだった。昔なら、目が見えないということは、生きていけないと言っても過言ではなかっただろう。人にだまされ、好きなようにもてあそばれ、まっとうには生きてはいけないだろう。現代はどうか、現代も同じかもしれない。目が見えないことをいいことに、お金をだまし取ったり、差別したり、そんな悪いことをする人が多くなっているような気がする。お年寄りから、「オレオレ詐欺」のようにお金をだまし取る人が増えているのだから悲しいよね。

 公式サイト「ICHI」

どら平太

2008年05月27日 | 歴史映画/時代劇


2000年 日本 111分
■2008.5.19 日本映画専門チャンネル
■監督 市川崑
■出演
   役所広司(望月小平太=どら平太)
   浅野ゆう子(こせい)
   菅原文太(大河岸の灘八)
   宇崎竜童(仙波義十郎)
   片岡鶴太郎(安川半蔵)
   石倉三郎(巴の太十)
   石橋蓮司(継町の才兵衛)
   大滝秀治(今村掃部)
   江戸家猫八(杢兵衛)
   岸田今日子(姐御風の女)
   神山繁(本田逸記)  加藤武(内島舎人)  三谷昇(落合主水正)
   津嘉山正種(佐藤帯刀)  うじきつよし(中井勝之助)
   尾藤イサオ(市川六左衛門)  菅原加織(征木剛)
   松重豊(乾善四郎)  黒田隆哉(鳥居角之助)  本田博太郎(伝吉)
   永妻晃(壺平)  赤塚真人(源次)  横山あきお(馬方)

 《story》

「痛快」「愉快」「豪快」

ある藩に「どら平太」と言われている新しい町奉行がやってきた。その振る舞いは勝手気ままで、奉行所にも顔を出さない。しかし、彼こと望月小平太は、悪が横行する
「壕外」と呼ばれているところの浄化にやってきたのだった。早速、遊び人になりすまし賭博場など遊び回る。その壕外は、密輸を取り仕切る灘八、売春を取り仕切る太十、賭博を取り仕切る才兵衛の3人の親分がいた。望月は、今までどんな町奉行も果たせなかったこの3人の親分を捕らえた。だが、彼らに死罪ではなく追放を申し渡した。というのは、城内で彼らとつながり私腹を肥やしていた人物をあぶり出し処分するためだった。この壕外と城の重職たちとを結びつけていたのは・・・。

 今出てきてほしいヒーローかも

悪いことがいっぱいはびこる現代にも出てきてほしいヒーロー。人々が安心して幸せに生きられるように、人をだまして人の幸せを踏みにじる悪党をこらしめてほしい。そんなヒーローは、まずやさしいいこと。思いやりがあることが第一条件だ。次に頭がいいこと。すばやく判断できて、相手の裏をかいて悪を追い込めること。そして力があること。たとえ悪党が暴力で押し寄せてきてもはねかえせるだけの力があること。さらに自分の損得を考えないこと。

悲しいのは、悪党が自分の身近にいたこと。信頼していたはずの親しい人が悪に荷担していたことがわかったときほど悲しいことはないと思う。でも、どら平太は悲しむどころか支え手をさしのべようといういう気持ちだった。あまえなんか・・と突き放し、裏切られたショックに浸るわけではなく、あまえしっかりせーよと心傾ける。これこそ本当の優しさなんだろう。自分のことしか考えない自分は、ショックを受けていじけてしまう。小さい小さい。


隠し剣 鬼の爪

2008年02月16日 | 歴史映画/時代劇


2004年 日本 131分
■2008.2.10 DVD
■監督 山田洋次
■出演
   永瀬正敏(片桐宗蔵)  松たか子(きえ)
   吉岡秀隆(島田左門)  小澤征悦 (狭間弥市郎)
   田畑智子(島田志乃)  小林稔侍 (大目付・甲田)
   緒形拳(家老・堀将監)

  《story》

「人のさだめは変えられますか」
「幕末。愛に生きる侍がいた」


東北の海坂藩、片桐宗蔵は、以前奉公に来ていた百姓の娘のきえと再会。油問屋に嫁ぎ幸せに暮らしていた思っていたのに、やつれた表情に驚く。しばらくして、きえが床に伏せっていてあまり介抱されていないと聞き、油問屋に乗り込み、きえを連れ帰る。藩の内紛が起こり、狭間が牢獄の刑に服される。が、まもなく抜けだし、百姓家に立てこもる。狭間は剣の使い手で、大目付は同じ道場に通った宗蔵に討つ事を命じる。周蔵と狭間の一騎打ち、宗蔵は狭間に侍らし死に方を望んでいたが、鉄砲隊が彼の命を奪うのだった。また大目付は、嘆願した狭間の妻をないがしろし、狭間の夫妻の悔しい思いを宗蔵を押さえることができなかった。宗蔵は、城内で秘伝の隠し剣を使い大目付の命を奪う。まるで心臓発作のようにだれにも宗蔵の仕業だということはわからなかった。侍に未練のない宗蔵は、きえの故郷に向け旅立つ

 伝えられるべく秘伝
同じ門下生同士の対決になったが、秘伝が伝えられたのが宗蔵であったことは納得できる。知られてはいけない、使ってはいけない秘伝の剣。しかし、許すわけにはいかない、このままのうのうと生かすわけにはいかない。自分のためではなく、無念を思っての剣。確かにその剣を使える人物だからこそ伝授されたことがよくわかる。
侍としての尊厳。かたや尊厳の看板を掲げ、かたやないがしろにしている裏表に対する怒り。それは現代でもたくさんあること。自分自身でさえ、いいことは言うものの真反対のことを考えやろうとしていることもある。いや、その方が多いと言ってもいいかもしれない。宗蔵のように自分のまっすぐな気持ちを信じ生きることは、地味に見えるが価値のあること。そう生きたいと願いながらも、自信のない私はうねうねと曲がり下り落ちていくのだ。侍を捨てることを、自信と誇りに思える生き方はすばらしいものだ。


王の男

2007年11月19日 | 歴史映画/時代劇

2005年 韓国 129分
■原題「The King and the Clown」
■2007.11.15 wowow
■監督 イ・ジュンイク
■出演
   カム・ウソン(チャンセン)
   イ・ジュンギ(コンギル)
   チョン・ジニョン(ヨンサングン)
   カン・ソンヨン(ノクス)
   チャン・ハンソン(チョソン)
   ユ・ヘジン(ユッカプ)

 《story》

「今、実在の宮廷揺るがした究極の愛憎劇が幕を開ける」
「それより奥は、見てはならない」


16世紀初頭、旅芸人のチャンセンと女形のコンギルは、一流の芸で聴衆を魅了していた。漢陽で、知り合った3人の芸人と、王と宮女をからかう芸を披露し人気を得る。これを聞きつけた重臣のチョソンは、王を侮辱した罪で彼らを死刑にしようとするが、チャンセンは王の前で芸を披露し王が笑えば侮辱じゃないと反論する。そして宮廷で、王を前にしての芸の披露。王を笑わせた魅了したのはコンギルだった。彼らはお抱えの芸人となり、家臣の悪事を暴く芸をする。暴君と言われた王にも暗い過去があった。その悲しみに答えるコンギル。彼を奪われるチャンセンの悲しみ。王を奪われた宮女のノスクの企みがさらに大きな悲劇を生む。

 だれもが一人
王も自分をわかってくれる人間を求めていたのだろうな。昔も今も、どこのだれでも、人は分かり合える人を求めている。王は権力はあっても孤独だった。孤独な権力者は暴力的になるのかもしれない。つながる心に飢えている。それはきっと、わかってほしい心であって、分かろうとする心ではない。だから淋しいのだ。
初めはチャンセンとコンギルを変な目で見ていたけど、男とか女とか関係なく、分かり合える心で結ばれている幸せな関係だった。それがうらやましい。「芸」を求める心が二人を強く結びつけた。共有するものがあればこそ。
権力をかざす者は嫌いだ。嫌いだといいながら、どこかでそれを求めている。自分が持っていないものに嫌悪感を感じるのは、実はそれを一番求めているからに他ならない。私が権力を持ったらどんなことをするだろうか。わがままと欲の限りを尽くすだろうか。人々のためにその力を使うことができるだろうか。理性を失い、自分のことしか見えず、好き勝手するにちがいない。

 公式サイト「王の男」

アポカリプト

2007年07月02日 | 歴史映画/時代劇

2006年 アメリカ 138分
■原題「APOCALYPTO」
2007.6.22 TOHOシネマズ緑井
■監督 メル・ギブソン
■出演
  ルディ・ヤングブラッド(ジャガー・バウ)
  ダリア・エルナンデス(セブン)
  ジョナサン・ブリューワー(ブランテッド)
  ラオール・トゥルヒロ(ゼロ・ウルフ)
  モリス・バード  ヘラルド・タラセナ
  ルドルフォ・パラシオス
  フェルナンド・エルナンデス

 《story》

「マヤ文明、崩壊前夜。我々は驚異の世界の目撃者となる。」
「暗黒の昼-ジャガーを連れてくる男に気をつけろ」

マヤ文明後期中央アメリカのジャングル。ジャガーは、父を頭とした狩りで生活している平和な一族だった。ジャガーは、妻と息子のタートルと楽しく暮らしていた。妻のセブンは次子の誕生が間近に迫っていた。ある日の朝方、マヤ帝国の傭兵が村を襲った。ジャガーは、妻のセブンと息子を井戸に隠した。捕らえられたジャガーは、マヤ帝国の神殿に連れていかれた。干ばつの生け贄にされるのだった。ジャガーが生け贄にされる直前、日食が始まり、儀式が中断された。命びろいしたものの、ジャガーたちは人間狩りの標的にされた。ジャガーは、腹に矢を受けつつも、ジャングルに逃げ延びる。逃亡を許さないマヤの傭兵たちは執拗にジャガーを追いかけた。ジャガーも、妻や子どもを迎えにいくという誓いを胸に、村へと急いだ。

 映像やアイデアはよかった
今までにないスタイルだった。圧倒された。狩猟民族が、確かにその世界を生きているというリアリティーがあった。そして文明社会の歪みに押し流される人民たち、自然の中で欲張らずに自然と共存する人間の姿があった。文明の進歩はすばらしいが、進歩と同時に後退を伴う。「今」を生きるだけの恵みさえあれば、平和なんだ。けれども多くの人が集まり作る文明は、時にあらぬ残酷性を全面に出す。いや、それが必然かもしれない。自然と共存できずに、逆らって生きる人間はもはや人間ではない。ジャガーの家族愛。慎ましく生きることこそ、平和な世界を作るはずだといいたいのかも。地位や名誉や多くのものを求める人間は、平和を見失い、平和を壊す。それは今の現代に通じること。戦争を起こすものは、自分の利潤だけを求め、自分だけが欲望を満たせればいいのだ。
しかし、もう狩猟生活にはもどれない。文明は巨大化し、すでに自然を食いつぶしている。ジャガーが語るもの、それは空しさだけかも。

公式サイト「アポカリプト」

 『西の魔女が死んだ』 梨木香歩 新潮文庫 【BOOK】 2007.6.30
題からすると、まるでホラーサスペンス調だけど、純粋に少女の心の葛藤を描いたものだった。まいはいじめにあった。学校に行けなくなった。だから、おばあちゃんの家で、しばらく暮らすことになった。おばあちゃんは、英国人。でも、片田舎で自然ととともに、日本の風土とともに暮らしていた。おばあちゃんは魔女修行を積んでいて、まいも不思議な能力を持ちたいと修行をすることになった。その修行とは、決まった時間に起きて決まった時間に寝る。そして、自分の意思の力を高め、自分でものごとを決めること。悪魔に妄想に惑わされないこと。おばあちゃんは、前向きな心を持たせようとしているようだ。まいが自分の心から逃げてしまい、小さくなってしまった。だれかに肩をたたかれても、背中をこずかれても、きっと動こうという気持ちは起きない。でも、魔女になる修行なら別だ。いじめに立ち向かうのではなく、新しい自分を作るのだから。

  思いこみが失敗を 2007.7.2
小学校低学年の頃だったよなあ。新しいテレビ局ができるという話を聞いた。それが35チャンネルだという。ここまでは真実。さっそく新聞のテレビ番組を見たら、岡山のテレビ局で35チャンネルというのがあって、そこには「鉄人287号」とあって、このアニメが始まるんだと近所の友だちに自慢げに話した。でも、始まらなかった。嘘つきだと言われた。本当に私は信じていた。あの岡山の番組が広島でもみられるようになるのだと。笑って済ませられない現実。まさしく嘘つきだ。「間違えた」と言えないのだ。今でもそんな失敗はたくさんある。物事を知らないために起こる思いこみ。だれも気づかなければ黙っている。私だけが知っている嘘。それでも、初めから嘘をつこうと思っていたわけじゃない。自分で自分が寂しくなる。自分が信じられなくなる。

アラビアのロレンス[完全版]

2007年01月14日 | 歴史映画/時代劇


1988年 イギリス 227分
■原題「Lawrence of Arabia : Restored Version」
■2007.1.13 wowow
■監督 デヴィッド・リーン
■出演
  ピーター・オトゥール(T・E・ロレンス)
  アレック・ギネス(ファイサル王子)
  オマー・シャリフ(アリ)
  アンソニー・クイン(アウダ・アブ・タイ)
  ジャック・ホーキンス(アレンビー将軍)
  アンソニー・クエイル(ブライトン少佐)
  アーサー・ケネディ (ベントリー)

《story》
第一次世界大戦のまっただ中、1916年カイロにいたロレンス少尉は、ファイサル王子を探し、イギリスとアラブとの同盟を強調し、トルコ軍をけん制することを目的に、派遣された。しかし、ロレンスは、アラブのために、ハリト族の族長アリとともに、越えることは不可能と言われているネフド砂漠を越える。そして海に大砲を向けているアカバのトルコ軍の背後から襲い、アカバを陥落させるのだった。ロレンスは、砂漠のアラブ愛しながらも、部族間の争いが耐えないことや、白い肌を持ち、アラブに完全に入りきれない自分があることや、フランスとイギリスの密約など、さまざまな困難を前にして崩れていく。しかし、再度立ち上がり、アラブの軍隊を率いて、どの国の軍隊よりも早くダマスカスを千占領したのだった。けれども、再度民族の争いが立ちはだかるのだった。

まるで子どものように情熱をもった人
考古学などロマンあふれる研究をしている人には、こんな情熱がだれよりもあふれ出してくるのだろう。そこには無限の可能性があり、夢や希望が埋まっている。本気でそれを信じている人は強い。周りを強く動かしていく。失敗のイメージがないから、必ずうまくいくと思っているから、やりきることができる。ネフド砂漠を越えることだって、はぐれた仲間をさがすことだって、ロレンスの頭の中には、成功のイメージしかなかった。しかし、自分が助けた仲間を殺さなければならなかったこと、自分の部下が砂地国に飲み込まれたことで、その自信は揺らぎはじめる。それでも、彼は砂漠を愛した。アラブを愛した。自分もその中に浸っていった。ロレンスの頭の中では、いつもアラブは1つだった。でも、ダマスカスを占領したあと、部族で争うアラブの中にロレンスは入ることができなかった。ロレンスの情熱で、アラブは動いたが、1つにはなれなかった。

物語というより詩なのだろか
数分の序曲から始まり、あらゆる場面で音楽と情景が散りばめられている。そして数分の終曲。ロレンスの情熱、悲哀、残虐、怒り、落胆・・・と、アラブととともに生きようとする、異質の人間が感じる喜怒哀楽、人生の詩だと言えるのではないだろうか。彼の頭の中に、国家のためにという気持ちは微塵もない。詩的に広がる愛する砂漠とアラブの姿しかなかった。踏み入れる前の情熱、失うことの悲哀、戦うことの残虐、政治的な背景への怒り、そして自分とアラブの人々の違いに対する落胆、理想とかけ離れていることに気づいた落胆。それらが、音楽とともに奏でられていく。
この映画は、かつて数度見た覚えがある。若い頃は難解だと思っていたが、今少し何かわかったような気がする。

 中心になれる人、なれない人
ロレンスはなれる人。自分を疑うことなく進むことができるから。なれない人というのは、自分を疑う人。自分がやろうとしていることがいいことなのかどうなのか判断できない。いつも迷っている。周りを見て、みんながやっているかどうかを確かめる。小心者だ。優柔不断な人間だ。自分を信じて、自分は判断してやったことが、ロレンスのようにうまくいけばいい。でも、そうじゃない人は、自信たっぷりにやってはみたものの、大失敗をしてしまう。恥ずかしい思いをする。そして、さらに小さくなっていく。名にもしようとしなくなる。あなたにはまかせられないという目で見られる。話もしてもらえない。中心にはならなくてもいいから、自分の考えくらい自分で大切にしてやらなければ。いやいや、そんな甘いことを言っているから、また失敗するんだ。袋小路でうろうろしている人がいる。