趣味の日記

観劇・歴史・小説・漫画などなど、思いつくままの語り日記

ウィーン版エリザベート

2007-04-22 23:54:15 | Weblog
ようやく観てきました。
あとにも先にも今日の一回だけ。時間があればもう一回観たかった・・・。
しかも、あの超絶美形のルドルフ君ことルカスさんではなく、セカンドキャストだった・・・悔しい(泣)。

字幕を読みながら観ていると、宝塚版や東宝版も含めた日本版とは、やはりニュアンスの違う作品であることがよくわかります。
トート=‘死’は、‘滅び’を意味するものなんだな~とか。日本版はシシィとの恋愛も絡んで、トートには‘人格’があり、‘死’を司る存在として登場しますけど(その点、サエコさんのトートが‘死’そのものであったことは、別の意味では異色なのかもしれない)、演じるマテさんの役作りもあるでしょうが、ウィーン版のトートはアクティブで破壊的な‘忌むべきもの’でもあるんじゃないかと。ヨーロッパの死生観って、‘死’=‘悪’になるイメージがあるけど、やっぱりそうなのかな?
その‘忌むべきもの’に魅入られ、惹かれるシシィもまた、ハプスブルクにとっては‘滅びをもたらすもの’につながるのかと。
字幕を読んでいる限りでは、ゾフィが一番筋の通ったことを言っていて(頑なではあるけど)、そこから離れてシシィへの愛に傾いて行ってしまったフランツが気の毒で、その元凶のシシィがとても身勝手で変人に見える(爆)。
幕開きとラストに歌われる「誰もが必ず‘死’と踊るが、誰もエリザベートにはかなわない」という歌詞が、ウィーン版を象徴してます。

舞台装置はさすがすごかった。やすりの跳ね橋も、下から見上げてると圧迫感あるし、歪んだ馬車のセットとか、抽象的なモニュメントがシュールで退廃的。写真で見てた王冠のセットがなかったのが残念。劇場に入らなかったのかなぁ。
1階席だったので、幕開きの、人々がセリ上がってくるところが、地の底から浮き上がってくるみたいでおお~っと思いましたし。ラストにシシィを連れ去っていく黒天使たちがセリの下へ沈んでいくのも、地に飲み込まれていくみたいで怖かったし。昇天するのではなく、墓の下に沈んでいくのが西洋的というべきか。
惜しかったのは、ゾフィと大臣達のチェスのシーンが、下からだとチェス盤が見えなかったこと。
カフェのゴーカートは、見てて面白かった。よ~く観察してると、ところどころに乗ってる黒天使たちがアクセル踏んでハンドル回して運転してるんですよね(笑)。黒天使のいない車は、それぞれ自分で運転してますけど。
背景に使ってる写真が、実際の風景ですごく綺麗。背景のほか、抽象的なセットも多いですし、装置としては大掛かりだけど、現実的な家具や小道具は最小限で、置かれているセット自体はすごくシンプルです。

姉が持ってるウィーン版DVD、もう一度じっくり観てみたくなりました。確か買った当初に観た時は、日本版のおかげで話の内容はわかってたから、映像を観るのをメインにして、字幕は消して観た気がする。今度は、字幕をもっとちゃんと読んでみたいなぁ。

コメント
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