さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんの担当医師から電話がありました。「来週には退院できるでしょう」と

2023-03-17 22:08:47 | 肺炎

今日の正午ころ、病院から電話が入りました。

嫌な気分ですね。

でも、さっちゃんの担当医師からの病状説明の電話でした。

先週、担当看護師さんと話した時に、担当医師から説明をしますとの約束を守ってくださったのです。

僕もいろいろと詳しい内容を聞かなかったこともありますが、報告内容は至ってシンプルなものでした。

「炎症度合も良くなっているので、来週くらいには退院する方向で考えています」と。

具体的にもっと状態を聞けばよかったのですが、突然の電話でしたから、そこまで思いが回りませんでした。

栄養補給は経管栄養なのか点滴なのか、聞いておきたかったですね。

微熱はあるのかとか、便秘の状態はとかも聞きたかったです。

僕が聞いたのは病院の相談員さんのことでした。

入院した際に、相談員を付けることは聞いていましたから、退院に向けてや退院後のあれこれは相談員さんと相談することになるからです。

お医者さんですから、その辺りのことは詳しくはないのでしょうが、「今後そちらに連絡があると思いますよ」と言ってくださいました。

 

ただ、お医者さんはひとつだけ心配な内容を話してくれました。

「腺癌の疑いがあるので、退院後も時々診てもらってください」と。

肺炎の状態を調べた際に見つかったのでしょうから、肺腺癌なのでしょう。

「疑い」ですから、何でもないかもしれませんし、悪性腫瘍でない可能性もあります。

どちらにせよ、今後経過観察が必要です。

 

この直後にケアマネさんにも報告しました。

病院の相談員さんからも連絡が入るでしょうから、退院のことや退院後の居場所等もだんだんと決まって来ることでしょうね。

 

僕はと言えば、YYDの仲間が一緒に天覧山で岩トレをしてくれています。

家に独りでいても気が沈むだけですから、山仲間と共に体を動かし話すことで、僕は心身ともに平常を保つことが出来ています。

天覧山は携帯の電波も届きますし、緊急電話が入って病院へ駆けつけなければならなくなっても、1時間少しで行けるのです。

さっちゃんの入院後、8日(水)、15日(水)、16日(木)と天覧山へ行きました。

4時ころには終了して、飲食せずに帰宅します。

今後も19日(日)、21日(祝)、22日(水)、24日(金)、26日(日)に天覧山での岩トレに声を掛けてもらっています。

感謝ですね。

ただ、来週は病院へ出かけることもあるでしょうから、予定通りにはいかないこともあると思います。

退院と関係してのことでしょうから嬉しいですね。

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さっちゃん、突然の入院です

2023-03-06 23:51:29 | 肺炎

今朝11時14分、ショートステイしているI老健のS田さんから電話が入りました。

「昨晩嘔吐し、これから救急車に乗ります。健康保険証を持って、T病院に向かってください」

僕はちょうど洗濯機を回している最中でした。

早く目覚めたのですが、前日の岩トレ後の打上げで飲み過ぎて(さほど飲んではいないのですがアルコールに弱くなっています)、二日酔い気味でした。

朝食も食べていませんでした。

バナナ1本食べて、健康保険証を持って、自転車でT病院へ向かいました。

 

11時40分ころ、救急車の到着口に着きましたが、さっちゃんはまだ到着していませんでした。

12時過ぎ、救急車が来ましたが、さっちゃんではなく別の方でした。

12時半ころ、救急車が来て、さっちゃんが運ばれて来ました。

目をつぶっているさっちゃんは苦しそうでもなく、いつもの表情でした。

ただ、酸素マスクだけは装着されています。

病院内に入ると、さっちゃんとはすぐに別れて、I老健から同行して来てくれている看護師さんと僕は待合室へ行き、待つことになりました。

 

その看護師さんがおっしゃるには、さっちゃんは昨日の夕方5時ころと夜の10時ころに嘔吐したんだそうです。

今朝になって、不安な状態になったので救急搬送をすることに決めたのだとか。

 

13時20分ころ、担当医師からの簡単な説明がありました。

血圧も救急到着後は70くらいにまでなったそうですが、搬送中は50くらいだったそうです。

太い血管からでも、があまり取れなかったようです。

Sp0₂も酸素を5リットル入れているのに、90くらいにしかならないんだそうです。

「より詳しい検査結果が出たら説明をするので、ここを動かないで欲しい」と言われました。

 

2時間後くらいになるとのことでしたから、I老健から同行されていた看護師さんが僕を気遣ってくださいました。

僕が朝からほとんど何も食べていないと知り、「私がここで待っているので、食事をしてきたらどうですか?」と。

僕は病院内のコンビニでお弁当を買い、飲食の出来るコーナーで食べることにしました。

ところが、お弁当を半分くらい食べたところで、その看護師さんが僕の元へ。

お医者さんが呼んでるんだそうです。

 

医師の説明では、さっちゃんは誤嚥性肺炎であると。

そうなった理由がはっきりとしないんだそうです。

肺炎になっている部位も広いので、徐々に侵されていたのではないかと、おっしゃいます。

さっちゃんの体では処理できない量の栄養や水分が補給されるので満杯になって溢れた可能性もあると、おっしゃっていました。

(僕の曖昧な記憶に基づいて書いていますから、表現としての間違いがあるかもしれません)

胃から溢れて、喉元へ出て行った内容物の一部が誤嚥されたのかもしれませんね。

(これは僕の感想です)

 

お医者さんは今後の治療について話しを進めます。

端的に言うとどこまでの治療を施すかと言うことです。

例えば点滴の方法。

通常の腕の血管から投与するのでは十分ではない場合、首の太い血管を使うのだそうです。

そうすると、より強力な薬も投与できたりするんだそうです。

でも、強い薬ですから副作用は強いんだそうです。

また、人工呼吸について。

今は酸素マスクを通じて5リットル入れていますが、これは15リットルまで増やせるんだとか。

これで駄目なようなら人工呼吸器になるのですが、僕は医師がどのように説明したのかを忘れています。

とにかく、さっちゃんの体に相当な負荷がかかることになるのだそうです。

他にも説明を受けたと思います。

 

医師は僕に暗に返答を求めているのです。

さっちゃんに対してどこまでの治療を行なえばいいのかを。

去年の春、さっちゃんが誤嚥性肺炎になって救急搬送された際に、医師や救急隊員に問われたことがら。

肺炎治療の主治医からも問われたことがら。

その時、僕が決断したこと。

その内容を今回も繰り返し告げました。

前回も涙が出て来て、言葉に詰まってしまいましたけれど、今回も同様でした。

「さっちゃんの体に強い負荷がかかるような治療はしないでください」

僕は嗚咽で動きにくい唇を何とか動かして、告げました。

僕がそんなことを独断で決めてもいいのだろうか?

生きていること、それが一番の価値なのではないだろうか?

でも、さっちゃんと共に生きて来た僕には分かる気がします。

「私は充分に生きた」

「幸せだった」

ナルシシスト的独断かもしれませんけれど、僕はそう感じています。

入院後のことについても教えてくださいました。

急変などがあると僕に連絡をくれること。

危篤状態になった場合、コロナ禍ではあるけれど1名だけは直接会えること。

会う前には必ずコロナの検査(おそらく抗原検査)が必要なこと。

同室で長く一緒に過ごせるようです。

 

医師からの説明もあったので、I老健から来てくださっていた看護師さんは戻ることになりました。

僕は入院が決まって病棟へ移動するまで、さっちゃんのそばにいることが出来ました。

さっちゃんの表情は大変な状況だと感じさせないような、いつもと変わりないものでした。

ほんの少し薄目が開いた気がしたので、「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん」と耳元で何度も呼んでみました。

すると、さっちゃんはしっかりと目を開けて、僕のことを見てくれます。

普段なら、すぐにまた目を閉じてしまうのですが、長くずっと目を開け続けてくれています。

「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん、元気になるんだよ」と話しかけました。

僕はマスクを外して、顔を見てもらいました。

さっちゃんの顔には顕著な表情は表われませんが、僕だと分かっているようです。

長くじ~っと、僕を見続けてくれていました。

疲れてしまったのか、さっちゃんは目を閉じてしまいました。

その後、声を掛けてもさっちゃんは目を開けてくれませんでした。

さっちゃんの気持ちが伝わったように感じるのは僕の思い上がりでしょうか?

さっちゃんの瞳の奥の表情が喜んでいるように思えたのです。

 

待合室にいた時も、さっちゃんのストレッチャーのそばにいた時も、病棟のフロアにいた時も、数多くの書類にサイン等しました。

寝巻きやタオル等は入院中レンタルすることにしましたが、オムツ類は家にたくさんありますから、それを持って行くことにしました。

4時過ぎに病院を出て、再び5時前に病棟のナースステーションにオムツと2種のパッドを届けました。

登山用の100リットルザックにも入り切らなかったので、後の2袋は大きなゴミ袋に入れて持って行きました。

家に戻って来たら、5時半。

こんなことがあったのに、僕はご飯を炊き、お味噌汁を作って、夕食を食べます。

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さっちゃんが退院し、I老健に入所する日が決まりました

2022-04-06 23:55:51 | 肺炎
昨日の10時52分、災害医療センターから電話が入り、さっちゃんの退院の日程が決まったと連絡がありました。
来週の月曜日、11日です。
H越さんが介護タクシーを手配してくれて、ストレッチャーに乗せて出るようです。
出発の1時間ほど前には、僕は病院へ行き、さっちゃんの着替えを渡し、入院費用を精算します。

介護タクシーはI老健の関連病院へ行き、診察を受けてからI老健へ向かうようです。
I老健に到着するまで、僕はさっちゃんと久し振りに一緒に居ることができます。

今後の予定が確定しましたから、僕はそのための準備をします。
書類とかはともかくとして、最初に必要となるのが災害医療センターを出るための着替えです。
ストレッチャーに寝たままで退院するようですから、病衣が必要となります。
災害医療センターのコンビニでも売っているのですが、H越さんが言うには「ちょっと高いかも」だそうです。
「東Y市のイトーヨーカドーには結構そろっていると知ってるんですけどね。ちょっと遠いですよね」とH越さん。
直後にケアマネさんと話した時にも、「イトーヨーカドーにはあるんじゃないかな」と言っていましたから、僕も行ってみることにしました。

近所のイトーヨーカドーにも介護用品のコーナーがありました。
介護用ガーゼ寝巻き(浴衣タイプ)日本製     4730円 (中国製はもっと安価でした)
七分袖肌着(前開きタイプシャツ)日本製     2629円
三分袖肌着(前開きタイプシャツ)日本製     2519円

の3点をとりあえず購入しました。

その後、隣り街へ自転車で行きました。
グーグルマップで介護用品販売と検索して、実際に見に行くことにしました。
アヌエヌエという名のお店です。
病院との繋がりの中で生まれた店のようですね。
店自体は狭くて小さいですけれど、その店を通じて多種多様な品物を購入することが出来ます。
自宅介護で必要になりそうな物品ならほぼ揃いそうですね。
350ページにもわたるカタログも貰って来ました。
カタログに載っていない品物でも取り寄せられるそうです。

熱心な店長さんと1時間以上、いろいろと話し込んでしまいました。
そして、2品購入しました。
ニットキルト地婦人用浴衣タイプLサイズ     5830円が3割引きで4081円
簡単着替えパジャマ婦人用Mサイズ        8580円が5割引きで4290円

浴衣タイプはLサイズですが、店長さん(159cmだとか)が着てみてくれて、それほど大きく感じませんでしたから、買ってみることにしました。
3割引きなのは少し古い型なんだそうです。
パジャマの方は、ズボンの両サイドがチャックになっていて、オムツ交換もいちいちズボンを脱がす必要はなさそうです。
パジャマタイプも使ってみてもいいかもと思いました。
これは現品限りで見本として使われていたものですから、5割引きにしてくれました。
ただし、必ず洗濯をしてから使うこと。


▲17:50。隣り街からの帰りも多摩川土手の道で帰りました。途中、夕陽を正面に眺めながら自転車を走らせました。


▲17:50。電車の音がしたので、振り返ると、中央線の下り電車が鉄橋を渡っていました。


▲17:57。夕陽が奥多摩の山々へと沈み、多摩川の水面もほんのり紅く染まっています。

I老健が何日おきに着替えるのかで、用意する寝巻きの最低枚数が決まります。
週に2回着替えるのなら、週に一度僕が洗濯物を取りに行くとすると、その時に洗濯物を2枚受け取ることになります。
僕は洗濯して来た寝巻き2枚を渡します。
さっちゃんがその時着ている寝巻きが1枚ですから、合計5枚必要になります。
着替えを週3回するなら、同じ計算をすると7枚必要です。
通常の着替え前に寝巻きが汚れたりすることもあるでしょうし、雨が続くと予定通り洗濯できないこともあるかもしれません。
そんなことを考慮すると、合計枚数を増やすか、僕が洗濯物を届けに行く回数を増やすかしないといけませんね。
自転車なら30分くらいだと思うので、届ける回数を増やせばいいのかな、と思います。
なんとなく、しょっちゅう行くことになりそうな気がしますね。
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I老健の相談員・S田さんと入所に関する面談を行なって来ました

2022-04-04 22:47:06 | 肺炎
今日の15時、僕は予定通りI老健へ行きました。
冷たい雨の降る中を電車と徒歩で向かいました。
幾つか書類に記入したり、書類を読んだりした後、相談員のS田さんからの口頭での説明を受けました。
S田さんは電話の声から受ける印象とは異なる方でしたね。
電話での印象はどこかシニックでこちらを少し突き放して喋っているような感じでした。
静かに訥々と感情をあまり込めずに語る口調からそんな風に感じたのかもしれません。
でも、直接お会いして、生の声から受ける印象はまったく逆でした。
思いやりがあって優しい声でした。
語る内容からも病気などを抱えた高齢の利用者の方々への理解や優しさが伝わって来ました。

いろいろな細かな手続き等の話は省略することにして、このI老健でお世話になることを決めました。
まあ、すでに災害医療センターのH越さんとの間では既定路線になっていたようですけどね。
I老健の都合もあって、来週の月曜日か水曜日、あるいは再来週の月曜日転院する日になるみたいです。
転院する日にどのように移動するのか、具体的方法は聞きませんでしたけれど、移動中のさっちゃんと僕はずっと一緒に居てもいいみたいです。
むしろ、「全然知らない場所へ行き、知らない人に囲まれるので、ご主人が一緒におられれば安心でしょう」と言います。
「僕のこと分からないかもしれませんけど」と僕が言うと、
「絶対に分かりますよ。表情が違って来ますから」とS田さんは言ってくれます。
今のさっちゃんにはそこまでの認知力はないと思いますけれど、そのように言われると僕も嬉しいですね。

今日は老健の詳細については書かないことにします。
最近、就寝時間が凄く遅くなっていますから、今晩は出来るだけ早く寝ようと思います。
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俄かには信じ難いですが、嬉しい情報でした

2022-04-02 22:43:39 | 肺炎
昨日電話があって、「さっちゃんのオムツとパッドが不足しているので持って来て欲しい」とのことでした。
僕は2時前に家を出発し、自転車に乗って多摩川土手を走って向かいました。


▲13:52。さっちゃんといつも散歩していた基本周回コースの桜並木です。

さっちゃんと一緒にこの桜を愛でたかったですね。

災害医療センターまで50分くらいかかりました。
土曜日なので裏の方の入り口から入ります。
ナースステーションでさっちゃん担当の看護師さんが来てくれます。
オムツはs~Mサイズなのでいいのですが、パッドはちょっと大き過ぎるかもしれません。
頻繁にパッドは交換しているみたいですから、排尿目安は2~3回分でいいのでしょうが、4回分のワイドサイズでした。
看護師さんは「大は小を兼ねるので、大丈夫ですよ」と言ってくれます。
オシメもパッドも余ったところから貰ったものなんです。
有難いですね。

今週、S口先生から胃瘻造設手術に関する説明を受けましたから、説明を受けたことの確認書と同意書にもサインしました。
災害医療センターで手術しないと思いますが、サインはするんだろうなと思っていました。

サインし終わってから、さっちゃん担当の看護師さんに訊いてみました。
「最近のさっちゃんの様子はどうですか?」
すると、体温は36度台後半くらいなんだそうです。
朝起きた時に37度に近いことはあるそうですけれど、一時期に比べると安定してますね。

「リハビリもしていますよ」と看護師さんが言います。
手や足を動かしているそうです。
固まってしまわないためなんでしょうね。
「動かそうとすると、嫌がったりすることもあるんですよ。意思表示するんですよ」とも。

「痰の吸引は今でも2時間おきくらいに行なっているのですか?」と訊いてみました。
すると、吃驚する返事が返ってきました。
「痰の吸引は今はほとんどやってませんよ」
え~~~っ!?
「1日に何回くらいやってるんですか?」
「3回かな。食後のたびにですね」

その3回も食後の口腔ケアで口中に水が残るので、それを吸い取っているだけのようです。
カテーテルを喉の奥までは入れずに、口の中だけのようです。
鼻腔からの鼻水の吸引も行なっていないそうです。
それは実質、痰の吸引はしていないと言うことなんでしょうか?

あまりにも衝撃的な嬉しい情報ですから、僕は簡単に信じる気にはなれません。
重度の肺炎からは脱却できても、軽度の肺炎は残り続けると言うことでしたから、誤嚥は繰り返されているでしょうし、痰も溜まり続けるはずだからです。
これが本当であってくれと、祈る気持ちですね。


▲15:57。帰路も同じ桜を撮りました。


▲15:58。少し霞んだ青色の空を背景に輝くような桜でした。
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I老健の関連医院で胃瘻造設をするようになりそうです

2022-04-01 23:50:11 | 肺炎
今日の1時9分、I老健から電話が入りました。
でも、相談員の方が妙なことを言うんです。
「こちらで胃瘻造設手術をするとなると、・・・・うんぬんかんぬん・・・・」
ですから、僕はその時点で把握している状況を伝えました。
「手術は災害医療センターで行なうのですが、器具が届くのを待って、手術日が決まることになっています」
僕がそう告げると、相談員の方は戸惑った様子で、「〇〇と相談してみます」みたいなことをおっしゃって電話を切りました。

僕はどうにも腑に落ちなくて、すぐにH越さんに電話します。
すると、どうやら僕が知らないうちにI老健とH越さんとの間で話が進んでいて、次のような流れになっていたようなんですね。
I老健の関連医院でも胃瘻造設手術が出来るので、そちらに転院した方がいいのではないか、と。
その後の実技指導の件もありますから、僕もその方がいいかなと思いました。
災害医療センターとしても、あまり長く入院し続けられませんしね。
状況を理解できた僕はH越さんにI老健の関連医院に転院することで、先ほどの相談員さんに話をつけてくれるようお願いしました。
7分後、H越さんから電話が来て、「I老健から夕方に電話があるはずです」と。

そして、5時57分にI老健からの電話。
改めてI老健の関連医院で胃瘻造設手術をする旨を確認しました。
そして、月曜日の15時に僕がI老健へ行き、面談等行なうことになりました。
痰の吸引や胃瘻からの栄養投与等の実技指導のことを考慮すると、この転院は良いことだと思います。


他にも災害医療センターの看護師さんから電話が1本入り、明日オムツとパッドを届けることになりました。
明日は天気も良さそうですから、運動がてら自転車で行って来ようと思います。
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胃瘻造設の担当医師から電話が入り、その後、痰の吸引の実技指導の可能性がある老健の情報もありました

2022-03-31 22:32:02 | 肺炎
これから報告することは昨日の出来事です。
昨晩は夕食後、寝てしまいました。
普通なら1、2時間で目が覚めるのですが、昨晩は夜中の1時過ぎまで眠ってしまいました。
その後、ちょっとだけ用事を済ませて、眠りに就いたのは3時過ぎ。
ふた晩連続の3時過ぎ就寝です。
週末に山歩きして、普通の就寝リズムに戻さなければ!

改めて言いますが、これから書くことは昨日の出来事です。

10時16分、災害医療センターから電話が入りました。
さっちゃんの胃瘻造設担当医師からの電話でした。
S口先生という方ですが、まずは胃瘻造設に関わる危険性の幾つかを詳細に説明してくださいました。
本来ならS口先生と直接向き合う面談を通じて受ける説明なのでしょうが、コロナ禍ですから電話での説明になったようです。
麻酔による危険性、手術で使用する胃カメラでの誤嚥や歯を傷つける危険性、胃とお腹に空けた穴の化膿等の危険性など丁寧に説明してくださいました。
胃瘻造設による肺炎や出血の可能性が0.3%、死亡する可能性も0.03%あるとのことです。
(電話での聴き取りが不正確かもしれませんから、あくまでも参考程度に)

そして、手術日程ですが、まだ未定のようです。
災害医療センターではバンパータイプの胃瘻造設手術を行なっているようです。
しかし、そのタイプは訪問診療では交換が出来ないケースが多いようなんです。
それで、バルーンタイプの器具を取り寄せることにしてくれたみたいなんですね。
バルーンタイプの場合は交換が楽ですから、訪問診療でも可能なことが多いんだそうです。
そのバルーンの器具が届く日程がはっきりしないので手術日も確定できないようですね。
早ければ来週には届くのではということでした。
その日程が分かったら、連絡をしてくださることになっています。


その後2時28分、災害医療センターのH越さんから電話が入りました。
「Iという老健があって、今月から痰の吸引等の実技指導を再開したようですよ」
思いもよらない、嬉しい情報です。
もしその方向で実現すれば、胃瘻造設手術後、その老健に一時的入所し、僕が実技指導を受けることが出来ます。
そこでお墨付きを受けてから自宅に戻れると、かなり安心な状況だと思います。
訪問看護も毎日でなくても、週に何日かで十分かもしれません。

すぐにI老健に電話を入れました。
最初は会議中、待ち切れずに2時間後に再び電話した際は外出中でした。
さらに1時間経って電話が入りました。
相談員の方と話しましたが、あまり前向きな雰囲気ではないですね。
詳しくは分からないのですが、実技指導の再開も仕方ない状況の患者さんがいてそうなっただけなのかもしれません。
ですから、まったく新たに実技指導希望者を積極的には対応したくないのかもしれませんね。
蔓延防止等重点措置(まん防)が解除されたとはいえ、第7波が心配されるような状況では尚更でしょうね。
老健サイドの心配も理解できます。
でも、さっちゃんを受け入れて欲しい気持ちは大きいですね。

ケアマネさんにも状況報告をしました。
実技指導を受ける候補がもうひとつ増えたことをとっても喜んでくださいました。
災害医療センターでの1回1時間で2回の実技指導の他に、I老健での実技指導の可能性も出て来ました。
I老健も楽観は出来ませんが、可能性があるだけでも嬉しいことです。


夜、前日電話をくれた山仲間が写真を送ってくれました。
その内の1枚をここに掲載させてもらおうと思います。


▲実にたくさんの情報が詰まった写真です。心から感謝ですね。この写真を目にして、漠然としていた吸引に対する準備がものすごく具体的なものとして感じられるようになりました。

介護ベッドのある寝室に、横幅が120cmで高さが70cmくらいの衣装箪笥があります。
今はCDプレイヤーや小箪笥小物入れを載せています。
他には本が乱雑に何冊も置かれています。
その衣装箪笥の上のスペースを有効活用すればいいかな、と思いました。
写真だけからですが、得難い情報が本当にたくさん詰まっています。


ところで、今日3月31日ですが、災害医療センターからもI老健からもケアマネさんからも電話がありませんでした。
最近では珍しいことですね。
それが分かってたのなら、天覧山にでも行けばよかったですね。
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山仲間からの温かく心底有難い電話がありました。吸引カテーテルを鼻から挿入。H越さんから連絡入って、どうやら胃瘻造設できそうになりました

2022-03-29 23:56:56 | 肺炎
今日の11時8分、山仲間の一人から電話が入りました。
(かなり繊細で個人的情報なので、T口さんとかH越さんとかの表示も使わず、“彼”とだけ言うことにします)
彼は僕の最後のザイルパートナーでした。
(最初のザイルパートナーで僕の山人生ほとんどのザイルパートナーはさっちゃんです)
彼とは最後に北穂高岳滝谷ドーム中央稜を登攀しました。

その彼からの突然の電話でした。
首都圏からは遠く離れて暮らし、そちらで結婚もし、子供も生まれました。
そのお子さんが胃瘻を設置し、痰の吸引が必要なお子さんなんだそうです。
もうそれ以上のことはここでは書きませんが、彼は僕などとは比較にならないほど辛い状況であることだけは確かです。
彼は僕のブログを時々読んでくれていたようで、さっちゃんの現在の状況を知って、何か僕の助けになるかもと思って、電話をくれたみたいです。
彼とは57分間も話をしました。
話の内容がすべて現実であり、具体的ですから実に有難かったですね。
今後も疑問点や不明点があったりした際の良き相談相手になってくれそうです。
山の仲間は本当に有難いですね。


午後の1時過ぎ、昨日に続いて吸引カテーテルの練習をしました。
練習と言っても、吸引器はありませんから、カテーテルを自分の口腔や鼻腔から入れるだけです。
口からは昨日よりも少し長く15cmほど入れてみることにしました。
昨日は最初凄く咳き込みましたが、今日は一発で挿入完了。
なんか、慣れちゃったみたいですね。

続いて、鼻からの挿入を試みました。
鼻からは15~20cmくらいの長さが目途のようです。
物差しで長さを計り、鼻から少しずつ挿入していきます。
鼻ですから、咳き込むことはありません。
「もっと奥に突っ込んだら痛いのかな?」などとビクビクしながら本当に少しずつ進めて行きました。
何cmくらいだったのでしょうか?
何か変な感じがし始めました。
痛くもなく、痒くもないのですが、非常に妙な違和感が感じられるようになりました。
さらにほんの少しずつ先へ進めると、その違和感は凄い心地悪さと言うか気持ち悪さに変わって来ました。
今すぐにカテーテルを引き抜きたくて仕方ありません。
それでもまだ10cmちょっとしか入っていなかったので、凄く我慢してさらにカテーテルを進めました。


▲13:24。いちばん奥まで入った状態で、少しの時間我慢して写真を撮りました。鼻の穴はカメラで隠れてしまっていますね。この後、すぐにカテーテルを引き抜きました。

さっちゃんも僕と同様の感覚を抱くでしょうから、鼻からの吸引は手際よく短時間でしてあげないと嫌でしょうね。
あの不快感はこれまで味わったことのないものでした。


午後2時36分、災害医療センターのH越さんから電話が入りました。
報告を待っていた胃瘻造設の件でした。
災害医療センターで手術出来ることになったそうです。
ひと安心です。
「ギリギリ出来ることになりました」と言ってましたから、乗り越えるべきハードルは高かったのでしょうね。
この病院にはない医療器具を取り寄せたりしなければならなかったとも言ってました。

上記の点はもちろん朗報でしたが、もうひとつ実に嬉しい朗報もありました。
さっちゃんに対しての痰の吸引等の実技練習が出来るようになったのです。
ただし、高額の個室を2泊3日でキープして、そこに居る間に1回1時間で2回だけ実技練習しましょう、というものです。
個室は1日、一番高い部屋なら1万5000円なんだとか。
3日分ですから4万5000円ですね。
ただ、これはお金に換えられない価値がありますからね。
1時間ではなく、せめて2、3時間だったらもっと充実するのにと思います。
そのためにPCR検査も僕が受けなくてはならなくなるようですね。

そして、さらに良い情報がひとつ。
A相互病院というところがあって、この病院は訪問診療をする病院なのだそうです。
胃瘻の交換はもちろん出来ますし、短期入院制度があるんだそうです。
それは何かというと、例えば僕が体調を崩してさっちゃんの介護が出来なくなった際に、その間入院できるというシステムのようですね。
これは非常に有難い制度ですね。
H越さんとも23分間も話しました。


そして、今日の最後にケアマネのT口さんに報告の電話連絡をしました。
今日のブログに書いたような内容を報告しました。
胃瘻造設や実技練習の件はとっても喜んでくださいました。
そして、まず優先的に決めなければならないことは、訪問診療をどうするかということです。
さっちゃんが3月5日に救急搬送された日、その日が初めてだったのですが、診てくださった訪問診療所との契約をどうするかということです。
継続するか、終了とするか?
終了して、A相互病院と新たに契約するか、それを決めなければなりません。
明日には決めたいと思います。


多くの方々の様々な助けの手をお借りして、少しずつ事態が進展していくことを実感します。
山の仲間たちの温かい心の支えも弱りがちな僕の心を強くしてくれます。
すべての人に感謝を!
すべての人にあまねく愛を行きわたらせてください!
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さっちゃんの自宅介護・看護の最重要ポイントは痰の吸引です

2022-03-28 23:07:36 | 肺炎
さっちゃんと二人で一緒に桜を観たいな、と思っていました。
でも、その希みは叶いませんでした。


▲12:38。我が家の桜もほぼ満開です。我が家のと言っても、庭はありませんから、ベランダから見える桜なんです。枝が伸びると(伸び過ぎると切られちゃうんですが)手で掴めそうなくらいすぐ近くで咲いてくれます。去年まではさっちゃんもこの桜を愛でていました。


今日の15時にケアマネさんが訪問してくださることになっていたので、その前にやっておきたいことがありました。
僕の体を実験台にした痰の吸引練習です。
まだ吸引器は手元にないので、H越さんにいただいた吸引カテーテルだけを僕の口腔から喉の奥へ差し込む練習です。
鼻から差し込む方がハードルが高そうですから、まずは口腔からとします。

吸引カテーテルを口から喉へ差し込もうとします。
ウゲゲゲゲ、ゴホッゴホッゴホッ、咳き込んでしまいます。
2度3度、同じく咳き込みます。
4度、やっぱり咳き込みます。
5度、あれっ? 咳き込みません。
カテーテルが喉の奥まで入って行きました。
10cmから15cmほど入れると説明書にはありましたから、12、3cm入ったと思います。


▲14:02。喉の奥まで入った時の写真。


▲14:02。吸引カテーテルを引き出した時の写真。黒い矢印と赤い矢印の間の長さが口腔内に入っていたカテーテルの長さです。

カテーテルは実にソフトな感触で口腔内と触れ合います。
角張っている感触は一切ありません。
咳き込む以外は実に優しく奥に入って行きます。
さっちゃんは咳き込むことが出来ないので、痰も自力では出せないわけですから、咳き込むことはないのです。
口から喉に挿入して痰の吸引をするのは何とかなりそうだとの感触を得ました。
後は鼻からですね。
鼻からの方が大変そうですよね。
明日にでもトライしてみようと思います。

15時、ケアマネさんが訪問してくださいました。
訪問看護の手配を一生懸命やってくださっています。
その途中経過報告です。
結論から言えば、こちらの希望通りの態勢は整いそうにない。
こちらの希望は、退院直後から一定期間は毎日午前と午後に看護師さんに来てもらいたいというもの。
実情はMAXでも1日1回がせいぜい、実際にはそれも難しそうと言うもの。

さらには、胃管が付いた状態ならば無理だ、責任が持てないという事業所がほとんど(全部?)のよう。
そして、ご主人(僕)が痰の吸引の実技習得なしに自宅に迎えるのはあまりにも危険だという意見だった
そうです。
そんな危険な状況下で僕を指導しても、他の機会のほとんどを僕がする訳ですから、責任を取れないと言われたそうです。
もし痰が詰まって急変しても、至急の対応は困難だとも言われたそうです。
訪問看護事業所の方々がおっしゃってることはもっともなことばかりだと思います。
じゃあ、どうすればいいと言うんでしょうかね?
コロナ禍でなければ出来ていたはずの実技練習、病院で僕がさっちゃんに痰の吸引をする練習、は出来ない訳なんです。
何らかの方法を見つけて、実技練習できるようにするか、徹底的に僕自身を実験台に繰り返し練習するかですね。

今日もケアマネさんに言いました。
僕はさっちゃんを自宅で看取りたいと。
このコロナ禍では入院していると、看取ることは出来ないのが通常です。
それは嫌なんです。
病院に居る方が命にとっては安全で永らえることは確かでしょう。
それよりも僕は自分の目の前でさっちゃんを看取ることを選びたいのです。
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胃瘻の造設をお願いしました

2022-03-24 23:49:11 | 肺炎
入院後まもなく、担当医師から「食事を飲み込む力が弱いので、鼻から胃へ管を通し、栄養投与をします」との説明を受けました。
所謂、胃管です。
その時に僕は思いました。
「胃管と胃瘻とどう違うんだろう?」
ですからネットで調べてみました。
結論から言うと、胃管と胃瘻は同じです。
どう同じかと言えば、どちらも経口摂取できない患者への方策だからです。

それぞれメリット、デメリットがあります。
デメリットで言えば、胃管は管の存在に違和感があり、管を通して垂れる唾液等の誤嚥が発生し易くなります。
胃瘻はお腹に穴を開けるわけですから、そこに大きな抵抗感がありますよね。

昔から胃瘻に反対する人々の声をよく耳にしていました。
「これは単なる延命措置ではないのか?」
その患者さんの状態にもよるのでしょうが、胃瘻が単なる延命措置であるケースもあると思います。

救急搬送後、さっちゃんに行なわれた医療行為のほとんどは延命措置のようなものだったと思います。
酸素投与、点滴、etc. それらの医療行為が加えられなければ、さっちゃんの生命は絶たれていたでしょうから。
その後、胃管が設置されました。
これも水分・栄養を摂取するための延命措置です。
水分・栄養を摂取しなければ生命維持はできませんから。

さっちゃんのような高齢の認知症患者に対する延命措置と単なる延命措置の境界線はどこにあるのでしょう?
病院側としても最初からその境界線は明確に提示されていました。
それはこのような内容でした。
3月5日の「医師からの説明内容」より
 高齢でもともと様々な持病もあるため、容態が悪化する可能性があります。悪化した場合、若年者ではもともと余力があるため、人工呼吸治療や透析治療などの体に強い負担のかかる集中治療が適応となります。しかし、ご高齢の場合はそれらの治療はいたずらに苦しみを与えるだけになる可能性が高く、基本的に集中治療を行う妥当性はありません(良くなる見込みに乏しい場合は延命であり、治療にならない)。そのため、急変(心肺停止など)を含む容態悪化時には苦痛を伴う治療は行いません。
3月7日の「医師からの説明内容」より
 ご高齢であり、認知症の既往があることや今回も重症であったことから、急変する可能性も十分考えられます。心臓マッサージや人工呼吸器管理は本人様の負担にしかならずかえって苦しい思いをさせてしまうと考えられるため、急変された場合には点滴やマスクでの酸素投与までの保存的加療とさせていただきます。

つまり、強い負担がかかったり、苦しみを与えるだけの治療は行なわないことが境界線となっているようです。
胃瘻は強い負担も苦しみもなく、胃管よりも不快感も少ないようです。
昨日、担当医師から初めて胃瘻の話が出た際にも、即決は出来ませんでしたけれど、内心では胃瘻は妥当な方策だろうなと思いました。

そして今日、もう少し情報を得て、考えましたが、僕の結論は変わりませんでした。
午後1時16分、災害医療センターに電話し、担当医師の先生に「胃瘻造設をお願いします」と告げました。
まずはこの病院で胃瘻造設手術が出来るかどうかが問題になります。
出来るのならそのまま進行しますが、出来ないとなればその後の選択肢が幾つか生じて、また僕に判断が迫られます。
シンプルに進行できて欲しいと思います。

この電話の直後にはケアマネさんにこのことを報告しました。
ケアマネさんはさっちゃん帰宅後の痰の吸引について凄く心配されています。
僕がPCR検査をして陰性ならば、その条件でさっちゃんの吸引を体験できないかなど、可能性を考えてくださっています。
次にH越さんと話した際に聞いてみようかと思います。
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