ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

鳩森八幡宮

2016年05月20日 23時26分35秒 | 社寺仏閣

神宮前の近くの施設で会合があったので、千駄ヶ谷駅で降りて、向かいました。早めに出たので、途中で鳩森八幡宮を散策しました。古地図を見たら八幡宮は富士山が描かれていました。真ん中にある川は玉川上水から分かれてきたものです。上部に千駄ヶ谷町と書かれているあたりが千駄ヶ谷駅になります。

千駄ヶ谷のプールの脇を抜けてくると見えてきました。

★ランドマーク鳩森八幡宮神社のHPより『江戸名所図会』によると大昔、此の地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲(ずいうん)がたびたび現れ、ある日青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。この霊瑞(れいずい)に依り 神様が宿る小さな祠(ほこら)を営み鳩森『はとのもり』と名付けた。貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が関東巡錫の途中、鳩森のご神体を求める村民の強い願いにより、山城国石清水(男山ともいう)八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給うた故事にのっとり、神功皇后・応神天皇の御尊像を作り添えて、正八幡宮とし尊敬し奉ったと伝えられている。

江戸名所図会の塗り絵版です。入ると左手に富士塚があったので、この図の縁の部分から入ったようです。

 

こちらからも富士山の登り口があります。

入るとすぐに大銀杏の木がありました。戦火を逃れ生き抜いたご神木とされています。

社殿に続く参道です。

右手に御堂のようなものがありました。

中には王将が飾ってありあす。千駄ヶ谷には将棋の対局が行われる将棋会館があるそうです。これは日本将棋連盟より奉納された高さ1.2mもある大駒です。そして神社と日本将棋連盟の協力のもと、その大駒を納める六角堂が建てられたとうことで、将棋の技術向上を目指す人の守護神として奉られています。

こちらが富士の登山口です。

鳩森八幡神社の名物といえば、この富士塚です。「千駄ヶ谷富士」とも呼ばれています。江戸時代の寛政元年(1789)に築造されたもので、土が円墳形に盛られています。富士塚とは、富士山を信仰の対象としている「富士浅間信仰」に基づいて作られたものです。

「富士浅間信仰」では富士山への登山が修行とされていましたが、江戸時代に富士山に登るということは現在と違ってとても実現困難なものでした。そこで江戸の人達は富士山を模したミニチュアを作って、そこに登ることで富士登山を疑似体験しようと考えました。その富士山のミニチュアが「富士塚」だということだそうです。

この富士塚は寛政元年(1789)に築造されたものと言われています。東京都の有形民俗文化財にも指定されていて、都内に残る富士塚のうち最も古いものとされています。大正12(1923)年の関東大震災の被害をうけ一部修復されてはいますが、ほぼ建造当時の状態で現在にその姿を残している貴重な富士塚だということです。

途中にある浅間神社(里宮)です。

こちらは富士五湖でも表現しているのでしょうか。

池のようなところにアヤメが咲いていました。

こちらが正面でしょうか。鳥居から続く参道の正面に本殿です。

熱心にお参りしていました。

こちらは神楽殿です。

甲賀稲荷神社です。

こちら側にも登山口があります。

社殿の裏に祠が

こちらは神明社です。

 

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