堀切菖蒲園に行ったついでに周辺の寺院を散策しました。
山門
門の前に地蔵菩薩像
その手前になんだかよくわかりませんでしたが、塩にまみれた石像がありました。
いぼとり地蔵のようです。
★ランドマーク極楽寺:真言宗豊山派の極楽寺は、山号を医王山、院号を薬王院、寺号が極楽寺ということだそうです。宝徳元年(1449)に紀伊根来寺の普済亜闍梨が創建したと伝えられます。南葛八十八ヶ所霊場61番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場64番札所、荒綾八十八ヶ所霊場67番札所です。疣取り地蔵として有名で、菖蒲園のところの案内図に書いてありました。地蔵尊に奉納された塩をもらってイボに塗るとイボがとれると言うことだそうです。
正面は閉まっていましたが脇の入り口からお邪魔しました。
入った左手に庚申塔や首塚が建っていました。
首塚は付近から発見された多数の頭蓋骨を埋葬し、供養の碑を建てたものと言われているそうです。
本堂です。
山号の医王山と書いてあるのしょうか。
こちらは薬師堂だそうです。薬師堂の本尊は「寅薬師」または「砦内の薬師」ともいい、室町時代に領主窪寺氏の城内にあったものだそうです。
女人橋関係石材一括
★ランドマーク女人橋関係石材一括(葛飾区登録有形民俗文化財)
近世における講義団による造立物は、江戸時代中期には同行集団によるものから女人集団による造立が多くなりますが、一般的には十九夜塔や道標を兼ねた供養等が多く、石標を造立する例は比較的珍しいものです。
この橋のたもとには、竹を四方に囲み幣束を垂らしたものが設けられ、出産で亡くなった妊婦の供養のために、たくさんの人に水をかけてもらったようです。千人に水をかけてもらえれば供養できると信じられてきました。
近年、出産による妊婦の死が減り、このような儀礼も消滅しつつありますが、近年中世の元文2年(1737)11月に「女人講中」の手によって女人橋が架設されていることは、当時の産育儀礼を知る上で貴重な資料です。
この橋は、現在の堀切二丁目21番21号と同一丁目15番6号の間に架設されていたと言われています。
都心にある寺院と違い素朴でいい感じのお寺さんでした。
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