山口県に出張でした。広島空港から乗り継いで、徳山の施設を訪問した後、宿泊先である湯田温泉に着きました。駅には巨大な白狐の像が立っていました。ホテルに行ってから気づくのですが、温泉の有りかを教えてくれた狐さんだそうです。
温泉地らしく駅には足湯があり賑わっていました。ホテルの裏に井上公園というのがあり、
散策してみました。
高田公園とか井上公園の名前を変えているらしいです。24年からまた井上公園に名称変更したようです。
井上馨旧宅「何遠亭」
があったことがあったことからから井上公園と呼ばれるよいうです。ここは、幕末の七卿落ち(八月十八日の政変)で京都から追放された三条実美ら7名の公卿が一時滞留した場所だそうです。
これは、井上馨像の隣にたつ、所郁太郎顕彰碑です。元治元年9月、井上馨が袖解橋で遭難したときはただちに馳せつけ、刀傷を五十数針縫う大手術を行い、奇跡的にすくったそうです。。
公園内に「七卿の碑」
があります。
その他、防府市出身の俳人種田山頭火の句碑。昭和37年11月3日建立。「ほろほろ酔うてこの葉ふる」。山頭火は湯田に昭和13年11月から翌年9月まで「風来居」に住んで、湯田温泉にもよく入湯していたそうです。
湯田出身の詩人中原中也の詩碑中也の有名な作品が
刻まれています。「これがわたしの古里だ。 さやかに風も吹いているああおまへは何をして来たのだと 吹き来る風が私にいふ。
」
温泉街には中原中也記念館生誕の地が
あります。
高校受験で中原中也を習った覚えがありますが、詳しくは知りませんでした。
記念館の紹介では「中原中也は、明治40年(1907年)4月29日、山口市湯田温泉に生まれました。中也は30年の短い生涯を詩に捧げましたが、生前は充分な評価を得ることのないまま、志半ばにして異郷の地で没しました。 彼の優れた詩才は少年のころから現れていましたが、昭和9年(1934年)に東京で詩集『山羊の歌』が出版されるに及び、広く詩を愛する人々に認められるに至りました。さらに『ランボオ詩集』を翻訳するなど、フランスの詩人の紹介にもつとめました。
不幸にも病により、昭和12年(1937年)10月22日、鎌倉で亡くなりました。享年30歳。生前郷里に引き揚げようとしてまとめていた詩集『在りし日の歌』は、その翌年、友人小林秀雄によって出版されました。中也の名声は、死後になって高まり、各社から出版された詩集や全集は数十冊に及びます。また、多くの詩選に収められ、海外にも紹介されています。彼の作品は年とともに評価を高め、今や近代文学を代表する叙情詩人として揺るぎない地位を得ています。」とか書かれていました。
その他、街には明治維新に関係したものや長州藩に関する
ものなどがいろいろとありました。
こちらは新しい建物でした。
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