本郷三丁目にある施設を訪問しました。地下鉄を降りて東大の方へ向かってみました。最初にあったのが本郷薬師です。大きな鳥居?がありましたが、薬師さんはこじんまりしていました。ジーンズのおばさんはこのあと熱心にお参りしていました。
この地は、富元山真光寺(戦災にあい世田谷に移転)の境内であった。伝えによれば、寛文十年(一六七〇)ここに薬師堂が建立された。当時御府内に奇病猖獗し、病にたおれる者数知れず出たためこの薬師像に祈願して病気が治まったといわれている。本来薬師如来は人間の病苦をいやし、苦悩を除く仏とされている。以来人々に深く信仰された。
「本郷夜市は著名なり。連夜商人露店を張る。毎月八日・十二日・二十二日は薬師の縁日なり。縁日の夜は、殊に雑踏を極むるなり・・・」(新撰東京名所図会より)
本郷薬師の縁日の夜は、植木・雑貨・骨董などの店が並び、飲食店もでて大へん賑やかであった。牛込神楽坂善国寺の毘沙門縁日と共に大変有名であった。御堂は戦災で焼失したが、昭和二十二年に改築され、さらに昭和五十三年に新築された。(文京区教育委員会掲示より)
すぐそばに十一面観音菩薩があるというので行ってみました。戻って、東大の赤門の前に出ました。こちら側に法眞寺がありました。法眞寺は改修中でした。
寺のHPには:当山は、和順山歓喜院法真寺といい、慶長元年(1596年)に京都知恩院より、寺号を附与されている。
家康公御台所の天野図書(法真寺殿歓譽西喜大禅定門 寛永十年五月二十日寂)が、同家下屋敷を寄進し、寺の開基となる。この時の開山上人が、伝通院から来た栄誉泉良和尚という人であった。
天保九年一月十六日に類焼し、現在の本堂は天保十年四月二十九日に上棟したものである。幸いなことに仏様は無事であった。関東大震災や第二次大戦ではいずれも被害を免れた。と書かれていました。
これが濡れ仏でしょうか?寺の前においてありました。寺の奥には一葉会館が改修中で閉じていました。その奥にはしゃれた霊園がありました。墓もしゃれていました。寺の案内には:明治の文人「樋口一葉」ゆかりの地に
明治の女流作家、樋口一葉は生涯の半分を本郷で過ごしました。桜木の宿(生立ちの家)がこの法眞寺の東隣にあり、親兄弟の一家七人が揃って生活も豊かであったので貧苦の生涯のうち只一時の青空の時代となつかしんだことが作品や日記に残されています。昭和55年に文京一葉会が発足され、今も毎年11月23日に「一葉忌」を厳修し、現在に到っています。と書かれていました。
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