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ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

津観音(恵日山 観音寺大宝院)

2015年01月22日 00時43分00秒 | 訪問地周辺散策

津も3回目ですが、いつも行く津城跡の前に、観音寺に寄ってみました。18日に田無の観音寺に寄ったので何かの縁かと思い初めての散策です。アーケードの行き止まりには社寺仏閣があるということを信じて歩いていると行きつきました。観音寺の仁王門です。 

恵日山 観音寺大宝院は『津 観 音』の名称で全国的に知られ、日本三観音の一つに数えられる真言宗の古刹の中でも屈指の名刹だそうです。その歴史は和銅2年(709)にまで遡り、中世、近世、現代と時を経ても常に庶民の心のよりどころとして津のシンボル寺院であり続けているということです。

ちなみに日本三大漢音とは東京の浅草寺観音と名古屋の大須観音と津観音だそうです。
室町時代の永享2年(1430)に、将軍足利義教が勅命を奉じ境内に三重塔や恵音院を建立したり、延徳2年(1490)には天台真盛宗の開祖、真盛上人が山内不動院に滞在し、観音堂に於いて説法し天台真盛宗を広めました。
 その本坊である大宝院は後花園帝以来、歴代天皇の勅願の綸旨を賜る別格寺院で、住職は代々朝廷から僧正に補せられ上人号賜るなど特別な地位が与えられ、桃山・江戸時代には豊臣秀吉や徳川将軍家から代々寺領100石の朱印を賜り、藩主藤堂家からは祈願寺として60石の朱印を賜るなど特別な庇護を受けているそうです。
 残念ながら昭和20年の戦火で多数の寺宝(国宝含む)や塔頭7ヶ寺を含む41棟の大伽藍を一夜にして全焼しました。しかし幸い難を免れた寺宝約600点(指定文化財含む)を収蔵庫に保管し津観音資料館で年4回程度公開をしているということです。観音堂です。かつて津観音は、その境内に、この観音堂を中心として塔頭寺院7ヶ寺をかまえた本山だったそうです。

銅灯籠や銅製の水鉢仁王門には撫で石が置いてありました。本堂には、「撫で石」が置かれていました。石を撫でたその手で身体の悪いところをさすると、良くなると伝えられているそうです。鐘楼に五重塔です。これは平成13年5月完成したもので、津観音では、仏法興隆と世界平和を祈願して、三重県下初の純木造五重塔を多くの方々のご厚志で建立したそうです。

 この五重の塔は、その大半の建設に、寺社建築を専門とし有名な国宝寺院の修復を手がけた職人達の手により完成されたものです。

護摩堂などがありました。梅の花が咲き始めていました。

2月3日の鬼押え節分は有名だそうです。津観音最大の行事で、境内がもっとも賑わうそうです。鬼押さえとは、本尊の観音様を鬼が奪いに来るのを 武士に扮した町役が刀を持って鬼を退治することから当山では鬼押さえと言われているそうです。

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