ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

新松戸

2013年09月24日 21時30分45秒 | 訪問地周辺

新松戸にある施設を訪問しました。大手町から千代田線で新松戸に到着すると出口がわからず迷いましたが、武蔵野線を経由してどうやら外へ出ることができました。近くに赤城神社があるというので、松戸の方向に戻りましたがわからず、帰りがけに常磐線の下を抜けたところで見つけることができました。赤城神社は群馬の赤城山を神体山として祀る神社です。山頂にあるカルデラ湖の大沼・小沼や、火口丘の地蔵岳、そして赤城山そのものに対する山岳信仰に由来するそうです。全国には関東地方を中心にして約300社の赤城神社があるといわれ、その中でも特に山腹の三夜沢赤城神社または山頂の大洞赤城神社が総本宮とされています。
ここにも大木信仰ですか。彼岸花はここだけでしたが結構きれいにさいていました。本殿の脇に庚申塔が立っていました。庚申塔はなかなか理解できませんがこんな説明書きを見つけました。
 庚申信仰は、古くは中国の晋の時代、道教の思想から端を発し、奈良時代の日本に伝わった後、日本固有の信仰と結びついて発展していきました。人の身体の中には三尸(さんし)という虫がいて、60日毎に巡ってくる庚申(かのえさる)の日に、人々が寝静まった夜、その虫が体内から出てきて天帝にその人の悪行を報告し、怒った天帝はその人を早死にさせてしまうのです。ですから庚申の日は寝ないで夜通し起きていて、三尸(さんし)が体内から抜け出さないようにします。これを「庚申待(守庚申)」といいます。このとき一緒に庚申待を過ごす人たちの集まりを「庚申講(講=信仰集団)」といいます。
 最初は多分、庚申待の夜は厳かに過ごすのが習いだったと思うのですが、平安時代から「2ヶ月に一度の楽しい夜通しの宴会の日」となってしまい、娯楽の乏しかった時代、全国の村々に一気に広がっていきました。そういえば源氏物語の中でも庚申待の様子が描かれているそうです。
 そしてこの信仰は、60年に一度の庚申の年に庚申塔を建立することを原則としました。我々が峠路などで見る庚申塔はこうして建てられたものだそうです。直近の庚申の年は1980年で、次回は2040年だそうです。庚申塔の奥にネコさんが寝ていました。近づいたらちょっとこちらを見てくれましたので、さらに近づきましたが離れられてしまいました。ネコ2


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