ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

青函連絡船

2013年09月26日 23時18分38秒 | 訪問地周辺

3年ぶりに、青森の施設ひとつと、函館の施設2つを訪問してきました。台風が近づく中で、天候や飛行機が飛ぶのかどうか心配でしたが無事に行ってきました。羽田は結構激しい雨が降っていましたが仙台上空あたりでは晴れていました。青森は、少しだけ時間があったので、前回見られなかった青函連絡船の面影を探しに行きました。青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸です。可動橋と車両搬入口です。線路から船の中へ入る様子がうかがえるものでした。青函連絡船は、1908年(明治41年)から1988年(昭和63年)までの間、青森県の青森駅と北海道の函館駅との間を結んで運行されていました。3月13日の青函トンネルの開通に伴い、同日をもって廃止されました。船の中を見学する時間がなかったので、船の全体を見て、どれくらいの列車が入るの想像してみました。
客は桟橋から乗った?

海辺の公園で、鳥がネコの鳴き声のような声をあげて飛んでいました。止まった所を撮ってみました。こんな像が立っていました。太宰治の「思ひ出」に出てくる「赤い糸の話」を記念するモニュメントだそうです。「思い出」の赤い糸に関する原文は以下のとおりです。
「秋のはじめの或る月のない夜に、
 私たちは港の桟橋へ出て、
 海峡を渡ってくるいい風にはたはたと吹かれながら
 赤い糸について話合った。
 それはいつか学校の国語の教師が
 授業中に生徒へ語って聞かせたことであって、
 私たちの右足の小指に
 目に見えぬ赤い糸がむすばれていて、
 それがするすると長く伸びて
 一方の端がきっと或る女の子のおなじ足指に
 むすびつけられているのである、
 ふたりがどんなに離れていてもその糸は切れない、
 どんなに近づいても、
 たとい往来で逢っても、
 その糸はこんぐらかることはない、
 そうして私たちはその女の子を
 嫁にもらうことに決まっているのである。
 私はこの話をはじめて聞いたときには、
 かなり興奮して、
 うちへ帰ってからも
 すぐ弟に物語ってやったほどであった。
こちらは27日の朝に撮った、青函連絡船で、函館湾にある摩周丸です。桟橋摩周丸や八甲田丸は、1200名の旅客と48両の貨車を積載できる大型高速車載客船で青森函館間を3時間50分で渡ったそうです。次回訪問するときは両方の船の内部を見学しよう思います。

函館駅まで続いていた線路は埋めてしまってありました。

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