今週は富山と金沢に出張しました。羽田、富山の飛行コースは福岡へ行くより北側を行ったのと、席が窓側のAだったので、富士山が裏側から見えました。
アルプスも反対側からで手前は鹿島槍ヶ岳とか爺ケ岳でしょうか。富山といえば薬売りです。
富山の薬売りは、1639年に加賀藩から分藩した富山藩は多くの家臣や参勤交代・江戸幕府の委託事業などで財政難に苦しめられていました。そこで富山藩は加賀藩に依存しない経済基盤をつくるために売薬商法を武器に起死回生を図ろうとしました。17世紀終期、富山藩第2代藩主・前田正甫が薬に興味を持ち合薬の研究をし富山では最も有名な合薬富山反魂丹(はんごんたん=丸薬の一種。家庭用配置用医薬品として流通し、胃痛・腹痛などに効能がある。)が開発されました。これが富山売薬の創業とされています。しかし、このころの反魂丹の中心地は和泉国(現在の大阪府)でした。ところが、1690年に江戸城で腹痛になった三春藩主の秋田輝季に正甫が反魂丹を服用させたところ腹痛が驚異的に回復した江戸城腹痛事件という逸話があり、このことに驚いた諸国の大名が富山売薬の行商を懇請したことで富山の売薬は有名になりました。さらに富山城下の製薬店や薬種業者の自主的な商売を踏まえて産業奨励のために売薬を採り上げたことが越中売薬発生の大きな契機となったと言われています。駅の向かいのビルの前に親子の2つの像がありました。
富山城は、神通川の流れを城の防御に利用したため、水に浮いたように見え、「浮城」と言われました。当時の神通川は富山城の辺りで東に大きく蛇行しており、その南岸に富山城は築かれていました。神通川は整備され市内を流れているのは松川といいます。松川では桜の咲く季節にむけて船の整備をしていました。
写真は、戦後に建設された天守閣で、内部は「富山市郷土博物館」になっていました。堀の淵では鴨が暖を取っていました。突然堀に鶴が降りてきたので写真を撮ろうとした瞬間に飛び立ってしまいました。鶴を追って公園を巡っていたら、松川沿いの公園の木の上に巣を作っていました。
遠くてどんな鶴かわかりませんでしたが、訪問地に行く途中の松川の土手に寝そべっている姿がありました。
種類を調べてみましたがアネハヅルとでもいうのでしょうか。早速教えていただきました。鶴でなくアオサギのようです。