カン・ドンウォンに会いたい

カン・ドンウォンに会えたら想い残すことは無いと思っていました。
でも、違った…また、会いたい…

チェ・ドンフン監督「『チョンウチ』続編?、観客が望むならする」[インタビュー2]

2011-12-06 19:45:05 | チョンウチ

 ドンフン監督~チョンウチ2やりますか!

もっと太いワイヤーで!!

ドンくん喜びますね~~~ 

 

 

ドンくんが雑巾で濡れた床を拭くんですか!

車の中で待っていて下さい!!

私が拭きますから~

 

 

 ドンフン監督とユンソク氏はスジョンペンなんですね~( *´艸`)

 

 

 


 

<過去記事> 

チェ・ドンフン監督"'チョンウチ'続編?、観客が望むならためらわずにする"[インタビュー2]

2010.1.6 翻訳サイト使用

 

 

-監督がキャスティング原案をつかんだらその俳優に対するファンタジーを育てる方だと聞いたが‘チョンウチ’準備中にカン・ドンウォン氏に対して、どんなファンタジーを育てられたのか気になる。(笑い)

●ドンウォンは以前に私席で一度会った。 ‘いかさま師’を書く前で、かなり孤独でカッコよかった。 その次の私席で会った時は若干とんでもなかったがそれがさらに魅力的だった。 それで‘チョンウチ’のシナリオを書く時‘これをカン・ドンウォンがするとどうだろうか’と考えた。 実際にシナリオを書いてドンウォンに時折会って話もしたがドンウォンがとても純粋にこういう話が好きだった。 そして初めての撮影の時. ドンウォンが変で妙な表情をつくるので‘これがチョンウチだ’という感じがした。(笑い)

-イ・ミョンセ監督もカン・ドンウォンをコメディで使った時妙な感じがあるといっていた。

●イ・ミョンセ監督もそのように考えられたんだな... 事実コメディだというが‘こういう方法ですれば笑わせる’という一種のきまりがあるではないか。 ところがドンウォンはそのようなきまりがない。 コメディに対する強迫がないからとても良かった。 笑わせようと演技しないということだ。 それはヘジン氏も同じだ。 ヘジン氏本人がとても演技が上手で私たちが笑うのであってヘジン氏が心に決めて‘私は一度笑わせてみるよ’というとつまらないこともある。 とにかくカン・ドンウォンは過度に人を笑わせようとしないで自身の軽快さで人を楽しくする演技をした。 それでカン・ドンウォンとの作業がとてもとても楽しかった。

-一緒にしてみたカン・ドンウォンはどんな魅力を持った俳優だったか?

●キム・ユンソク、キム・サンホ、ユ・ヘジン、チュ・ジンモのような俳優はみな演劇で基本を磨いた、訓練がよくできている俳優たちなのではないか。 反面カン・ドンウォンは自身が持った魅力自体をずっと発散してここまで来た友人だ。 何より共同作業しながら感じたことはドンウォンがあまりにも熱心に演技する、そんなところもあるが人間がとても魅力的だったよ。 ユンソク先輩も‘私は本当に恐ろしい。 本当に魅力がある’という話をしましたがそのように皆‘チョンウチ’をしてカン・ドンウォンのファン(パン)になってしまった。 突然雨が降ってからやんで、ぬれたセット場をはやく止めなければならない時、腹ばいになってぞうきんを持って床を拭いている人がドンウォンである。 車に入って‘準備ができたら呼んで下さい’という俳優とは初めから違った。 だからスタッフが好まなければならないということだ。 おかげで映画が終るぐらいには私やスタッフ全員がカン・ドンウォンのように美男な子があたえる先入観のようなものがあったはずなのにそれがみななくなってしまった。 そのように‘チョンウチ’というカン・ドンウォンに酔ってとったようだ。 ところでヘジン氏もそのようなスタイルだ。 以前に‘いかさま師’をとる時映画であまりにもばく大な量のお金が小道具として登場すると札束を縛るスタッフがいつも忙しかったがヘジン氏を見ればいつの間にかスタッフの間に挟まってあぐらをかいて札束を縛っていた。 そうすると映画というのは共同作業の連帯感が強く形成されるようだ。

 

-スジョン氏が冗談のように撮影会場の花は女優でなくドンウォン氏なので序盤にはちょっと慌てたといった。(笑い)

●違う。 違う。 ‘チョンウチ’には‘イム・スジョンを愛する集い’別名‘ス思慕’熱血会員が二人いた。 私とキム・ユンソク先輩. おじさんでない幼い友人は入ってくることはできない。 ところで‘ス思慕’会員中でもそれぞれ運命は分かれた。 1人はキスをした‘ス思慕’でまた、1人はキスをできなく見てた‘ス思慕’であったから。(笑い)

-俳優としてイム・スジョン氏との作業はどうだったか? やはりチェ・ドンフン師団に初めての入団した新入だが。(笑い)

●スジョンは私が‘イム・スジョンと仕事をしてこそ名監督の列に上ることができる’と冗談のように話したりもしたが実際に監督が本当に好む俳優だ。 まず演技がとても上手だ。 かなり繊細な演技をする俳優だろう。 それで撮影会場で演技する時より編集室で見て、さらに驚く時が多い。 ‘スジョンがこの時こういう表情だったんだな’といいながら。 それだけ表情も豊富で声も良い。 何より私は時々演技が上手な俳優が演技がうまいふりをするのがちょっと嫌いだったがイム・スジョンはそんなことがあまりない。 演技しているという考えがあまりしない。

-スジョン氏はロリコンを刺激する容貌でもあり非常に童話的な感じの顔の表情を持つ。 また、どんなキャラクターを引き受けて演技しようが現実に完全に頼らない妙なエネルギーがある。 個人的にはその感じが良かった。

●静かなカリスマというのだろうか? 女優にはまた、そんなことが魅力なのにスジョンは周辺の空気を妙に自分の側に引いてくる力もある。

-何か‘チョンウチ’はメローだけに深く足を漬けないでアクションにあらゆる事を集めることもせずコメディにだけ力を集中することもない。 そうしたところから来る魅力がある。

●何かずっと小さい騒動をおこしながら行ってその騒動が対決に変わっていく映画だが、確かに‘チョンウチ’は色々なジャンルが重なっている混成ジャンルであるようだ。

-何より‘チョンウチ’というキャラクターが光る映画だ。 ところがやはり監督の好みであるようだがファダムを除けば皆ねじ一つずつぬけたキャラクターだ。(笑い)

●初めからこの映画でCGより重要なのがチョンウチ、チョレンや、ファダムのようなキャラクターと考えた。 また、チョンウチとファダムはモーツァルトとガブリエルのような形式で描こうとしたが悪党のファダムがチョンウチよりもっと気品があって正常に近いだろう。 特にユンソク先輩がコメディをすることなく自分の欲望に忠実な人物を演技してくれると残りの俳優も遊べたし。 チョレン役のヘジン氏もとても独特のキャラクターを演技できるのではないか。 シナリオを渡して‘どのようにするの? 気になるよ’と言ったところ遠くからおかしなフォームで歩いてきたよ。 ‘犬はこのように歩きます’といいながら。(笑い)とにかくおっしゃったように確かに私の好みがそのようだ。 何か少しずつゆがんだのが良かったよ。 事実映画というもの来るべき未来に対する予想値との戦いなのではないか。 それで映画を見る時明らかなことが嫌いだ。 監督は平凡な映画を撮らないで少しずつ違うものを見せなければならない義務があると考えるから。 私は’いかさま師’をとってちょっと変わったものもあるが新しいニュアンスの商業映画を撮りたかった。 それで‘チョンウチ’は先を見通しにくかっただろう。 少しずつ互いが行き違っていくようにしたのもそのためで。 私たちの映画ではチョンウチが掛け軸に閉じ込められても8分後にはまた世の中の外に出てくるから。(笑い)

-監督の映画は基本的に話の量が多い方だ。 特に前作の場合、映画的な構造の妙味を生かして話を解いていったが‘チョンウチはそれよりはるかに単純で直線的だった。

●前作に比べて構成が分かりやすくはある。 年代で流れるから。 作品の特徴や必要によってその構成を組むのに‘チョンウチ’は交差編集をたくさんした映画だ。 形式的にはシークエンス映画で。 長いシークエンス中にずっと飽きながら続くだろう。 同時多発的にあちこちで事件が広まっている映画なのにそのような‘チョンウチ’を説明できるただ一つの話は‘一方ここでは、一方子供たちは’だ。(笑い)

 

 

-そういえば‘アバター’が一週先に開封されたが‘チョンウチ’と‘アバター’は相反した魅力を持った映画だ。

●なぜキャメロンお兄さんは十年ぶりに、よりによって私も何かを少ししようというこの時に帰ってこられたんだ。(笑い)とにかく3Dというのは映像革命を実現した‘アバター’を含む、この頃思うことは何か引き続き変わって行っているということ。 今がポストモダン社会ではないが21世紀は21世紀だから。 大衆音楽も変わって映画もたくさん変わった。 私は何もしない時はソファに横になってTVチャネルを分当り60回ずっと回しているソファ ホリックなのにTVも本当にたくさん変わったし。 私が好きなギャグ コンサートもたくさん変わった。 ギャグ コンサートはますますポスト モダンになって行く。 それと共に私も若干変わって行くようだ。 人々は‘君はなぜ昔のようにとらない’いうかも知れないがどうしてか。 私もこのように変わっていくのだ。

-‘チョンウチ’は確かに前作とは別の色があった。 以後次期作ではまた他の変化を与えることになるのか?

●分からない。 またフォーマルするか私も悩みだ。 はやく次の映画を書かなくちゃ。 その映画は‘チョンウチ’よりは‘犯罪の再構成’に近いようだ。 そうなるのではないかと思う。 ‘チョンウチ’だから挑戦できる部分があった。 どんなものを選択して何に魅惑されているかにより変わるから。

-‘チョンウチ’がうまくいってシリーズ物になったら良いだろう。 一度でやめるにはちょっと惜しいキャラクターだ。(笑い)

● ‘チョンウチ’も良くてちょっと違ったフォーマットに乗り換えても大丈夫だと思うことはある。 ‘チョンウチ’がうまくいって人々が願いさえすれば私たちはまた、躊躇なしにする。 さらに丈夫なワイヤーでという話だ。(笑い)


[毎日経済スタートゥデイ チョ・ウンギョン記者helloey@mk.co.kr/写真=カン英国]

 

コメント (6)
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