カン・ドンウォンに会いたい

カン・ドンウォンに会えたら想い残すことは無いと思っていました。
でも、違った…また、会いたい…

『チョンウチ』はカン・ドンウォンに酔ってとった映画

2011-12-05 17:39:26 | チョンウチ

「チョンウチ」は大変な撮影だったのだと改めて思いました~ 

 

 

車の横を走るシーンを撮り終えて倒れてしまったドンくん

お布団を掛ける、すたっふ~

そのまま寝かせちゃうわけ~~~??

 

 

無条件に楽しい映画でした

 

かわいいチョンウチの撮影メーキング楽しみデス 

 

 

 

 


<過去記事> 

チェ・ドンフン監督"‘チョンウチ’はカン・ドンウォンに酔ってとった映画"[インタビュー1]

2010.1.6 翻訳サイト使用   

 

魅力的なキャラクター表現と緻密なストーリー構成で忠武路(チュンムロ)最高の語り手として呼ばれてきたチェ・ドンフン監督. 彼はプロ詐欺師が銀行をだます過程を描いた<犯罪の再構成>’で‘韓国型詐欺/犯罪スリラージャンルを成功的に再構成した’という賛辞を受けて派手なデビュー戦を行った。 以後ホ・ヨンマン原作の同名漫画を映画化した二番目の作品<いかさま師>で国賭博映画の新しい市場を開いたという評価とともに全国700万観客を動員して空前のヒットを記録した。 彼が3年ぶりに披露した新作‘チョンウチ’という寃罪をこうむって掛け軸の絵に閉じ込められた朝鮮時代の導師チョンウチが500年後の現代に封印から解放されて世の中を惑わす妖怪らと相対して戦うファンタジーアクション ヒーロー物. 魅力的なキャラクターと休む隙間なしに続く軽快な場面構成、人々を笑わせるセリフまで、彼の長所は'チョンウチ`でも有効だ。

 

-'チョンウチ‘という映画の出発が気になる。

●私は‘三国遺事’のような韓国個展を幼い時から見てきた。 あきれるほどの想像の世界があってとても興味深かった。 ‘チョンウチ’もその時から好んだ。 チョンウチはホン・ギルドンと違い大義名分もコンプレックスもない人間だ。 基本的に人を困らせて他人の話よく聞かないトリックスター(Trickster)のようなキャラクターだ。 韓国式に言えば‘子供’あるいは‘悪童’とでもいうのだろうか? 飼い慣らされなかった野生馬の感じも出てとても人間的に感じられるのではないか?(笑い)このように興味深いキャラクターがなぜ今まで一度も映画やドラマの主人公になっていないのかという気がするほどの話だ。 それで率直に‘いかさま師’の前にも‘チョンウチ’の映画化を考えた。 そうするうちに7月ぐらいか? ‘いかさま師’から使ったことをみなひっくり返して‘これだ’とする考えで‘チョンウチ’にオールインすることになった。

-完成された映画を見た周りの方々の反応はどうなのか?

 ●いろいろだったよ。 人々ごとにみな違う。 それで‘なぜかこの映画は一律な反応が出てこない。 皆感じる点が違うんだ’と思った。

-映画を見て好みに合いそうだという思いはした。(笑い)

●そうだ。 この映画が私の好みのようだ。 また、私の前作が徹底しておとなの映画だったから‘チョンウチ’は私を14才の少年のようにしてくれる映画だ。 映画を撮って120回以上見たが見る度におもしろかった。

-天衣無縫悪童ヒーローチョンウチのキャラクター的な魅力と共にハリウッド ファンタジーと違った韓国的なファンタジーで解きたいそれなりの設計図があったようだ。

 ●観客がファンタジーの世界を根本的に信じて楽しむようにすることが重要だった。受け入れる人々の胸中では‘チョンウチ’がハリウッド映画のような姿でスタートしたが結果的にはそのまま昔の話を見るようにちょっと韓国的なところを見せる、そしてこの映画がまた、予算がかなり高い。 このような種類の映画はとてもお金がたくさん入る。 どうしても他人のお金120億ウォンを持って使う状況だと思うと資本があたえる恐怖がある。 ところで問題はその高い予算で作ることができる限界というものも明確にあるということだ。 現実的な限界の話だ。 それでハリウッド映画のような感じでは行かずにもう少し古典的なCGをしなければならないと考えた。 すてきに陥ったモーフィングやこういうもの代わりに演技がバンと出てきながら掛け軸の絵からチョレンイが飛び出してくるようにね。

-過去の朝鮮時代の場面は絵画的な感じがする。 水墨淡彩画のような東洋画を感じる。

●過去だから。 見る方々も過去なのでどんな絵が入ってきても受け入れることになる。 また、コンセプト自体が絵に入って出てくる、そのような絵の中に存在する所を見せるのだから。 それで過去場面は絵画的な感じがある。 だが、現代にくればそのような感じを持っていかないよう努力した。 代わりに現代にくればチョンウチが30階の高さ建物屋上欄干に立っている時見えるようになるくらっとしたスカイラインのようなイメージで過去と克明な対比をつくろうとした。

-やはりそのようなイメージをファンタジーで解きほぐす醍醐味があるようだ。

●そうだ。 ファンタジーに妙な快感がある。 ファダムに師匠の住まいでドンウォンが矢をとらえて後に放てば奇異な神仙世界が出てくるではないか。 それが非現実的なのにその非現実がとても楽しい。 我が国にはそうしたところがないのではないか。 中国でもなくて。 結局CGで完成したことなので、とる時はどのように出てくるかも分からないが後半作業をしながら目で確認することになるのだから。 そうするときは私が‘ああしたことを見たかったんだな’という快感がする。

 

 

 -チョンウチは導師だ。 彼がトリックで相手の目をげん惑させる道術を自由自在に働かせるというその設定一つだけでも観客に非常に新鮮でユーモラスなファンタジーの世界を見せることができる。

●そうだ。 道術ということが変身、念力、空間移動など考えてみれば、道術でできないことはない。 道術が目をげん惑させて信じさせるトリックや幻影ならば何が本物で何がにせ物かという問題もある。 熱心に誰かと戦ったが分かってみるとほうきだ。 考えると、とてもあきれながらも何か可愛くて滑稽な側面がある。

-劇序盤の宮廷シーンのチョンウチというキャラクターはもちろん監督が見せようと思うこの映画の色を圧縮して表わす前奏曲のようだった。

●そうだ。 宮廷シーンは序盤にとったシーンだがカン・ドンウォンもそのシーンをとりながらチョンウチがどんなキャラクターなのか分かったといった。 キム・ユンソク先輩も撮影に入る前からチョンウチが天女たちと空から降りる場面がどのようになるのかとても心配していたが一度は酒飲みながら“雲に乗って降りてくる場面はどのようにするのだ”と尋ねるので“鉄製の塀を作ってワイヤーを付けて…”このように技術的な方法論を話したりもした。 実際にその場面はCGではない。 人が鉄板に乗ってワイヤーを付けて本当に降りてきたのだ。

-CGのように見えたがアナログだったか?

●そうだ。 みなアナログだ。 人々はそのような場面を見たことがないからそれがCGと感じられるようでこの映画の大部分がアナログだ。

-俳優たちの身体的苦労は、大変だっただろう。(笑い)

●そのようだ。(笑い)昔の広告のようにより遠く、より高く、より早く走る場面が多くて。 また、俳優たちの代役もほとんど使わなかったから。(笑い)実際、ワイヤーはずっと乗って後日にもよく乗るために一種の訓練もかねてほとんど大部分俳優が直接演技した。 特にカン・ドンウォンの場合はワイヤーにとても上手く乗るワイヤーにからだを任せてもとても柔軟に乗った。 それでますます難しいワイヤーをやって高さもずっと上がった。(笑い)とにかく大変であっても皆そのような肉体的な挑戦を黙黙と楽しんでくれた。

-分身術で作ったにせ物チョンウチ11人が登場して妖怪と戦う場面は‘チョンウチ’といえば誰でも期待したような場面だ。

●観客も見たかったが私もやはり見たかった場面だ。 そのような分身術は‘西遊記’にも出てきて‘マトリックス’にも出てくるのに‘マトリックス’は複製された姿が皆同一だ。 私たちもそのような場面があるのにどのようにするか考えてみるとCG作業が難しかったよ。 モーション コントロール カメラで撮るべきなのにワンカットでとるために設置するだけで基本6時間かかるから。 宮廷シーンで雲に乗って降りてくる、天女たちと護衛武士を総7度とるのに一日中かかった。 結局このカメラではその場面をとうていとれないと思った。 よくできなければ11人の分身術場面だけで1ヶ月かかるので。 それでアナログにした。 人間モーション コントロールでとったんだ。(笑い) ‘さっきと全く一緒にトラックを押して’といいながら。 中には本当に映画ばかがとるという考えもしたがそれでとてもスピーディーにとることができた。 もちろんすべての役はみなカン・ドンウォンが直接演技した。

-11人のチョンウチのキャラクターがすべて違ったことも興味深かった。

●カン・ドンウォンが戦い上手な子、性質汚い子、大声を出す子、唾吐く子、まぬけな子、優しい子、真の上手などみな自分が設定しておいてとった。 一度とって他の位置に行って‘今度は真の巧者です。 この子は言葉がありません’という. その次には‘この子は大声を出す子です’いうので‘ここでは唾吐くいらいらしなければならないようだが’といえば‘監督を越えているんですが。’とする。 本当に独特だ。(笑い)ところでその場面とる時ドンウォンが非常に大変だといった。 11人をみな自分が直接演技しなければならなかったので。 それで本来はかなり誠実な子だがその場面の撮影をする時は現場に少しずつ遅刻してきたよ。 宿舎に行けば完全にのびていた。 ところで神仙たちとチョレンイもその場面のために苦戦をしいられた。 熱い一日の間ずっと関わっていなければならなかったので。(笑い)

-自動車を追う場面でドンウォン氏が自動車の間を全力疾走した場面も身体的苦労というなら大変だったようなんだけど。(笑い)

●自動車を追う場面でもチョンウチが自動車の外に飛び出しているのではないか。 本来なかった設定であったのにチョン・ドゥホン監督が車の外に一回出ていくべきでないかと追加されたシーンだった。 もちろんその場面でもドンウォンが直接みな走った。 ところで言葉では走るだが、車道を走る状況だと途方もなく全力疾走をしなければならなかった。 そのようにひきつづき3度走ってドンウォンが‘ちょっと待って下さい’といいながら隈に行って文句を言っていた。 それから大丈夫だと、また走ったが結局後で地面にそのまま横になってしまった。 その姿がとても痛ましくてスタッフが駆け付けてかけぶとんをかけてあげた。

 


-‘チョンウチ’のアクション、どのように設計しようと思ったか?

●ひとまず‘チョンウチ’ではただ一度もアクションのために足を使わない。 足を使うというのはとても派手なアクションを繰り広げるということなのに草稿から足は絶対使わないと決めた。 代わりに手を使ったり念力を使ったりそのような方式で解いていくのが目標であった。 ‘チョンウチ’のアクションで重要なことは驚くべきハプニングがでないアクションに臨むキャラクターらの姿勢であり。 ‘チョンウチ’、‘チョレン’、‘ファダム’三シーンでは全部各自の方式でアクションに挑戦するので、それが大きく交わればどんな姿になるのかそのような悩みをたくさんして撮影した。 また、初め.中.後半部のアクションの流れもそれぞれ違ったが前半部はピッチ(physical)が強い。 ファダムとチョンウチ、妖怪が互いにからだ対からだで戦う物理的なアクションであって。 中盤部はそのまま軽快にリズムに乗ることで。 後半はメンタル(mental)の戦いのようだ。 アクションシーンをそのように設定したが私はその中でもやはりメンタル戦が一番おもしろかった。

-本来上手対上手の対決のようなものがお好きなのではないか。(笑い)

●そうだ。(笑い)最後の場面を見ると、二人かちかちとかちかちとする場面のようなものは殆どないのではないか。

-からだ対体で乱暴につくるのではなく一種の気力の戦いを行うことだね。 内面で勝負が分かれる。(笑い)

●互いに眺めて遠くから押して何かまた送りながらだ。(笑い)

[(c)毎日経済& mk.co.kr]

 

コメント (4)
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