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どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

細身のジャック(12)

2010-10-14 00:32:32 | 連載小説
 
 正夫は、昼ごろアパートを出ると、久しぶりに杉山公園に立ち寄り、隅のベンチに腰掛けた。

 梅や白木蓮など早春の花々が終わり、さくらの枝に紅のふくらみが纏わりついていた。

 あと一週間もすれば、東京でも開花宣言が出そうな陽気であった。

 近所の若い母親が二人、乳母車を押して通り過ぎていった。

 少し離れた場所にあるスーパーマーケットまで買い物に行くのか、それとも幼稚園のお迎えにでも行くのか、喜喜とした話し声が風に乗って運ばれてきた。

 人間、気持ちのありようでこうも違うものかと思う。

 生きることに素直でありさえすれば、そこそこの幸せが彼らを祝福してくれる。

 早々と子供を産み、子育ての愉しみを知った母親たちは、社会の仕組みや富の配分について多少の不満があっても、それなりに受け入れている様子だった。

 文句を言えばきりがない。

 複数の人間が寄り集まって社会をつくっているのだから、不公平もあれば歪みもある。

 それが気に入らなくて、強引に自分の意見を通そうとすれば、いやでも軋轢が生じることになる。

 相手をねじ伏せ、多数を恃みに権力を振るおうとするのが、国家や体制の姿といってもいいだろう。

 そうはさせじと学生が立ち上がり、労働者が呼応して現在の闘争が繰り広げられている。

 是非はともかく、社会全体に険悪な感情が満ち溢れる結果となったのは間違いないことだった。

 正夫のような事なかれ主義の意見を述べれば、たちまち反撃されるはずだ。

 だが、そもそもイデオロギーというものを信頼していないのだから、どう責められようと仕方がないと考えている。

 国同士の戦い、体制と反体制の闘いのどちらに正義があるかなど、胡散臭い議論になることが目に見えている。

 正夫は、昼下がりの公園を横切っていく母親たちの姿を眩しそうに見送った。

 一方で、何やら蜘蛛の糸に絡みつかれたらしい夕子のことを、抛っておいてはいけないような焦燥を感じるのだった。



 青梅街道を渡り、中野通りを駅へ向かって歩いた。

 途中、『大勝軒』に寄って大盛りつけ麺を注文した。

 丼いっぱいに盛られた太目の麺を、しょうゆ味のつけ汁に入れて食べる食感が気に入っていた。

 正夫の他にも、このメニューを求めてやってくる客は多い。

 昼時とあって、『大勝軒』前の路上にはクルマがずらりと駐車していた。

 正夫は、慣れ親しんだつけ麺を勢いよくすすりながら、夕子の消息を知るためには、彼女が支援を手伝っている女史に直接接触するのが早道だろうと考えた。

 ただ、いまのところ連絡先の手がかりすらない。

 思いついて、女史が人権についての講座を持っている大学に問い合わせてみることにした。

 駅に着くと、公衆電話から番号案内に電話をかけ、大学事務局の番号を教えてもらった。

 いったん受話器を置くと、十円玉がガチャッと戻ってくる。

 正夫は、その十円玉を摘まみあげ、もう一度投入口に差し込んでメモしたダイヤル番号を指で回した。

「もしもし、・・・・」

「はい、○○大学ですが・・・・」

 男との事務的なやり取りが続いた。

 女史の次回の開講日を問い合わせると、新年度からのカリキュラムには予定がないことを告げられた。

 申し訳なさそうな受け答えだったが、正夫にとっては彼女の連絡先を訊きだすチャンスとなった。

「困ったなあ、どうしても伝えておきたいことがあるんですが・・・・」

 事務局の男は、正夫の困惑ぶりに反応して、女史の連絡先をあっさりと教えてくれた。

 『イラクサの会』というのが、女史の連絡先になっていた。

 しかし、電話は空しく呼び出し音を鳴らすだけで誰も出なかった。

 きっと、忙しく飛び回っているのだろう・・・・。

 このところ、差別問題への関心が高まり、啓蒙活動を取り入れる企業が増えていた。

 速達を配達に来た青年から聞いた話では、郵便局でも職員教育のために講座をを設けているのだという。

「きょうは午後から、人権のお勉強ですよ」

 一時間じっとしているのは辛いけど、通達だから仕方がないのだと、大慌てで戻っていった。

 そのような事情を考え合わせると、女史への講演依頼は少なくないのだろう。

 被差別地域や在日朝鮮人問題へのフィールドワークも欠かさないとすれば、女史のスケジュールはかなりの過密状態と考えられる。

 明日にでも、もう一度電話をかけ直そうと思い返した。



 翌朝、正夫がアルバイトを終えてアパートに戻ってみると、入口を見渡せる向かいの塀に寄りかかって、夕子が彼を待っていた。

 合鍵を持っているのに、なぜ部屋に入っていないのか。

 些細な疑問のようだが、なぜか胸騒ぎを覚えた。

「どうした、スペアを失くしたのか」

「・・・・」

 ますます、不安な気持ちが募ってきた。

「いま、お茶でも淹れるから、部屋に入れよ」

 正夫は夕子の肩を抱いて、ドアの内側に引き入れた。

 室内の椅子に座らせて間近に見ると、それまで気づかなかった顔面の腫れを発見した。

 下唇の端にも切れたような痕があり、わずかに盛り上がった箇所に血がこびりついていた。

「何かあったのか」

 夕子の肩を掴んだ。

 正夫の手の中で、覚えのある骨の形が甦った。

 学費値上げの抗議集会で見知らぬ女子学生を庇ったとき、引き剥がそうとする機動隊員に抵抗して掴んだ肩骨の窪みが、いまそのままの形で指先に当たっていた。

 (なんということだ・・・・)

 鍛えられた活動家のように振る舞っていた夕子が、出会ったときの華奢な体躯を保持していたとは・・・・。

 見かけの逞しさの裏で、細い骨組みの家を精いっぱい飾り立てていたのだろう。

「何があったんだ?」

 顔を覗き込むと、夕子は横を向き正夫の視線を避けるようにした。

 頑なに沈黙を守ろうとする、重苦しい空気が流れた。

「ごめん、喋らなくていいよ・・・・」

 幼子を前にしたような、愛しさを感じた。

 なんとしても護らなければならない、命の脈動がそこにあった。

「無理して喋ることはないんだ・・・・」

 肩に置いた手を、腕の方に滑らせた。

 ウワァーン。

 泣き声と同時に、夕子がすがり付いてきた。

 涙と鼻水の湿り気を胸板に感じながら、正夫は夕子の嗚咽が止むまで抱き続けた。



「わたし、騙されたの・・・・」

 夕子が切れぎれに話しはじめた。

 それは、耳を覆いたくなるような出来事だった。

 女史に付いて何度も行った左翼系市民活動家のアジトで、街頭活動用のチラシを印刷していたとき、仲間の女子学生が席を外した隙に暴行を受けたのだという。

 夕子が口にした<暴行>という言葉には、なにがしかの曖昧さが含まれていた。

 覚悟を決めて話しはじめたとはいえ、女性が受けた陵辱を正確にあらわす言葉ではなかった。

 正夫は、夕子の切れた唇を思い浮かべ、<暴行>の意味するものがそれに見合ったものかどうか、ぼんやりと考えていた。

 男としては、自らの中にひそむ暴虐な欲情に向き合うのは耐えられなかった。

 できることなら、そこから目を背けたかった。

 (それって、強姦だよな)

 認めるには、彼自身の覚悟がまだできていなかった。

 恋人に告白した夕子の勇気に、正夫の心は応え切れなかった。
 
「騙されたって、その大学講師にかい?」

 夕子は、正夫の胸に顔を埋めたまま、首を横に振った。

「それじゃ、一緒に支援に行った仲間の女子大生?」

「いえ、・・・・まあ」

 言葉を濁した様子から、仲間を疑っていることが窺い知れた。

 在日朝鮮人の市民運動家については、前々からよからぬ噂が流れていたらしい。

 ウーマンリブにかこつけていたが、夕子自身かなり警戒していた節がある。

 それなのに女史の依頼を断りきれなかったのは、かつて日本人が犯した人道に悖る行為への負い目があったからだ。

 正夫には知る由もないことだが、白の民族衣装を着けた朝鮮人と思われる老人が、首を括られた状態で何体もぶら下がっている写真は夕子に衝撃を与えていた。
 
 戦争や植民地支配の歴史に無縁な女子大生にとって、血の気が引くほど忌まわしい心の傷痕となった。

 そうした記録を事実と信じた瞬間から、在日朝鮮人支援の女性活動家たちは、蛇に見込まれた蛙のように竦んでしまった。

 それをいいことに、一部の左翼系市民運動家が体制からの解放を謳って女性たちに自由恋愛を迫った。

 夕子のように警戒する女性には、洗脳した女性を言いくるめて罠にかけた可能性がある。

 多くの女性が、警察に訴え出ることもできずに泣き寝入りしてきたため、結果的に彼らを増長させたと考えれば、夕子のこうむった卑劣な行為の説明が付く。

「ちくしょう、許せない・・・・」

 正面から主義主張を闘わせるのならいいが、被害者意識を隠れ蓑に卑劣な振る舞いに走ったその朝鮮人市民運動家をとうてい許せないと思った。

 本来なら、告発して司法の裁きを受けさせるのが筋だが、正夫の口からそれを言い出すことは憚られた。

「わたし、病院に行けばよかったかしら・・・・」

 正夫の考えが筒抜けになったかのように、夕子が呟いた。

「いまからでも、間に合うんじゃないかな」

 証拠になりうる身体上の痕跡を、採取し、記録する作業に、夕子が耐えられるかどうかだった。

「だめよ、誰もわたしの味方になってくれる人はいないもの・・・・」

 仕組まれた状況の中では、相手にシラを切り通されれば勝ち目がないと、夕子が諦めの心境を口にした。

 訴え出ても、被害者の方に更なる負担が加わるだけかもしれない。

 正夫は、夕子が受けた屈辱を自分の屈辱として受け止めた。

 (かならずオトシマエをつけてやる)

 意気地なしの空威張りに過ぎないかもしれないが、正夫は再び引き出しの奥に押し込んだナイフの存在を思い浮かべていた。


     (つづく)







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2 コメント

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素晴らしい描写 (丑の戯言)
2010-10-14 12:24:37

今回の出だしの数行の文章、なんてこともないようで実に素晴らしい描写です。
織りなす自然の動きをさりげなく描き出していて心を惹かれます。


かと思うと、恋人との突然のような再会。
そこにただならぬ事情が少しずつ説かれ、物語が展開していくわけですね。


体制、非体制を問わず、世の中は危険でいっぱい。
そんな流れに抗しようとしてか男も女もぎりぎりの選択を迫られていく。
いよいよ物語が大きく動き出したみたいです。
と同時に、〈細身のジャック〉の意味合いがチラリと表れたり。


さて、次回は……?
返信する
青い鳥は身近なところに・・・・ (窪庭忠男)
2010-10-14 21:10:27

(丑の戯言)様、導入部の描写に着目していただき、感謝申し上げます。
多くの人に納得していただけるかどうかは分かりませんが、幸福の青い鳥は案外身近なところに居るものだと思っております。
しかし、若さはそうしたものに気づかないし、気づいたとしてもそこに留まることはできないのです。
(細身のジャック)も、青春の必然的な道筋を辿ることになるのでしょう。
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