
ススキが似合う野の仏
十一月の初め、鹿沢温泉から湯の丸高原を抜け、浅間サンラインに至るルートをドライブした。
この近辺には季節ごとに楽しめる景観があるが、6~7月が見ごろのレンゲツツジの大群落は、国の天然記念物にも指定されていて特に訪れる人が多い。
夏休みには青少年のキャンプ場、冬休みにはスキー場として親しまれ、近場のレジャースポットとして人気を博している。
てなわけで、春と秋は小父さん小母さんたちの出番となる。リュックやナップサックを背負ったハイカーが、峠の駐車場からグループごとに歩き出す。
近くには桟敷山(1931メートル)、湯の丸山(2101メートル)などを見ながらの散策コースがいくつもあるから、高原の新鮮な空気を胸いっぱいに吸って、ほどよい汗をかくのも悪くない。
60万株ともいわれるレンゲツツジの群落を、湯の丸高原スキー場のリフトに乗って上空から見下ろすこともできるそうで、これはぜひ体験してみたいと来年6月を楽しみにしている。
仲間が一緒なら歩くのもいいが、横着になった男はドライブという手段に頼る。
今回も144号の田代交差点から94号に入り、つまごいパノラマライン南ルートを突っ切って鹿沢温泉上部の峠までやって来た。
あとは急な下りの展望を満喫するつもりでいたが、いやでも目に入るのが『百体観音通り』と名づけられた一町ごとの石仏のお見送り。
前から気にはなっていたが、クルマを停めての拝顔は交通の邪魔になるので遠慮していた。
しかし、しかし・・・・。唐松の黄葉の美しさはさて置いて、晩秋の寂しさを感じさせるススキと石仏の取り合わせに思わず足を止めた。(クルマを道幅の広いところに停め、数十メートル戻った)
「うーん」
ひとり悦に入って撮ったのが、この写真。
風を感じた一瞬が捉えられていれば好いのだが・・・・。
季節は日一日と寒くなるばかり。
第69番『十一面観音』と標された野の仏に吹き付ける風は、もはや高原の涼風ではなく厳しさを含んだ風だ。
末枯れたクマザサや草紅葉も、秋の終わりを告げている。
観音様のお顔を掃くススキの穂が、いつまでも目に残った風景だった。
冬間近の雑木林に静かにおわす野の仏。
美しい写真ですね。
私は緑が萌えたつ季節も好きですが、木枯らしが吹きはじめる前後の何か寒々とした自然も好きで・・・好きというより冬に向かって「怠け者の俺でもここでシャンとしなくちゃ大変だぞ」と自分に発破をかけざるをえない、冷たい風に追われるような気分が嫌いではありません。
いつもだらけたような精神が少しは背筋を伸ばすような気がして、やる気が起きるというか。
貧乏性なのでしょう。
北海道育ちなので晩秋は毎年、薪や石炭などを一冬分用意し、大根など干して漬物を漬けるなど家族揃って冬支度をしなければならなかったのです。
怠ると安心できないといいますか・・・
そういうことが習い性になったのかもしれません。
秋の終わりにはいつも『蟻とキリギリス』の寓話を思うのです。
キリギリスにはなりたくない、という切迫感みたいなものが自分を妙に頑張らせるわけです。
晩秋を描いたこの美しい文章が、そろそろだぞと私に教えてくれました。
早く仕事を進めろよ、年が越せないぞと。
冬中ここに留まることはないでしょうが、寒さに備えてチェーンソーで丸太を切ったり、薪割りをしたりしています。
夏から秋にかけてキリギリス状態でしたが、そろそろ心細い季節となり蟻さんの勤勉さに見習おうと思っています。
このような石仏が連なるような道、それはいつごろ出来たのでしょうかね。心神深い日本人の心が垣間見えるようです。
ただ、道祖神のようにも思えますが、それとは違うんでしょうかね。(どうも常識がないもので)
湯の丸高原に展開する百体観音は、江戸時代末期から明治時代の初めにかけて寄進されていったもので、それぞれが観音様の姿をかたどっているようです。
現在の長野県東御市新張(みはる)に一番観音を置き、嬬恋村鹿沢温泉までの約12キロメートルにわたって続く「湯の道」の道しるべを兼ねているそうですよ。
道中まったく人家のない険しい山道ですから、途中観音様を拝みながら鹿沢温泉まで湯治や骨休めに通ったのでしょう。
まだ整備されていない三里の山道を、歩いて通った当時の人びとの心細さがしのばれます。