どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(超短編シリーズ)31 『クダンの母』

2010-04-24 01:43:26 | 短編小説


     (クダンの母)     


 駅長『たま』の話題が出ると、寿々代はすかさず「でも~」と不満をあらわにした。

「一日中、帽子をかぶせられて可哀想じゃない? 人間の都合で、可愛い、可愛いって騒ぐけれど、猫にとっては大迷惑よ」

「でも、見てるとあんまり迷惑そうでもないんだよなあ。けっこう気に入ってるんじゃないですか」

「そうかしら。うちのダイヤだったら帽子なんかかなぐり捨てて、とっくに家出してるわよ」

「ハハ、こいつなら、やりかねないな。なにせ脱走歴二回、喧嘩による傷害罪まで持っている札付きだからな」

 竜也が笑いながら横目で見ると、ダイヤは金色の目を閉じてそっぽを向いた。

 たしかにダイヤは俊敏な猫である。

 シャムの血を引く雑種で、短毛痩せ型といった特徴は父猫の遺伝子を受け継いでいる。

 毛の色と尻尾の長さは母猫に似て、シャム本来のグレーより黒味が勝ち、尾は中途半端な長さで断ち切られたようになっていた。

 寿々代がダイヤを散歩に連れ出すときは、必ずリード付きである。

 室内にいるときは外しているが、窓もドアもきっちりと閉めておく。

 ダイヤが不満を持っていることは誰にでも分かるが、寿々代の意思だから他人が手助けすることはできない。

 竜也だって、寿々代の意見には逆らったことがない。

 彼は出版社の書籍部門に属する編集者で、若いくせに変わった夢を持っている。

 今は見向きもされなくなった内外の古典に照明を当て、なんとかヒットさせようと狙っているのだ。

 同じような意図を持って仕掛けた他社の企画が大当たりしたことは、竜也にとって口惜しい反面、大いに励まされる出来事であった。

「編集長、ドストエフスキーはまだ売れるんじゃないですか」

「さあ、どうかしらねえ。亀山先生の新訳で評判をとったけれど、若い連中は本当に最後まで読み切れたのかしら」 

 『カラマーゾフの兄弟』も『蟹工船』も時代の雰囲気でブームになったが、文学の面白さが見直されたとは思っていないようだった。

「まあ、生誕○○年とか、死後××年とか、相変わらずムード歌謡で行くしかないのかもしれませんね」

「そこまで自虐的になるかい・・・・」

 寿々代は、ダイヤを見るのと同じような表情で竜也を見た。

「人間失格なんて、演歌のサビみたいな受け止め方ですからね」

 竜也がフーっと息を吐いた。

「可愛がっちゃうぞ」

 寿々代がソファに座っている竜也に近づき、やにわに頭を掻き抱いた。

 中腰になった胸のあたりに男の顔を押し付け、目を閉じて息を吸い込む年下の部下をむちゃくちゃ苛めてみたくなったのだ。

 腋の臭いを嗅がせ、ソファに倒してパンツを脱がしに掛かった。



 こうして始まった儀式は、一時間ほどつづく。

 裸の尻をのせられ息苦しくなっても、竜也は逆らわない。

 わずかに顔をずらしてダイヤを見つめるだけだ。

 ダイヤは冷酷な目で、ピアノの上から竜也を見下ろしている。

「編集長、ぼくはそろそろ内田百の出番だと考えているんですが・・・・」

「ノラや、かい?」

 快感に太股を震わせながらも、竜也をからかうのだ。

「いえ、メイドです。あるいはクダン。どちらも今の世にはびこる不安の予兆と生き写しじゃないですか」

「冥途ねえ。それと件かあ。・・・・微妙だねえ」

「噛み砕いて説明できる仕掛け人がいれば、大丈夫ですよ」

 竜也はわずかに確保した空気口を維持しながら、大正末期と平成二十年代の類似性を主張する。

「モラルの低下、不景気、異常気象。世界をひと回りした天変地異が、日本にも近々やってきそうな気がするんですよ」

「こわいねえ。圧死の体験はないから分からないけど、どんなにか苦しいだろうね」

 寿々代は、いきなり太股に力をこめ、竜也の顔を挟みつける。

 鼻も口もふさがれた竜也は、窒息死と闘いながら断末魔の呻き声をもらす。

「ううー、ううー」

 暴れたことでヌルリと尻がずれ、同時に勃起した火山が火を吹く。

「ダイヤ、おいで」

 呼んでおいて、竜也の下腹部全体に蜂蜜バターをたらす。

 ダイヤは金色の目を光らせながら、塗りひろがった好物を舐め尽す。

 ザラザラとした舌の感触は快感からは程遠く、むしろ萎んだシンボルに噛み付かれるのではないかと恐怖に戦くのだ。

「わたしゃ面倒なのは嫌いだよ」

 寿々代はさっさとシャワー室に行ってしまい、竜也だけが前科持ちのダイヤに脅かされている。

 後始末が済むまでじっとしていないと寿々代の機嫌が悪くなるから、竜也は身を横たえたまま迫り来る魔物の姿を空想する。

 <黄色い月の面を蜻蛉が一匹浮く様に飛んだ。・・・・私は見果てもない広い原の真中に起っている。>

 まさに件(クダン)を包む、夜とも夕暮れとも見分けのつかない狭間の一刻だった。

 <躯がびっしょりぬれて、尻尾の先からぽたぽたと雫がたれている。件の話は子供の折に聞いた事はあるけれど、自分がその件になろうとは思いもよらなかった。>

 不穏な空気の固まりが、からだが牛で顔だけ人間という件の周りに集まっている。

 生まれて三日にして死し、その間に人間の言葉で、未来の凶福を予言するものだと云う話を聞いている。

 件になった男が、いよいよ口を開くかと群集が固唾を呑む中、とつぜん空想が中断される。 

「ダイヤ、もういいよ」

 寿々代のひと言で、竜也も件から解放される。

 立ち現れた薄明かりの中の奇怪なケモノは、日本の災難を予言する前に掻き消えていた。


  
 寿々代との日々が重なるにつれ、ダイヤが「件」になって次第に竜也を乗っ取るようになった。

 「件」に変身した竜也は群集を前に演説したくなり、声を出そうとするのだがいつもままならないまま中断する。

 彼自身が関東大震災の再来が近いなどと予言したら、地平線に現れた群集に飲み込まれそうなので声も出せない。

「彼所だ、彼所だ」と追われ、厄介なケモノとの間を行ったり来たりしながら、竜也はこの先どうしようかと途方に暮れていた。

「ねえ、いいこと思いついたわ。解説を有名な占い師に書かせたら、売れるんじゃないかな」

「えっ、占い師?」

「ほら、マスコミに登場する女たちの誰かよ。ほんとうはホソキさんが最適だけど、引き受けてくれそうもないから何とかの母でいいわ」

「占い師に古典文学ってミスマッチじゃないですか」

「だから面白いのよ。クダンの母とか言って解説させなさい」

「銀座や新宿じゃなく、九段の母ですか。・・・・九段にも占い師いますかね?」

「知らないよ。探し出すのはキミの仕事だろう」

 竜也の頭の中に、一人の女性の顔が浮かんだ。

 もともと証券会社のストラジストだった人で、投資家から絶大な信頼を得ていた神姫冴子だった。

 リーマン・ショックで痛手を受けてしまったが、彼女なら教養もあるし、今度の失敗で未来についての考察も深まったはずだ。

 その上『冥途』も『件』も読んでいるに違いない。

 だったら、いま社会全体にひろがる得体の知れないもどかしさに、形を与えてくれるだろう。

 幸い面識もあるし、人当たりのよい竜也がアプローチすれば、「件」をキイワードに内田百の素晴らしさを宣伝してくれるのではないか。

 竜也は神姫冴子の個人事務所を訪ね、本気で古典文学の解説を依頼した。

「いいわよ、でも一週間待ってね。震災前後のことを分析してみるから」

「はい、時代背景は一番のポイントですから、よろしくお願いします」

 猫好きだという神姫冴子は、『ノラや』で示した百の心情を「ネコ派」ならではのものと分析した。

 家出した猫を待って一年もやきもきする話は、ネコ派の極致とまで評した。

 駅長『たま』への見解を求めると、「うん、あの可愛さは規格外ね」と笑みを浮かべた。

「・・・・あのこはペットというより、アイドルでしょう。莫大な経済効果を生み出しているのだから、キム・ヨナ並みよ」

 脱線気味だが、編集長よりよほど正常だった。



 三日もたたないうちに、神姫冴子から竜也に電話が来た。

「あなた、なに考えてるのよ。わたしに恥をかかせるつもり?」

 声が裏返って、悲鳴に近くなっている。

「本を読んで、びっくりしたわ。『件』って、まるっきりわたしじゃないの。柵と群集に囲まれて、予言を強要されている・・・・」

 神姫冴子は、今度は泣き声になっていた。

「しかも、みんな、どこかで見たり、声を聞いたことのある人ばかり。水を飲めと言われて飲めば、すわ、いよいよ重大な予言をするらしいとざわめき・・・・」

 投資信託の運用失敗でこうむった信用の失墜が、神姫冴子に与えたダメージは、一般人には想像もできないものだったらしい。

「申し訳ありません。ぼくの浅知恵でご迷惑をおかけしました」

 神姫冴子から辞退の言葉を聞く前に、竜也は依頼の撤回を申し出た。

「わたしがまた顔を突き出したら、人々は逃げ出すわよ。いいにつけ、悪いにつけ、予言は聞かない方がいいって云ってるじゃないの」

 神姫冴子は、少し落ち着きを取り戻して『件』の中の一行を引用した。

 内田百で一儲けしようとの野望は、ひとまず頓挫した。

 編集長に話すと、竜也への責めはさらに過酷になった。

「だから、片棒担がせるなら占い師しかいないって言ったじゃない」

 『件』の真実、文学の醍醐味を並べ立てたって、解る者がいないんだから駄目なんだよと、編集長は今日も太股で万力のように竜也を締め上げた。

「クダンは刺身のツマ、曰くありげに占い師の予言を売るのが狙いなのよ。へこんでないで、元気出しなさい」

 竜也は大きな尻の下で呻きながら、編集長こそが「クダンの生みの親」ではないかと考えていた。

 肉の隙間のわずかな薄明かりから、ダイヤの前肢だけが見える。

 <「そら、件が前足を上げた」>

 『件』の中の一節を思い出していた。



     (おわり)

 

 

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