那須野が原には「九尾の狐」が住んでいるといわれている。
最近、那須野が原を舞台にいやな事件が勃発しているが、ご当地の九尾の狐がどう思っているか世間の口端も喧しい。
「ぼくは九尾の狐はワルだから冷ややかな顔で見ていたんだと思う」
「いや、わたしは九尾の狐は憤慨していると思います。もともと伝説では神獣といわれて王朝を支えてきたのだから今回の事件はイメージダウンになると怒っているはずです」
「読み本屋、曲亭馬琴の受け売りだな?」
「そういう貴方こそ玉藻前〈平安時代末期に登場する『玉藻草紙』で鳥羽上皇の姫に化けた狐〉にたぶらかされているんでしょう」
「九尾の狐をワルだと言っているぼくが騙されるわけがないだろう、何を考えているんだ」
「全身〈心〉全霊で化かすというから、あんたなんかイチコロよ」
「ちょっと待った,お二人さん、九尾の狐は鎌倉時代に陰陽師によって見破られ上総介広常らに那須に追い詰められ殺生石に化けたはずだ。妖怪がまたよみがえったというのかい」
「現代の妖怪は依頼人と実行役の間に何回も人を挟むから九尾の狐が黒幕の可能性もあるぞ」
「アレレ、いつの間にかぼくらの主張が乗っ取られた」
「ほんと、あたし引っ込むわ。いやな世の中になったわね、バイバイ」
というわけで九尾の狐の正体は容易につかめない。
金色の殺生石を探しに那須野が原まで行きたいが痕跡が残っているかどうか。
ところで我が国での解釈とは正反対の中国における九尾の狐は次の通り。
ウィキぺディアからの丸写しである。
<中国>
中国での九尾の狐についての記述の古い例には、『山海経』(南山経)での九尾狐が挙げられる。「(青丘山には)獣がいる。外形は狐のようで、尾は九本。鳴き声は嬰児のようで、よく人を食う。(この獣を)食べた者は蠱毒(あるいは邪気)を退ける」という記述がある[1]。『山海経』では他に海外東経・大荒東経に名称の記述がある[2]。人を食べるという箇所があるが、霊験として辟邪の要素を付与されており、瑞獣としてあつかわれていることが見てとれる。
『白虎通』では、時の皇帝の徳が良いと世の中に現われる瑞獣[3]の一つとして記されているほか、「九」という数字は子孫繁栄を示している[4]ともあり、陽数を持った瑞兆を示す霊獣であるとしている[5]。
武王を主役にした物語『武王軍談』、あるいは『封神演義』などの小説、その源流となった元の時代の『武王伐紂平話』[6]や明の時代の『春秋列国志伝』などでは、殷王朝を傾けたとされる美女・妲己の正体が九尾の狐(九尾狐、九尾狐狸)であるとされている[7]。これらの物語あるいはそれを下地とした書物での記述が、後の時代には漢文圏で広く知られるようになった。
清の光緒年間に書かれた酔月山人『狐狸縁全伝』(1888年)にもこれを踏まえた九尾狐が登場し、千年修行すると尾が一本増え、一万年修行をすると黒かった毛が白くなるとされている。[8]
中国では神獣、日本では妖怪、KAIDAN〈怪談〉向きなのは日本的解釈である。
別の読み本作家は妖怪として登場させていたが、曲亭馬琴が中国の歴史書に当たって妖怪説を批判した。
それはそれ、いろんな解釈があって妖怪が跳梁跋扈したほうが面白い。
九尾の狐が殺生石に化けた以上、元には戻れない。
〈おわり〉
那須の「殺生石」は、2,3度行った事があります。
近くの温泉に行ったついでに寄っています。
「九尾の狐」の伝説の石か何かあったような気がします。。。(^▽^)o
現代に話が蘇っているのですね。
殺生石へ行きましたか。
ぼくも那須はスキーと温泉に行ったことがあります。
九尾の狐の伝説が残るにふさわしい場所ですね。