どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(超短編シリーズ)74 『花相撲の丘』

2012-07-24 03:19:34 | 短編小説

     (花相撲の丘)


 ぼくは屋外でキックボクシングの試合を見ていた。
 リングを囲む金網に客が取り付き、ぼくもその仲間の一人として気持ちを高ぶらせていた。
 口ぐちに張り上げる声が、塊となって不穏な空へ飛んで行った。
 子供の歓声だけは、大人の放つどよめきを縫って黄色く立ち昇った。
 空はみずからの秩序を失い、黒雲と照り映えがせめぎ合っていた。
 歓声は暗紫色の裂け目を狙って駆け上がり、天への抜け道を探しているように見えた。
 (こわい・・・・)
 闘いが終わると、みながリングを離れた。
 と、すぐ近くでまた何かが始まろうとしていた。
「花相撲だ、花相撲だ」と声が上がる。
 ぼくもそちらへ移動して覗きこむ。
 たしかに草相撲が始まろうとしていた。
 裸の男たちが大きく足をあげて四股を踏むのが見えた。
 ズシンと腹に響く地鳴りがした。
 その瞬間、観客がいっせいに周囲を見回した。
 ぼくも何か異様なものを感じた。
 ふっと眼をあげると、空には先ほどよりも禍々しい雲が掛かり遠く海が見渡せた。
「地震だ!」
 誰かが叫ぶ。
 その瞬間、人の波がばらばらと八方へ走り出した。
 逃げなくちゃと慌てて身構えたところで、ぼくの居る場所が丘の上であることに気づく。
 景色全体が揺れているので最初は実感できなかったが、下に見える街並が細部で壊れ始めていた。
 海の方からは黒い波が迫ってきて、丘の麓まで迫ってきそうな恐怖を感じる。
 ぼくは後ろを振り返り、花相撲の力士たちが丘の高い位置へ避難するのを見た。
「よいしょ、よいしょ」
 掛け声をそろえながら、力士たちは背後の山地に向かって険しい坂を登って行く。
 ぼくも相撲取りの後を追ったほうがいいのかな、と逡巡した。
 もう一度たしかめると黒い波はもう街を飲み込み、肩を組んだ人足のように家の屋根を斜面に担ぎあげようとしていた。
 (逃げ切れるかな)
 いったん街の方へ逃げた人びとは、Uターンして再び丘の方へ戻って来る。
 水の嫌いな蟻んこのように、右往左往するさまが胡麻粒のように見えた。
 (津波だ・・・・)
 状況がはっきりと認識できた。
 津波なら、この後も第二波第三波と襲ってくるに違いない。
 花相撲の土俵や、それより低いキックボクシングのリングくらいまでは、波が駆け上がってきそうな気がした。
 ぼくは尾根の方へ向かって走りだした。
 走っているつもりだが、膝に手を当ててヨイショ、ヨイショと這い上がるのがやっとだった。
 背後に迫って来る恐怖が、ぼくの足を棒のように無感覚にした。
 人間が遊興に供していた丘が、いまは空虚な場所に変わろうとしていた。
 理由ははっきりしないのだが、花相撲の力士たちが明け渡したことで悪しきものが四方から侵入してきそうな気がした。
 壊れつづける家々の屋根裏にひそんでいた疫病神や、床下からの断末魔、空の裂け目から垂れさがる黒い帯がその正体のように思えた。
 みるみるうちに、なだらかな丘は悪しきもののテラスと化し、千年の人の営みが一瞬で消えさったように見えた。
 (そうではあるまい・・・・)
 ぼくは、相撲に担わされた魔除けの意味にすがっていたようだ。
 よいしょ、よいしょ、山の中から力士たちの声が降りてくる。
「ヨイショ、ヨイショ」
 ぼくは一歩一歩膝に手を当てて、相撲取りの後を追う。
 もう声だけが頼りだ。
 ひと筋の信心を心に決めて、脆弱な足腰に鞭打った。


 そこで目が覚めた。
 ベッドの中で足が攣っていた。
 (夢なんだ・・・・)
 これまでに見たこともない夢だった。
 ぼくが見たものは現実じゃないのか。
 疑いが胸をざわつかせた。
 ベッドに横たわっている状況からはたしかに夢のようだが、夢で見た風景を確認することに何か忌々しさを覚えた。
 ぼくが居た丘は、花の咲く楽しげな場所だった。
 人が溢れ、花相撲にふさわしい場所だった。
 熾烈な殴り合い蹴り合いを繰り広げたキックボクシングのリングも、人びとは昂奮を一角に閉じ込める仮宿と諒解していたようだ。
 その証だろうか、さっきまであったリングの金網は押し寄せる津波に引きずり倒されていた。
 花相撲の土俵は、もとより大地に描かれた円だから逃げも隠れもせずにそこにあった。
 ぼくは夢で見た力士たちの背中を、仔細に思い浮かべようとした。
 尾根を登って行った尻にも肢にも、肌理の細かい福神の相が輝いていた。
「相撲は吉兆だ・・・・」
 ぼくは寝床の上で叫んだ。
 歴史も由来もわからないが、邪な思念がはびこる世にあって時に衰退に見舞われながら浄化する種を植えつけられている。
 都会ばかりが恩恵に浴するのではなく、手分けして地方に幸運を運ぶ花相撲の存在が際立っていた。
 ぼくは急に、小学一年のころ観た巡業の様子を思い出していた。
 目線より高い位置にある土俵から押し出された力士が、そのまま観客席に転がり落ちてきて婆さんの風呂敷包みに手をかけたのだ。
「あっ」と言ったかどうか、慌てて取り返そうとする婆さんの様子に観客席からどっと笑い声が沸いた。
 相撲取りは二、三歩行きかけて、いまさら気づいたように自分の手元を見て済まなそうに包みを戻しに来た。
 一連の流れるような仕種に、多くの客が手を拍ち腹を抱えて笑った。
 あの時ぼくはどれほど幸せだったか。
 食べるものも着るものも欠乏していた時期、巡業の相撲を観た記憶は焼き鏝を当てられたように刻印された。
 面白くて衝撃があって、以来ひたすら相撲の放送を待ち続けた。
 相撲が始まればいいことがある。
 吉葉山、鏡里の時代から、栃錦、若乃花、大鵬、柏戸・・・・、現在までその時々に心を躍らせた。
 そういえば、千代の山や大内山もいたな・・・・。
 思い出はきりがなく、そのくせ相撲について今日まで考えたこともなかった。
 夢とはいえ、地震に際しての力士たちの一糸乱れぬ行動は何なのだろう。
 津波の難も受け流した花相撲一行の神々しさは、いったい何によるものか。
 ぼくは攣った足が治るのを待って調べてみた。
 (相撲の神様ってだあれ?)
 (野見宿禰ですよ~)
 宿禰は天穂日命の子孫である出雲国の勇士で、垂仁天皇の命により当麻蹴速と角力(相撲)を命ぜられた。
 蹴速と互いに蹴り合った宿禰はその腰を踏み折って勝ち、蹴速が持っていた大和国当麻の地を与えられた。
 その後は垂仁天皇に気に入られ、重要な役をあたえられた。
 垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命の葬儀の時には、それまで行われていた殉死の風習に代えて埴輪を埋めることを考え出した。
 宿禰は埴輪をつくった功績により土師の姓を与えられ、代々の天皇の葬儀を司ることとなった。
 野見の名前に関していえば、古墳の築営に際してさまざまな条件を吟味し土地を選定するところから称されたらしい。
 この謂れを知った瞬間、ぼくは夢で見た力士たちの輝く後ろ姿に合点がいった。
 花相撲のおのずから滲み出る風格にも納得がいった。
 最も似つかわしかったのは、あの得も言われぬ円味を帯びた丘だ。
 相撲発祥の時から、神は特別の力であの地形を選んだのだ。
 丘、古墳、埴輪、土師、野見・・・・一本に繋がった啓示が、ぼくの夢の根源に働きかけていたのかもしれない。
 力士が避難したあとへ押し寄せた悪しき魔神たちは、野見宿禰に蹴破られほうほうの体で退散したはずだ。
 ぼくは文献を閉じ、すでに平癒したであろう丘を見るために、ふたたび夢に戻ろうとした。


     (おわり)




  


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