
小布施再び・『高井鴻山記念館』を観る(1)
志賀高原から降りてきて、成り行きで小布施に向かうことになった。
前回寄り損ねた『高井鴻山記念館』を観る機会が、こんなに早く来るとは思っていなかった。
前に写真に撮った東門から、昔風の小路を歩いて黒々とした建物に近づいていった。
入ってすぐのチケット売場で券を買うと、一応順路が示されていて東門は出口に当たることを教えられた。
「どちらから観られてもかまいませんよ」
優しい声で言われたが、実際にたどってみるとどうも回りづらい。
さほど混雑していたわけではないが、人の流れ、展示物の配置がなんとなく落ち着かないのである。
そこで、いったんスタート地点まで行き、順路①の正門を入ったところにある『脩然楼』(ゆうぜんろう)の案内図から見始めた。
そこには主な展示物が例示されていて、②に当たる『文庫蔵』には<年譜、人脈、家系、肖像画、一絃琴、幟、書画、印類等>と記されている。
高井鴻山がどんな生い立ちで、どんな交友関係を持っていたか、そしてどのような学問を修めていたのか概略を知ることが出来る。
今回の画像がそれで、豪農商高井家(市村本家)に生まれた鴻山(1806~1883)は、若くして江戸に出て広く学問・学芸を学んだとされている。
陽明学を生涯の心の柱として生きたとあるから、「知行合一」といった儒教の精神を大事にした人のようだ。
自身も北斎に学んで画を描き、揮毫の書も神社や寺に幟や天井画として残している。
訪れる文人墨客がたくさん居たことは、人脈図にも明らかである。山岡鉄舟、高橋泥舟、河鍋暁斎など知名の書家・画家等が多く挙げられている。
一方、幕末維新期には、尊皇攘夷の志士や幕府要人とも深く関わり、国の行く末を案じて巨額の資産を傾けたといわれている。
しかし、幕府の要請にもかかわらず、自ら直接政治に関わることはしなかったという。資金援助等の脇役に徹することで、より広い選択肢を手にし、同時に信奉する陽明学の<心即理>(心こそ万事万物の原理)という神髄を全うしようとしたのであろうか。
勝海舟の書も残されていて、深い関わりが窺える。佐久間象山、大塩平八郎の名もあり、激動の時代がそのまま映し出されている。
晩年には私塾を開き、教育指導者として多くの人材を育てたという。
国のことのみならず、郷土の平和と安泰を願う生き方は、かつて飢饉の折に米倉を開けて民衆を救ったという親からの精神を受け継いだものかもしれない。
あとから回る井戸のエピソードにも、高井鴻山の人となりが偲ばれる。
とりあえず、記念館を訪れて知った人物像を先に紹介する次第である。
案内板に記されいることをほぼそのまま写したに過ぎないが、もう少し別な角度からの見方、もっと突っ込んだ研究もあるようだ。
一旅行者の手には負えないので、ただただ見たままの報告を続けることになりそうだ。
それでも実際に文物を目にすると、時代の色や匂い、気配といったものが立ち昇ってきて脳を刺激する。
うまく伝えられる自信はないが、努力をしてみたい。
(つづく)
実はいちばん気になるのがこの読み方なんです。
「こうざん」なのか、「こうさん」なのか、ちょっとしたことですが。
もし、「こうさん」なら、その「鴻」という漢字とともに懐かしい人物を、どうしても思い出してしまいます。
もっとも、鴻さんが生きていたら即座に「シャレがきついよ」と言われそうですが・・・・。
まあ、あと何回か、降参せずに続けますよ。
そうですか、tadaoxさんにとっては、小布施はドライブで訪れた懐かしい土地でしたか。
ええ、北斎館と高井鴻山記念館は、見応えがありました。
そうでしたか、鴻山は晩年には私塾を開き、多くの人材を育てた立派な人格者でもあったんですね。
やはり、岩松院は、中心部から少し離れているので、最初から目的地に入れておかないと行きそびれる気がしました。
そうですね、小布施という町は、結構、個人の庭への立ち入り見学OKと書かれた家が多く、精神的にも豊かな感じがしました。
次回、長野周辺に行く際は、小布施牛乳という銘柄を見逃さない様にします。
『北斎館』についてもブログで画像等を載せた記憶があるのですが、ブログ内検索が以前よりややこしくなって、とりあえず69-73まで5回に分けて紹介した『高井鴻山記念館』の方を貼ってみました。
再訪したのは2008年10月ですから、もう11年が過ぎた計算です。
この時は、高井鴻山記念館に向かう石畳の小道になんと大粒の栗が1個落ちていたんですよ。
(なんという幸運!)びっくりしました。感激しました。
更家さんのブログに、まだ青いいがぐりが写っていたので、たった2か月ですが季節の差を感じました。
8月だったら、やはり栗ソフトクリームが売れていたでしょう。
ぼくは栗羊羹を土産にした覚えがあります。
小布施も町ぐるみで景観を保つ努力をしていて、白壁の土蔵や造り酒屋の樽を使ったディスプレーなど全体にアピールする姿勢が感じられました。
小布施というと、ついおしゃべりになってしまいます。
たいへん失礼しました。