どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設19年目を疾走中。

(超短編シリーズ)19 『山彦の変調』

2010-01-04 00:55:38 | 短編小説



      (山彦の変調)    


 国道146号を中軽井沢へ向けて下っていくと、坂の途中で右手に遥かな山並が見える。

 祐太は、その最奥に潜むのが長野県佐久穂町から十石峠を越えて群馬県神流町に至るルート299号沿いの山塊であることを知っていた。

 (いつかは、そのあたりの林道を走ることになる)

 仲間とともに休日ツーリングを楽しむ祐太は、幾重にも重なる山襞の奥に次のルートを夢想していた。



 祐太は、佐久から下仁田へ抜ける急峻な街道も通ったことがある。

 自動車道としては狭くカーブの多い国道254号のトンネルを、自慢のバイクでスリリングな走りを体験したのだった。

 佐久から川越を通って江戸に至る街道は、かつては佐久平の産物を運ぶ物流の大動脈であった。

 米を中心とした穀類や、鯉などの川魚、干し柿や栗を主とする果実類、生糸や絹製品など取引される品物は多岐にわたっていた。

 平行して走る高速道路ができてからは通行量が減少しているが、コスト重視のトラックなどは今でもこの道を利用している。

 国道299号も254号も、山峡を縫って走る似たような街道だが、祐太が思い描くルートはそれらを斜めにつなぐ秘境の扉に値するところだ。

 (しかし、それは実現可能なのだろうか・・・・)

 祐太の脳裏に去来するものの一つに、上野村の急峻な尾根に激突した日航機墜落事故の禍々しい記憶がある。

 御巣鷹の尾根と呼ばれる遭難現場の寒々とした風景は、年に一度必ずといっていいほどテレビで放映される。

 実際の墜落現場は、高天原山の斜面だったらしいが、御巣鷹山に近かったことからそのように報道されたものと祐太は理解している。

 調べてみると褶曲し折り重なる山塊には登山道もなく、猟師が入る以外は人跡未踏に近い場所だったらしい。

 地図上で見ていても、山襞の奥に鎮めきれない魂の浮遊を感じるのだった。



 何年か前の台風では、近辺の山襞に張り付く南牧村という集落が、土砂崩落の被害に遭って一時孤立したことがある。

 その南牧村の北側を通るルート254の走りでは、荒船山の威容を見上げて息を呑んだものだ。

 遠目にはアラモ砦のように見える荒船山だったが、近づくと小型のテーブル・マウンテンを見上げるような感じだった。

 あの聳え立つ荒船山の奇岩を眺めていると、崖下の針葉樹の陰に人が滑落したことはないのだろうかと思ってしまう。

 その近くで生活する人びとにとっては迷惑な想像だが、ライダー祐太の抱いた印象はある日突然現実のものとなった。

 落ちたのが著名な漫画家といっても、なぜか無力な人間の宿命を感じてしまう。

 その場所に魅入られ、操られるように向かってしまう心の軌跡が見えてしまうのだ。

 彼が崖の上から覗き込もうとしたものは何だったのか。

 祐太には、そこで見ようとしたものの正体が分かるような気がする。

 徒歩とバイクの手段こそ違え、深遠に引き寄せられていく胸の高鳴りが伝わってくるのだ。

 人里離れた山道を登ってみたり、バイクに乗って走ってみたいという心理には、どこか共通のものがある。

 怖いもの見たさと言ったら実もふたもないが、危険なもの、不穏なものに惹かれる潜在意識は、消しがたい麻薬の誘惑のように感じられた。



 今回の単独行にも、少なからず祐太の性癖が関わっていたといえる。

 祐太はこれまで、関東の山岳道路はかなり奥まったところでもツーリング仲間と走破してきた。

 暇さえあれば、地図に記された山道を探してさまざまな情報を収集していた。

 例えば埼玉県の飯能や毛呂山方面から秩父の山塊を越えて群馬県側に抜けるいくつかのルートは、全て試してみた。

 その一部は、祐太のお気に入りにランクインしていた。

 整備の行き届かない林道ほど、彼らライダーたちの好奇心を煽り立てるのだ。

 そうした山の持つ妖気に惑わされるのか、祐太は仲間との会話の中でことさら難コースの選択を主張した。

 仲間意識は固いグループだったが、今回のルート設計に関してはメンバーから異議が相次いだ。

「そんなとこ行ったって面白くないよ」

「・・・・ていうか、陰気臭いじゃん?」

 仲間からは、ことごとく退けられた。

 固執する祐太が譲らなかったものだから、「それなら勝手にどうぞ」と突き放された。

「わかった、一人で行く・・・・」

 祐太は不貞腐れて、次回の単独走行を宣言した。

 その結果が、荒れ果てた埋没集落との遭遇となった。

 

 鬱蒼とした針葉樹の峠を越えると、北側の斜面は抉り取られたようにむき出しの山肌が広がっていた。

 まだ記憶に新しい土砂災害のせいで、間近に見る崖はどぎつい赤色の傷跡をそのままにしていた。

 谷底には何軒かの集落があったと聞くが、台風の集中豪雨と土石流に飲み込まれて、今は古材だけが薪のように散らばっていた。

 行方不明者の捜索にも重機を運び込めず、自衛隊の力を借りて遺体を掘り出す惨状だったらしい。

 持って行き場のない土砂は、掘り返した部分を除いて新たな土地の造成を意図したようになっていた。

 集落と集落をつなぐ村道は復興したものの、やっとすれ違える程度の狭い山道に乗り入れてくる四輪車は少なかった。

 そんな荒れ道に祐太が乗り入れたのは、身軽に走行できるオートバイであったからだ。

 途中、村人らしい人間とは一人も出会わなかった。

 祐太は携帯してきたデジタルカメラで、崩壊した家屋の写真を撮った。

 何処のルートを走破したかを記録することは、ライダー仲間に認知させる唯一の証明手段だったし、彼自身の日記にも欠かせないものだった。

 赤土に埋まった集落は、もう放棄されたものと理解した。

 押し潰された家屋や家財道具とともに、生き残った村人の希望も土砂に埋没したはずだった。

 何枚も写真を撮り、そろそろ集落に別れを告げようかと思った。

 最期に、もう一度念を押すように辺りを見回した。

 住居跡だけではなく、土砂崩れの爪跡いちじるしい山肌も振り返った。

 一瞬、抉られた斜面とかろうじて踏みとどまった木々の境目で、何かが動いた。

 光の反射だったのか、目の錯覚だったのか、白い衣装をまとった何かがこちらを凝視しているように見えた。

 (だれだろう・・・・)

 人間と認識したわけではないのに、空気を押して伝わってきた波動が獣との違いを識別させた。

 人だとすれば、集落に未練を残し、この場所に生活のよすがを探す者の、密かな営みかもしれない。

 集落の再興を図って、掘っ立て小屋に使う雑木でも伐りに入っているのかもしれなかった。



 祐太は、動きを止めたまま凝視した。

 かかわりを持ちたくない気持ちの一方、このまま去るのではあまりにも意気地がなさ過ぎる気がした。

「おーい」

 叫んでみた。

「うおーい」

 山彦が返ってきた。

 祐太の甲高い声とは思えない、割れたような声だった。

 なぜか祐太の背筋が緊張した。
 
 理屈は分からないが、手前の白い衣装のちらつくあたりに呼びかけたのに、遥かな崖の高みから山彦が降ってきたからだ。

 (どうしたというのだ?)

 祐太はしばらく声を失っていた。

 思い直して、もう一度呼びかけてみた。

「ムラノカタデスカ~」

「ウラノマゴデスヨ~」

 とっさに、むかし聞き知った山梨弁が甦った。

 ウラが自分をさす方言ではないかと疑念が走ったのだ。

 山彦は、自分の孫がどうしたといっているのか。

 もしも山彦でないとすれば、ウラとは誰なのだ?

 この地域がどのような言語圏に属するのかはっきりしないが、群馬とはいえ山梨や長野に近い場所であることは確かであった。

 抉られた緑の際で白くはためくものが気になった。

 祐太は勇気を出してバイクに跨り、オフロードを走る要領で慎重に近づいていった。

 湿気を帯びた赤土に空転するタイヤを騙し騙し、白いものの実体が識別できる位置まで近寄った。

 (ああ・・・・)

 立ち木と立ち木の間に細い縄が張られ、中央から何本かの千切れた幣(ヌサ)が垂れていた。

 その印が何を意味するものかは判らないが、悲惨な被害にあった土地の怒りを鎮めるためものではないかと想像した。

 あるいは、犠牲になった村人の御霊を慰めるものか。

 ふと、ウラと聴こえた山彦の変調が甦り、もしかしたら土砂に埋もれたまま行方不明になった孫を悼む祖父の祈りの幣かもしれないと思った。

 祐太の背筋に再び寒けが走った。

 (長居は無用・・・・)

 あわててバイクを反転させ、いま来た村道に引き返した。

 埋没集落を経て、どこかへ抜けるという計画は取りやめた。

 おとなしく引き返すのが賢明だと囁くものがあった。

 細心の注意を払ってルート299に出たとき、ツーリングに慣れているはずの体が腕も脚もくたくたに疲れているのに気づいた。


     (おわり)

 







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6 コメント

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今年も…… (ガモジン)
2010-01-05 09:53:36
今年もよろしくお願いします。
週一、掲載される短編小説を楽しみにしています。
番人さんのブログからたどってきてくれた人がいるのですが、その話はまたいずれできると思います。できればいいな、ですかね。
本年第一作で独走か (くりたえいじ)
2010-01-05 17:01:56

待ちに待った本年の第一作。
やはり深山渓谷の地方色豊かな地域が主舞台となりましたね。
でも、ライダーが登場したのにはびっくり。
著者ご自身がその道に達人でもあるかのようで。

南牧村というのは記憶にありませんが、あの辺りで土砂崩落で村が潰え去ったのでしょう。
そこでの主人公の体験が"山彦の変調"というわけですね。
しかし、その詳細な答えは読者に任せるあたりさすがです。
ただ、山村の深奥部を一緒に体験させてもらったようなもので。

これからも快作、心待ちしておりますよ。
よい年でありますように・・・・ (窪庭忠男)
2010-01-05 23:36:14

(ガモジン)様、今年も変幻自在な作品を楽しみにしています。
気になる<その話>も、お聞きできる機会をお待ちしております。

今年も楽しみな「湘南便り」 (窪庭忠男)
2010-01-05 23:57:23

(くりたえいじ)様、片瀬海岸から見る新春の富士山はいかがでしたか。
今年もさまざまなテーマでブログ発信してください。
また、毎回当作品へのコメントをいただき、感謝しております。
虚実入り混じっての話が続きますが、どうぞよろしくお願いします。
人の気配 (知恵熱おやじ)
2010-01-16 02:56:41
明けましておめでとうございます。
今年もオッチャン様の見事な短編小説を楽しみにしています。

新年早々怖いお話で・・・
人がすまなくなった廃屋や村は、そこに住んでいた人の気配が残っているせいか、何ということもなく怖いですね。

あれは何なのでしょう。
住んでいた人の、そこを離れがたい未練なのでしょうか。それとも恨みの念なのか。
生きてそこにいる人は怖くないけれど、そこから姿を消した人の気配は怖い・・・
オッチャン様はそのことをよく知っておられるようで。

上質の短編小説をありがとうございます。
あたりに漂う気配を・・・・ (窪庭忠男)
2010-01-16 22:50:56

(知恵熱おやじ)様も、かつて人が住んだあたりに漂う残留思念の気配を感じたことがあるのかと、心強く思いました。
姿はないのに、子供たちの喚声、村人のさんざめく話し声など、廃屋の周辺には不思議な記憶のようなものが残っている気がします。
人間の恐怖心がもたらす錯覚と片付けてしまえば、ただそれだけのことですが・・・・。
コメントありがとうございました。

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