どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

ポエム392 『79回目の終戦記念日』

2024-08-15 00:44:00 | ポエム

 

 〈ウェブ画像〉より

 

1945年の夏 8月15日の午前11時ごろ

ぼくらは防空壕を出て庄屋の家へ向かった

正午から玉音放送があるので集まるようにと

班長からの指示があったからだ

座敷には一台のラヂオが置かれ

ぼくらは縁側越しにそれを見守った

 

ぼくは大人たちの姿を目の端にとらえながら

庭に咲く数本のヒマワリを見ていた

強烈な日差しのもとヒマワリの花が黒く見えた

まるでハレーションを起こしているみたいだった

正午になりラヂオから天皇陛下の声が流れ始めた

「堪え難きを堪え 忍び難きを忍び・・」

 

大人たちが首をうなだれ 中には泣く者もいた

こうして79年前の8月15日は終わった

そのあとどう行動したのかは覚えていない

たぶんまた防空壕に戻った気がする

戦争が終わったことを米軍が知らずに

B29が爆弾を落とすかもしれないからだ

 

数日して米軍の撒いたチラシや近所のうわさで

本当に戦争が終わったことを知った

動員され軍需工場で働いていた長兄も家に帰され

終戦が本物だったことを確認できた

しかし食糧不足との闘いはその頃から激化した

芋粥やかぼちゃ粥なら御の字で大根飯が苦手だった

 

翌年には新しい教科書をもらって小学校入学

先生も女性の担任で大野先生・・忘れもしない

いきなり同級のジャイアンと喧嘩して泣かした

もみ合いとなりシャツをつかんだら破れてTKO勝ち

中学校では音楽専任の先生に怒られた思い出も

終戦後の学校生活は貧しくても楽しかった

 

玉音放送から79年も過ぎたのか

病気をしながらもよく生きてきたなあ

時あたかもパリ・オリンピック

水泳1500メートルの古橋・橋爪のデッドヒート

アメリカの二世選手 紺野もよく頑張った

パリ五輪で金メダル20個なんて隔世の感

 

きりがないのでこの辺で終わりにしよう

10年後にまた挨拶出来たらうれしいね

 

 

 

 

 

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