goo blog サービス終了のお知らせ 

どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

残しておきたい記録(関東大震災〉その9

2022-02-15 23:35:53 | 体験記

⑨ 注目される被災例とエピソード

「浅草凌雲閣(十二階)」の場合

『正午二分前』(早川書房刊)=ノエル・F・ブッシュ著によれば、<東京のコニー・アイランドともいうべき浅草で、実に目立ったことが起こった。それは、当時の東京で一番背が高いので有名な十二階が崩れたことである。地震が起こると「十二階」は前後に揺れ動いたが、その間の数秒間というものは「ピサの斜塔」そっくりに見えた。やがて「それは丁寧にお辞儀をするような格好になり」八階のところから折れてしまった。上部四階は、群衆がいた三つの方向ではなく、第四方向の小さな池に向かって崩れ落ちた。下敷きになって死んだのは数名で済んだが、経営者の老夫婦は二十人ほどの見物人と共に潰されてしまった。付近の芝居小屋の裏方二人は、昼食をとるために上のバルコニーにあがっていたところ、地震と同時に池の中に投げ出されたが、不思議と怪我一つせずに済んだ。>と、目撃者の証言をもとに記述している。

「隅田川の場合」

同じくブッシュの著書では、隅田川の両岸の火災の状況が述べられている。それによると、川の西岸の浅草公園から出火し、小さな飲食店が密集しているため、たちまち延焼し、人々は消火を諦めて逃げ出してしまい、また吉原からも数か所で出火し、ここでも人びとは皆逃げた。<隅田川の両岸地区の住民たちの双方が、じっとしていたら火にやられてしまうと考えた結果、荷車に引火しやすい家財道具などを積んで反対岸に逃れようとしたが、先頭にいた人たちは間もなく向こう岸の街も火に包まれていることに気づき、立ち止まったものの、後続の人たちに押されて橋の中央部で立ち往生した。・・・・>その間に両岸から迫ってきた火事の火の粉が家財道具などに燃え移り、中央部の人びとは川に飛び込んだりしたものの、早々に溺死するか、川の中でじわじわと焼かれて死んだ。

そうして、両岸をつなぐ橋のほとんどが焼け落ち、翌日、残っていたのは「新大橋」だけということがわかった。・・・・この橋が残ったのには、実は羽鳥源作という一人の巡査の勇気と良識があったと伝えられている。火事の原因となるものが、避難民の持ってきた布団や手回り品であると判断した彼は、部下たちに命じて「新大橋」には一切それを持ち込むことを禁止させたのだ。そのおかげで、この橋に避難した一万二千人の命は助かったのである。(悲惨な出来事の多い中で、稀なエピソードである。)

  (つづく)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  残しておきたい記録(関東大... | トップ | 残しておきたい記録(関東大... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

体験記」カテゴリの最新記事