銀座にある東方画廊での従業員同士の会話。
「ちょっとさん、さっき外国人のお客様が入ってきたんだけど、あなたが爆睡していたので帰っちゃいましたよ」
「あら、やだ。起こしてくれればいいのに」
「それがさ、ぼくが起こそうとしたら唇に指をあてて制止するんだ。寝かせておけと言われちゃどうしようもない」
「へえ、いくつぐらいの人?」
「40歳ちょっとぐらいかな。ブラビに似た人だった」
「わオ、起こしてよ。ほんものだったらどうするのよ」
「ぼくだって、蹴り飛ばしてやりたかったさ。客逃したかもしれないぜ」
7月の昼下がりの事である。
ちょっとさんと呼ばれた従業員は、何か用事を言いつけられると必ず「ちょっと待って」というのでつけられたあだ名である。
画廊主の友人の娘で、最初はアルバイトで入ってきたのだが、ちょっとさんの知人がボチボチやって来て絵を買っていくものだから一目置かれていた。
また、画廊の借主も銀座では考えられない無名の若者が多く、ちょっとさんの推薦がなければ展示できないような貧乏学生もまじっていた。
正当な油絵画家ではなく、ウォーホルや草間彌生に意識開発されたような新感覚表現のアーチストが続いていた。
値付けも一点8万円ぐらいで、新聞のスポット広告を見て訪れる先物買いの主婦やサラリーマンも増えて来ていた。
一般的に一日10万円かかると言われる銀座の画廊で、安くても開催期間中に10点売れれば借主もペイできる。
巨匠の300万円の作品が売れるまでの展示日数を考えれば、ちょっとさんの持ち込んだ戦略は画廊革命と美術界で話題を呼んだ。
やがてやってくる中国富裕層バブルの20年前、現在では数倍には評価されているらしいから先行投資は成功である。
一方、ちょっとさんはとっくに画廊勤務をやめ、手指のパーツモデルを経て結婚し、一男一女のママになっている。
事の成り行きを書いておかないと消化不良を起こすかもしれないので簡単に触れておく。
7月の銀座の画廊にぶらっと入ってきたブラビに似た外国人は、客用のソファで寝入るちょっとさんが照明を遮るために目の上にかざした左手の美しさにしばし見惚れていたらしい。
展示してあるポップアート風の作品を一通り観た後、売り子が寝入っているのに気づいて蠟たけた手指の透き通るような白さに見入っていた。
モデル業界の隙間産業ともいえるパーツの需要に注目した一人で、人間の五体を構成する手や足、それに顔の部位に特徴のある人などを募集して500人の登録を得ている。
なかでも需要の多い滑らかな手指と美脚には飽くなき欲望を抱いている。
それで、ちょっとさんにダイレクトメールを送ったが反応なし。
奥の手を使って友人を探し出し、その人の推薦ということで募集案内を出した。
ちょっとさんも興味を示し登録したことから、すぐに複数の企業からPR動画の依頼があり、ちょっとさんの手指がテレビ電波に乗った。
パーツモデルの先進国アメリカでは割り込む隙も無かったが、目論見通り日本で大成功したブラビ似の社主は、主戦力となったちょっとさんを口説き落として結婚した。
アメリカの家庭のように家政婦を雇い、今でも包丁など使わせないそうだが確かめるすべはない。
爆睡娘ちょっとさんのWIN・WIN物語でした。
(おわり)
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