どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

思い出の短編小説『見返り美猫』(1)

2022-08-14 00:10:50 | 短編小説

 ある日軽井沢の新興住宅街をクルマで流していると、一段高くなった植え込みの間に色も毛並みも垢抜けた猫がうずくまっているのを見つけた。
 高圧洗浄機や高枝バサミなど、郊外生活に必要な商品を揃えて訪問販売する朝香満男は、運転席の窓を下ろして思わず猫に声を掛けた。
「いやあ、あんた美人だねえ」
 そっと手を伸ばして触ろうとすると、それとなく体をかわしながらも目を細めるようにしてニャーっと応えた。
 その猫は、白地に薄い茶色が配されたブチで、全体にしなやかな印象をもたらす若い猫だった。
 子猫ではなく、かといって年増の猫でもない。オスかメスか確かめるまでもなく満男はメス猫と決め付けていた。
「おい、どこへ行くんだよ・・・・」
 猫はゆっくりと庭を横切りながら、振り返り振り返り隣家の陰に消えた。そのなまめかしい姿態が、いつまでも満男の脳裏に残った。

 再びその地域を訪れたのは、ツツジが咲き始めた五月終わりのことだった。
 この辺りは浅間山の裾野に位置し、冬は長く厳しい気候にさらされていた。だから春は遅く、辛夷も桜もいっせいに花を開く。
 間を置かずにサツキやツツジも後を追い、人々のこころに急な賑わいをもたらすのだった。
 前回この辺りを回ってみて、さほど当たりが良い場所とは思えなかった。
 まだ砂利道が残っていて、雨の日などには泥はねがクルマを汚すはずなのに、近頃流行のテレフォンショッピングで高圧洗浄機を安く売るものだから、すでに購入済みという家も何軒かあった。
 高枝バサミにしたって、都会と違って庭木を伸ばしっぱなしでも文句も出ないから、手入れしなくても特に支障はないようだ。
 柿や林檎などの果樹もサルを恐れて敬遠しているようだし、こちらの商品もさほどの需要は期待できそうもなかった。
 それなのに朝香満男がなぜこの場所を再訪したかというと、眼裏に残っている艶やかな若猫にもう一度会いたいという想いがあったからだ。
「あんた綺麗だね・・・・」だったかな?
 猫が目を細めてニャーと応えたときの言葉を思い出そうとしている。とっさに口をついて出た賛辞だから正確な言い回しが思い出せない。
 ニュアンスは近いと思うのだが、猫が彼のその言葉に反応して振り返ったと思える確証を洗い直そうとすると、ぼやけた状況しか再現できない自分にイライラするのだった。
(人目がなければ攫ってしまおうか)
 半ば本気で考えている。
 物騒なセールスマンだなと自分を揶揄しながら、この前見かけた植え込みの辺りを徐行の速度でのろのろと往復した。
 そんなことを二、三回繰り返したろうか、自分でも落ち着かない気持ちに襲われて周囲を窺った。
 どうも誰かに見られているようだ・・・・。朝香満男は緊張で頬の皮膚が強張るのを感じた。
 セールスをしていると、多かれ少なかれそうした自意識に囚われるものだが、いま感じている後ろめたさは猫の誘拐をたくらむ罪の意識が絡むものだから、いままで味わったことのない胸の高鳴りをともなっていた。

 各地で夏日になったとカーラジオが告げる佐久からの帰り道、国道18号の通りがかりに尿意を催し、あわててコンビニエンスストアに立ち寄ることにした。
 先日の訪問販売の際、持参のカタログで介護用ベッドの注文が取れ、午前中にその商品を届けてきたところだった。
 信濃追分を過ぎてから、碓氷バイパスとの分岐を左に入る。同じ国道がバイパスと旧道に分かれただけなのだが、もともとの中軽井沢市街はこちら旧道沿いにあって、いかにも旧軽の周縁部といった雰囲気を漂わせていた。
 朝香満男はまずはトイレに直行し、そのあと遅い昼飯のために焼肉弁当とペットボトルの緑茶をっ買った。
 どこで食べるかは決まっていた。
 唐松の巨木が林立するキャンパス跡地のようなところを横目に、旧道からバイパスへと横切る。
 そのまま交差点を過ぎてしばらく行くと、ゴルフ場に隣接した松林の緑陰があり彼はそこを目指していたのだった。
 この道はゴルフ場を訪れる客が利用するか、地元の住民が地域の用を足したりバイパスの混雑を避けて迂回するのに使う生活道路だった。
 片側一車線の狭い道だが、アスファルト舗装が施してある。
 満男が向かっているのは右手へ五十メートルほど入った場所で、伐り残された松林の端が轍で踏み固められてできた空き地だった。
 サイドブレーキを引き、安全ベルトの留め金をはずした。
 背凭れを一段倒して、大きく伸びをした。
 開けたままの窓から涼しい風が忍び込んでくる。軽井沢にそろそろ避暑客が戻ってくる季節になっていた。
 ボトルホルダーに立ててあった緑茶のキャップをはずし、ひと口のどを潤した。助手席に置いた焼肉弁当を手に取り、ラップをむしり取って容器の蓋を開けた。
 電子レンジで温めてもらった弁当は、ころあいの温度を掌に伝えてよこした。
 特製のタレの匂いが食欲をそそる。大ぶりの肉をほおばると、高額商品を成約した悦びがじわりと口の中にひろがった。

 近頃はどの地域へ行ってもホームセンターがあり、大概の物はそこで調達できるようになっていた。
 だが、そこに並べられている商品はおしなべて画一的な機能しかなく、使っているうちに不満の箇所が出てくる類のものが多かった。
 だから、ありきたりの商品に多少でも付加価値をつけてある彼らの扱い品は、客の興味を引くというポイントを押さえてはいた。
 手元切り替え装置付き散水ホース、静音芝刈り機、スズメバチ駆除グッズ、軽量アウトドア用品各種、屋外用遊具ほか、絶えず目新しい商品見本を持って実演販売するのである。
 カタログ販売と行商を折衷したような方法が、朝香満男の得意とするセールス形態だった。
 近頃はやりの豆腐の引き売りもそうだが、人々の心には過去への回帰を望む郷愁が潜在している。そうした欲求を、こちらからの働きかけによって目覚めさせようというのだ。
 コトバによる動機付け、それが満男たちの商売を成り立たせていた。だから、セールス成功の満足度は店売りの比ではないと思っている。
 特に今回の介護用ベッドは、一家そろって喜んでもらえたというオマケが付いていた。長年姑の面倒を看ていた嫁さんの笑顔は、近頃一番の手ごたえを感じさせるものだった。
「父ちゃんが買ってもいいと言ってくれたのよ」
 寝たきりの老人を抱え起こすことがどれほど大変か、仕事休みで家に居た亭主に体験させて説得したのが後から功を奏したのだった。
 朝香満男は成約にいたる経緯を思い起こしながら、満腹になったベルトを緩めて体を伸ばした。
 上司の目を気にする事務職には味わえない開放感・・・・。リクライニングシートを最大限に倒して目を閉じると、松林を渡る風の音にも誘われてすぐに眠りに落ちていった。
 あとの予定に追われる心配がないせいか、夜でもめったに見ない長い夢に捉えられて揉みくちゃにされた。

 わずかな月明かりを避けるように、頭巾で顔を隠した女が前を行く。鎧戸を下ろした商家の軒先を、影を選んで音もなく縫って行く。
 ときおり後ろを振り返るのは、女が人目を気にしている証拠だ。それもそのはず、女は病身の亭主の目を盗んで若い男と密会してきた帰りなのだ。
 仲間内から「万の字・・・・」と呼ばれる遊び人の万吉は、すばやく身を隠しながら女のあとをつけて行く。
 付かず離れずの距離を保っていたが、女が薬種問屋の裏口で立ち止まったところで一気に背後に迫っていた。
 女が鍵穴に気を取られている。そっと押し開けたところで万吉が押し殺した声を掛けた。
「お内儀さん、見てましたぜ・・・・」
 ヒッと息を詰まらせ、背中が硬直するのがわかった。単純な恐怖だけではなく、言葉の意味を必死に解明しようとする焦りが、しばらく女を金縛りにしていた。
「そんなに心配するこたァありませんぜ。越前屋の番頭は男から見ても見惚れるほどの色男ですからねえ。憎らしいが、芸者やら後家やらちょっかい掛ける女があとを絶たない野郎ですぜ。・・・・お内儀さんのように危ない橋を渡るお方も二、三おるのも分かりますって・・・・」
 そこまで言われて、薬種問屋の内儀は覚悟を決めたようだ。恐るおそるではあったが、後ろを見て声の主を透かし見た。
「あれ、おまえさんは・・・・」
「へい、その節はお世話になりまして。ときおり薬を分けていただいておりました万吉でございます」
「まあ、薬売りの万吉ね」
 急に高飛車な物言いになったのは、日頃から限られた銭を工面して仕入れにやってきていた行商人の一人として、明らかに見下している証拠だった。
「それで、いったい何を見たというの?」
 一時の動揺が鎮まって、なんとか形勢を逆転したいという思いが見て取れた。
「お内儀さん、あっしが当てずっぽうで言っているとおもっているんですね」
「・・・・」
「それなら、かくかくしかじかと世間様にお知らせしてみましょうかい」
 ニヤリと笑った万吉の態度に、再び内儀の弱気の虫が動き出したようだ。
「どうしろというの?」
「まあ、さっきも申し上げたとおり、心配は要りませんて・・・・。立ち話じゃ人目に付きすぎますから、ちょいと薬庫の方へまいりませんか」
 代々高価な薬種、薬草を保管しておく高蔵は、お内儀立会いのもと昔からの番頭が出し入れしている。
 それに比して身近な漢方、丸薬等の一時保管所である薬庫は、すばやく運び出す必要から錠前一個で閉められる別棟の木造建屋になっている。
 半ば命令しながら庫の引き戸を内儀に開けさせ、備え置きの手燭に灯をいれる。ぼうっと浮き上がる薬棚には、麻袋やら和紙作りの大袋やらに仕分けされた薬草が並べられている。干草のような匂いに混じって、鼻の奥を刺す鋭い薬臭が漂い出ていた。
「へえ、きれいに整理されてますねえ。ところで近頃評判の何とかいう強壮薬はありませんか。あったらあっしにも分けてもらいたいんですがね・・・・」
 北の海で何百の雌に囲まれて生活するという海獣の、並外れた精力の源をそっくり戴こうという虫のいい薬だった。
「ここにはありませんよ」
 にんまり笑って万吉の腹を探ろうとしている。話のネタが下の方に落ちたことで、一気に緊張がほどけていった。
「・・・・どうしても試してみたいお相手がいるのかい?」
 媚を含んだ目が万吉の気配を窺っていた。
「おっと、そいつはお内儀さんだよ。強壮と匂わしただけで察してくれるとは話が早いぜ。あっしはこちらでお内儀さんの姿を見かけてから、ずっと恋焦がれてきたんですよ」
 万吉が肩に手をかけると、覚悟を決めたのか素直に体を預けてきた。

      (続く)

 

(2008/05/18より再掲)

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