(手塚治虫の光芒を間近にして)
2015年8月6日、手塚治虫の仕事ぶりをつぶさに見てきた著者が、一冊の本を上梓した、
タイトルの『鉄腕アトムの歌が聞こえる』~手塚治虫とその時代~は、まさにこの本の内容を包括していて、私的な感想を付け加える余地はほとんどない。
冒頭に挿入されている「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」の口絵に、<アニメソングことはじめ>の表示がされているとおり、著者の橋本一郎氏はテレビアニメが隆盛期に差し掛かる寸前に手塚治虫と出会った。
1963年、著者が朝日ソノラマ(現・朝日新聞出版)に入社して最初に手がけたのが『鉄腕アトム』のアニメ主題歌をソノシートにする仕事だった。
当時、マンガの世界ですでに第一人者となっていた手塚治虫の本格的なテレビアニメ「鉄腕アトム」が放映されると、子供たちは誰彼なく主題歌を口ずさむほど熱狂したという。
それでいて、レコード会社はまだ「鉄腕アトム」のアニメソングをレコード化していなかった。
たまたま何年か前に、「赤胴鈴之助」のラジオ放送時の主題歌をドーナツ盤で発売し大ヒットさせたレコード会社の話を聞き知っていた著者は、「鉄腕アトム」の主題歌をソノシートにしたら間違いなく当たるのではないかと閃いた。
そこで早速、西武池袋線の富士見台駅に近い手塚治虫の牙城「虫プロダクション」に、はやる気持ちを抑えて初訪問したのである。
手塚本人には面会できなかったが、知る人ぞ知る今井専務と桑田常務に自分の思いを訴えたところ、その日のうちにソノシートでの契約にこぎつけることができた。
「レコード会社の最初の発売枚数(イニシャル)は、せいぜい3千~4千枚ですが、私どもの会社では初版2万部を予定しています。・・・・」
橋本氏は、自分ひとりの判断で意気込みを訴えた。(なんと度胸のいいことよ・・・・)
そしてソノシートが、レコード店ではなく、出版取次を通して8割方書店に流れることを説明し、流通規模の違いを説明した。
入社して間もない編集者の体当たりのアプローチが、『鉄腕アトム』第一集120万部の大ヒットを生み出した。
読んでいてワクワクするエピソードに、手塚治虫の放つ光芒と、それを間近にした若き編集者の高揚感が伝わってくる。
著者自らがビギナーズラックというように、この時の成功にはいくつもの偶然が関わっていたに違いない。
日本のアニメが隆盛を極める寸前の時期、まだ物珍しいソノシートの会社に入社したこと、レコードより安価に作成できるというメリット、流通における優位性。
そして、何よりも交渉に臨む橋本氏の情熱を汲み取った虫プロ幹部の勇気ある決断。
一読者として、この先展開される手塚治虫ワールドへの興味とともに、橋本一郎という男の動向からも目が離せないのである。
手塚治虫は天才と称えられる。
たしかにマンガ・アニメ界で群を抜く人気を博した業績を見れば、そうした評価に異論はない。
もともと宝塚の裕福なボンボンとして育ち、父親の書棚には現代日本文学全集や世界文学全集などが並び、「三銃士」や「巌窟王」などの読み物のほかに「のらくろ」や「冒険ダン吉」など漫画全集までそろっていた。
さらには、母親の手ほどきによってピアノ演奏も上達し、コンクールで一位を取るほどの腕前になった。
だが、時代は次第にきな臭さを帯び、ほどなく第二次世界大戦に突入していく。
旧制中学2年のとき、はじめてペンを使って「オヤジ探偵」という作品を描いたとき、たまらない快感が体内を走ったと述懐しているから、そのころマンガへの興味が飛躍的に高まったものと思われる。
一方、同時期、武道や軍事教練の成績が極端に悪かった手塚は、教練の教官として配属された将校によって徹底的にしごかれた。
鉄拳制裁も日常茶飯事で、気位が高くひ弱な手塚は「戦時中のぼくというものは、ある意味じゃ死んでたんじゃないですか・・・・」と語っている。
学徒動員令によって、大阪の軍事工場で働くという経験もしている。
そうした試練をなんとか凌ぎ切った手塚は、在阪で戦前からの人気マンガ家でアニメーターの経験もある酒井七馬と出会い、「新宝島」の共作を持ちかけられる。
インテリジェンスのある環境に育った手塚から立ち昇る豊かで上品な雰囲気や、それまでにないバタ臭さのともなう表現力を、酒井は敏感に感じ取ったのだ。
しかし、手塚は酒井から渡されたプロットに従わず、自分の面白いと思うものだけを描いたため、出来上がりの素晴らしさにも関わらず作品の相当部分をバッサリと削られてしまう。
印刷された見本を見て頭に血がのぼった手塚であったが、すぐに酒井によって手直しされた部分を比較検討するという冷静さを取り戻した。
そして、読者目線でストーリーやコマ割りを見直すことにより、マンガへの勘所や反射神経が一段とステップアップしたと説明している。
手塚治虫は33歳のとき、奈良県立医科大学で医学博士号を取得している。
電子顕微鏡で視た画像をスケッチするその精緻な技が評価されたとも言われているが、あらゆる場面で発揮される理数科的な思考が手塚のマンガやアニメに異色の魅力をもたらしている。
「ブラック・ジャック」は医療ものとして才能が端的に発揮されたものだが、ほかに宇宙や古代世界をSF的に描くなど他の追随を許さないマルチな才能を展開した。
こうして見てくると、著者の橋本氏が仕事を通して手塚の光芒を間近に見ただけでなく、手塚の生い立ちから死までの生涯を詳細に調べ上げていることに気づかされる。
戦中戦後の苦難を凌ぎ、国民的ヒーローにまで駆け上がり、果ては虫プロ倒産のどん底に突き落とされ、そして再び不死鳥のようによみがえる。
ひとりの天才がたどった栄光の軌跡を目の当たりにする喜びとともに、著者橋本一郎氏の目覚しい活躍にも瞠目させられる。
たぐいまれな粘りと決断力が、多くのマンガ家や作詞家・作曲家の心を動かし、共に未知の世界を切り開いていく。
多くの場合、成功はひとりで勝ち取るものではなく、意気投合した相手との共同作業で勝ち取るもののようである。
作中に登場する幾多のマンガ家や知名の士、その一人ひとりの横顔に触れるスペースはすでに尽きているが、ある時代のうねりのようなものを感じさせてもらった喜びは何ものにも代え難い。
拙い紹介で申し訳ないが、読んで歓びの多い一冊であることは間違いない。
(おわり)
いずれも優れた仕事で私たちはそれぞれに教えられるところが多かった。
たしかにその通りなのですが、しかしいつもそこに何かしら欠落感を覚えずにはいられませんでした。
こんどの本で初めて手塚治虫という大きな山脈の全体像を見せていただいたという実感を持つことができたような気がします。
虫への執着、宝塚歌劇、クラシックロシア音楽、ピアノ演奏、ロシア文学への傾斜、漫画、医学と医療、宇宙とSF、戦争とファシズム、科学と自然の拮抗、デイズニーアニメ、映画、エロスへの傾斜、宗教の真実、歴史という家系の糸・・・・これらに対する並ではない深い造詣が手塚治虫という一人の漫画家山脈(いくつものピークをもつ)を形成していたことを、この一冊が教えてくれます。
手塚先生がアニメにつける音楽を決める過程が本書で具体的に明らかにされますが、作曲家の高井氏をリードしていく様子を見てもその指示の仕方がプロの音楽家を圧倒しています。
それは黒澤明監督が誰のでもないまさに黒沢映画独自の音楽を作曲家をして作らせていったことと軌を一にしています。つまり自分の中にすでに具体的な音楽のイメージができているようなのです。
天才の真の教養の力というのはこういうものなのでしょう。
作品を読んでいくとわかりますが、手塚治虫は先にあげたあらゆる局面でそれがあり、しかも突出しているように思えるのです。
その混沌として奥底の知れない総合力こそが手塚作品なのでしょう。今後さらに別の方角から手塚山脈の謎を解明しようという研究も出てくるのでしょう。楽しみにしています。
窪庭さんは詩人の鋭さでそれを見抜き『マルチな』という表現でそのことをズバリ指摘しています。
脱帽です!!!
たしかに、著者の橋本氏は手塚治虫という連峰を一つ一つたどって見せてくれました。
そして何が読者を圧倒するのかの秘密を、山頂を縦走するように明かしてくれていたのですね。
それが「奥底の知れない総合力」ですか。
納得です。この巨大な山脈は、一方向から眺めただけでは決して全容を掴めないのですね。
そして橋本氏に見せた信頼の歳月に、手塚の人間性を見た思いがいたします。
偉大な才能と、それを刺激し発展させた編集者たち、人と人との交流がもたらすもう一つのドラマからも、目を離すわけにはいきません。
重層的なプロットからなる今回の著作に、たくさんの人が迫って欲しいとあらためて思いました。
知恵熱おやじさんの明快な解説で、多くのことを気づかせていただきました。
ありがとうございました。
どうして鉄腕アトムなのかと思っていましたが、
このブログを見て、納得しました。
頭に残っていたのですね。
よくわかりますよ。
アニメとアニメソング、二つは切っても切れない関係というか、車の両輪みたいなものですね。
手塚治虫とかかわった作詞家や作曲家のエピソードも、この本の中にいっぱい出てきます。
コメントありがとうございました。