(NTT BCS) 硬派的社評漫筆+Rits

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9-10 2-26 事件

2015年09月17日 | 軍事

この事件は前の2稿に連なる。
相沢裁判が結審のころ、
近衛歩兵3連隊が満洲に移動予定だったので東京に有る歩兵1・3連隊との陸軍皇道派青年将校国家改造を目指し1483名の下士官・兵の陸軍部隊を率いて「昭和維新」と称して昭和11年2月26日未明に政府中枢を襲った反乱,クーデターを試みた事件(号外が出て、読んだ記憶はある)

皇道派の影響を受けた一部青年将校かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すと考えていた。
(先に皇道派の首脳の真崎教育総監が更迭され、後任に渡辺錠太郎中将=非皇道派が就任。その意趣返しに渡辺が事件の一目標にされ銃殺されたのはご不運だった。渡辺閣下の扁額が有る)

彼らはこの考えのもと、決起、その上で、軍首脳を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えた。
昭和天皇は軍を私物化し、重臣を殺害した不法行為にお怒りになる。「反乱軍を鎮圧せよ」とご下命になる。
と政府は、彼らを「叛乱軍(反乱軍)」として武力鎮圧を決意し、包囲した。
原隊復帰の奉勅命令が出され
投降を呼びかけた。
叛乱将校たちは下士官兵を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。事件の首謀者は銃殺刑に処された。
以降皇道派は1掃され、統制派が軍を牛耳る。先頭に居たのが東條英機中将であった。
以降陸軍は
対米英戦を計画、大東亜戦に進む。

 


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