5月27日は「帝国海軍記念日」だった。
この意義については昨年の6/1付けのブログに書いた。
今年のこの日も例年のごとく昔の海軍飛行搭乗員は集まった。1杯飲んでご機嫌になると出るのが昔の軍歌。
なかんずく「軍艦マーチ」 海軍の軍歌演習では1・2番を歌ってから付言し歌うのが「防人(さきもり)の歌」である。
「海行かばみずつく屍(かばね)、山行かば草むす屍。
大君の幣(辺)にこそ死なめ、顧みはせじ」である。
戦時中には多く歌われた。伝統的に歌っていたので詳しい意味も知らずにきた。
「日本人の遺訓」でその出典を詳しく知った。
748年天平感宝元年に聖武天皇は大伴・佐伯の戦闘集団の氏族に宣命(勅語)を下し、「諸君を信頼している」とラブコールをしている。これを受けて、大伴家の首領家持は感動し、その句をそのまま引用して長歌を作った。万葉集18巻に残ってる。
宣命(勅語)では「顧みはせじ」は「のどには死なじ」と成っている。我々はどちらかの表現で歌っていた。余り深く意味はは考えなかった。
天皇の「のどには死なじ」とは「長閑(のどやか)に無事平穏な死に方はしない」即ち戦場では畳の上で死ぬようなことは出来ず山や野で戦死するだろうとの事、初めてその意味をしった。
一方家持は「顧みはせじ」と歌っている。その意は「出陣するが矢張りわが身・父母・妻子をかえりみる心の状態を克服し、決心して何者も顧みはしない」と勇んでいるのである。
大昔から出陣兵士の状況・心情は大東亜戦争の時代と替わりはなかった。
”海ゆかば水(み)漬(づ)く屍(かばね)
山ゆかば草むす屍
大君の辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
のどに(長閑)には死なじ”
参考 万葉集に有る防人の詠える
”今日よりは顧みなくて大君のしこの御楯と出で立つ吾は”
これを記載中に旅行誌が来た。その中に「家持」(ヤカモチ)に関する記事あり。746天平18年越中国(富山県)の高岡市に国守(知事)として赴任。5年間で223首の歌を詠んだ。几帳面に作詞の日付が付けてある。
お次のお題は”バエス・ノンノン・アルセ” です。后 ご期待