寒い!寒い!といっている間に2月が終わる。大雨・大雪の地方もあった!通年で天候は異常だと思ええるのだが!
28日だから通常月よりは短い。
3月に1日も速く入れるのはありがたい!
浪々(老人)の身には寒さは一入。これでこの1年も過ごせると思う!
寿命が延びた!
冬の寒さも底を脱した感じ。しかし天気予報はやはり曇り空で、晴れやかではない。
♪春よコイ。早くコイ。
処」は 夂 (あし・すすむ)
几 (床几・こしかけ・机ひじかけ)
で、なっている。
足を止め腰掛で落ち着くの意。
とどまる。出仕せづ、家にいる。
処分=始末する。処理。処々・短処・処置・処方・処方箋。
処+虍=處
どちらが略字かは意見の分かれるところ。
(興味があり、朝日から転載。
「日本人は歴史認識を為せ」と東洋人に蔑称されるので、丁度「日清戦争」の歴史書が出版されたので読む。
明治維新後の日本は元気だった!
朝鮮半島には「朝鮮王朝」が為政者で独立国。但し「清国」が宗主国で隷属していた。朝貢をなし、忠誠を誓い、独立を保障されていた。
1871 琉球王国の漁民が台湾で殺害された。
1874 に台湾出兵。
日本は清国と「日清修好条約」を締結。
これで朝鮮に宗主国の清国と同等の国だと示威した。
1875 江華沖で日本軍艦が朝鮮砲台と交戦した。
日朝は緊張関係にあった。
1882 朝鮮の国王隆宗の父大院君の指示で閔妃 政権をク-デタ-で政権を交代さす(日本の裏工作が有った)
甲牛農民戦争=朝鮮国内で内乱が起きる。
朝鮮王朝は清国に援兵を要請。
日本も朝鮮の独立を巡り交渉。日・清も夫々出兵する。
この状況で反乱軍は王朝と和約。
この時期に日本は「内政改革案」を出す。
1984年7月23日日本軍は王宮を占領。
王妃ミンピ1族を排除し、大院君を傀儡政権となす。
事実的に日本と朝鮮の戦争だった。
日本は清国の朝鮮干渉を阻止。
豊島沖で清国軍艦と交戦。
1894年8月1日「日清戦争」を日本は布告する。
9月には平壌を清軍より占拠。
黄海海鮮でも勝利。
10月には鴨緑江を渡り、大連・旅順を占拠する。
195・2月威衛衛を占領。
遼東半島・澎湖諸島を占拠。
日清講和条約が下関で締結。
しかし、新興国の日本が莫大な戦勝賠償を得ることに嫉妬と自国が弱体した清国に進出を狙って所謂“三国干渉〟ロシア・ドイツ・フランスがなした。
それで、
ロシア=遼東半島・満州・チベット・モンゴル
ドイツ=山東半島
フランス=広州湾・華南
イギリス=九龍半島・威海衛・華中
夫々手中に収める。
その後朝鮮王朝では「ミンピ虐殺」さる事件が起こる(これも日本の工作だと囁かれた。真偽は?)
日清戦争は朝鮮の覇権を争った戦いだった!
先項に続いて思いつくまま!
ご上品ぶる表現
*和語には お を付ける。
お帽子。お手紙・お箸・お車。おかず おにぎり おはよう おさかなやさん おやおやさん。お美しい。(お醜は無い。 帯のおとは異なる) おこわ。「おかげんはいかがですか」
*漢語には ご を付ける。
御注意・御気分。ご飯。ご機嫌。ご想像。ご意見
*w意味 の表現
決着・
違和感はある・
従来・
(お体)おじあい下さい!
遺産(を残す)
後遺症(が残る)
過半数(を超える)
留守を(まもる)
(あと)で後悔する。
お言葉ですが!=そーおっしゃるけどね~
オノマトペ なる言葉が新聞紙上に流行った!
如何なることか?何処の言葉か?と不審に思っていた!
“オノマトペラーぺラ〟なる出版書を読んだ。
onomatopoeia 立派な英語。擬声語のこと。
1例として「ペラペラと英語をしゃべる」
しかし、英語でこの種の言葉は聞いたことが無い!
(以上は掲載文から引用)
桂文枝さんのコラムで更に面白い日本語として掲載されたこと。(別の創作も含む)
*トイレが近い。
*歯が浮いたような!
*胃がもたれる。大腸カタル(語る=重たいぞ!)
*腹を決める。腹が据わる。腹を抱える。
腹を立てる。腹を探る。腹が黒い。
自腹を切る。身銭を切る。私腹を肥やす。
*耳が痛い。耳が遠い(近い)
*目元が涼しい。目が肥える。 目が笑っている。
「目は口ほどに物を言い」
* 尻(腰)が重い 軽い。(cf しりかる女「何ゆうてけつかる」
*口が重い 軽い (cf ご用心「駟も舌に及ばず・論語」
*目が利く。目が肥える。目元が涼しい。
*胸が張り裂ける。癇に障る(肝・感)
*背に腹は代えられず!
*趣味に凝って、肩が凝った!
*身に余る,光栄。
____________________________
昭和天皇「(柔道は)骨がおれますか(力の要るスポーツですね)
山下選手「最近はおれません!」(五輪で骨折した金メダリスト)
先にウイスキーを取り上げたので公平制でこの項をUP。
ウオッカは日本人に馴染みの少ないお酒。
大麦、小麦、ライ麦、ジャガイモなど穀物を原材料とし、蒸留後、白樺の炭で濾過して作る。
主に次の国々で生産・消費さる。
ロシアやウクライナやエストニアなどソ連圏、
スウェーデンやノルウェーなど北欧圏、
ポーランドやスロヴァキアなど中欧圏。
大変アルコール度が高くきつい酒類。
その国では”乾杯〟をウオッカでストレートで重ねて行うので我々の酒量では付いて行けない!
寒冷地の人々にはこの程度のエネルギーが必要なのか!
過って北欧圏で家庭に招待された。ビールを控えめに飲んでいた。
宴席の中でウオッカで乾杯が始まる。少し飲んで杯を置くと歌が始まる。意味を聞くと飲み物はビールではなくウオッカ をモット飲めとの事。どうやら我々の”1キ飲み”の風習の様だ。
何度も歌われるが、付いては行けない。「此方は弱いから失礼を申し上げる」とストレートはご遠慮した。
それに付けてもウオッカのカクテル等のバリエーションは聞かない。
又、酒税でもウオッカは国民酒だから安く、ビールは富裕層が上品に飲むものだから高いそうだ。
これだからビールではなくウオッカを薦めて酔わしめるのか?マサカ。
ロシア人いわく「ウオッカは我が国の誇りと恥、ロシアの国民性とイデオロギー、喜びの時も悲しみの時も常に傍にいてくれる友。
言うならばロシアのすべて」 だそうだ!
気候と国民性の程度によるのか!
PS スコットランドでは「ウイスキーをストレートで飲むのは馬と日本人だけ」と聞いたようだが!
ウオッカ人種はストレートが普通。
。
2月になるとプロ野球の球団が1斉にキャンプインだ。
南九州から沖縄と暖かい地で開催。
春が近いと思はしめ、何となく嬉しい!
シーズンでも、昔ほどの関心が少なくなってるから、キャンプでもサラリと見ているだけだ。選手の名前・効率・ポジション etc全く無知識。
監督も代代わり。選手時代の功績=データー等は知らない!
しかし、テレビ放送での選手の動き、新聞での記事・解説を読むと楽しく・面白い!
オープン戦が始まると、何となく画面を合わす。
シーズンオフに入るとスポーツ欄の記事が少なく、紙面を埋めるのに編集者が手持ち無沙汰に成っているのが分かるような気がする。冬にはスケート・スキーと冬季シーズンのスポーツがあるのだが、国民的関心・支持は少ないようだ!
やはりプロ野球・学生野球は全国民の関心の的のようだ!
_____________________
毎日程度、5項程の日記風のblogを定期的に見ている。
継続力・文章力に感嘆。主観的に自分の行動を綴られのだから可能なのか?しかし、余りにも私生活を示すのは如何とも思はしめる!
続いての行事・行動力に憧憬される。
昔に比べると外での用事は少なくなり、体力も減った。
暖かく成ったら、少しは行動は出来るだろう!
天気情報を見ている。12月以降日本の空は曇り1色だ。それと大雨。予期していない大雪だ。
お天気の晴れマークを見ることはあまり無いようだ!
朝日が射していると“少しは暖かいか〟とうれしい!
それにしても、寒さの終わりを願う!
2月7日は「北方四島の日」である。
「この日を中心として全国的に集会、講演会、研修会等の行事を行い、この問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層強力な推進を図る」とされている。
しかし、国民の関心・理解は少ない。
テレビで安部総理が東京での中央集会で挨拶を述べたと1部が報道された。新聞では掲載は見当たらない!
昨年は気がかりのことだったので県庁の近くでの地方集会に出てみた。昨年のblogに詳細に記載している。
安部さんはブーチンさんと心易くなったので、今年来日時にこの問題を話し合うと述べられている。
今までも数度の機会で「2島返還」とかでテーブルに付いたロシアの代表者もいたが、それ以上に進んでいない。
ロシアの外務省は「北方四島は戦後でロシアが正当に取得した」と日本の返還運動に答えている。
戦後70年が経過。未だに「日・ロシア」間では平和条約も締結されていない。
領土問題が有るからか?大変友好的国交の時代もあったが!
現代のムードでは四島の返還は如何に進展されるのだろう!
PS安部総理の挨拶の要旨が入ったので転載する。
「今年は、戦後70年の節目の年。
北方領土問題を解決し、平和条約締結への道筋をつけるべく、粘り強く交渉していきたいと思います。
国民の皆様と一丸となって、取組を続けていきます」
NHKの朝ドラでウイスキーの製造の佳境場面に入る。
ストーリー展開で山崎で試作。熟成したウイスキーを試飲する場面がでる。小さなグラスカップだがWでの量だ!関係者がストレートで飲んで平然としている。日本酒を飲んでいるのと同じ!
しかし、アルコール度数はウイスキーは日本酒の2倍以上だから1口含んで「きつい」と驚くのだが!
ドラマでは飲んだ人は平然としてる。筋書き的なのか?
日本酒の社会でウイスキーを日本人の酒社会に如何にひろめたのだろうか?開拓者は?
サントリーが大衆ウイスキーとして“トリス〟を発売した。その宣伝には逸話が多い!
それの一つに“トリスバー〟が有った。
その頃の“バー〟と言えば夜の接待宴会の2次会で行く高級的な店で、マダム・ホステスを交えて語りつつカクテル等を飲んでいた。
“トリスバー〟は常識を覆し、昼食後から開く。カウンター席が10程。
テーブル席・女性の接待は無い。
飲み物はトリスの“ウイスキー〟小さなシングルグラスにストレートで1気にのむ。そして、グラスの水を飲む!
昼だからサラリーマンでも商店主でも1.2杯飲んで澄まして職場に帰る。費用もトリスを1本瓶で買ってそれをグラスに分配した量の価格。夜のバーなら費用は万円単位。ここでは100円単位。
昼でも夜でも“トリスバー〟で立ち席でシングルをストレートで飲むのが“お洒落〟で流行になった。
これで、多くの飲酒家がウィスキーの味を知った。
今ではストレートで飲むことは無いだろう!
「水割り・オン、ダ、ロック」 家庭でも、その他でも!
節分とは、立春・立夏・立秋・立冬の前日。
節分とは「季節を分ける」ことをも意味している。
江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す。
大寒の最後の日であるため、寒さはこの日がピークである。
「福は内、鬼は外」と声を出しながら福豆(炒り大豆)を撒いて、年齢の数だけ(もしくは1つ多く)豆を食べる厄除けを行う。
また、邪気除けの柊鰯などを飾る。これらは、地方や神社などによって異なってくる。
家庭内で行うことは少なくなっている。
核家族・少子・伝統行事を継承しない文化によるのか!
有名社寺では「豆撒き」がその時代的有名人の手によって撒かれる風景がニコヤカニ報ぜられる。
1升枡から、1粒づつの豆が手から群集の群れに振り注がれる。それを争ってとる。平均的に何粒ぐらい、取れるのだろう!
又、地上に落ちた豆はどうなるのだろう?拾われる豆もあるだろうが地にまみれる豆もある。
口に入る・お守りになる・地で芽を出す。色んな運命。
紙袋に入れて撒かれる神社も有る。無駄は無いが、普遍性も減る!社頭で1袋で販売されてもいる。
又、撒くことで、群衆が取り争うことを冷淡し、危険視して各種の行事で撒くことを止めることが出ている。
しかし、伝統行事で、賑やかさと景気つけで行う文化もある。
子供の頃、景気良く「鬼は外!福は内」と撒くのは楽しかったが、後で、寒く、誰もいない部屋で豆を一つ,1つ集めるのは苦労だった!
煎り豆を撒くのは地上で芽が出ないようにとの配慮だったとはしらなかった。
節分は冬が終期で春に入る標識だ。とは喜ばしい!
PS 「巻き寿司」を切らずに1本でその年の“恵方〟に向ってたべると、恵まれた年になると “恵方巻き〟が女性間でも流行っている。
これは格別、神の起源は無く、お寿司屋さんが「弐・八」の不況を乗り越える商機に為すとの発想が起源だったそうだ!
お昼の食事には巻き寿司が付いていた。