(NTT BCS) 硬派的社評漫筆+Rits

BCSでBlogの講習を受けTestで開始します。
硬派の漫筆的随想ですゆっくりお読み下さい。

2ー10  歴史認識(日清戦争と朝鮮)

2015年02月26日 | 身辺

「日本人は歴史認識を為せ」と東洋人に蔑称されるので、丁度「日清戦争」の歴史書が出版されたので読む。
明治維新後の日本は元気だった!
朝鮮半島には「朝鮮王朝」が為政者で独立国。但し「清国」が宗主国で隷属していた。朝貢をなし、忠誠を誓い、独立を保障されていた。
1871 琉球王国の漁民が台湾で殺害された。
1874 に台湾出兵。
日本は清国と「日清修好条約」を締結。
これで朝鮮に宗主国の清国と同等の国だと示威した。
1875 江華沖で日本軍艦が朝鮮砲台と交戦した。
日朝は緊張関係にあった。
1882 朝鮮の国王隆宗の父大院君の指示で閔妃 政権をク-デタ-で政権を交代さす(日本の裏工作が有った)

甲牛農民戦争=朝鮮国内で内乱が起きる。
朝鮮王朝は清国に援兵を要請。
日本も朝鮮の独立を巡り交渉。日・清も夫々出兵する。
この状況で反乱軍は王朝と和約。
この時期に日本は「内政改革案」を出す。
1984年7月23日日本軍は王宮を占領。
王妃ミンピ1族を排除し、大院君を傀儡政権となす。
事実的に日本と朝鮮の戦争だった。
日本は清国の朝鮮干渉を阻止。
豊島沖で清国軍艦と交戦。
1894年8月1日「日清戦争」を日本は布告する。
9月には平壌を清軍より占拠。
黄海海鮮でも勝利。
10月には鴨緑江を渡り、大連・旅順を占拠する。
195・2月威衛衛を占領。
遼東半島・澎湖諸島を占拠。
日清講和条約が下関で締結。
しかし、新興国の日本が莫大な戦勝賠償を得ることに嫉妬と自国が弱体した清国に進出を狙って所謂“三国干渉〟ロシア・ドイツ・フランスがなした。
それで、
ロシア=遼東半島・満州・チベット・モンゴル
ドイツ=山東半島
フランス=広州湾・華南
イギリス=九龍半島・威海衛・華中
夫々手中に収める。
その後朝鮮王朝では「ミンピ虐殺」さる事件が起こる(これも日本の工作だと囁かれた。真偽は?)
日清戦争は朝鮮の覇権を争った戦いだった!

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿