6月23日は忘れてはならぬ日だ!
昭和20年4月に米軍は沖縄に敵前上陸を為してきた。
日本軍は「天一号作戦」を発動しこれに応戦した。
海軍攻撃第704飛行隊は松島(宮城県)基地で敵襲に備え訓練に明け暮れていた。
この作戦に応ずべく、第1・2中隊の精鋭18機は宇佐航空隊(大分)に進出。
連夜の魚雷・爆撃作戦に参加。
この中隊は第1戦の精鋭だったが、米軍の多数の艦船の対空防禦砲火、対峙している夜間戦闘機の応戦で壊滅的損害を受けた(海上を取り巻く無数の敵艦船に目を見張る。今になって思うと、米軍の補給での対応だ。「腹が減っては戦は出来ぬ」弾が無くては敵に撃てぬ。米国の生産力と補給作戦の相違が展開されている。
それで、作戦は中止され残存機は松島に帰還。4月の中旬だった。部隊は再編された。
そして、千歳(北海道)基地で部隊の急速練成飛行訓練が行はれた。
予定期間中に作戦参加の命が下り、可動機は松島基地を経由して宇佐に進出。4月下旬だった。
以降、鹿屋・出水(鹿児島県)を基地として沖縄攻撃に参加していた。
しかし沖縄作戦では“多勢に無勢〟陸海空で日本軍の被害甚大だった。
6月中旬以降、夜間爆撃は行はれなかった。
沖縄までの天候不良か、敵情によるのか、第1線の搭乗員には分からない事だ。
だが「沖縄では陸軍が全滅し、全作戦が終了」したとの情報が流れた。
それで、沖縄での戦死は免れたとの安堵感はあった。
もう少し沖縄作戦が継続していたなら、
”梅雨の期で、雨天続きでは無く、晴天の日が多かったなら??
我が機(自身)は生存できていただろうか。
近年になり沖縄作戦がこの日、終了だったのだと、沖縄を弔う人達とは別の考えで思う!
(昨年も同講を掲載していました。忘れ得ない事と成りました)