(NTT BCS) 硬派的社評漫筆+Rits

BCSでBlogの講習を受けTestで開始します。
硬派の漫筆的随想ですゆっくりお読み下さい。

September Song

2007年08月30日 | 身辺

September Song 「9月の歌」で流行した。
セプテンバーとは英語で9月のことだとは知れている。
そぅ、英語では各月に名前が付いている。
日本の所謂、旧暦でも同じく月名があった。
9月は長月と呼んだ。 「夜長月(よながつき)」の略。秋にかかり夏より夜の時間が長くなったなーとの実感だろう。
今の1月~12月とするのと、どちらが、情緒的 か 便利的か。

八月が終わる。最高気温を記録した都市が多発した。
1方、大雨が降って水害が発生した所もあった。
単なる、気紛れ的、異常気候か、地球温暖化の所為だろうか?
(どちらの原因か太平洋の潮位が上り、島国が消滅するとの、憂慮に関しては次号に、記載。こう、ご期待)

暑さは身に応えるが、汗をかいたのは数日だった。

八月のPVアクセス記録。プロバイダーよりの提示のコピー。
プリント・スクリーンを示すと小さすぎこの面では読めない。 

過去3週間の閲覧数とランキング

01(土) 158 pv 66 ip
8/31(金) 136 pv 51 ip
8/30(木) 89 pv 38 ip
8/29(水) 87 pv 33 ip
8/28(火) 69 pv 37 ip
8/27(月) 194 pv 60 ip
8/26(日) 91 pv 64 ip

閲覧数 アクセスIP数 ランキング
08/26~09/01 824 pv 349 ip
08/19~08/25 802 pv 390 ip
08/12~08/18 914 pv 430 ip
08/05~08/11 1132 pv 381 ip

八月中のPV(アクセス) 4102(前年比412%)投稿総数273。
ご継続、ご愛読を。

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Wa! Surprised 号外です

2007年08月28日 | 社評

第2次安部内閣

1 旬の過ぎた年増芸者(党内一致協力)
  派の会長は1応、辞任。大臣終了後はまた、復帰するのか。
  自分は会長に留まり派内の大臣待望者に譲るべきでは。
    領袖は輔弼責任を果たす。安部さんは仕事は任せれても使 
  い辛い点もある(気心のしれた者で組閣したことは軽量だっ 
  たとは言え、批判のみされることでは無かった、と思う)

2 批判していた舛添さんが厚生労働大臣に。年金問題に備え 
  てだろう。竹中平蔵教授の理論性・人間性はご立派だった。
  安部さんは心中「騒がずに、やってみなさい」とお手並み拝 
  見。お互い、こんなに急に作戦を変更できるの!

3 元知事が民間人として入閣。かねて、安部総理から話があ 
  ったようだ。「首相動静」では、見たことが無い。隠密裏に進 
  んでいたのだろう。ご手腕に期待。

4 参議院選挙の結果で人心一新の要があった、とは理解しが 
  たし。留任者は安部さん共々責任は無かった、のか?
  また、反省すべきは、どう、現れたのか?

5 無名の新人が出てきた。経歴はunーknown。適材適所か?

6 参議院から2名出す、1名、推薦していた人は外れた。
  1応の約は守ったが総理の意地もでた。
  この、意外性は、何故だろう。舛添さんは参院の別枠でも入 
  閣できただろうに。

7 小池さんは、防衛相に”I shell return!"と粋なような言葉を残 
  す。いまさら、マッカーサーでも有るまい。
  残留しないと、言わなかったら、留任させられたか?首を切
  られるより、格好の良さを演じたのか。女性枠はまだ有った。
  外国で儀杖隊の栄誉礼を受けていたのは、様になってい  
  た。その兵士たちも日本レデーを間近にみて、興奮した。
  日本軍隊は戦争はしないのだから、女優的大臣の存在が
  他国が安心する。

8 終わりに、麻生・二階・石原の党三役に期待。

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追記、本日 52位
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粋 すい いき

2007年08月23日 | 社評
粋 すい いき
 
近頃はこの言葉はあまり聞かない。
また、その態応を感じた(みた)事がない。
こちらが、不粋なのか!
 
辞書では「身のこなしが、あかぬけし、色気がある」との意。
花柳界の女性に粋な人がいて、これに対する賛辞だった。
また、これに通じた旦那衆も粋人とよばれる。
とも異る意である。
  
また「人情の機微に通じ、物わかりが良い」とある。
今時はオーラ・フェロモン等で人が発散するお色気に代わったようだ。
スマートと言う事とも1味違った雰囲気。
 
「スマートで 目先が利いて 几帳面 まけじ魂 これぞ 船乗り」
と日本海軍では乗員の姿勢・対応にかくあるべしと、訓えられた。ある種の 粋 の精神だ。
また さばけた人間 であることとも躾けられた。
上方の 粋 に 対し
江戸では 意気 である を 優用した。心意気の表現もある。
純粋・生粋(きっすい) の熟語もある。
粋 に対し、そうでないのが 野暮である。
あまり野暮な生き方はしたくない。
 
小池防衛相に 粋 を見る。
選挙で刺客として手強い選挙区に舞い降りて当選。
クールビヅ の提唱。
アメリカではライス長官に対し「私はすし大臣」と洒落ている。英語もお得意。(*RICE=お米)
守屋次官を更迭の人事。関する1連の報道。内閣改造を目前にした今の時期に何故?
よほど、次官から、軽視されて、腹に据えかねたのだろう。
「私は国の防衛に当たるが、人事について自己防衛(擁護)はしない」
とはなんとも 粋 な発言だったと思うのだが。
報道陣との会見ではいつも、しれっと(これも海軍用語)している。
1度だけ、官邸で激論の後だったのか土気色の顔色は不粋だった。
追記25日 小池大臣が「辞任する。改造後は留任・残留しない」 とは 粋 だ。
しかし「自衛隊で秘密漏洩等々の不祥事に誰も責を執らないから、私が取る。---辞任の理由」___この発言は不粋
 
ブログも人生も に行(生)きたい!と念じている。
植木流に「スーイ ♪ スーイ」と動きたいものだ!!
 
粋 な京菓子のブログを紹介しましょう。
 
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追記、今日で76位
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続 運 (うんのつき)

2007年08月16日 | 軍事

昭和二十年5月1日午前5時 鹿児島 錦江湾 波高し。
なぜか、エンジン不良で海上に不時着水したのだ。
離陸方向が海上で良かった。陸上なら、機体・陸地上の破損と被害が多かったかも知れず。
機体が沈み、巻き込まれるから、早く離脱しなければと、海に飛び込む。
波が荒い。水は冷たい。湾内だから周囲の山々、民家は見える。大洋上なら危機だが事故で内海で水漬く屍には成ってはおられない。
搭乗員は幸い全員、危害は無かった。離れまいとするのだが波に洗われ纏まりの輪が広がる。
陸地に向けて泳ぐのだが一向に近づく気配は無い。こんな、荒波で泳いだことは1度も無かった。
しかし、幸運は訪れた。駐留していた、海軍の発動機艇が「えらく、海上をすれすれに 飛ぶ、大型機を見ていたが急に見えなくなったので不時着したのではないかと偵察に来てくれたのだ。我々は手を振って存在を示し、全員が艇に救い上げられた。
艇の着いた所に停車場があり、鹿屋駅まで乗って、そこで病院に行った。
入浴をなし、衣服を貰い、診察を受ける。打撲は有ったが全員、身体に異常は無し。
疎開して開いている、民家に入り、眠る。
夕食を受領。休んで気が緩んだのか、アチコチガ痛くなる。シップ薬をつけて休む。
4~5日、体の経過を見て、回送機に搭乗し宇佐基地に帰還。
なんとか、無事に帰ってきたことを喜ばれる。
5月1日に宇佐に帰っていたら、次の作戦に出ていただろう。4~5日の休養していた期間にも多くの同僚機は未帰還になっている。
割り当て機が無いので、作戦参加は勿論無い。2・3のペア(クルー)は搭乗機が無いので松島基地まで受け取りに帰る。通常だと要務飛行機で帰るのだが、その余裕が無いのか、鉄道で
還ることになる。空襲で昼間は移動せず、京都・小田原で下車夜行列車で4日間掛かって松島に帰還。
ペアの編成替えがあり、新ペアでの完熟訓練をなす。
5月中旬に今度は鹿屋基地に直接移動。作戦待機となる。梅雨の時期で大雨が続き、飛行の機会は少ない。
さて、初陣の時の幸運については「軍事」のカタゴリーに記載済み。(そちらをご覧下さい)
 
6月に入り、作戦上の都合で出水に基地が移動。着陸。誘導路を自走し掩体壕に入る手前にブレーキが利かなくなり右前輪が少し路肩からはみ出しその抵抗でやっと止まる。しかし、その前輪に負荷が掛かりパンクとなる。
その夜12時に作戦参加予定となっている。まだ、時間は有るから、車輪と共にエンジン等の整備は充分と構えていた。
しかし、タイヤ修理の足場が悪く、かつ、車輪の着脱に時間が掛かり、燃料・爆弾の搭載が間に会わず、当夜の参戦は外れる(ヤレヤレの気分も有った)
次の作戦は3機であった。我が機ともう1機はエンジン不調で取りやめ。1機のみ攻撃に出る。攻撃後、出水の着陸を失して、福岡の海岸に不時着。その時に運悪く松林に接触・火災を起こし1名を除いて他は戦死。この機の主操縦員はベテランで、ヘマをするようなパイロットでは無かった。ペアを組んだこともあり印象深い出来事だった。我が機も、エンジン好調で参戦していたら、似たような運目を辿っただろう。
6月に沖縄作戦は終了。松島基地に引き上げ(この途中にも1機は出雲山中で墜落している。危険は何時も付いていたのだ)
松島でペアの編成替え。不時着水した時のぺア3名と沖縄爆撃時のペア2名の沖縄作戦中で生死を供にした5名は、新任務で三沢に飛び立った。
彼らは7月24日に夜間着陸訓練中に再離陸、上昇中に右エンジン、不調となり、失速、墜落。
1名を除いて4名は殉職。私もペアの編成替が無かったら、その事故に遭遇していたかも知れない。
かくして、八月下旬に「剣作戦」の発動を予期していたが、天皇のご聖断で終戦となり、戦運は終わった。武運長久
「剣作戦」の項も掲載しています。

終戦記念日 運

2007年08月14日 | 軍事
八月十五日は終戦記念日である。季語にもなっている。
天皇皇后両陛下に従って黙祷をなす。
 
昭和十八年、大東亜戦争が日本が未だ優位のころ、県立中学(旧制)4年修了。卒業を待たずに、国を愛する心で、戦争の勝利を期して、海軍航空隊に”海の雛鷲”として入隊(と言えば格好が良いのだが)当時の世情、個人の閉塞感の転換でも有った。
♪”人の嫌がる軍隊に志願ではーいる、馬鹿もいる”
親・兄弟も進んで危険な所に志願することには大賛成では無かったかもしれず、そんな、親の気も推し量らず、独りよがりで、周囲の情勢・自分の生い立ち等をかえりみもせずしこのみたてとして飛び込んで来た、勇敢な少年が三千人もいた。
自衛隊では志願希望者が多く競争率が高い。優秀な若人が志願して入隊するそうだ。
十九年9月に上海航空隊で飛行偵察術(航法・電信)練習生を修了。
夫々の配属は
① フィリッピン・ジャワ・マレ- 未だ日本が制海・空権を持っ 
  ていて、 格別の戦闘も無くかなり安全。治安もよく、住民 
  も親日的。食料は豊富。
② 台湾の基地。丁度「台湾沖海戦」があり、実戦に参加。同 
  期の戦死者の嚆矢となる。
③ 上海に残留。後輩の指導
④ 内地の部隊。 
 等々に配属さる。ここが先ず運命の岐路。 
 豊橋航空隊の陸上攻撃機の練成隊に配属さる。訓練は厳しかったが、訓練中は死の危険からは除外(訓練時に殉職する例はあった)
二十年 木更津航空隊 第704攻撃隊に配属。これは、大型爆撃機の実戦部隊。
丁度、硫黄島への、補給・攻撃作戦が始まる。当方は経験不足の若年で、同期生でも内地の練習隊を修了して、直ぐに実戦部隊に配属されていた者は既に攻撃に参加、多くの同期生は未帰還、戦死者となっていた。
3月に硫黄島作戦は終了。松島基地に移動。
4月、沖縄に米軍上陸。k704隊も九州の基地より雷撃・爆撃攻撃作戦に参加。
多くの損害を蒙り、展開していた部隊は再建の為に松島基地に帰還。
4月末に第2次攻撃隊が宇佐に移動する。小生、ここから、いよいよ、戦闘参加の場面となる。
この間、優勢な敵軍と交戦して、多くの犠牲者が出たが、私は命のままに従い自ら危険を避けたことは無い。しかし、配置の都合で生き延びてきた。安全であった。
 
4月三十日に雷撃命令が下る。さーいよいよだ。宇佐を午後に発して、日暮れ前に鹿屋基地に着。鹿屋には米軍の決死的パイロットが時折、攻撃を掛け地上を銃撃し飛行機・施設・人員に損害を与えて、1航過する、猛者もいる。ので、でかい爆撃機は日中はそこには駐機していないのだ。
燃料・魚雷を搭載。0時の発進を待つ。しかし、沖縄上空が天候不良で、その夜の作戦は中止。緊張と疲労でがっかり、身の安全も確保、やれやれの感じ。
その時の攻撃が行はれていたら、先ずは生還は難しかっただろう。
近くの空き民家で仮眠。敵が不意に現れる前の午前5時ごろ離陸する。
錦江湾上を飛んでいるが一向に上昇しない。海面がますます近づく。
どうなっているのかなーと思う瞬間、機は海面上に落ちてばたばた、がしゃんと滑走。
エンジン不良で海上に不時着したのだ。
以下の 運については次号
 
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追記、今日で44
位です。
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日曜評論 地球環境 10-2

2007年08月12日 | 環境

先述の如く、食品添加物の発達で保存性・加工性は簡単になり流通も手軽に、レトルト食品が開発され時間をかけずに料理が出来るようになった。
農薬や化学肥料が開発され、生産者は労力を省力して生産を飛躍的に向上させた。
特に、輸入農産物の多い、わが国の農薬の残留基準は低く設定されている。農作物に虫が付いていたら輸入が認められないから作物を直接殺菌剤のプールにつけたりするので、農薬の残留が高くなる可能性がある。
食に対する習慣・安全性は国によって考えかたに違いがある。
わたしたちができること
自分さえ安全で快適と考え、自然を破壊、食品を汚染してきた。
しかし、このツケハは、最終的に我々に跳ね返る。
食べ物に危険が迫っていることを理解し、化学物質を多用せずに、自然環境を汚染しないように努力をすべきだ。

わたしたち、ひとり、ひとりが食料の有り方に気づき、おいしくて体に良い食品を選べば生産者・法律も変わるでしょう。

むすび 環境文庫では地球上で起こっている環境問題を述べてきました。
次には”地球に優しい暮らし方”が始まります。
自然に優しい暮らし方をご一緒に考えましょう。

以上 セキスイハイム環境文庫に準拠しました。

 セキスイハイム近畿のホームページ  https://www.816kinki.com/

お次は ”8月15日 私の幸運” です。ご期待を


続 おかlき

2007年08月12日 | 身辺

 

平成6年T細胞リンパ腫と診断された。
(病気のことは、折を見て書きます)。

平成14年にそれによる、腫瘍が首の周りに数個できたようだ。この間になんらの異常も無く経過してきたのだが。

治療として
① 点滴・服薬 等の化学療法。全身に薬が作用し内臓=特に
   胃に影響が出て、体が耐えられないだろう。
② 外科手術による摘出。頚部で数個の手術もむりだろう。
③ 放射線治療 が最適。

となり、これを受ける。

1回の放射線の放射は数分。30回程度。通院でもOK。
それで、開始。数回、重ねる中に体が重く、食欲が変になる。
通院で栄養補給点滴を受けるが、寝込んでしまい、入院する。

頚部に放射するので、唾液腺の活動を弱める。唾が出ないのだ。
やっと、お粥が塩味で喉を通る。おかず・醤油味が食べたくない。お茶も飲みたくない。

4人が同室で薄いカーテンで仕切られている。テレビの光はカーテン越しに映る。音はイヤホン使用。

夜9時になると消灯。そうすると、横のベットの住人はおかきを食べだすのだ。これは、病院での禁止事項では無い。
ポリポリ、バリバリと心地よい音が聞こえる。
流体の御かゆしか喉を通らぬ、わが身としてはなんとも羨ましい。そして、自分はいつの日にかおかきを 口にすることが出来るのかと、不安になった。
また、おかきは大変に良い匂いも出すことに気ずいた。

お次は地球環境の続編です。

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追記  粋・軽妙・洒脱・機知・頓知・皮肉 これら要素が有る 
      ブログを書きたい。

 


おかき

2007年08月10日 | 身辺

おかき・焼酎は日本発の傑作商品ではないだろうか。
「クラシック演奏会のマナー」との項題で問題を提起している。
クラシックのファンが増えたのは良かったが、聴衆の質が落ちてマナーが悪くなった。非常識な行動。例示で
①最前列の人が、ミカンを剥いて食べ始めた。おかきを食べる人も出てきた。
②携帯電話がなる(馬鹿にも程がある。マナーモードにするのが当たりまえ。それでも、ブルブルと体感すると体が反応する。静寂なムードでは目障り)
他に、ガサゴサ・コソコソ・きつい香水・体を揺する・鼻息・汗臭い等々の上品で有るべき、会場での異状態。
固定フアンと新観客との聴衆姿勢の温度差。「写真撮影・録音は論外だが、法律以前のマナーについては、観客全員が演奏会を成立させているのだとの意識をもつべき」だと主催者は述べている。

ドイツの姉妹都市を親善使節団として訪問したとき演奏会に招待される機会があった。公式的音楽会参加するのは初体験。
その地の紳士・淑女は礼装。我々日本人はネクタイ・スーツの伊達たちでOK。
コンダクターがタクトを挙げると、場内は一瞬水を打ったような静寂。その、雰囲気と言うより空間に大いに驚く。聴衆が身動きをしないのだ。服の摺れる衣擦れが全くしない。これには驚いた。
日本の国内でもそうだろうと思った(経験した事が無いので想像も出来ない。ドイツ人と日本人との伝統と教養との差が有ったかどうかは、推し量れぬ)
使節団は招待だから、演奏者を見て。演奏を聴ける二つの満足だ。終わって席を出るとステージが見えない場所にも多くの観客が整然と悠然と席に着いて,演奏を聴いていたのを知って、また、大いに驚いた(会場が歴史的、古城の謁見の間であり、次の、間にも数百名の聴衆がおられたのだ)

さて、本題のおかきのことだが、先掲の演奏会でおかきを食べたのでその臭いが指揮者の鼻にまで着いたので不快だった。
それ、以前にカリカリ、ポキポキと騒音を出ていただろう。

以下は次号に

参考 クラシック演奏会のマナー10 

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日曜評論 地球環境 10-1

2007年08月05日 | 環境

スーパーに行けば旬に関係なく野菜・果物・魚・肉るいがある。
レストラン等では簡単においしい料理を食べられる。

日本では生成食品を輸入している。収穫から時間・距離があるのに、生き生きと店頭に並ぶのは、科学物質が含まれた薬品が使われているからだ。
加工食品にも食品添加物で使われ、自然界に影響を与え、人命・健康にも影響することが懸念されている。

作物を育てる時に使う農薬・化学肥料が収穫作物に残留する。それを食べて、化学物質が人体に悪い影響を及ぼす。
また、生産者・自然環境にも影響を与える。
それらを飼料にした家畜も汚染される。そして、それが人間の食料になり人体に入り込む。

とくに輸入農作物は収穫後に直接化学物質がまかれ、食物に残る。店頭ではこれらの食品は綺麗に見られ、購入魅力が多い。
魚も陸上から排水された、ダイオキシンで汚染が広がる。特に食物連鎖の影響が大きい魚介類にダイオキシンが蓄積・残留する。ダイオキシンは人間にガンの発生・抵抗力の減退を至らす。

次号では添加物・農薬について述べます。

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追記8月5で50
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8月 暑中お見舞い 八朔(はっさく)

2007年08月01日 | 身辺

8月1日。
原爆投下・終戦の月。

7月は涼しかった。数日猛暑の日が有ったが、これがテレビのニュースになった。
また、豪雨があった地域は水の被害が出た。少雨で旱魃も困るが一度に大雨も地上で保水が出来ない。
これらの現象は地球温暖化による異常現象だろうか。
それなら、涼しいことのみを喜んでもおられまい。
新潟にまたしても大地震。「天災は忘れた頃に来る」の格言は違った。被災された、皆さんの復旧を応援する。
原子発電所に危険があるようだ。地震国ではどこでも立地に危険が内在しているから、絶対安全地帯は望めない。
現状で如何に安全を保つかだ。(電気は不要と言う国民も居ない)

参議院選挙で民主党が躍進した。
予測で「民主優勢」と有ったが、何時もそんな予想が外れるので、自民もそこそこだろうと多寡を括っていたが、予想に反した。
終盤国会で期間延長・投票日の1週、遅れ で強行採決ーーこれは与党の横暴だった。
そんなに、無理強いをするなら、投票日まで変える必要は無かった。
閣僚の失言はどうか?案外本音であったから、議員同士でそうは、責められなかったのではないだろうか。
政治資金も、議員活動に不詳の金が掛かりすぎるからでは無いか?
言うに言われぬ議員同士で、これも同様だろう。
お金については、議員・国民皆に責任のある所ではないか!
安部総理は応援演説では大変、成長されたと見えた。色々と不都合が複合して、不運もあったが、総理は継続されるのだろう。
民主党は参議院で第壱党である。否定党から、肯定党にならねばならぬ。その、議会運営を期待する。衆議院の自民党以上にスマートに行って頂きたい。その実績にて政権交代となれるだろう。
小沢一郎は確かに大政治家だ。岡田・前原さんは新鮮で真面目な青年だった(少々青臭かったのだ)民主党の現実的政治を期待する。

私事です。
7月はPV
(アクセス) 2956(前年比229%)
投稿総数 260 でした。
今後のご愛読をおねがいします!

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