(NTT BCS) 硬派的社評漫筆+Rits

BCSでBlogの講習を受けTestで開始します。
硬派の漫筆的随想ですゆっくりお読み下さい。

九州場所

2005年11月27日 | 身辺

朝青龍は大記録で優勝した。実力も風格も大横綱だ。
表彰式で総理大臣盃は小泉首相が自ら手渡した。
「新記録 大記録 見事だ おめでとう」と述べていた。
態々東京から来たのはかって、朝青龍が首相を表敬訪問したとき
「総理f大臣盃は首相より直接に頂きたい」とお願いした。総理は
「九州場所で優勝して新記録が達成したらそうする」との約束があったとの由。首相の動静記録を見ると直ぐにトンボ帰りしている。総理も義理堅い。ご苦労なことだ。東京場所なら近いのにと思っていた。

琴欧州も大関に昇進する。「モンゴル場所」「欧州場所」が出現するような外国人力士の活躍だ。

九州場所になると亡くなった I君のことを思い出す。
入院したから見舞に行く。特別室だ。九州場所のテレビを見ている。
「この場所はが優勝だなー」と言っていた(結果は違った)
何時までもテレビを見ているので早々に辞した。
彼は強気一点張りの経営者。ここ、数年は毎年のようにポリープ(良性と言っていた)が発生するがその度手術していた。さすが強運で病気にも強いなーと思っていた。弱気は絶対に見せない。見舞っても病人らしく萎れてはいない。
仲間で会合の通知が有り、彼にも案内はされている。勿論参加は出来ないが多くの友が遠方から参集する機会の序に誰かは見舞に来てくれるだろうと期待していたようだ。
しかし、その会は参加者が少ないので中止となった。それは「不参」と返事をしていた彼には伝わってはいない。その日に心待ちしていたが一人も来ないので心中がっかりしたようだ。
見舞いの友の顔と人数で自分のもて方のバロメータでとも思っていたのだろう。「あの会合は中止だった」と伝えたときやっと憤懣が収まったようだ。
(亡くなった後で日記に”誰も来なかった”と記載して有ったとご家族から聞いた話からの想像)
いつも強気で見舞れても弱弱しい病人らしくもないので皆が二の足を踏んでいたかもしれぬが、矢張り本心は病人らしかったのだ。そう考えるととやはり病人はそれらしくあるべしかと反面教師だったなーと思った。
しかし、前年退院時に”快気祝い”との命題での飲み会には多くの友人が遠くからも馳せつけた。彼は回復と友の参集には喜んだ。
そして、高級な2次会・3次会を設営した。
だから、”会いに来てくれ”と言ったら多くの見舞いをうけただろう。
しかし、いつも片意地をはっている手前、下手には出られなかったのだろう。
検査入院との触れ込みだったので何時ものようにまた、退院してくるだろうと皆が思っていたが今回はそうではなかった。
強者の内なる弱気を読め無かったことには憐憫の情を禁じえない。
最後まで強気な経営者像を貫いた気性を尊敬する。
お次のお題は「環境」です。請うご期待


小説 「理由」 作 s-mon

2005年11月26日 | 身辺

会合が有った。
E氏「地区で野暮用があるので帰ります」
   「そうですかーーーー」
後日、E氏に会う。
「夜の懇親会には nさんも来ていた」
E氏 「いやー、nとは会いたくなかったので帰った」
とのこと。驚いた。
あなたの早々に帰った理由はなんだったの?
本当に席を同じくしたくなかったのは誰だったのか。
選ばれている者として差別化を試みていたのか。
もうお互いの現役時代の付き合いから10年以上経っているのにまだ、そんな情を持っているなんて、驚いた。
心の片隅に置いておけば人には知れぬが、そんな事をシャーシャーと言へばその人柄が見られる。馬鹿なことだ。
現役時には人一倍の気概で地位を得ていたが、未だにそんな気質が抜けていないのに憐憫の情を持った。
日頃は趣味で芸術家気取りだが、品性は下劣で少しも成長していないなー、老年になって少しは穏やかな悠々とした人間性に成る筈だがそうろは為っていない人だなと感じた。
そしてここ数年来の付き合いでもその対応に策を弄しているなーと想像していたことがやっぱりその通りだったと確信を深めた。
まーこちらも似たり寄ったりの年寄りだが、そんなことを気取らせないようには振る舞おうとは思った。
   縁無き衆生は度し難し(佛典)
 ”馬鹿は しななきやー なおらなーいー”(
広沢虎造口演)

  これはノンフィクションでは有りません。

次のお題は「九州場所」です。乞う ご期待。


続 管理責任

2005年11月25日 | Weblog

前回提示した「企業責任」について、朝日新聞の「私の視点」欄に唐木田健一氏が「個人の犯罪・組織のおわび」と題して。NHKの記者が放火した事件について寄稿されている
論調として
1 個人の犯罪に勤務先の管理者がわびるのは「無責任」
  職場でのストレスへの対応は個人の責任
 (仕事が捗らずむしゃくしゃしていたから事件をおこしたとは理由にならぬ)
2 江戸時代の連帯責任の古い思考。犯罪の「公私混同」
3 組織名を出すときは「組織犯罪」の場合のみ。
4 雇用者側は管理外の事件に関し安易に、無責任にわびない。
  組織が24時間中従業員を監視しておるわけではない。
 としている。
先の「管理責任」の意見は時代に順応していたようだ。
唐木田氏のご意見こそ、近代的社会システム考慮と思えて傾聴した。
終業後の飲酒上の事故・犯罪は個人責任。企業の管理責任は問えないとする。
しかし、職業柄、新聞記事にでもなると、事故責任で所属内で譴責を受ける等との整合性は如何にするのか?


管理責任

2005年11月21日 | Weblog

NHKのOh放送局の記者が連続放火を犯していた。仕事が上手く捗らず神経衰弱になっていて、退社後、自棄の深酒をして犯行を続けていたようだ。決して、火災場面で特種を得ようとした下心ではなかったと言うことがせめてもの救いだ。
Oh局長が弁明の記者会見を開いていた。この場合管理責任はどうなるのだろう。入社後日が浅いようだ。罪を犯すような人間を採用したNHKの責任だろう。
勤務後に飲酒運転をして事故が有ってもその雇用主(管理者責任)が何らかの責任を取ることは無いだろう。(こんなケースで参考にM社のKo氏に意見を聞いたところ「社内的には(管理者責任)は放任される。しかし、それを理由に工まれるような場合があるから用心せよ」との言を想起する)
このNHKの場合、民事責任・社会的責任を雇用主のMHKが取らねばならぬとはいえないだろう。
管理責任はその局内の課長・局長等のレベルで終わるのか。局長を管理する人も有責か。最後は会長が低頭お詫びの定例的会見でおわるのか?
朝日新聞で記者の放火の記事が再掲されていたのでこれを書いた次第(日々が多彩なニュースで進行するのでタイミングがズレル)
しかし、NHKと朝日の「政治家の放送内容えの介入」の争いはどうなったのだろう?どちらかがその非を認めたとき誰がその責任を取るのだろう。
次のお題は「理由」です。願うご期待 !!


s-mon blog 号外 ”慶祝”

2005年11月16日 | 環境

黒田さんと紀宮様との挙式が行はれた。
明るい・嬉しいニュースだ。国民挙げて祝福を送っている。各メデイアもお祝い1色だ。日頃皇室記事を小さく扱う朝日新聞もずーと1面のトップに掲載している。
紀宮さんはテレビで拝見していて”頭の良さ・お気持ちの清らかさ”が窺える。日舞のお師匠さんは「大変運動神経の良い方」と評しておられる。要するに”大変にカンの良い人”なのだろう。
お顔は古典的な能面のようで、またお話も謡曲の文章のようだ。
45年前 島津 貴子様(天皇の妹御)が晴れやかでスポーテイな人で国民的アイドルだったのを想起する。黒田清子様は大変古風だ。
黒田さんも落ち着いて穏やかだ。格好のお二人だ。

黒田さんのお父上「黒田 慶次郎」氏はトヨタ自動車販売㈱
(現 トヨタ自動車㈱)の役員を勤めておられた。会議・懇親会等で同席させて頂いた。大変穏やかで、丁寧に接っせられた。社内でも全社員から敬愛を受けておられたと聞いた。
黒田家で男子のお子さんの出生を望む。そして皇室家にお入りになる。皇室典範の改正を論議されている。女性天皇も望まれている。
降嫁された内親王の男のお子さんが皇位継承のことも考慮される。
皇室・黒田ご夫婦・日本国の弥栄を祈念申し上げる。

清子さん”Don't Mind. ドーンマイン”


フランスの暴動

2005年11月14日 | 新聞

フランスは文化・芸術的で治安も良く安全な国だと思っていたのに
暴動がちっとも収まらないのは何故だろうか。観光にも不安だ。
”パリは燃えているか” "いいえ ノン・ノン”
暴徒はイスラム確信犯ではなく移民の他民族で、我々の知らない教育・雇用等で人種的な差別があるようだ。
日本にいる外国人労働者は真面目に働いている。近隣諸国から不法に来ている犯罪者集団があるようだが、我々には想像外だ。
しかし、大多数のフランス国民も自分たちの社会モデルを信じていてこんな無法状態が起きるとは思ってもいなかったようだ。
アメリカでも台風の上陸でニュウーオーリンズが長期に水没し暴動が起きたと報道された。それこそ、米国は社会整備が十分な国だから1つの台風位で何日も水が引けないなんて状態は想像もつかない。英国でも地下鉄のテロが起きた。これら、先進国がこんな状態に陥るのが不思議だ。朝日川柳に”イラクかと見紛うばかりにパリが燃え””とある。失礼ながら後進国ならいざ知らず。
それに引き換え日本の平和は素晴らしいではないか!
革命・内乱・テロ・外国との戦闘も60年来1度も無い。可笑しな犯罪が増え、検挙率が落ちたとは言えまだまだ社会秩序・安全は保っている。
  京都に米国大統領が来るとの事で物々しい警備体制を敷いてる。大通では車の検問。10数名の警察官とパトカー。この手の臨時の検問所が何箇所もある。他府県からの応援のための機動隊のバスがあちこちの公設駐車場に見られる。京都御所内の迎賓館で小泉首相と会談するので全部の門は完全封鎖されている。各交番では巡査が立番、町には赤色灯を漬けた白バイ・パトカー・機動隊バスが目立つように走っている。1歩進めて外国の侵略を想定し自衛隊戦車を展開したらどうか!警察力を示威してテロ等の事前の完全抑圧策だろう。これだけ抑止力を見せつけられたらテロリストも怯えるだろう。日本警察もたいした力だ。これを見たらブッシュさんも安心し、日本の実力を再認識するだろう。
暢気なブログを書き、また、読むのも平和のおかげだ。
”おなじ事なら 踊らな ソン・損”


惜しまれて去ったか?石もて追われた か!!

2005年11月12日 | 身辺

終身雇用の職場で定年者達の「社員OB会」に参加した。
世間に普通にある会合。二十年も経っているのにご招待を受けるのは嬉しいことだ。
在職時の序列・好き嫌い・思惑を引きずっているだろう。
1つの口で話す・飲む・食べるで忙しく参加者全員と話すことは出来ない。記憶に残る話題も無かった。もともと考慮する時間が少なかったが、今も社会からの生活の知恵は得られて居ない様だ。
時間の十分にあるこの時期に皆さんどう過ごしているのかと自分のケースを思いつつ推量する。写真・花の栽培・毛筆等の趣味で成果を挙げている人。囲碁・将棋で時間を消費しているような人種ではないようだ。しかし、知性・知識を身にして教養溢れた静かで穏やかな人格に成っているさまでは無いと思えた。漫画ではその年代では「愛嬌のある丸い顔」になってくるがまだまだ尖ったギラギラしたつきだ。1旗も2旗も揚げられそうだ。定年後は[余生]では無くなった。
何時になったら丸い人間、世間に好かれる好々爺の域に到達できるだろうか。終着駅はまだ先か。

Mr T家のHP  色・いろいろ工房
Tさんとの話の中で「奥さん共々HP作りに熱中」とあった。前から拝見はしていたが最近はご無沙汰。帰宅して早速開いて見る。
大変芸術的で高度な編集技術を駆使されているので驚いた。ITへの取り組み時期は変わらないのにその進歩と充実はお見事。
アクセスカウンターも14、000と個人としては多いので更に驚き。
(このブログも毎日30件ほどのアクセス状況となっている。それが記載の続けられる励みです)

Mr家のHPのURL http://www.d2.dion.ne.jp/~tyoshino/


枝も撓む

2005年11月08日 | Weblog

今年は柿は豊作だ。小さな青い塊が段々大きくなり太陽を受けて次第に赤ずく。
自然は神秘的だ。柿の実はしっかりしているので枝が垂れ下がる。
撓むとは綺麗な日本語の表現だ。
父母が70年前に植えた古木だ。あまり手入れもしないが、良く成ってくれる。
薄甘みの時代にちょうどの甘い果物。母が戦後、物の無い頃「柿は甘い」とあじあっていた。こんなに物あまりの時代までに生きていて十分に美味しいお菓子をたくさん食べて満足させられたろと思う。甘みの少ない終戦直後に亡くなった。
父は1時は収入が無かったが、亡くなるまでは十分にお酒は飲んでいたのでこれは充分だったろう。
古代人は秋に食物の生育を見て「今年の冬はこれで家族が生き延びられる」と喜んだそうだ。そして女性は人間を生むのでその生産性を喜んだそうだ。
それで人類はそんな風景をみて笑う、ことを知ったそうだ。
信ずるものは幸せだ。


袖ふれあうも他生の縁

2005年11月01日 | 身辺

近頃は格言・比喩を口にすることは少なくなった。
小泉さんが「罪を憎んで、人を憎まず」と中国の古い言い伝えを引用したが解釈に間違いがあると言われたりしている。しかし、ガレリオの言葉を使ったり結構そのお話は面白い。
多生の縁とは仏教の言葉で前・来世代の因縁を言う。
人ごみで一寸袖が触れ合う(優雅な風情だったが、今は満員電車でひじや肩が当たって、つき帰される世の中)のも、前世からの因縁によって結ばれているためだとの意味。
人との出会いは偶然に起きたのでは無く、前の世からの因縁で今実現した。だからこの出会いを大事にしなければならぬ。と易しく解いている。

都市のディラーに在勤していた者とトヨタ自動車販売㈱の複数の担当員(指導員達)とが25年も前からので今も寄り合いを続けている。仕事でのお付き合いで普通の人間関係だったのだが。不思議なご縁だ。驚く。担当員は全国的に多くの地方・名士との出会いがあっただろうが、未だに当地の我々と親しく御付き合いされるのは不思議なご縁だ。お互いに良いところ・気の合うところが今もあるからだろう。今となっては、地位も利害も関係無いから、往時を楽しく語り合える。
こんなに長期的に続いているのは、また幹事のお人柄・ご配慮にもよっている。
感激と感動の1刻だった。1年1回だから来年も皆さんとの御出会いを待つ。
袖を触れ合った事だったのだがと思っている。佛典に感謝。