立命館大学の経済学部・法学部の学生が大津市の繁華街で「有難うを伝える日」を行う。
社会人基礎力実践論」の受講生が主催。
イベントの目的は、普段は言いにくい ありがとう を伝えられる場の提供。
一部は ありがとう をテーマーにしたステージパフォーマンス。
(日頃、友人に抱いている感謝の気持ちを伝えた)
二部は 幼稚園児がメッセージカードを父母に贈り、家族に暖かい感謝の気持ちを表した。
「これを機に日常会話でも ありがとう の言葉が容易に使えれば」と主催者は熱い思いを語っていた。
「関連」 2月17日に掲載のBlogより
門出にあたり2つの言葉を呈したい。
実社会に出る 卒業生への祝辞
①は 有難う。実社会ではシャイが先立って心で思っていても口に出せない。そのときは「Thank You」と口の中で2,3度繰り返し「有難う」と一歩踏み込めば発せられる。積極的な意思表示。
卒業証書をもらったらまず両親(大学卒までの12年間の学校生活をサポートしてくれた人)に示し「有難う」とお礼を申す。第一歩である。
これに立命大の 山本 岳 氏が コメントそている。
『大学を卒業したら、親への感謝を怠らずにやりたいと思います。そして、しっかり親孝行をしなきゃな、ともブログを拝見させていただいて思いました』
同じ、立命館大学生で、同様な思いを呈している。
経過は良く術後2、3日はやや、うんうんと言っていたので個室にいたが、その部屋の都合もあり、5日後には通常の4人部屋に移る。そして丁度一週間後に抜糸となる。(この時は痛いだろうと、期待をしていたが、意に反して平和裡に済んだ。修復された、皮膚の状態は、先ほど理髪店主に証言させた)
やれやれ上手く手術をやって戴いたのだ。翌日は頭髪のシャンプーを許可され、看護婦さんがシャワー室で美容院で寝た状態で洗髪をする要領で頭を洗ってくれた。即ち患部に水が掛からぬようにだ。一週間、洗髪をしていないので気持ちが良い。その後は入浴もOKとなる。これらは全て医師の指示により、看護婦さんに管理される。
順調に推移して、入院後、14日目に退院した。
[後記]前作は在院中のメモを便りに書き上げた。本作は記憶をたどったのと退院後の病状の安定の安心からか、筆が進まなかった。冬・夏とはその寒暑を避けて何もせずに、過保護の状態で過ごした。しかし、何とか手術2周年目には完成したいと努力した。この間に色々と本を読んで知識は進んだ。
これは小説で登場人物・医学情報はフィクシヨンの部分もあります。ご了承ください。また、お世話に成った、藤田先生・志賀婦長さんを始め手術に携わられた皆さんに心からなるお礼の言葉を呈します。同じく同窓の鎌田君と心志を労した妻にも感謝を申し上げる。( 平成8年5月2日稿了 12日校正 26日T・31 6/10 9年3 再)
Live Door Blog に掲載していた、ノン・フィクションは完了しました。1~11回までは↑よりリンクして、ご覧下さい.
「一病を持って痛みのわかる人」
「一病のおかげで古希を生きている] 投稿句より
And,then
記録によると、4日後に体調は元に戻っている。食事は粥食と成り、点滴は終わった。そして手術部位に付けられていたドレーンも外された。診察は毎日ある。当直医は日々に替わる。H先生に数度診て戴いている。ずっと後で知ったのだがこの人が手術時の補助をされたとのことだった。担当した手術患者の経過には、大きな関心は有っただろう。知らぬ事とてお礼の一言も言えずしまいだった。先生は不審な患者と思っておられたのかと推察すると汗顔の至りだ。担当だった事を知った時には病院を去っておられた。
O村先生にもよく診て戴いている。はきはきした、活発な女性だ。手術創の血跡をアルコール綿で清式する時
「痛いですか、痛いですか、痛かったら そう、いって」
と伝えられたが、患部の治りが早いのか、先生の腕が良いのか、少しも痛みは感じないので「はい、はーい」
と答えて、彼女の華奢な指先に体を任した。
以下は終章ー2をご覧下さい。
(終章の一部が草稿で残って居ましたので此処で公開します)
仙台の隣の名取市に「ゆりあげ」浦の地名あり。
平安時代に観音像が漂着し、波にゆりあげ られのを見てゆりあげ浜と呼称していた。
仙台第4代藩主・伊達綱村がその地の大年寺を参拝。ゆりあげ浜を見て「門の内側から水が見えるから、閖上とせよ」とした。
(門+水。殿様が作った和製(私製)漢字。現在の 名取市閖上。
徳島の居酒屋に「貝+珍」(貝扁に珍の旁を+した字)を屋号にしている。オヤジさんは「珍しい貝を提供することに拘っている。ので貝の一文字では、意気込みが伝わら無いから、旁に珍の旁を付けて新文字を作った」と説明。
しかし、この、二文字とも、中国の古い辞書に掲載されている。
やはり、偉大な漢字の発生国だ。
水戸 光圀の圀 の字。
則天武后が創った字だ。
國は□の中に矛を持つ兵士と人民が居る形。
武后は□の中に武 を入れて国の字とした。しかし、これは、□の中に武が閉じ込められていて、縁起が悪い。ので、□の中に世界を現す八方を入れる 圀 を創った。
それを、モダンボーイの光圀が当時のファッションとして摂りいれた。(この字は現生です)
創造文字
峠・辻・辷 等は日本製の漢字。
車+女=女性専用車(冗句で市民権は無い)
車+赤=消防車 (同上)
フォント・ワークス・ジャパンが創作文字を募集。
リサイクル ビール
資源の資の上部+再利用
別の項
亜米利加(アメリカ) 米国 日本語
美利堅 (メリカン) 美国 中国語
仏蘭西 (フランス) 仏国 日本語
法蘭西 法国 中国語
中国ではかながないから、新語は全て表音式か翻訳式だ。
愛死(エイズ) 的士(タクシー)電脳(PC)
特に、近時はパソコン時代。日本でも、翻訳で馴染めない表現や、新語がどんどん出現。追いつかないから、カナ表示。
理解し易い英語もあるが、概して難解。
中国ではもっと複雑だろう。なんとしても、漢字で表さねばならぬ。台湾もPC大国。しかし、中国の表現とは異なっているのも有る。
台湾では日本統治の時代には日本語教育が進み、それに、
今も日本に好意的だから、仮名を導入したらと思う。
中国が国名を「中華人民共和国」としたが、毛主席は
人民共和国 は日本製の熟語だから、躊躇したようだ。しかし、優れた言葉で良い国名だからとこれに決めたそうだ。
明治の入欧の時代に輸入された、文化・文明は良い日本語に咀嚼されて、当時の日本人の創造性に驚きと、感嘆を覚ゆる。
(後半の項は阿辻さんの前作を紹介したブログでの再掲です。
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朝日のbeモニターの Blog についての調査・回答から。
17%がブロがー(案外少ない。180万のブログが有ると言うのに) 週一で
使って居る人の意見
1日記・メモ
2交友関係を広げる・家族
3意見交換・自分の思考の発信
4自分史の資料
不参加者の意見
1興味なし
2不特定多数に読まれる。嫌なコメントの書き込み
3自己愛・いい格好
4書くことが無い・下手に表すると、少ない脳ミソをさらける様
このbLog
NTTのBCSでhotmail のFC2のブログを実修し写真をPCに取り込みブログにUPした。
次の機会にGooでのブログの練習。「Gooが優しい」様で以降Gooで掲載。(FC2は今も現存)
しかし、やってみるが、UPに戸惑ったり、記事に迷ったり、休止状態が数ヶ月。
どうゆう、起源か、ぼつぼつ、書き出す。アクセスは数えるばかり。
関連の団体のHPが5万カウントに到達と、主催・編集者が喜び・感激していた。
このブログも5万アクセスに達するだろうか、それまで、続けられだろうかと、思った。
しかし、継続は力で2年目からは順調に継続。
アクセスは順調に伸びで、2万のアクセスになる。これなら、何とか5万のゴールは射程内と安心した。
そして昨年末には55000に到達していた。
次なる目標は88,888とした。
毎週2回の掲載を目処に、掲載物件を考えている。
構成と入力で精一杯で、書き上げると、推敲する気力は無くなっている。後日によむと、アラガ見える。直すこともある。
一つの生存の意義としてでも、継続したい。
皆様の閲覧が励みです。宜しく、お願いと、口コミを。
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「春眠暁を覚えず」 もう、春でしょう。未だ冬なら冬眠だ。暖かい布団から、寒い現世に起き出すのは、勇気と決断がいる。暁とは5~6時ごろのことだろう。
起床は7時から8時となり、寒いとそれも遅れがちだ。
何時までも起きなかったら、”永眠”になるようだ。
サラリーマンを終わって、朝にバタバタしなくて良いのが最高だ
”霜柱踏んだ 下には 春がある”(朝日川柳)
一部2月9日の”春?”より引用。季節の先取りだった。
老人は目覚めが早いと言われるが、当方後期高齢者だが今だ
暁を覚えない。50肩を憂う年齢の状態だからだろうか!!
しかし、人格・知覺・体格 年相応であるべきや!
”春眠暁日記”の寄稿あり。4月5日 付
季節に相応の記事 (当方は季節の先取りだった)
作者は高見富美彦さん
(『夜は短し歩けよ乙女』を書いた著者)
面白そうだとは、思ったが読んではいない。フィクションを読む時間・意欲が無く無くなっている)=余談です。
その理論の要旨は
春には”モット立派になろう”と思わせる魔力がある。
それなのに、春は残酷に我々を裏切って駆け去る。
春は”三日坊主、多発地帯”こんな時期に大事なことを始めてはいけない。
"春眠”にいそしみたい。春が去って、”三日坊主”に終わった人を尻目に「いまから、初めても、ええやんけー」と立志する。これが成功するような気がする。
春に付いて、立派なことを書こうとおもった。その決意こそ自分の文章を”竜頭蛇尾”に終わらせようとする 春 の思う壺。
それで、春眠の合間に考えて、このことを書きました。
本当は春を愛する男になりたいのです。春眠 春眠
うまい、作者の発想は方向が素晴らしい。
この項は続編があります。
春眠 暁を覚えず
處處 啼鳥を聞く
夜来 風雨の聲
花落つること 知らんぬ 多少ぞ
夢うつつで、鳥の声を聞きながら,昨夜、風雨の音がしたけれど
花はどれほど、ちったかなー(つかのまの春の陶然たる一刻を描いた詩篇ーー井波律子の著作より)
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東京芸術大学学長…宮田亮平
宮田学長は卒業生に式での餞の言葉を選ぶ。
心に響く・心に残ると心掛けて、創案される。
3月・4月は夫々、卒業・入学の時期だ。
式辞を述べられる方々は、色々とお考えになって臨まれるのだ。
当方もお祝いを(このBlogに要旨)述べた。臨むに当たっては、矢張り事前に心掛ける。しかし、宮田先生の様には出来なかっただろう。
立命館大学の山本 岳君がこのBlogにコメントに書いている。
”大学を卒業したら、親への感謝を怠らずにやりたいと思います。そして、しっかり親孝行をしなきゃな、ともブログを拝見させていただいて思いました”
次の機会には、もっと、卒業生の心に響く・社会で生かせる言葉を、宮田学長の様に考えよう。
以下は宮田先生の式辞の要旨
人が跪(ひざまず)いて手を差し伸べ、「サイ」という器をいただいているこの字は「命」という字です。想像してみてください。あなたたちの輝かしい演奏や制作の息吹が、ここにたくさん宿っています。天からそしてご両親から授かった命を、謙虚に跪いていただきながら、ここ東京藝術大学で培われた各様の生命を「サイ」の中に満たして迎えた卒業式の日に、この謙虚な、しかし堂々とした「命」という文字をあなたたちに贈ります。
卒業にいたるまで、口では言い表せないほどの苦難な道があったろうと思います。いい作品もできただろう、なかなかうまくいかない悔しさもあったろう。しかし、諸君は何事か成しえたからこそ、今ここに居るのです。それは、いただいた命あるからこそです。どうぞ皆さん、自分が生きている、命あるということを確と受け止めて生きていってください。
皆さん、今日ここにいる先生方にぜひ感謝の気持ちを伝えてください。ありがとう。(拍手)
そして、常に東京藝術大学を支えてくれた事務職員の皆さん、改めて感謝申し上げます。(拍手)
何人か学生が泣いていますが、いいんです、泣きなさい。一粒の涙は一滴(ひとしずく)の流れとなり、川となってやがて大河となる。あなたたちの一つひとつの作品が、一個の雫が流れとなり、そして大河となって世界に感動を与えてゆくことを思えば、今日の涙は拭かなくていいのです。
どうぞ、感謝と勇気を持って、雄雄しく明日からの荒野に旅立ってもらいたい。
なにか、落ち着かない中に4月に入る。
期待していたよりは、寒い。
しかし、テレビでは非想像的に暖かい地方があるとの事。
やはり、異常な気象か。
異常なのは、政界だ。
3月末には、日切れで、失効する、ガソリンの税金が
(道路特定暫定税率)有るのを、皆が知っているのに、参院で民主党の反対があるからと、とうとう、税金が取れなくなる事態に至った。
自民の無策ぶりにも、驚くが、民主の非現実性も非難される。
5月になると、ガソリン価格が前どうりになると言うのだ。
生産者・販売者・消費者共々、迷惑な話だ。
"道路特定財源”制度も見直しの時期。それと、如何に、道路を創るかだ。
我田引水の理が今も続いているようでは、文明国とは言い難し。
政治家・官僚・国民等しく、冷静にお考え下さい!!
昨年のブログから引用
4月1日はApril Fool です。
しかし、最近の毎日は非真実 が多いので今日は逆に嘘を吐くのは禁止となりました。
従いましてこの、コラム全体は真実です
記憶は薄いが、偽装が食品や他に多発していたのだろう。
今年の、政治の混乱はApril Fool だ。
日本人は、もっとSmartに成長しよう!
3月のPV(アクセス)は2931で前年比167%でした。
ご愛読に御礼申します。
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「硬派的社評の漫筆」のタイトル