(NTT BCS) 硬派的社評漫筆+Rits

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3-3 続  歴史認識   日露戦争

2015年03月10日 | 軍事

1904〜05年、ロシアと日本が韓国と旧満州の支配をめぐる戦争。日清戦争後、ロシアは朝鮮での影響力を強めるとともに、
極東で不凍港を手に入れるため、1898年に清から旅順・大連を租借、鉄道の敷設を進めた。
ロシアは義和団との戦いのため清に出兵、鎮圧後も満州に居座。
日本はロシアと交渉をしつつ戦争準備を進めた。
交渉は決裂し、1904年2月、日本軍は旅順のロシア艦隊を攻撃、韓国・仁川にも上陸し戦争が始まった。
陸戦では沙河会戦。こののち、両軍は遼陽と奉天会戦で緒戦。
日本軍は、12月には多くの犠牲者を出しながらも、203高地を占拠。旅順の要塞を陥落させた。
ロシアは退却作戦を執る。
日本の兵站線を伸ばして奉天で撃滅する作戦をとった。
しかるに日本軍に包囲殲滅された。
3月10日だったので「陸軍記念日」となる。
海上では連合艦隊が5月27日に、日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅。同日が「海軍記念日」と制定さる。
“この敗戦・損害では、ロシアにすれば蚊に刺された程度〟
陸海で日本軍が勝利をなしたので「米国のルーヅベルト大統領」が調停に乗り出す。結果、日露が終戦。
「ポーツマス条約」が締結。
①韓国の統治・
②遼東半島の租借権を譲渡
③長春~。旅順間の鉄道の権益
④南樺太の譲渡
⑤賠償金はなし。
((米=比国 日=朝鮮 権益を相互に認める)

*朝鮮半島の歴史認識につて

朝鮮半島の地理的存在について、日・清・露がその統治・覇権を争ったのが2つの戦争であった。
新進の日本にとっては朝鮮半島の覇権は国防上の重点事項であった。
朝鮮王国が政治的・軍事的に近隣国と比肩する大国であったなら歴史は違っていただろう!
歴史にIFは無いが「日本統治がなかったなら?」「戦後米ソの政治体制で、2地区に分割されていなかったなら?」
果たして、如何なる国家の里程を歩んできたか?
2分割されている同一民族が、問題を克服し壱国を形成さることをねがう!世界平和の観点からも!
(資料の消化が不十分です。小問題で再掲を予定します)


 

 

 


 


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