●龍馬直筆の手紙、二戸で発見 下関の豪商あて資金相談か
幕末の志士・坂本龍馬が長州・下関の豪商伊藤九三あてに送った手紙が、岩手県二戸市の民家で見つかり、高知県立坂本龍馬記念館(高知市)の三浦夏樹主任学芸員が18日、直筆と確認した。
三浦学芸員によると、手紙は縦24.6センチ、横33.2センチで、慶応3(1867)年3月13日に書かれたものとみられる。文末には独特の字体で書かれた「龍」の署名が確認できた。
龍馬直筆の手紙はこれまで、伊藤あてに書いた14通を含め141通確認されているが、東北で見つかるのは極めて珍しいという。
手紙は、長州藩の支藩だった長府藩の関係者と一緒に下関を訪問後、自分だけ下関を離れた後に執筆。ともに行動していたとみられる「野村老次子」という人物の宿泊先を知らせた上で、「ご用があればお尋ねください」と記している。
三浦学芸員は「現時点で詳細は分からないが、伊藤に資金面などで相談していた可能性がある」としている。伊藤は龍馬の支援者として知られ、資金面で活動を支えたり、自宅の一角を新婚だった龍馬に提供したりした。
手紙を所有しているのは二戸市内の女性で、夫方の祖父が譲り受けたという。女性が9月10日、盛岡市の石川啄木記念館に相談。龍馬記念館の三浦学芸員が鑑定を進めていた。 9/19 河北新聞
●龍馬の手紙か 県北部で発見 きょう最終確認=岩手
坂本龍馬直筆として県北部の女性宅で受け継がれてきた手紙が、高知市の県立坂本龍馬記念館の調査で、本物とほぼ確認されたことが17日、わかった。同館は「存在が知られていなかった貴重な資料」としており、18日に学芸員が女性宅で実物を見て最終確認する。
手紙と共に保管されていた由緒書によると、手紙は、龍馬の活動を資金面で支えた下関(山口県)の豪商伊藤家の27代目に送られたもの。女性の夫方の祖父が下関出身で、その兄が1901年に同家28代目から譲り受け、県北に移り住んだ祖父の手に渡ったという。手紙は、A3判程の1枚。「私(わたく)しのめしつれ候ものの宿ハ(中略)方ニ止宿仕らせ候」と、同行者の居場所を知らせる内容で、崩した「龍」の1字が末尾に記されている。
女性から手紙の存在を聞いた石川啄木記念館(盛岡市)が龍馬記念館に写真を送り、筆跡から鑑定。同館によると、龍馬が伊藤家に送った手紙は既に14通確認されている。手紙の写しは20日まで八幡平市博物館、21日から啄木記念館で展示される。 9/18 読売新聞
●坂本龍馬142通目の手紙 二戸の女性所有、県内初の確認 /岩手
幕末の志士坂本龍馬の直筆手紙が18日、県内で初めて確認された。二戸市在住の70歳代女性が所有していた。龍馬の手紙としては142通目で、写しは19日から盛岡市の石川啄木記念館で展示する。
手紙は、下関の豪商、伊藤助太夫あてで、和紙(縦24・6センチ、横33・2センチ)に墨で書かれている。所有者の夫が下関出身で、先祖代々家宝として保管していた。高知市の県立坂本龍馬記念館主任学芸員の三浦夏樹さんが18日、所有者の自宅を訪れ、最後に「龍」と書かれた筆跡などから本物と認定した。
内容は、下関に連れて来た「野村老次子」の宿泊先を教えている。日付は「十三日」と書かれ年月は不明。下関で発見されている伊藤あての別の手紙などから、三浦さんは1867(慶応3)年3月と推測する。
当時龍馬は鬱陵島(うつりょうとう)(韓国)の開拓を計画しており、伊藤は支援者だった。伊藤あての手紙はこれまで14通発見されており、三浦さんは「今後、関連の手紙と一緒に調べ、当時の龍馬の行動を明らかにしていきたい」と話す。 9/19 毎日新聞
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幕末の志士・坂本龍馬が長州・下関の豪商伊藤九三あてに送った手紙が、岩手県二戸市の民家で見つかり、高知県立坂本龍馬記念館(高知市)の三浦夏樹主任学芸員が18日、直筆と確認した。
三浦学芸員によると、手紙は縦24.6センチ、横33.2センチで、慶応3(1867)年3月13日に書かれたものとみられる。文末には独特の字体で書かれた「龍」の署名が確認できた。
龍馬直筆の手紙はこれまで、伊藤あてに書いた14通を含め141通確認されているが、東北で見つかるのは極めて珍しいという。
手紙は、長州藩の支藩だった長府藩の関係者と一緒に下関を訪問後、自分だけ下関を離れた後に執筆。ともに行動していたとみられる「野村老次子」という人物の宿泊先を知らせた上で、「ご用があればお尋ねください」と記している。
三浦学芸員は「現時点で詳細は分からないが、伊藤に資金面などで相談していた可能性がある」としている。伊藤は龍馬の支援者として知られ、資金面で活動を支えたり、自宅の一角を新婚だった龍馬に提供したりした。
手紙を所有しているのは二戸市内の女性で、夫方の祖父が譲り受けたという。女性が9月10日、盛岡市の石川啄木記念館に相談。龍馬記念館の三浦学芸員が鑑定を進めていた。 9/19 河北新聞
●龍馬の手紙か 県北部で発見 きょう最終確認=岩手
坂本龍馬直筆として県北部の女性宅で受け継がれてきた手紙が、高知市の県立坂本龍馬記念館の調査で、本物とほぼ確認されたことが17日、わかった。同館は「存在が知られていなかった貴重な資料」としており、18日に学芸員が女性宅で実物を見て最終確認する。
手紙と共に保管されていた由緒書によると、手紙は、龍馬の活動を資金面で支えた下関(山口県)の豪商伊藤家の27代目に送られたもの。女性の夫方の祖父が下関出身で、その兄が1901年に同家28代目から譲り受け、県北に移り住んだ祖父の手に渡ったという。手紙は、A3判程の1枚。「私(わたく)しのめしつれ候ものの宿ハ(中略)方ニ止宿仕らせ候」と、同行者の居場所を知らせる内容で、崩した「龍」の1字が末尾に記されている。
女性から手紙の存在を聞いた石川啄木記念館(盛岡市)が龍馬記念館に写真を送り、筆跡から鑑定。同館によると、龍馬が伊藤家に送った手紙は既に14通確認されている。手紙の写しは20日まで八幡平市博物館、21日から啄木記念館で展示される。 9/18 読売新聞
●坂本龍馬142通目の手紙 二戸の女性所有、県内初の確認 /岩手
幕末の志士坂本龍馬の直筆手紙が18日、県内で初めて確認された。二戸市在住の70歳代女性が所有していた。龍馬の手紙としては142通目で、写しは19日から盛岡市の石川啄木記念館で展示する。
手紙は、下関の豪商、伊藤助太夫あてで、和紙(縦24・6センチ、横33・2センチ)に墨で書かれている。所有者の夫が下関出身で、先祖代々家宝として保管していた。高知市の県立坂本龍馬記念館主任学芸員の三浦夏樹さんが18日、所有者の自宅を訪れ、最後に「龍」と書かれた筆跡などから本物と認定した。
内容は、下関に連れて来た「野村老次子」の宿泊先を教えている。日付は「十三日」と書かれ年月は不明。下関で発見されている伊藤あての別の手紙などから、三浦さんは1867(慶応3)年3月と推測する。
当時龍馬は鬱陵島(うつりょうとう)(韓国)の開拓を計画しており、伊藤は支援者だった。伊藤あての手紙はこれまで14通発見されており、三浦さんは「今後、関連の手紙と一緒に調べ、当時の龍馬の行動を明らかにしていきたい」と話す。 9/19 毎日新聞
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