大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

ゲイバーのママから「龍馬伝」まで…田中泯の正体とは

2010-02-28 00:00:01 | 龍馬伝
 視聴率20%台をキープし、好調のNHK大河ドラマ「龍馬伝」。主人公・坂本龍馬役の福山雅治(41)や、三菱グループ創始者・岩崎弥太郎役の香川照之(44)をすごみのある芝居で食った名脇役がいる。土佐藩の開国派の参政・吉田東洋を演じる田中泯(みん、64)だ。お茶の間ではまだまだ知られていないが、その正体は?

 「わしは殴ってもいいがじゃ。天才じゃき」

 「何の力もないもんは黙っちょるしか仕方ないがじゃ」

 21日の放送で、庄屋からワイロをもらう奉行の不正を訴える弥太郎と龍馬を、東洋が叱る場面は強烈だった。

 酒宴の席で土佐藩当主の山内家ゆかりの旗本の振る舞いに怒り、頭を殴ったという東洋の気骨の強さを知り、理解してもらえると期待していた弥太郎と龍馬は、失意のどん底に突き落とされる。

 東洋の憎々しいまでの傲岸不遜(ごうがんふそん)な表情は、迫力満点。映画評論家、おかむら良氏は「まるで、部下を虫けら扱いするパワハラの固まりのような重役。絶対に上司にしたくないタイプ」と評する。

 演じる田中は、もともとは1960年代から国内外で活躍する前衛舞踏家としてその道では有名だ。オペラ、美術、音楽でもマルチに才能を発揮している。

 「1981年から舞踏グループを率いて山梨県白州町で農業生活をしていて、今流行りのエコなライフスタイルを先取りしているような人」(おかむら氏)という。

 映画は遅咲きで、初進出したのは2002年の山田洋次監督「たそがれ清兵衛」。真田広之演じる主人公に討ち取られる敵役で、数々の映画賞を受賞した。

 山田監督の「隠し剣 鬼の爪」(04年)では一転、剣道の指南役に。犬童一心監督「メゾン・ド・ヒミコ」(05年)では、妻子を捨ててゲイバーのママとなり、ゲイのための老人ホームを設立する男を好演。企業買収を描いたNHKドラマ「ハゲタカ」(07年)では、電機メーカーの特殊技能士を渋く演じるなど役柄は幅広い。

 「龍馬伝」のチーフ演出は、「ハゲタカ」と同じ大友啓史氏。「圧倒的な存在感を大友氏に買われ、再起用された」(NHK関係者)というわけだ。

 田中の素顔についておかむら氏は「自分からペラペラしゃべるタイプではないが、聞いたことにはちゃんと答えてくれる。身長があるし、背筋がピンと伸びて姿勢がよく、身のこなしにムダがない。姿勢がいいからどんな衣装も自分のものにしてしまう」とインタビューの様子を振り返る。

 田中本人は「僕は演技の専門家ではないから、監督にうまく引き出してもらって物語の中に存在したい」といたって謙虚だといい、吉田東洋とは正反対のキャラクターのようだ。

 「龍馬伝」では、物語が進むにつれ、東洋はおいの後藤象二郎(青木崇高)や弥太郎ら有能な人材を登用し、龍馬にも一目置くようになる。が、尊王攘夷を唱える武市半平太(大森南朋)の土佐勤王党と対立。最後は志士に暗殺される。

 隠し味のようにピリリと効いてくるいぶし銀の演技を今からチェックしても遅くない。


2/24 夕刊フジ


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『詳細地図でめぐる 土佐 龍馬』

2010-02-27 00:00:01 | 書籍紹介
これから高知へ龍馬をたずねようという方に朗報です。
とても素晴らしい本があります。これはぜひとも手に入れたい一冊です。


【書  名】 『詳細地図でめぐる 土佐 龍馬』
【判型など】 A5判 168p オールカラー
【発  行】 高知新聞社
【企画製作】 高知新聞企業文化出版局出版調査部
【定  価】 1470円(税込)
【内  容】 高知県内の坂本龍馬にかかわる史跡を、豊富な写真と詳細地図で紹介。
室戸から土佐清水まで地域ごとに、「泣き虫龍馬」「維新への道脱藩」などのタイトルで20コースを紹介しています。
身近な史跡が、龍馬とかかわっていたという発見もあり、地元ならではの龍馬本となっています。

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「龍馬脱藩の港」ここ 大洲市が標識と案内板設置

2010-02-26 00:00:01 | 龍馬ニュース
 大洲市はこのほど、坂本龍馬が脱藩の際、川舟で入港したとされる肱川の河口港「江湖(えご)」(同市長浜)に標識と観光案内板を設置した。

 NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が放映され、江湖について問い合わせが多く、観光客誘致も目的に設置した。

 標識は、コンクリート製の擬木(直径27センチ、高さ1・4メートル)で、「龍馬脱藩の港 江湖、1862(文久2)年3月27日」と記されている。観光案内板(縦1・07メートル、横1・82メートル、高さ1・74メートル)には、土佐の脱藩第1号の吉村虎太郎が江湖の近くにあった豪商の冨屋金兵衛にあてた手紙の写真などを掲示している。手紙には「今度二人(坂本龍馬ら)の友人が行く(宿泊する)のでよろしく」との趣旨が書かれていた。

2/23 毎日新聞

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龍馬伝 視聴率 7回目「遥かなるヌーヨーカー」(2/14)

2010-02-25 00:00:01 | 龍馬伝 視聴率
第7回 2/14 20.2%でした。

20%をキープしていますね。


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龍馬の写真チョコに 曽祖父が親交 上田の三吉さん所蔵基に

2010-02-24 00:00:01 | 龍馬ニュース
 光にかざすと坂本龍馬の姿が浮かび上がるホワイトチョコレートが、上田市の市民グループによって作られた。龍馬と親交があった長州支藩の長府藩士、三吉慎蔵(1831~1901)が残した資料を基に作られた。

 チョコレートは額縁も入れて13・5×11・5センチ。表面に凹凸があり、裏からあかりを照らすと、腰に刀を差して座った姿勢の龍馬が浮かび上がる。基となった写真は、1867年(慶応3年)に撮影されたもので、上田市大手の三吉治敬さん(71)の蔵に保管されている。

 三吉さんの曽祖父・三吉慎蔵は長府藩士で、1866年の寺田屋事件では、襲撃された龍馬とともに逃げのびたとされる。慎蔵の長男・米熊(よねくま)が長野県の官員となって移り住んだ。三吉家の蔵には、寺田屋事件を詳細に振り返った慎蔵の日記など幕末・明治維新の資料が保存されている。龍馬が慎蔵にあてて万が一の場合に妻・お龍の後事を託した手紙など、慎蔵と龍馬の交流を示す資料も多く残され、チョコレートの基となった写真も龍馬が慎蔵に送ったものだ。

 こういった資料を保存、活用しようと、地元住民らが2002年に歴史資料研究市民グループ「米熊・慎蔵・龍馬会」(島喜治会長)を発足。同会はこれまで三吉家に残る資料の展示会などを行い、3年前には三吉家に残る資料がテレビ番組で紹介された際に、記念にチョコレートを約200枚を作り、関係者に配った。以降は作られていなかったが今年、龍馬を主人公としたNHK大河ドラマ「龍馬伝」が始まり、関連施設から問い合わせがあり、再生産した。

 チョコレートは、フジフイルムスクエア(東京都港区)で25日まで開かれている写真展「写真で辿(たど)る『坂本龍馬の生きた時代』」と、長崎歴史文化博物館(長崎市)で、1000円で販売されている。三吉治敬さんは「大切に保存されていた写真がチョコレートに生まれ変わり、びっくりしている。チョコレートで、あまり知られていない龍馬と上田のつながりを全国に発信して、上田の魅力を伝えられれば」と話している。

2/18 読売新聞


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講演:「お龍は不思議な女性」 龍馬研究家・宮川さん、高知で

2010-02-23 10:27:04 | 幕末ニュース
◇左手に洋書、腰にピストル

 坂本龍馬の恋人、千葉佐那と思われる錦絵を発見するなど龍馬研究家として知られる京都国立博物館の学芸員、宮川禎一さん(50)が20日、高知市立自由民権記念館(同市桟橋通4)で龍馬の妻、お龍について講演した。1枚のお龍の挿絵をスクリーンに映し出し、集まった約80人を前に「お龍は本当に不思議な女性だった」と語った。

 挿絵は、龍馬の死後の明治元(1868)年~2年、お龍が高知を訪ねた際、多くの目撃証言を基に明治16(1883)年に、土陽新聞の挿絵画家、藤原信一により描かれたもので、左手に洋書を持ち、腰にピストルを挿したお龍の姿が特徴的。

 宮川さんは「龍馬はお龍に『ひまな時は本を読め』と手紙に書いた。龍馬の死後もそのいいつけを守ったのでは」と話した。

 一方、千葉佐那について、「家柄も良く、文武両道だった。お龍は対抗意識から読めない洋書を持ち歩いたり、ピストルを持ったとも考えられる」と語ると、会場からは感嘆の声が漏れた。

 高知市介良の教員、武市花奈さん(24)は「龍馬を陰で支えるお龍の姿とは別の人間らしい一面を想像することができて楽しかった」と話していた。


2/21 毎日新聞


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龍馬と交流、嬉野茶輸出の女性に脚光 市が企画展へ

2010-02-22 00:00:01 | 龍馬ニュース
 江戸時代、嬉野茶をイギリスに大量輸出して財を成した長崎商人・大浦慶が歴史ファンからあらためて注目を集めている。坂本竜馬が主人公のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の原作に登場、竜馬ら幕末志士に莫大(ばくだい)な資金援助をする豪快な女性として描かれている。嬉野市は「お慶と竜馬とうれしの茶(仮題)」のパネル展を計画、茶業を振興し、嬉野を育てた業績を伝える。

 慶は1828年に長崎油屋町の商家に生まれた。53年に出島在留のオランダ人テキストルを介して嬉野茶の見本をイギリスやアメリカ、アラビアに送り、3年後にイギリス人貿易商オールトから注文を取り付けた。嬉野町史にも、嬉野や八女、人吉など九州各地から1万斤(6トン)もの茶を集めて輸出したと記述されている。

 「龍馬伝」の原作・司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」に登場するお慶は、商才と行動力に富んだ豪快な人物として描かれている。お慶の傍らにいる人物に大隈重信や松方正義、後の外務大臣・陸奥宗光ら明治政府の要人が名を連ねる。竜馬もお慶から資金提供を受けて大船を購入したり、綿の転売で得た利益を折半するビジネスパートナーとして付き合う場面がある。

 「稀代(きだい)の才女だが、稀代の男食い」(原文まま)という記述もあるが、慶の子孫の竹谷浩和さん(49)=長崎市=は「日本初のキャリアウーマンだったので、あらぬうわさも立てられたのではないか」と少し複雑な思いを語りながら「ドラマ放映が、彼女の業績を多くの人に正しく理解されるきっかけになればいい」と話す。

 「お慶がいなかったら今の嬉野はない。だが、地元でも語られてこなかった」。嬉野市で茶業を営む三根俊一さんは、慶を研究しながら嬉野とのかかわりを明らかにしたいと願っている。「北九州一円の農家に茶園増殖を呼びかけ茶の輸出に努力」と嬉野町史にあり、嬉野茶の発展に功績を残したことをたたえる。


 史実の慶の晩年は、巨額の詐欺事件に遭うなど不遇な面もあった。ただ負債は完済し、明治政府が「茶の輸出功労者」として表彰している。


 嬉野市は近く、市内中心地でお慶と「うれしの茶」、竜馬を結びつけるパネル展示を企画。資料提供を呼び掛けている。地域から幕末の歴史ロマンをひもとく取り組みが始まっている。


2/16 佐賀新聞


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龍馬ガイド、鞆の浦で脚光…いろは丸など焦点

2010-02-21 00:00:01 | 龍馬ニュース
 広島県福山市鞆町で、地元のNPO法人「鞆の浦振興事業団」(林真至代表)が1月中旬から始めた幕末の志士・坂本龍馬ゆかりの地を回る史跡巡りガイドが、およそ1か月で観光客ら約1000人が利用するなど、人気を呼んでいる。

 担当するガイドは13日、龍馬についてより深く学ぼうと勉強会を開き、「歴史好きの龍馬ファンにも満足してもらえる内容に」と意気込んでいる。

 鞆の浦は、1867年(慶応3年)、龍馬率いる海援隊が乗った蒸気船「いろは丸」が紀州藩の軍艦と衝突、沈没、龍馬が賠償金交渉のために滞在した歴史を持つ。

 同NPOは従来、鞆の浦の歴史全般を紹介する史跡巡りガイドを行ってきたが、NHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ、龍馬関連に絞ったコースを新たに設けた。

 いろは丸沈没後、龍馬らが滞在した回船問屋や、紀州藩との談判に臨んだ商家跡、いろは丸ではないかとみられる船から引き揚げられたドアのノブなどゆかりの品を展示する「いろは丸展示館」などを、ガイドと一緒に約1時間半かけて回る。

 同NPOの観光ガイドの2009年1月の利用者は659人だったが、10年1月は、龍馬コースの人気もあり1516人と倍以上に増えた。3月中旬までに、北海道や福島県などからの観光客も含めて、約2500人が龍馬コースを予約しているという。

 こうした人気ぶりに、担当するガイドは「より案内の質を高めたい」と、2月から随時、勉強会を開催。13日は、ガイド歴25年の宮本和香さんから説明を受けながら、新人ガイドら6人が、龍馬ゆかりの5か所を巡った。小林由里恵さん(36)は「しっかり勉強して、また来たいと思われるガイドをしたい」と意欲を燃やしていた。

 今後、龍馬の古里、高知市から講師を招いた勉強会も計画しており、同NPOの片岡明彦事務局長(46)は、「より充実した鞆の浦の旅を楽しんでもらいたい」と話していた。

 ガイドの申し込みは、希望する日の3日ほど前までに、鞆の浦観光情報センター(084・982・3200)へ。

2/17 読売新聞


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龍馬伝 第7回 遥かなるヌーヨーカー

2010-02-20 13:00:00 | 龍馬伝
あらすじ

 江戸での剣術修行を終えた龍馬(福山雅治)は土佐に帰る。半平太(大森南朋)はかつての仲間たちから先生と呼ばれるようになっていた。弥太郎(香川照之)は加尾(広末涼子)に結婚を申し込むが、断わられてしまう。龍馬が弥太郎とともに絵師の河田小龍(リリー・フランキー)を訪ねると、小龍の話を聞こうと多くの若者たちが集まっていた。そこには、龍馬の幼なじみの饅頭屋の近藤長次郎(大泉洋)がいた。小龍は西洋文明がいかに進んでいるかについて話す。それを聞いた半平太は攘夷を主張し、弥太郎は異国船など関係ないと言い、龍馬は黒船の影響は避けられないと言う。小龍は黒船を見たという龍馬に興味を抱き、龍馬の家に押しかける。その時、父・八平(児玉清)が倒れてしまう。八平は小龍の知り合いの医者の手当てで回復する。小龍は坂本家に居つき、一枚の絵を描き始める。

 弥太郎は、加尾の働きにより江戸行きの夢がかない、江戸に向けて旅立つ。龍馬には小龍からアメリカに行ったジョン万次郎の話を聞く。龍馬は八平を桂浜に連れて行き、船を作って遠い異国を家族と一緒に旅するのが夢だと語る。小龍は、坂本家のために龍が天に昇っていく絵を描いていた。


 河田小龍が出てきた。リリーフランキーが好演だった。何といっても芝居していない。それがいいのかもしれない。力の抜けた芝居が・・・。
 やっと弥太郎が江戸へ行った。このあと弥太郎にすさまじい悲劇が訪れる。それは次回に詳しく描かれるだろう。
 弥太郎のプロポーズもびっくりした。あり得ない話であるが、「優しくされると好きになる」昔、あるある探検隊の「レギュラー」のネタである。共感できた。
 武市半平太ら土佐の連中が「攘夷」に傾倒していく姿が描かれたが、もう少し先の段階であったと思う。武市が江戸へ行き、薩摩や長州、水戸の志士と頻繁に会うようになってからだと思う。少し早いかな。それに今回のドラマで感じたことは、龍馬以外の人物の設定が早い段階から固まってきている感じがした。
 上士は悪者に描かれるし、山内容堂や吉田東洋など老齢の頑固爺のようになっているし、武市や平井収二郎も路線が決まってきている。
 やはり、時代劇ファンや女性ファンを取り込むためなのか? 特に志士はこの時代揺れ動いている。だって歴史の転換期にいたから。何が正しいのか模索している時代である。
 ドラマが進行していく段階で、昨日までは悪者、今日から徐々に味方に変化していくのは見る側にとって考えなければならない。そういった流れが視聴者離れを起こすのか? だからわかりやすくまわりを描いて、その中で龍馬だけが成長していくのか?
 まあ、今後の流れに期待しましょう。
 全体的には「龍馬伝」を楽しんでいますから。

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連続講座 使用テキストをお分けします

2010-02-20 00:00:01 | 講座関係
昨年の7月から12月まで行った連続講座。

7月と8月の「幕末の基礎知識」は、ペリー来航から大久保利通暗殺まで2回に分けてお話ししました。とにかくややこしい幕末をいかに分かりやすく話をするか。事件ごとに分けて丁寧に話したつもりですが、まだまだ話しできなかったところがたくさんありました。

9月と10月の「龍馬の生涯」は話す方も楽しく、あれこれ脱線をしながら龍馬ヒストリーを丁寧にお話ししました。少年時代の伝説は出典を明らかにし、龍馬伝説のルーツを詳しく解説しました。佐那と加尾との関係や、寺田屋事件でのお竜の姿などどうでもいいようなテーマをじっくり話しました。船中八策から大政奉還までの間は、年表で詳しく解説しました。

11月と12月は私の一番得意な「龍馬の手紙を読みましょう」と題して 「家族あて手紙に込められた家族愛」「志士たちとのやりとりから見る龍馬の思想」を2回に分けてお話ししました。
家族あての手紙には、龍馬の思想や本音が書かれており、重点的にじっくりできました。龍馬の遺言状や愚痴の手紙、蝦夷開拓、桂小五郎との往復書簡、後藤象二郎との往復書簡、佐々木高行との蜜月関係など細かなテーマを楽しくお話ししました。

今回作成した資料ですが、「幕末編」と「龍馬編」、「手紙編」と3冊あります。御希望の方には送料込みで各1100円でお分けします。事務局まで申し込んでください。


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龍馬伝 第6回 松陰はどこだ?

2010-02-19 17:00:00 | 龍馬伝
あらすじ

 道場を追い出された龍馬(福山雅治)は、することもなく時間をもてあましていた。そこへ龍馬を心配した佐那(貫地谷しほり)が訪ねてくる。佐那は、定吉(里見浩太朗)に謝罪して許してもらうように言うが、龍馬は自分が剣術をやる意味を見出せない以上、謝ることはできないという。龍馬が再び桂小五郎(谷原章介)を訪ねると、小五郎は吉田松陰(生瀬勝久)にこそ話を聞くべきだと言う。龍馬が思い悩む間にペリー(ハリス)が再び来日し、龍馬は再び海岸警備に動員される。日本中に異国を排斥すべきという攘夷運動が巻き起こる中、小五郎は龍馬を呼び出し、松陰を探しに出る。松陰はペリーの船に乗り込もうとしていた。海の向こうに何があるのか自分の目で確かめたいという松陰は、龍馬に、思い悩んでいる暇があったらできることを今すぐに始めろと説教する。
 一方、土佐では半平太(大森南朋)が意見書を藩に提出したが、上士ではないために冷遇されてしまう。弥太郎(香川照之)もまた提出する。加尾(広末涼子)に意見書がよくできていると褒められ気をよくした弥太郎は、加尾との結婚を願う。


 嘉永7年(1854)1月~6月頃。ペリー艦隊が再度来航した。龍馬の千葉道場からの一時破門されましたが、もちろん創作。龍馬が桂小五郎とともに吉田松陰の密航を制止に行くシーン。龍馬も桂もその場にはいないからこれもフィクション。
 数年前の大河ドラマ「新撰組」でも黒船見学に、近藤勇・土方歳三と桂、龍馬に佐久間象山がいたような記憶がある。大河ドラマで2度も刷り込んでは「史実」だと勘違いする人が出そうで怖いですね。なんか「お~い竜馬」の実写版を見ているような感じもあった。
 加尾が弥太郎の塾に通うシーンが続いたが、距離的に考えても通える場所ではない。加尾の根回しで、多賀屋(レッツゴー三匹の一人)という商人が弥太郎の意見書に感心して遊学費用を出してくれるという筋書になっていたけど、土佐藩士奥宮忠次郎が江戸詰に異動となり弥太郎の熱意で従者にしてくれた。
 吉田松陰は当時24歳。たしかに生瀬勝久さんの松陰は有りだと思いますが、どうやら今回の龍馬伝はかなり年配の俳優がキャストについている感じがした。

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龍馬伝 第5回 黒船と剣

2010-02-19 13:00:00 | 龍馬伝
あらすじ

 ペリー(ハリス)の来航を受け幕府は各藩に江戸湾の警備を命じた。龍馬(福山雅治)と溝渕広之丞(ピエール瀧)も品川沿岸の警備に駆り出される。龍馬は浦賀沖に停泊している黒船を見るために陣を抜け出す。浦賀への道中、桂小五郎(谷原章介)と出会い、二人は黒船を間近に目撃することになる。刀では敵わない圧倒的な西洋文明の力を見せつけられ、龍馬は剣術修行を続けることに疑問を抱き始める。「黒船に対して剣は役にたたない」と佐那(貫地谷しほり)に打ち明けると、佐那はそれは言ってはいけないと釘をさす。

 幕府が諸藩に異国への対応について意見を求める。土佐では武市半平太(大森南朋)や弥太郎(香川照之)が藩へ意見書を提出し、武市は評価される。剣術修行を続けるべきか思い悩んだ龍馬は桂を訪ねる。桂も黒船に対して日本のとるべき道を考え悩んでいた。一方、佐那が龍馬に恋心を抱いていると知った千葉重太郎(渡辺いっけい)は龍馬と佐那を結びつけようとする。


 
 嘉永6年6月~12月頃。ペリー来航を中心に描いていましたね。このとき龍馬は品川の土佐藩下屋敷に湾岸警備として任務に着任(6月から9月頃まで)。その後、佐久間象山に砲術を学ぶため入門。
 桂小五郎との出会いもあった。いつも思うのだが、桂小五郎の登場方法は突拍子もなく、ひょうきんである。後年の彼からは想像できない姿である。山内豊信の風貌にビックリ。近藤正臣さんの実際の年齢はともかく、白髪のメイクはおじいちゃんといってもよい感じだったが、この時、山内豊信は27歳。吉田東洋も38歳。


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伝馬船:松陰密航、リアルに 下田の弁天島に、龍馬ファンらが協力し設置

2010-02-19 00:00:01 | 幕末ニュース
 幕末の思想家・吉田松陰が密航のため、沖に停泊中の米国船に向かって小船をこぎ出した下田市柿崎の弁天島に13日、当時の和船の雰囲気を持つ伝馬船が1隻設置された。坂本龍馬ファンの集まり・下田龍馬伝支援隊(竹岡幸徳隊長、隊員170人)が、地元ボランティアグループの柿崎松陰会(植田一二三会長、80人)などの協力を得て、吉田松陰と弟子の金子重輔の銅像前に置いた。

 同島周辺には「松陰の小径(みち)」や「ハリスの小径」、初のアメリカ総領事館が置かれた玉泉寺などがあり、多くの歴史ファンが訪れている。最近は櫓(ろ)でこぐ和船が少なく、訪れる人たちに松陰密航の場面をリアルに思い浮かべてもらえればと、設置した。

 船は松陰会の植田会長が寄贈。幅1・8メートル、長さ8メートル、櫓は3丁。松陰が使った船より一回り大きく、10年前までタカベ漁で実際に使われていた。今年6月には、実際の大きさに近い和船を島の岸壁につなげ、操船体験ができるよう同隊が準備を進めている。

2/14 毎日新聞


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龍馬伝 第4回 江戸の鬼小町

2010-02-18 17:00:00 | 龍馬伝
あらすじ

 江戸に到着した龍馬(福山雅治)は、北辰一刀流の名門・千葉道場に入門する。千葉定吉(里見浩太朗)の息子・重太郎(渡辺いっけい)に案内されて道場に入ると、女剣士・佐那(貫地谷しほり)が龍馬に腕試しを願い出る。佐那の素早い竹刀さばきで打ち込まれた龍馬は、江戸の剣術のすごさに驚かされる。佐那は「鬼小町」と呼ばれる千葉道場の看板娘で、剣術を生きがいにしていた。その頃、土佐にとどまった武市(大森南朋)は道場に門人たちを集めていた。武市に負けずと、弥太郎(香川照之)も学問塾を開き、加尾(広末涼子)も入門する。

 剣術に打ち込み腕をめきめき上げる龍馬。佐那は、龍馬と剣の勝負を願い出るが、龍馬はなかなか佐那と立ち会おうとしない。佐那はいつの間にか龍馬に心ひかれ始めていた。乙女(寺島しのぶ)は龍馬が剣術だけにのめり込み、世の中を見ていないと叱る手紙を龍馬に送る。世の中を知りたいという龍馬を、溝渕広之丞(ピエール瀧)は飯屋に連れて行く。そこで龍馬は桂小五郎(谷原章介)と出会う。桂は異国の船が日本に迫ってきていると言うが、龍馬は桂の説く危機を実感することはできなかった。



 嘉永6年(1853)4~6月頃。龍馬19歳、佐那は16歳。福山さんも頑張っていましたね。
 ドラマであった乙女宛手紙で、佐那のことに触れていましたが、実際は10年後の文久3年(1863)に書かれています。手紙の中で佐那が26歳になったとあるから文久3年と推測ができます。龍馬が佐那と加尾の容姿を比較している部分には「かほかたち、平井より少しよし。」佐那のほうが加尾より少し美人だといっています。
 最近、佐那が美人で、武術全般の達人だったと書かれた史料が宮川禎一さんによって紹介されました。宇和島藩主伊達宗城の伝記「藍山公記」安政3年(1856)5月9日に「御側女中さな(佐那)と申す者の、剣術・槍・薙刀等の技を御覧あり、女子にては達者なりとて、御感心遊ばさる」容姿については「左那(佐那)は容色も、両御殿中、第一にて」とありすごい美人だったようです。錦絵は先日新聞に掲載されていましたが、もし写真でも残っておれば・・・悔やまれますね。
 岩崎弥太郎が塾を開くのは安政4年(1857)のこと。


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龍馬伝3回 偽手形の旅

2010-02-18 13:00:00 | 龍馬伝
あらすじ

 土佐藩からも正式に許可が下り、龍馬(福山雅治)は江戸へ剣術修行に行くことが決まった。武市(大森南朋)や以蔵(佐藤健)らと別れを惜しんだ後、八平(児玉清)の記した修行心得を携えて、乙女(寺島しのぶ)や加尾(広末涼子)らに見送られながら土佐をたつ。ところが、高知城下を出て間もなく弥太郎(香川照之)が現れ、道中を共にしたいと頼んできた。江戸行きの許可は出たが金がないと言い張る弥太郎に、龍馬の同行者である溝渕広之丞(ピエール瀧)は疑いの目を向ける。程なく関所を通過する一行だが、弥太郎の通行手形が偽物と知って、あ然。さすがに龍馬もこのまま一緒に旅を続けられないと同行を断るが、弥太郎は土佐に引き返そうとはしなかった。そのころ武市は、募る江戸行きへの思いを忘れようと剣術の稽古に打ち込んでいた。一方、加尾は龍馬への思いから、縁談を断る。


 嘉永6年(1853)3~4月頃。江戸へ武芸修行に行く道中がメインでした。偽手形で一緒について行った岩崎弥太郎でしたが、皆さんもお分かりになりますよね。これはフィクションですから。弥太郎が江戸へ学問修行に出るのはもう少しあとになります。(安政元年・1854年)。
 龍馬と弥太郎の接点をよく聞かれますが、記録ではおそらく慶応3年(1867)に長崎で出会うことになります。土佐での接点はなかったのでしょうか?

 第1回放送から岩崎弥太郎と父弥次郎が竹製の鳥かごを背中に背負っている場面がよく出てきましたよね。
「歴史と地理な日々」のブログを書かれている中村武生氏によれば、「弥次郎がのちに庄屋との紛争で体が不自由になってから、内職でヒゴ削りをして鳥かごを作ったことに基づいている。(『岩崎弥太郎伝』上)」とのこと。それにしてもよく調べられていますよね。

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