大阪龍馬会

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人切り半次郎を映画化、榎木孝明さん企画・主演 東山で製作発表会

2009-02-17 14:02:04 | 幕末ニュース
◆人切り半次郎(桐野利秋)を映画化


 幕末の薩摩藩士で西南戦争で西郷隆盛と運命をともにした桐野利秋(中村半次郎)(1838~77)の半生を描いた映画「半次郎~桐野利秋風伝~」の製作発表が12日、東山区のホテルであり、企画・主演の俳優榎木孝明さん(53)が出席。映画は鹿児島と、桐野が志士として活躍した京都がメーンのロケ地になっており、榎木さんは「世界に通用する映画を京都から発信したい」と意気込みを語った。


 桐野は幕末、京都で志士活動に従事。剣術の使い手で「人切り半次郎」の異名で恐れられた。明治維新後、征韓論を唱えた西郷隆盛とともに下野し、西南戦争で戦死した。鹿児島県出身の榎木さんは、8年前から構想を練り、今回の映画化にこぎ着けた。


 薩摩藩伝統の剣術・示現流を約30年間修業しているという榎木さん。「桐野は単なる『人切り』でなく奥深い人間。ただ、映画ではしっかりとした剣技ができる俳優陣を選び、迫力のある太刀回りを披露します」と話している。


 映画は9月に撮影を開始し、公開は来春となる予定。協賛金も募集しており、公式HP(http://www.hanjiro-movie.com/)から申し込める。問い合わせは製作事務局(03・3467・1794)へ。



2/13 読売新聞


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津山藩に大奥の記録 和宮の好物はナス 篤姫、未知の肖像画存在か

2009-02-16 14:09:06 | 幕末ニュース
「奥向きの事は親兄弟たりとも一切他言致すまじきこと」--。

 そんな厳しい法度(はっと)があったため、大奥については謎が多いが、津山藩(岡山県津山市)の記録に、第14代将軍徳川家茂(いえもち)の正室和宮(かずのみや)の日常生活や、第13代将軍家定(いえさだ)の正室篤姫(あつひめ)付きの女中の名前など、未知の情報が満載されていることが分かった。東京大学史料編纂(へんさん)所の山本博文教授(日本近世史)が確認した。


 記録は津山藩江戸屋敷の奥女中が書いた「七宝御右筆間御日記(しっぽうごゆうひつまおんにっき)」(津山郷土博物館蔵)。第11代将軍家斉(いえなり)の子、斉民(なりたみ)(1814~91年)を藩主に迎えた31年ごろから、69年(明治2年)までの記録で、計1万ページを超える。


 日記には、「宮様はナスが好きなので献上した」(68年)といった、これまで知られていなかった和宮の個人的な嗜好(しこう)が記述されるなど、奥女中ならではの細かな情報を伝えている。


 さらに、将軍家が江戸城を退去した後の69年には、「天璋院(てんしょういん)さま(篤姫)の自画の掛け物ができた」との記述もあった。73年に撮影された写真をもとにした肖像画とは別の肖像画があった可能性をうかがわせ、今後の研究対象となりそうだ。


 篤姫付きの女中については、これまでの文献では知られていなかった「八重浦」という名前が明らかになったほか、従来知られていた名前も改めて確認された。また、昨年のNHK大河ドラマで名が広く知られるようになった御年寄・瀧山(たきやま)が66年12月、「願いの通り、お暇を仰せつけられた」ことも分かった。日記では、幕府の勢威が弱まったせいか、年を追うごとに女中が辞めていく様子もうかがえる。


 大奥に関する文献は、明治時代になってから、元女中からの聞き書きをもとに書かれたものがほとんど。奉公に上がる際の誓紙(せいし)や女中法度などで、他言を禁じられていたためだが、津山藩では将軍家から藩主を迎え入れたと同時に、藩の奥女中にも大奥の女中を迎えた結果、日記に、“出向元”の大奥との連絡内容が詳細に記されたものとみられる。


 身分制社会の当時、貴人は自ら手紙を書くことがほとんどない。山本教授は「篤姫付きの女中の名前が分かったことで、手紙の差出人にある女中の名前から、篤姫が出した手紙を特定できる。大奥研究の貴重な史料になる」と、日記の価値を高く評価している。(鷲見一郎)


2/13 読売新聞



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相模屋:幕末志士も使った?火鉢発見 品川宿に「里帰り」、交流館などで公開

2009-02-05 06:23:22 | 幕末ニュース
 幕末の志士たちが集った東海道品川宿の遊女屋「相模屋」。82年の解体時に残された二つの火鉢が品川区役所の倉庫で見つかり、27年ぶりに里帰りした。今月オープンした観光案内所「品川宿交流館」(北品川2)と、地域の情報発信拠点として年内に開店する「クロモンカフェ」(同)で公開される予定だ。地元では「志士が使ったかもしれないというロマンがあり、地域の宝にしたい」と歓迎している。


 江戸時代の品川宿は歓楽地としても栄え、吉原に匹敵するにぎわいだったという。中でも有名だった相模屋は土蔵造りのなまこ壁が特徴で「土蔵相模」と呼ばれた。1862(文久2)年12月のイギリス公使館焼き打ち事件の際は、高杉晋作や伊藤博文ら長州藩士の拠点として使われた。


 1957年の売春防止法施行後、相模屋は旅館や学生寮などに改修され、外観が大きく変わった。現在、跡地はコンビニエンスストアになっている。取り壊しの際には区の文化財担当者らが調査に入り、ふすまの一部や「火灯窓」と呼ばれる釣り鐘型の窓枠などを持ち帰った。区立品川歴史館(大井6)で今も保存されている。


 火鉢もこのとき保管されたとみられるが、いつから相模屋にあったかなどは分かっていない。白地に青いうわ薬で山水画を描いた陶器製で、直径、高さとも約30センチ。今月15日、カフェの関係者に引き渡された。


 品川宿交流館を運営する旧東海道周辺まちづくり協議会の堀江新三会長は「旧東海道では最近、散策する人が増えただけでなく、古くからの住民とマンション住民との交流も広がってきた。火鉢は交流館の目玉になると思う」と話した。


1/31  毎日新聞


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